第4回 政府と企業が連携した「韓国オープンイノベーション知財戦略」の切れ味
この特集では新興国の知財戦略を取り上げています。今回は韓国をテーマとしてとりあげますが、現在の韓国はその経済力から先進国に分類されます。しかし、アジアの新興国から急速に成長した韓国の発展は、現在の新興国の未来を考える上で参考とすべきことが多いことに加え、韓国産業が外国市場、特に新興国市場への進出で大きな成功を収めたという面からも、大いに注目すべき存在であると思います。
例えば中国に進出したサムスングループは、輸出を含めると2009年には中国市場で約2兆円の売り上げを達成していますし、LGディスプレーも中国での売り上げが約1兆円に到達しています。韓国企業の新興国市場における存在が際立っていることが分かります。
このような韓国産業の飛躍的発展に対して、最近の知財戦略が貢献していると思われるのです。近年の韓国の知財戦略として私が注目しているポイントがいくつかあります。第1のポイントは「政府主導で進める先進的な知財制度戦略」、第2のポイントに「国際標準戦略に高度に連携した企業の合理的特許戦略」、第3のポイントとして「企業と政府が取り組む国際知財人材育成戦略」の3つの点に注目すべきと思います。
第1にあげた韓国政府の知財政策で注目すべきは、情報産業振興に関連づけられたコンテンツ政策について早くから取り組んできたことです。例えば最近日本で盛んに議論が行われている検索エンジンにおける著作権処理の問題や、フェアユースの問題についても以前から議論が行われています。これに加えコンテンツの海外展開では、政府資金を投入して振興していることが功を奏して、優れたコンテンツを豊富に有している日本を遥かに先行して韓国コンテンツの海外展開が進んでいると言われています。
最近ではインターネット上の3Dコンテンツや動画コンテンツにおいても、そのデザイン保護を可能にする狙いで、韓国特許庁が、2009年1月に3Dデザイン出願システムの運用を開始し、さらに来年度開始を目標にフラッシュファイルなどを利用した動的デザインの出願審査システムの開発を行うことを発表して注目されました。韓国特許庁は、このような改正の狙いを「デザイナーが権利をより簡単に獲得できるよう支援するとともに、韓国のデザイン制度が顧客サービス面の進歩において大きな意義がある」と説明しており、知財制度改革によりインターネット等におけるデザイン主導のイノベーションを促進する狙いであることがわかります。
このような政府の制度改正による支援に加えて、韓国では法人税率の実効税率を低くしたり、政府主導でファンドを作りコンテンツ産業に投資を行ったりすることで、制度面とともに資金面を合わせた積極的な産業振興を行っています。
このような振興施策の下、韓国主要企業は急速に業績を伸ばしてきました。この過程で韓国企業の知財マネジメントの水準は急速に向上してきたと言ってよいと思います。先述したコンテンツ関連産業振興の影響もあって、デザイン関係の知財出願は韓国では活発で、2009年では意匠出願件数が中国、欧州連合(EU)に続き世界3位でした。また韓国特許庁への特許出願も多く、90年代から2000年代にかけて増加して年間17万件程度で、現在では世界の主要5極に数えられる出願大国です。しかし外国市場においての知財戦略では、90年代から2000年代にかけて先行する他の先進諸国に太刀打ちできず、特にエレクトロニクス分野では多くの特許訴訟に巻き込まれ、多額のロイヤリティー支払が経営に大きなインパクトを与えかねない状況にありました。しかしこのような経験から韓国主要企業は、戦略的な知財マネジメントの必要性を認識し、知財重視の経営に転じて、その水準を高めてきたと言えます。
これが第2に注目すべきポイントである「国際標準戦略に高度に連携した企業の合理的特許戦略」につながっていきます。そのマネジメントの特徴としては、韓国企業が特許を出願する目的と定めた目標に沿って、最も合理的な知財マネジメントを追及しているように見える点です。
