第8回 新興国の知財戦略「ベトナムのイノベーション活動に見る日本との親近性」


 東日本大震災で日本のイノベーションインフラは大きく傷つきました。自前の資源が足りない部分を、今まで以上に組織や国を超えて連携することで補っていく必要があります。特に新興国との連携は重要なオプションですが、今回とりあげるベトナムはその新興国の中でも様々な面での連携が期待される国だと言えます。


 昨年2010年はベトナムの首都であるハノイ創立1000年の節目の年でした。秋から冬にかけてはそのセレモニーやイベントで例年の旧正月以上の賑わいだったということです。現在の地名ハノイ(漢字では河内)は紅河とトーリック川(蘇瀝江)とに囲まれたデルタ地帯にあたりますが、この地域を含む北部ベトナムはかつて中国に属していました。ちょうど1000年前の1010年にベトナム人の王国として李朝が独立し、ハノイに首都をおきました。王の船がハノイに到着したとき、金の竜が空に舞い上がったことから当時ハノイを「昇竜(タン ロン)」と名付けたといわれています。



 ベトナムの歴史はこの1000年前の独立後も紆余曲折を辿ります。李朝の後は陳朝(1225〜1400)と続けてベトナム人の王朝が続きますが、15世紀の初頭に北部ベトナムは再び中国(当時の明)に支配されることになります。この後、明軍を打ち破り黎朝を創建してベトナムの独立を回復したのが黎利(レ・ロイ)です。この勝利を導いた「神剣」は神の使いである黄金の亀が与えたものでした。レロイがその「神剣」を黄金の亀に返した場所にちなんで、その湖を還剣(ホアンキエム)湖と称しています。この湖には実際巨大な淡水の住む亀が生息していて、湖の中にある浮島には、1968年に発見された体重250kgの巨大なはく製が飾られています。この伝説のゆえにハノイの人たちはこの湖の亀をとても大切にしていて、あるとき日本人の水質学者が「ホアンキエム湖は水質悪化のため大亀はもう死滅しているはずだ」と言った話を紹介したら、現地の人にそんなことはないと大変な剣幕で叱られてしまいました。その後水質悪化のため病気になっている多亀を、ベトナム政府とハノイ市人民執行委員会が捕獲したというニュースがありました。その記事には「この大亀は国を代表している。国が治療するのは必要なことだ」という市民のコメントも添えられていました。


 その伝説の亀を祭る塔も湖の浮島に設けられています。その所以の説明は当時の中国の影響で、漢字で書かれています。我々にはおぼろげに意味は分かりますが、現在のベトナム人には内容はあまり分からないようです。図1の写真はこの還剣湖のほとりに設けられていたハノイ建国1000年を記念したパネルを撮影したもので、「タンロン:Thang Long」の文字が見えます。その後のベトナムの歴史は広く知られているように、フランスによる植民地の時代を経て日本軍が進駐し、そして南北分裂ののちにベトナム戦争を戦うことになります。南ベトナムのサイゴン陥落ののち1976年にベトナム社会主義共和国が生まれます。この国はしかしその後も、中国の友好国であったポルポト派のカンボジアに侵攻したことから、総勢数十万の中国軍がベトナムに侵攻しました。軍隊の規模ではるかに勝る中国に対する中越戦争をも戦いぬき、最後は中国軍を撤退させています。ベトナムの人たちと接すると、第一印象は「おとなしくまじめで愛想のよい人柄」という印象を与えます。実際、規則や法律に対する姿勢は他のアジア諸国に比較してより順法的に見受けられます。例えばベトナム人の主要な交通手段であるオートバイのヘルメットが2007年12月15日以降義務つけられた前後でベトナムを訪問したことがありますが、規制が行われたのちに、予想した以上にみなヘルメットをかぶっていたのに驚かされました(多分日本のシートベルト規制の時より守られていた印象があります)。



