◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2004/ 8/11 http://dndi.jp/

未公開株と利益相反と新聞記事

DND事務局の出口です。どんなに周辺に注意を払って、これで間違いないよねって、念を押してちゃんと手続きをとって、関係機関から「うん、これで大丈夫」とお墨付きをもらっていたのに、いきなり…。社会的に確かで、それもバイオベンチャーという結構、困難な起業、IPOにかかる、それら一連の見事なばかりの成功のステップが、見る角度やその立場によって、その評価は、善にも悪にも180度変わってしまうから、傍で見ていてしんどい。


1本の新聞記事。この公器という名の持つ影響は、書く側は、いつに変わりない日常の1コマでしょうけれど、書かれる側にとって、事実とかけ離れたところでセンセーショナルに、それもある種の偏見を持って書かれたら、それは「爆弾テロ」級のダメージに似て、その場にへたりこんでしまうくらいの衝撃なのかもしれない。


特ダネ風に1度書かれれば、連鎖して各紙に繰り返えされるから、1個人の立場からは、異論、反論を大声で叫んでも世間に広く伝える術がないのが現実です。いささか乱暴で愚痴っぽいかもしれませんが、いやいや、元社会部記者の端くれとして、私なりの解釈を‐。


森下竜一さん。ご存知の通り、阪大発ベンチャー「アンジェスMG」の創設者であり、大阪大客員教授。昨日の日本経済、日経産業の両新聞に掲載の「大学発ベンチャー企業調査」でも、同社は多くのベンチャーの目標であり、大学発ベンチャーの象徴的な存在となっていることが確認されていました。いわば、大学発ベンチャーのトップランナーといっても過言ではありません。


大学知財管理・技術移転協議会(旧TLO協議会)主催の日本版AUTM型2004(8月6から8日)と銘打った産学連携に携わる実務者のシンポジウム「利益相反マネージメント」のセッション。600人余り参加者が詰め掛けた会場は、白熱していました。


パネラーの1人として参加していた、その森下さん。アンジェスMGの臨床試験に関係した大学関係者が同社の未公開株を取得していたことを各紙で報道され、その渦中で、「なぜ今頃?何が問題?」と自問していたようです。「ある日、突然、(爆弾が)飛んできます…嵐の中を傘を差さずに歩いているようなもの」と、その心情を押さえ気味に吐露していました。


「利益相反」。文部科学省は対応が早く、2〜3年前からそれに関わるワーキンググループをスタートし、報告書にまとめていました。それによると、大学が産学連携活動に伴って得る利益と、教育・研究という大学における責任が衝突・相反している状況‐との意味なのですが、大学発ベンチャーや産学連携を推し進めれば、必然的に起こりうる課題であり、起業してIPOのステージと向かえば、自ずと利益、報酬がついて回るわけですから、大学の教官らが得る報酬について、闇雲に疑問視すれば、そんな面倒なことを誰もやらなくなり、上昇ムードの大学発ベンチャーがしぼんでしまいかねない。


「利益相反の完全回避を目指せば、産学連携の否定につながりかねない」−との問題提起から、利益相反の「管理」、いわばマネージメントの必要性を説いているのは、6月23日の日本経済新聞「経済教室」での東大教授、ロバート・ケネラーさんと東大客員研究員の首藤佐智子さんの論文でした。秀逸でした。


今回のアンジェス社のケースでは‐と、その指摘された中味に触れて、臨床試験は学内の「遺伝子治療臨床研究審査会」の承認を得ていた‐と報道されている。そこにもし問題があるとすれば、利益相反を想定した上での審査が行われなかった場合であろう‐と続け、だがそれは、社会に対して負った責任を大学自身が果たしたのかどうかの問題である。明確なガイドラインを設定し適切な審査を行うのは、ひとえに大学の責任である。その審査を通過しているにもかかわらず、個々の研究者の責任を問うのは当たらない。何年もたってから倫理的非難が加えられる状況では、もともと資金調達面において不確実要素が多いベンチャー企業の創業はおぼつかない‐と喝破しています。その通りです。


