二つのプライマリーバランス


◆このメールマガジンは、松島克守が、東京大学教授、そして(社)俯瞰工学研究所 の代表としてこれまでに名刺交換やメール交換をさせて頂いた方々に送らせて頂いて おります。またこのようなMLはメールボックスのご迷惑と感じられる方もあるかと思 います。ご遠慮なく不要のお申し出を下さるようお願いします。また、内容等につい てもご遠慮なくご意見を頂ければ幸いです。過去の俯瞰メールは俯瞰工学研究所のHP の「俯瞰メールのアーカイブ」にあります。http://www.fukan.jp/ また、ご友人、ご家族に転送して頂くことは大歓迎です。このマガジンは長いので添 付のpdfファイルを保存しておいてiPad等でゆっくりお読み頂くこともできます。




皆様

◆時候ご挨拶◆
猛暑日が続きますが、植物は温度よりも日照時間を感じるのでしょうか、気がつくと もみじの枝の幾つかは紅く色づき始め、田の稲は凛とした姿で穂を付けています。時 間を認識する知能は植物のどこにあるのでしょうか。

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・二つのプライマリーバランス
・アラブの春から3年、エジプトの混乱は
・中国そして東アジア情勢
・俯瞰サロン面白いですよ
・頭のよくなるクッキング18
・デジタル書斎の構築24
・書評 「一四一七年、その一冊が全てを変えた」 
       スティーヴン・グリーンブラッド 柏書房 2012 
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◆二つのプライマリーバランス◆

アベノミクスも正念場をむかえます。消費税引き上げを予定通り決行するか否かです が、消費税引き上げで景気が腰折れになるという危惧はいかがなものでしょう。既に 復興増税しましたが特段の景気に対する影響はありません。住宅などは駆け込みとそ の反動などあっても総需要はあまり影響受け無いのではないでしょうか。金利変動の ほうが影響が大きいですから。自動車は取得税の廃止で税を相殺するなどは必要で しょうが、思い切った法人税の減税、投資優遇税制などと、各種の規制緩和、加えて TPPの推進というショックで経済を活性化して欲しいですね。


兎も角、税収より国債の発行額が多いなどという異常事態を続ける事は限界でしょう。 家計で収入以上に借金をして生活するなど狂気の沙汰ですが、国家といえども異常事 態を続ける事は限度が有り、既にその限界に近いのではないでしょうか。速やかに国 家財政のプライマリーバランスを回復するため、消費税引き上げを実行すべきだと思 います。第一これはIMF等国際的なコミットメントですから。


もう一つのプライマリーバランスは人口です。産まれてくる命よりも死んで行く命の 方が多いのでは長期的に国が衰退します。北欧ではこのバランスをずっとプラスで維 持しています。近年フランスはマイナスからプラスにすることに成功しました。です から安倍内閣の最重要政策は少子化対策ではないでしょうか。学齢保育を含めて保育 所の整備、産休制度の充実・・・。


この少子化に言及せず靖国神社参拝や憲法改正を声高に唱えるのが政治家らしいと勘 違いしている人がなぜか政治家をやっている気がします。女性の政治家もこのパフォ ーマンスが好きなようですね。自身の産休と育児の体験を活かしたらと言うとセクハ ラですか。


加えて憲法改正をナチスのようにそっとやれ?語るに落ちるというか、そんな男が首 相だったのかと思うと情けないですね、選挙という衆愚でしょうか。


消費税引き上げの議論1

消費税引き上げの議論2

消費税引き上げの議論3

フランス少子化政策1

フランス少子化政策2

フランス少子化政策3

麻生発言1

麻生発言2


◆アラブの春から3年、エジプトの混乱は◆

アラブの春から3年、アラブは混乱と混迷の中に苦しんでいますね。とりわけこのと ころエジプト情勢が深刻です。モルシー前大統領派の強制排除ではすでに900人を超 える死者が出ています。これに対して欧米諸国は強く反発しています。これまでエジ プト軍に供与してきた援助を打ち切るとの圧力もかけています。一方サウジアラビア やアラブ首長国連邦は暫定政府の強制排除を支援しています。この背景にはモルシー 前大統領の母体であるイスラム原理主義組織のムスリム同胞団に対する危機感があり ます。原理主義者が力を増すと現在の君主制の政治体制が脅かされると懸念している からです。


