◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2003/ 9/10 http://dndi.jp

赤鬼の夢

DND事務局の出口です。お叱りを覚悟で、やはり、あれこれ迷いながらも今回は、星野タイガースに触れざるを得ないことをお許しください。18年ぶりの優勝が目前です。書店をのぞけば、「阪神優勝」の文字が躍る特集号、臨時増刊号の雑誌が10種以上も目につきます。


Xデーに向けて、日増しにヒートアップ、黄色のメガホンが揺れ、六甲おろしの凱歌が巷間溢れ、道頓堀川への飛び込みの光景も容易に想像できます。


阪神優勝のクライマックスは、ひとえに、監督・星野仙一氏の夢舞台と見て取れます。叱る。突き放す。ほめる。「鉄拳」を封印した星野監督は「言葉」でその気にさせた。職場でも応用可能か−と優勝への言語力を解き明かすのは今週9月15日号の「アエラ」でした。この手の切り口は編集者の腕の見せ所ですが、それにしても労作です。


「優勝目前・完全密着、誰も知らない星野仙一激情人生そして孤独」と題した8日夜放映のスーパーテレビ特別版は、これまた日テレのお家芸といってもいい。構成や取材が綿密でした。というより、星野仙一氏の生き様を、丹念にそして、事実のみを積み重ねたスポーツドラマのお手本のように感じました。


豪腕で親分肌、現役時代エースとしてならし、対巨人戦の勝ち星35は歴代2位など数多くの栄光を手にした、その華やかな野球人生とは裏腹に、その監督の胸に刻んだ幾つかの悲しみは深く重い。


倉敷商業高校野球部の3年、夏の東中国大会決勝。甲子園に行ってプロになり育ててくれた母や姉たちを幸せにしてあげたい−そんな仙一青年の夢は、1点差で潰える。現在92歳になる母・敏子さんが、当時の記憶をたどる20年前の映像のひとコマが、番組で紹介されていました。


その夏、ちょうど甲子園の入場行進をテレビでみていたら、そばにいた仙一がいきなりワーワー泣きだしたんです。よほど悔しかったんですね。それが悲しくて、その時のことは生涯忘れませんねーとしみじみ語っていました。白髪ながら、涼やかで品のある表情は、老いてなお美しい。


幼少時代のエピソードでは、胸が熱くなりました。実にやさしい。筋萎縮症の病に臥す同級生を毎朝、おぶって登下校を送り迎えする。教室の移動でも抱きかかえている−そんな当時のスナップが紹介されていました。車イスがなかったんですね。同級生の母親は、それでも42歳まで生きられたのは仙ちゃんのお陰です、といまだに感謝の言葉を忘れない。中日の監督としてリーグ優勝するわずか半月前に、その同級生は他界していました。


ご存知のように28年付き添った妻の扶沙子さんは6年前に亡くなる直前、「あなたの胴上げをもう一度みたい」と言い残していました。平成12年11月11日の娘さんの結婚式に扶沙子さんの等身大の写真が飾られていました。その番組で初めて知ることばかりでした。星野氏の認識がかわりました。


勝負師・星野仙一、中学からスカウトした野球部の角田部長は「砂漠に花を咲かせる男」と評していました。勝てばこぶしを高々と突き上げ、負けると誰よりも悔しい顔をする−とはやはり当時の矢吹監督。あのベンチを蹴り上げる赤鬼のような形相から、さて、その時、宙に舞うその脳裏をよぎるのは‥。その胴上げが現実となりつつあります。


「泣いた赤おに」。童話作家の浜田廣介(はまだ・ひろすけ)氏の代表傑作、発表年次が1933年ですからちょうど70年前になります。できることなら村人たちの仲間になって仲良く暮らしたい、と願う赤鬼が、友達の青鬼の善意の犠牲によってその夢を叶えるーという話です。


だれもが、だれかれの善意や支えによって現在があります。星野氏の揮毫に「夢」。阪神タイガースの優勝は、多くの人のそれを、やっと叶えてくれるようです。星野氏は実は青鬼さんなのかもしれません。


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