その利益相反セッションのモデレーター役の東京大学の渡部俊也さんは、後日、安心して産学連携を行っていくためには、利益相反のガイドラインの整備、利益相反委員会の設置を組織(大学)として推進していくことが急務である‐などとのいくつかの論点を的確に集約していました。大学トップを中心とした独自のルールづくりや委員会の設置が加速されることでしょうし、委員会の有無やその中味が、産学連携への取り組み姿勢の濃淡を図るメルクマールとなるのは確かです。


セッションに同席の弁護士・平井昭光さん、一連のアンジェス社の取り組みについて、手続きのひとつひとつを検証して「法的に問題はない」と言い切り、公認会計士の北地達明さんは「未公開株問題」という「問題」の用語の使い方が「断定的」ではないか?と指摘して、森下さんの立場に理解を示していました。会場からの質問が飛び出して、北地さんの指摘通り、未公開株取得を問題にした「新聞報道(一般紙)のあり方」について一石投じられていました。「未公開株取得=悪」の偏見が、新聞取材の底辺に流れ、事実関係をひっくり返すような記事の仕立て方に、新聞報道への不信が指摘されていました。


いくつかの記事を手元に引っ張り出してみると、一様に、「臨床試験を行った阪大教授ら5人が、試験前に未公開株を取得していたことが分かった‐」とありました。記事を一読して、新聞記者があたかも取材の断片を積み重ねて発掘した「スクープ」のような印象を強く与えています。


2002年9月の上場に伴って、取得状況、金額、理由、株の動き‐それらをすべて明らかにしている公開情報(森下さん)−というから、森下さんにしてみれば、一連の記事をめぐる騒動は、突然降って沸いた災難のようなもの。「なんで今頃?」という素朴な疑問がしこりとなっていたかも知れない。


ある記事には、「製薬会社の株式保有者による臨床試験はデータの信頼性が担保されにくく米国では学会などが禁じている」ともありますが、あくまで原則であって、学内の審査委員会が特別の事情があるとみなした場合は例外‐との説明はどこにも見当たらない。米国が禁じている‐というのが記事成立の根拠なのかしら…。


しかし、タイムリーに企画されたこのセッションには、文部科学省、経済産業省、それに厚生労働省の担当者らも参加して積極的に発言し、問題の所在と真意を明らかにし、森下さんの濡れ衣も晴れて、今後の方向性を具体的に示した意義は大きいが、新聞記事は切り抜きに、あるいはウェブ上に、その衝撃の痕跡は、残ったままで、書き手と書かれる側の認識に依然、落差が埋まらない状態が続いています。


「半鐘は火事があるから鳴るものであるが、ジャーナリズムの世界では、半鐘が鳴るから火事があるのだともいいうる場合が少なくない」。


「かくて人々の視角は、目先の現実にしばりつけられる。全体に代わって部分が支配する」とは、昭和32年ごろの評論で、テレビを称して「1億総白痴化」との命名で一世風靡した大宅壮一さん。こんなのもあります。


新聞における「悪人」も「孝子」もその原型からかなりかけ離れた虚像‐と言い切り、リアリズムの原則は「人間性の四捨五入に反対する態度でなければならぬ」と戒め、さらに「同じ人間の、異なったふたつ半面の有機的な関係を認めないで、別々にしかも極端に誇張して、大衆の前面へ押し出す‐これがジャーナリズムの常套手段である」と。大宅壮一全集3巻「ジャーナリズム講和」からの引用です。


ウィズダム(英知)な情報こそが今この国に求められており、そのウィズダムな情報を選択、提供するこそが新聞の使命であり責任‐と指摘し、底の浅い「官たたき」はやめよ‐との遺言に近いメッセージを遺したのは、「新聞力」(東京新聞出版局)の著者、前筑波大学教授の青木彰さんでした。


帯に「なぜ日本は輝きを失ったのか?ジャーナリズムの英知を真摯に問う」とあります。


志高く、ひたむきに時代の軋む重い扉をこじ開けようとしているトップランナーらが、「半鐘」と「常套手段」の餌食にされては、それらの輝きが失望となってしまいます。


※さ〜て、アテネ五輪。卓球の愛ちゃん、ウエイトリフティングの三宅さん、レスリングの浜口さん、ハンマー投げの室伏さん妹、まだいたかな?親子鷹の競演には、いっぱい期待したいなあ。そして、夏休み。ささやかに日光の渓流あたりでキャンプを予定しています。ということで、次回18日のメルマガは休みます。


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