 そのようなおとなしくまじめに見えるベトナム人ですが、深くいろいろ話をすると「我々ベトナム人はフランスに勝ちアメリカに勝ち中国に勝った民族だ」と言うような強さがあります。過酷な歴史に翻弄されても、誇りを失うことなく独立を守った忍耐強い真のベトナム人の姿が見えてきます。


 さてこのベトナムは2007年1月WTOに加盟以降、新興国の一因として将来の発展が期待されています。直接投資額も飛躍的に増大しました。2008年のリーマン・ショック以降の世界的景気減速を経ても、ベトナムは経済成長を堅持しています。日系企業の進出も盛んで、キャノン、松下、ホンダ、トヨタ、富士通、日本電産、三洋、マブチモーターなど企業数は500社を超えています。日産自動車は世界戦略の開発部門拠点「日産テクノベトナム」をハノイに置きました。インタビューに行ったのですが、人材面でハノイの立地は成功しているとのコメントが印象的でした。日系企業のインタビューからも、ベトナム戦争後の早い時期に関係を強化することにつながった福田ドクトリンなどの影響もあり、現在でも対日感情は良好で、日系企業の事業にはプラスに働いていることが分かります。市場としてみると中国とは比べものにならないことから、関心はあっても今一つベトナムへの姿勢ははっきりしない企業も多いですが、日本にとってベトナムとのいっそうの連携強化はかねてより期待されているところです。なにしろ人口のおよそ半分が20代以下という若い国であるところは日本と正反対で人材面の魅力です。


 知的財産面では制度整備もWTO加盟に備えて整備されてきました。それまでいろいろな政令、省令、指令等に分散していて、知的財産に関係するまとまった法律体系ではなかった著作権、著作隣接権、産業財産権(発明、意匠、半導体集積回路の回路配置、商標等)、植物育成者権をまとめた新知財法が、2005年11月に国会可決後、2006年7月1日より施行されています。ベトナム新知財法の定めるところは、概ね日本法と類似しています。職務発明制度なども構造は似ていて、さらに職務発明の補償金の比率などが数値で規定されているなど、、、これはいいのか悪いのか悩ましくなります。知的財産に関する国際条約の面でも、現在ベトナムは、TLT 条約以外の主な知財の国際条約(TRIPS 協定、PCT 条約,Paris 条約、マドリッドプロトコル、ベルヌ条約)に加盟しておりASEAN 諸国の中でも際立って積極的です。アジア・アセアンの国はどこでもそうなのですが、模倣品や海賊版の問題もかなりの被害があるにはあるのですが、それでも現地で被害に遭っている日本企業から、ベトナム政府は比較的しっかりまじめに対応してもらっている印象があるとのコメントがありました。


 このベトナムでもイノベーションを実践する製造業が発展する兆しがあり、知財権の出願も盛んになってきています。図1と図2はベトナム特許庁に対する商標と特許の出願数の推移です。特許はそれほど件数も多くなく外国人の出願が圧倒的に多いですが、商標の出願はここ10年急速に増加しています。2009年はリーマンショックの影響もあり特許も商標も外国からの出願は減少していますが、いずれもベトナムからの出願がリーマンショックを経てもずっと増加し続けています。特に商標の増加は著しく、2009年では10年前の10倍近い2万件以上のベトナム人(企業)から出願がなされています。





 ハイテクの知識源として重要な大学や公的研究機関からも特許出願が増加しています。ベトナムの研究機関は、かつては商業化にかかわることが許されていなかったのですが、1992年の政令によって、公的研究機関が初めて商業化に従事することを認められました。さらに2005年の政令ではじめて大学が科学技術研究や技術移転から収入を得ることを認めたことで、これらの知的財産に関する活動を公式化することの基盤が整いました。