イスラム社会はいくつかの断面で対立があります。 1つはこの君主制の国々と共和制 の国々です。トルコでは原理主義と世俗派の軍との対立が深刻です。また底流にはイ スラム教のシーア派とスンニ派との対立があります。エジプトの騒乱でニュースが減 りましたがシリアの騒乱はこの両派の代理戦争と言われています。しかも毒ガス使用 とのニュースもあります。


このアラブ地域は世界最大の原油の供給地域ですから欧米諸国が強い関心を持ってき ましたが、天然ガスやシェールガスの相次ぐ開発により相対的な重要度が減ったため、 かえって不安定が増したようにも見えます。


この地域にはパレスチナ問題があり、イスラエルとイランの対立と言う図式もありま す。ただパレスチナ和平は米国の仲介で和平交渉が始まる気配がありますし、イラン では国際協調派の大統領が就任してこれもまた緊張緩和の方向に動いているのは好ま しいことです。


日本は依然としてこの地域の石油資源に大きく依存していますから中東情勢の混迷は 大きなリスクです。またこの地域が安定し経済成長を始めれば大きな市場になります。 ですからこの地域に対し日本が出来る事を積極的に行うべきだと思います。ニュース 記事を色々見ていると自分自身がイスラムの文化に対してあまりにも無知であること を痛感します。少しイスラムの文化を勉強しなくてはと思います。


デモ隊強制排除、死者900名超に

元防衛駐在官が分析するエジプト情勢

エジプト情勢、欧米は手詰まり

サウジ、エジプト暫定政権を支持

パレスチナ和平再開1

パレスチナ和平再開2


◆中国そして東アジア情勢◆

中国はやはり経済大国ですね。中国の急成長が終わり停滞気味になった今、世界中の 経済に大きな影響を与えています。 一部には中国経済がバブル崩壊して世界経済に リーマンショックのような衝撃を与えるのではないかという議論は根強くありますが、 現在の政権は前の政権の負の遺産を辛抱強く処理して経済の安定成長へのソフトラン ディングを必死で行っているように見えます。


世界の資源の価格を暴騰させた中国の需要は収縮し、資源国の経済は打撃を受けてい ます。ただごく最近鉄鉱石の価格が上昇したことでこれをどう受け止めるのか、戸惑 いが出ました。


また公務員の綱紀粛正のため高級時計や高級食材の売り上げが激減していると伝えら れています。また富裕層の増加率が減少していると言うことも伝えられています。こ のニュースを読むと、個人資産額が1000万人民元(約1億6000万円)以上の中国人の 数は2012年に105万人、前年比で3%増加し、1億元(約16億円)以上の個人資産を有 するいわゆる「超富豪」の数は12年に前年比2%増加し、6万4500人とあります。意外 と富裕層の数が少ないなと思いました。多分表に出ていけない富裕層がかなりあるの でしょう。それにしても中国の富裕層を対象としたビジネスは意外と限定的なものか もしれません。


一方日本では、尖閣列島問題からの反日的な状況ですっかり中国への関心が薄れでき たようです。といっても最も重要な経済関係ですから前の中国大使の丹羽さんは尖閣 を棚上げして日中の関係を早急に修復して交流を深めるように提案しています。一方 では大前さんのようなリスク声高に説いている人もいます。


