3Dサウンド製品を次々開発
--- 第4回・株式会社ダイマジック ---
東京電機大学の浜田晴夫教授が会長を務める大学発ベンチャー、株式会社ダイマジックの3Dサウンド(立体音響)技術が、家電メーカー、携帯電話メーカー、ゲームメーカー、そしてオーディオやゲームファンから注目を集めている。2つのスピーカーから成るコンパクトな1台の機器で、狭い部屋でもコンサートホールのような音響環境が得られる。今後、様々な製品にこの技術が組み込まれる予定で、3Dサウンドのブランドとして「ダイマジック」の名が市場を席巻しそうな勢いだ。
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気がつくと会社ができていた
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▲「ダイマジックは極めて自然発生的にできた」と浜田会長
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人間は、音が左右の耳に到達するわずかな時間差や音量差から、音源の位置を一瞬で確認している。浜田会長が開発した「ステレオダイポール(仮想音源)再生方式」は、数センチ間隔で2つのスピーカーを並べ、音波を干渉させることで仮想の音源をいくつも定位させる技術だ。高性能ICで音声信号を高速処理することで、聞く人の耳元に正確な音波を届け、前後左右に複数のスピーカーを配置したような音響効果を生み出す。
ダイマジックは、この技術を使った製品をつくりたいとする人たちによって、「極めて自然発生的に創立した」と浜田会長は語る。浜田会長は、東京電機大学の音響情報研究室の教授として、英国サザンプトン大学と聴覚と信号処理に関する共同研究を長年行ってきた。その研究成果の発表会を何度か開いているうちに、事業化案が浮上してきた。「設計をやりたい」「デザインを任せてくれ」という人が周りに集まるようになり、「気がつくと会社ができていた」という。
ダイマジックを1999年に設立したのと同時に米国にもライセンス管理の会社を立ち上げ、まず手がけたのが関連特許の取得であった。欧米と日本で国際パテントをとると、当初の研究費の多くが消えてしまったそうだ。だが、「パテントをキチンとしておかないと、考えていたビジネスモデルが構築できないと思ったので、その仕組みづくりに力を注いだ」と浜田会長は振り返る。現在は、東京電機大学もTLO(技術移転機関)である産官学交流センターができ、特許出願などのサポートを行っているが、当時は資金調達も含めてゼロからのスタートとなった。
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スクウェアと組んで商品展開
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▲「聞けばクオリティの高さを理解してもらえる」と浜田会長。テレビの上に置かれているのが「ビートショック」」
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ダイマジックの音響技術が一躍注目されたのが、ゲームソフト大手であるスクウェアと組んでの商品展開だ。5.1チャンネルサラウンド対応になった「ファイナルファンタジーX」の発売と同時に、「ステレオダイポール再生方式」による小型スピーカー「ビートショック」の限定モデルをコンビニエンスストアで売り出して大きな反響を呼んだ。生産した5000台は即日完売し、ヒット商品となった。浜田会長は、「ハイエンドのオーディオ分野だけでなく、ゲーム機や個人向けDVD、カーオーディオ、遊戯機器など、いわゆるパーソナルな機器に組み込むことで、市場は非常に大きくなる」と確信したという。
続いて、ゲーム機だけでなく、DVDプレーヤーやテレビなどに接続して、ヘッドホンやポケットサイズの専用スピーカーで3Dサウンドが手軽に楽しめる小型機器を商品化。さらに、11月には、松下電器産業の子会社に3Dサウンド技術を採用した縦置きCDプレーヤーをOEM供給して売り出した。「まずは自分たちで製品に仕上げて、そのクオリティを体感してもらいながら、技術を認知させていくことが重要」(浜田会長)との考えから、ブランド構築のために次々と商品展開を図っている。
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産学連携の実体験を学生に伝える
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▲松下子会社にOEM供給する縦置きCDプレーヤー「プルプル」
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また、携帯電話への搭載もビジネスとして立ち上がり始めた。3月にケンウッドが発売した「J-K51」は、ダイマジックの技術が使われ着信音が立体音響で聞ける。電話機の左右に小型スピーカーを組み込んだ。今後、国内だけでなく海外の携帯電話メーカーからも、2つのスピーカーを搭載した機種が相次ぎ製品化される予定で、携帯電話による音の再生機能の新たな発展を予感させる。
この「J-K51」はヤマハを含めた3社の共同開発によるもので、ヤマハがこの携帯電話に対応した着信メロディを配信しているが、「今後はこうしたコンテンツビジネスも手がけていきたい」と浜田会長は意欲的だ。5.1チャンネルをはじめとするサラウンド環境を、2チャンネルの通常の圧縮方式で配信可能であることから、ブロードバンドコンテンツでの応用が期待できそうだ。
多様な分野で事業のメドが立ちつつあることから、「ライセンスビジネスが採算ベースにのり、2004年か、2005年には株式公開できる見通しがついてきた」と、浜田会長は追い風を感じている。「創立当時は資金面で苦労し、大学教授との二足のわらじで休みもなかったが、会社経営という新たな経験を得たことが自分として非常にプラスになった」と述懐する。「自分がやったことしか教えられない」とする浜田会長にとって、大学で産学連携の実体験を学生に伝えられるのも、大きな実りになっている。
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