 ベトナム政府は2010年まで20%、2015年まで15%、中央政府からのファンディングを減らす計画で、そのかわり地方政府や国際機関から研究資金の調達を促す方針としています。その結果として別途の収入を期待できる技術移転への取り組みの機運も高まっています。実際ホーチミン工科大学などの有力工学系大学では、数多くのエクステンションプロジェクトによって多くの技術移転収入があると報告しています。ただしこの場合の技術移転は、教育を通じた社会人への技術移転が含まれていることに留意すべきで、大学機関としては、このような活動を通じて企業から収入が得られるようになるインセンティブを設けようと考えているようです。多くの発展途上国と同様、ベトナムにおいても大学が機関として契約研究をやることの最大の障害は、教員が私的に兼業したりコンサルしたりすることであるといいます。このような状況からまだこれらの大学の知財出願が大きな成果を生むには時間がかかると思われます。外国出願も現時点では少なく、例えば米国特許出願を行っているベトナム国籍の企業や大学等の組織は、最近設立されたサイエンスパークである「サイゴンハイテクパーク」を含めてまだ12社にすぎません。しかしこのように積極的に知財出願を行っている企業の中に、ベトナムの将来のイノベーションを担う可能性のある企業が見出すことができます。


 例えばDuy Loi社は主に折り畳み式のハンモック、ベッドなどの製造会社で、利便性をアピールした独特の構造で、日本を含む外国でも販路を広げて人気を博しています。このDuy Loiはベトナム特許庁に9件の出願があります。ベトナム国内外での侵害訴訟で勝訴もしていることから、ベトナムにおける知的財産の啓発の際に、自らの権利を守るために知的財産保護を重視しなければならない好例としてよく引き合いに出されています。


 Vinaxukiとう自動車メーカーも成長を期待されているイノベーション企業で、商標出願などを活発に行っています。今はトラックが中心ですが、自家用車の生産も始めています。社長はMr. Huyen(フイエン)という人物で、社名のVinaは「ベトナム」を意味し、XukiはHuyen社長の二人の子供XuanとKienの名前を略したものです。このVinaxukiもXuanKienも商標出願がなされて権利となっています。


 子供の名前を会社名につけて商標にするのは、日本的感覚から言うとちょっとプライベートすぎると思うかもしれません。でも欧米や中国など外国から見ればそういう日本のオーナー経営者こそ、自社を娘か息子のように考えていて、経営者として適切でないと指摘されることもあるのです。そのような考え方をするため株主に対する還元がおろそかになったり、M&Aなど経営権を手放すようなエグジットを選択肢にしないなどという点で問題があるとも言われます。一方で従業員や会社の理念を大事にして長期的な経営ができるというメリットがあるのですが、その点なかなか評価されていないところは日本的経営にとっての逆風です。


 しかしVinaxukiの社名が表すベトナム人の組織に対する考え方は、実はそのような日本的な組織に対する考え方に近いのかもしれないと思う点もあります。中国からベトナムに入ると、中国に比べて日本の食文化や生活習慣により近い生活文化を見出すことがありますが、ビジネス慣行においてもそういう面が多少はあるような気がします。


 最近は中国の人件費の上昇を嫌ってベトナムに進出する中国企業も多いようです。従来から積極的にベトナムと連携を進めている韓国企業もベトナムの各機関との積極的な連携を進めています。これらの企業はベトナムの大学にも寄付を行うなどをして人材獲得に来ています。有力な技術系大学であるホーチミン工科大学の教授によると、リクルーティングに来ている韓国企業は「いい学生だと思ったらその場で給与や待遇の交渉をやっている」とのことです。日本企業も寄付講座などは出してはいるのですが、そういうなかではあまり目立たない存在です。文化面での親近感や良好な対日感情等を考えると、日本企業は韓国や中国の企業以上にもっとパートナーシップを強化しても良さそうです。冒頭述べたように今まで以上に新興国との連携が重要になっているわけですが、ベトナムとの連携はより一層加速する施策を考えるべきではないかと思います。



文献

渡部俊也, 豊崎玲子"ベトナムの知的財産制度の現状と展望−イノベーションシステム貢献への期待−", 特許研究 PATENT STUDIES 第47号 (独立行政法人工業所有権情報・研修館) , 47-60(2009).
Vinaxukiのウエブサイト http://vinaxuki.vn/
Duy Loiのウエブサイト http://www.duyloi.com/index.php?m=about


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