安い労働力を求めて中国に事業を展開した企業は最近の労働コストの上昇に加え、日 中関係の冷え込みから撤退の方向に動いているようで、中国撤退セミナーが盛況と言 うニュースがあります。そして今度は東南アジアへ怒涛のように日本企業は展開を始 めています。その東南アジアも中国経済の影響を受けているのでしょうか、ごく最近 タイの経済の減速が抑えられています。ただこれまであまりにも急成長であったので あくまで減速というだけです。過剰に反応しては判断を誤るかもしれません。


中国の環境汚染は依然深刻で、夏になって暖房用に石炭を焚かなくなっても依然空気 汚染は清浄に戻っていないようです。その原因は何でしょうか。さすがにこの大気汚 染のニュースは中国の観光業にも大きな影響を与えているようです。外国人観光客が 激減し、三星ホテルの経営も影響を受けています。大気汚染に加え河川汚染も深刻で すから、この環境汚染は日中が協力して経済再生のエンジンにする可能性があると思 いますがなかなか進んでいませんね。


中国経済の減速は韓国にも深刻な影響与えています。韓国経済は中国経済に極めて大 きく依存しています。とりわけ日本と異なり韓国は輸出に対する経済の依存度が大き い国です。さらに韓国は日本経済への依存関係も大きいですから、為替が円に対し約 30%程度上昇して、結果的にアベノミクスの衝撃を感じているようです。


ただアベノミクスも確かに円安までは成功しましたが、その後の第3の矢が我々とし ては気になりますね。何が出てくるのでしょうか?


以上色々と最近のニュースについて書きましたがこの様な情報収集はこのメールにあ る「デジタル書斎」の情報収集のツールを大いに活用しています。


中国経済は安定しつつあるように見える

中国経済は日本型の長期停滞のリスク

中国三ツ星ホテル減収

中国景気減速で原材料会社打撃

鉄鉱石価格上昇で占う中国経済

中国富裕層の増加率鈍化

丹羽前中国大使の提言

中国撤退セミナーが盛況

大前研一の中国認識

中国大気汚染、夏も晴れず

中国「がんの村」原因は川汚染

中国外人観光客激減

レノボのPCにハッキング工作か!?

アベノミクスと中国の失速で窮地の韓国1

アベノミクスと中国の失速で窮地の韓国2


◆俯瞰サロン面白いですよ◆

イノベーションの裏側、今だから話そう!というノリで俯瞰サロンを月1回開催してい ます。面白いですよというか、この話は他では聞けません!


第1回 5月22日(水) 「IIJ誕生の秘話」
第2回 6月18日(火) 「SONYとAppleのニヤミス」
第3回 7月8日(月)  「NetscapeとMicrosoftの戦い」
第4回 8月21日(月) 「ソニーの3.5インチFDDと Steve Jobs?」


成功の興奮とその後の反省、当事者しか知らなかった、今なら話せる・・・・という わけで講師名は公開していません。


これはイノベーションのモデルの研究の現場です。詳細は俯瞰工学研究所のサイトの 「俯瞰サロン」で


俯瞰工学研究所の俯瞰サロン


◆頭のよくなるクッキング18◆

夏休みで時間があったのでネットで食品について気になっていた事をあれこれ検索し てみると健康食品や食材について実に様々な、相反する意見がありました。


常々耳にしていた玄米食のリスクについてネットで調べてみると、玄米食には大きな リスクがあるという議論がかなり活発です。 一つは残留農薬の問題で白米と違い精 米の過程がないので残留農薬が残ると言われています。これは当然理解できることで 私もできるだけ無農薬の玄米を求めるようにしていますが、置いている店舗は限られ ているので困ります。もう一つ大きな論点は玄米のフィチン酸によるミネラル排出に ついての議論です。つまり玄米食はミネラル欠乏になるというのです。確かにフィチ ン酸はキレート作用を持ち、ミネラルと強く結合します。しかし“フィチン”は既に 複数のミネラルと結合しているため、体内のミネラルと結合することはないと言う議 論もされています。この現象は科学的に確認されているようですが人間の体内での現 象は多分確認されていないでしょう。サプリメントで補給する手もありますが、これ ではなぜ玄米食かということになります。 玄米食に関する様々な議論を読んでいると完全な玄米食よりもあれこれと食する方が いいかなと言う気持ちになりますね。


もう一つは大豆です。これも健康食品の王者のような扱いを受けていますが、いやい や大豆は発酵食以外はむしろ体に良くないという議論です。これもひとつの議論は大 豆には玄米と同じようにフィチン酸が含まれておりミネラルの鉄分下がると言うので す。発酵させた大豆はその過程でこのフィチン酸が無力化されていると。このほか大 豆レクチンや大豆イソフラボンの過剰摂取の危険性などが議論されています。この議 論からは豆乳は飲まない方がいいと言うことになります。豆腐すらあまり頻繁に食さ ない方がいいという議論です。このような議論にきちっとした科学的な検証の情報が あまりありません。特定の人のブログが多く引用されていることも見られます。ただ こう言われるとあえて豆乳を毎日飲もうという気も失われます。生の大豆から全自動 で豆乳を作る機械を買いましたが最近は出番がありませんね。


ともかく健康食については様々な、相反する議論がされていますがきちっとした行政 からのガイドはほとんど見られません。


次は週刊朝日の記事ですが、表紙に「欧米が止めた日本食品のリスト」という文字を 見かけたので買って読んでみました。週刊朝日の記事は微妙な時もありますが情報源 が米国食品医療品局(FDA)ということで信憑性が高いと思ってご紹介します。


内容はこの1年半で延べ160の品目の日本食品が欧米で輸入差し止めに合っているとい うことです。驚くことに米国で指摘された差し止め理由の最も多いのがなんと不衛生 です。次が着色料です。その次が表示内容不備です。審査内容や手法がはっきりしま せんがショックを受けます。


不衛生と指摘されたものの多くは水産物です。着色料はたくあんなどの漬物です。さ らに驚く事はかなりのメーカーは自社のこの状況を把握してないと言うのです。理由 は第三者が売れそうだと思って勝手に輸出しているからだと言うのです。しかしいや しくも食品を手がけている企業であればこのような情報を適切に収集し対策をとるべ きではないでしょうか。もともと食品業界は産地偽装とか企業倫理の面から問題があ る業界のように思います。


私が特に強く興味をひかれた事は日本の基準そのものがかなり甘いということです。 例えば使用が認められている添加物の比較ですが日本は655品目、米国は1,612品目、 世界標準と呼ばれるCodexでは392品目です。Codexは厳しすぎるという議論もあるよ うですが世界標準に比べここまで差があるとは驚きです。


なんとなく日本の食品は安全で海外の食品は危険なようなイメージを持ってしまいま すが日本の食品添加物の規制も案外ゆるゆるで、 TPPでこの議論がされて規制を強化 するのかはたまた緩められるのか気になりました。


いろいろ見ていくと肉食に関する論争も目に止まりました。肉は食べるなという議論 と肉を食べろと言う議論です。それぞれ結構説得力がありこれも困惑する議論ですね。 いろいろ読んだ結果、食する食品の最適な調和とバランスの追求が課題かなと思いま した。


玄米食

玄米食は体に悪い?1

玄米食は体に悪い?2

大豆は、実は健康食品ではない

大豆は、実は健康食品ではない2

豆乳のリスクについて

米欧から輸入を拒まれた日本の食品1

米欧から輸入を拒まれた日本の食品2

肉食論争

Codex

肉食論争


◆デジタル書斎の構築24◆

ネット上におびただしい情報があふれていますがとても読み切れないどころかどんな 情報があるのかも全くわからない時代になりました。自分にとって有効であったり、 興味がある事に関する情報を積極的にゲットしたいと思って色々な仕掛けをしていま す。


以前にも話したようにツイッターでは日経新聞、 WSJ 、週刊ダイヤモンド、東洋 経済などをフォローすることによって経済に関する情報はかなりもれなく見つけられ ます。特に日経新聞の電子版はその後の記事検索で極めて有効です。以前紙の新聞を 切り抜いていた時代とは全く違う次元です。何よりも検索と言う機能がありませんで したから。記事の切り抜きWeb情報の切り抜きはEvernoteにアップしておけばいつで もどこでも検索して利用できます。この俯瞰メールはこれを大いに利用しています。 Googleのアラートはキーワードを登録しておくとネット上の関連する情報をメールで ブッシュしてくれますから非常に有効です。例えば中国の環境汚染のようなテーマは 中国と汚染と言うキーワードを設定しておくと関連する情報が適時配信されてきます。


ただ最近さらにいろいろな新しい情報収集のサービスが提供されてきています。ソー シャルニューズと言うサービスが最近いくつか出ていますが、その中で面白いなと気 が付いた物をご紹介しましょう。


まずGunosyです。パソコン、 iPad 、 iPhoneのすべて、Android端末でも提供されて いますが関心がある分野の記事をいくつか登録しておくとそれに関するネット上にあ る情報を適切に取捨選択してメールで配信してくれます。この取捨選択して配信して くれると言う機能と、自分が見ているとの情報を親しい友人と共有できるという機能 がソーシャルニューズと呼ばれているサービスの基本のようです。類似のサービスは いくつもあるようですが私が知っていて最近試しているものはFlipboardです。これ も自分の関心があるキーワードを登録しておくとそれに関連するニュースや情報を適 切に取捨選択してあたかも私のためにだけに編集された雑誌のように配信してくれま す。その中で、後で見ようと思う記事はそれぞれのジャンル別に個人の雑誌と言う形 でファイルできます。例えば料理とか健康とかAppleとか、そういうタイトルの雑誌 形式で収集した情報がまとめて保存できます。そしてその雑誌は親しい友人と共有で きますし、一般に公開もできます。これはインターフェイスがかなり良くできていて 多分広く利用されるようになると思います。これらのサービスはクリックして読まれ た記事で学習してプロフィールを同定し、さらにマッチする記事をプッシュするので しょう。


さらにvingowと言うサービスはキーワードを登録しておくと適切に関連する情報を取 捨選択して配信してくれるところまでは上記のサービスと同じですが、なんとその要 約をしてくれます。情報の要約はかなり高度な情報処理ですが、それをこんな形で提 供しているとは驚きです。まだあまり使い込んでいませんが要約はかなりのレベルに あると思います。むろん日本語で提供されています。現段階ではiPhoneだけのサービ スのようです。たぶんすぐにiPadやパソコンでサービスが展開されるでしょう。 このほかにいくつもあるようですが上記の3つのサービスを試してみたら如何でしょう。


いずれにせよ最も重要なことは、自分が何に興味を持っているかと言う確認がないと どんな素晴らしいサービスも情報収集のツールとして機能しません。ともかく情報の 爆発の中で自分にとって有効で意思決定や行動に必要な情報をもれなく収集すること がいとも簡単にそして無料でサービスとして提供されていますので、これを利用する 人、しない人では大きな情報格差が出るでしょう。従来の新聞やテレビのニュース、 そして人の話を聞くだけの耳学問でビジネスや仕事をする人は完全に時代と同期でき ない情報弱者です。すなわちここに大きな格差がすでに存在するのです。日本のICT 企業の経営者がこの情報弱者になっていないことを祈ります!



◆書評◆

今月の、ご紹介は 「一四一七年、その一冊が全てを変えた」スティーヴン・グリーンブラッド  柏書房 2012 です。


この本はドキュメンタリータッチではありますが著者の高名なシェイクスピア研究家 でハーバード大学教授の推察や想像の物語です。巻末の詳細な参考文献や索引は著者 が第一級の人文学者であることを示しています。それだけにウンチクが長くやや前半 は読むのが大変ですがルネッサンスが生まれる前の状況を初めて理解できました。主 人公は15世紀の初頭にカソリックの教皇秘書であったポッジョ・ブラッチョリーニで す。


ローマ時代にはアレキサンドリアの大図書館を始め多数の公共図書館が多数の写本を 保存していましたが狂信的なキリスト教が多神教の邪悪な書物と決めつけて破壊しつ くしたようです。


その暗黒の中世で唯一ギリシャ・ローマ時代の文献の写本を保存していた修道院から 重要な文献を写本によって救済し、ギリシャ・ローマ文明の知を復活させたいという 人文学者のコミュニティーに広めるという、ブックハンターと言う仕事に全人生をか けていた主人公ポッジョの物語です。写本は印刷技術が発明されるまで唯一の文献の 複製の技術であって、ポッジョも高度の技術を持つ複写人でした。


何を彼が発見したかと言うと、それは紀元前50年くらいにローマで発表された「物の 本質について」という写本です。著者のルクレティウスは共和政ローマ期の詩人・哲 学者であり、哲学者エピクロスの宇宙論を詩の形式で解説したものだということです。 驚くことにその内容は現代物理学の認識とほとんど同じ、この世界を構成しているも のはこれ以上分割できない原子というものであり、その複合体ですべては作られてい る、しかもその複合体は絶えず形を変えているつかみどころのないものであると。神 という万物の創造主など存在しない。したがって肉体の消滅はすなわち精神の消滅で あり、死後の世界など無いと言う真っ向から神の存在を否定する危険で過激な哲学で す。まず驚かされるのは紀元前にすでにニュートンやアインシュタインにつながる物 理学的な認識の構造を持った人々がいたということです。


本書を読んで改めてどの宗教も人間の持つ死への恐怖をとらえて、死後の世界の存在 とそこでの安楽のためには現世において厳しい戒律の生活を送る必要があると説教し ているという宗教のモデルが理解できました。


このルクレティウスの詩は死後の世界は無いという立場から、死後の世界の罰の恐怖 から人間を解放するものです。そして現世における幸福の追求を認め、古代ギリシャ のヘレニズム期の哲学者エピクロスの、現実の煩わしさから解放された状態を「快」 として、人生はその追求のみに費やすという主張を肯定しました。15世紀フィレン ツェ派を代表する巨匠ボッティチェリ随一の傑作『ビーナスの誕生』はこの影響であ ると言います。そしてラファエロ、ミケランジェロと言うルネッサンス絵画の誕生に つながったのです。


本書ではこの写本の発見の過程とそれが一部の知識人に密かに読み継がれルネッサン スの発展を担った哲学者や科学者そして芸術家に影響を与えてきた過程が解説されて います。この写本は印刷技術の発見以降は印刷ということによってさらに広く流布す ることになり世界を変えてきたと言うことを主張しているわけです。哲学者のモンテ ーニュ、 地動説のコペルニクス、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ、ガリレオ、 ニュートン、そしてアインシュタインという流れにつながっていくわけです。米国で はジェファーソンが独立宣言の中に「幸福の追求」を書き込んだという事を、彼がこ の「物の本質について」を所持していたことから推定しています。この辺の実証作業 は本書が単なる空想でないことを示しています。といって無味乾燥な学術論文にして いません。


どちらかというと読み通すのにかなり力がいりますがこのような本を読んでいくこと が教養をつけると言うことでしょうか。主題である「物の本質について」は岩波文庫 で日本語訳が出版されていますので引き続き読んでみようと思います。


ルクレティウス

本書の書評

物の本質について、の読書日記



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◆俯瞰 MAIL 0032号(2013年8月25日)
発行元: 一般社団法人 俯瞰工学研究所
発行責任者:松島克守
URL: http://fukan.jp
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※本記事は松島克守氏の許諾を得て、再録したものです。


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