この特徴は、国際標準に必要な特許を一か所に集めてライセンスする特許プールに具体的な例をみることができます。特許プールに数多くの自社特許が登録されれば、その分だけ標準技術利用の際の特許料支払いが減り、逆に他社から特許料を獲得できるため、自社の特許を少しでも多く標準の必須特許に登録するための熾烈な競争が行われます。わたしたちはこの特許プールに登録される特許が、日本と韓国の企業のどのような研究開発から生まれているかについて分析を行ってみました。その結果から、日本企業は標準策定のはるか以前から、独自発明を丁寧に育てて特許化し、プールに登録しているのに対して、韓国企業では、標準策定が始まる前後に、その動向と他社の研究開発情報を参考に特許を出願して、最短距離でプールに特許を登録しているという差異が見出されました。この様子を図1に示します。
図1 DVDパテントプールにおける発明の傾向(右に行くほど自社技術ベース、上に行くほど他社技術ベースの発明がパテントプールの特許になっていることを示している。日本企業が右下から中央に分布しているのに対して、韓国企業は左上に位置している。カッコ内は分析対象特許数。詳しくは2)参照)
この図は、日本企業が手間暇かけて高品質の特許を出願しているのに対して、韓国企業は最小限のコストで必要な特許を獲得しているということを示唆しています。プールに登録された以上は、他社への許諾が前提となるため、いくらそれが優れた特許であっても平等に扱われるので、そこから生まれる収益は変わりません。丁寧に育てた独自技術が、技術の独占を担保する仕組みであれば、日本企業の特許出願戦略は正しいのですが、標準の必須技術としてパテントプールに入ってしまうのであれば、コストパフォーマンスの面で韓国企業にはかなわないということになるのです。
かつてサムソンの知財法務担当役員に、「貴社では特許をどのように評価していますか」と聞いたことがあります。その担当役員の答えは至ってシンプルで「技術標準の必須特許になるかどうかで判断する」というものでした。現在サムスンの知財担当のマネジャーに同じ質問をすると、もっと多面的な目的をあげるようになりました。しかし知財マネジメントの立ち上げ初期の段階で、知財戦略と標準戦略の統合が行われていたことが、現在日本企業の対応が遅れていると言われる「標準と知財の統合戦略の策定」という面で、早い段階で効果をあげたといえるのかもしれません。
このような外国への知財戦略の拡大傾向はサムソンだけではありません。2009年の国際出願では、日本からの出願が減る中、韓国からの出願は前年より増加しています。このような韓国企業の「標準戦略と高度に結合した知財戦略」は、次世代携帯電話LTEにおける主要特許権者のシェアにおいて、日本企業がすべてあわせて10%程度と予測されているのに比べて、サムスンとLGなど韓国メーカーが2倍の20%以上を占めると予測されていることをみても、その成果が表れていると言えるでしょう(2)。
このような知財と標準の統合戦略は、韓国政府も強力に支援しているようです。韓国では特許庁の中に標準政策を扱う部門が設けられているという珍しい組織を有しています。標準における特許問題では、パテントプールの外の必須特許権者が、標準技術の普及を妨げることがしばしばあることから、特許制度としては例外的な強制実施権制度を利用したらどうかという案が出されることがしばしばありますが、特許行政を担当する部門としては、特許制度そのものの否定につながりかねないこのような議論は取り扱いが難しいため、議論そのものが停滞しがちです。そのような意味で、韓国特許庁の組織は興味深いものといえます。
そして第3に注目されるのが「企業と政府が取り組む国際知財人材育成戦略」です。先述のサムソンでは、毎年多くの知財部員を会社負担で米国ロースクールやローファームに送り出したり、中国のロースクールにも社員を派遣するなど、新興国をも範疇とした国際知財人材の育成に取り組んでいます。
そしてサムスンのような大企業だけでなく、中小企業においても国際知財人材の育成を進めるべく政府が強力に支援しているのです。例えば最近韓国政府が多額の国費を投じて開発した「中小企業向け英語e-learning 教材」にその例を見ることができます(3)。これはWIPOと共同開発したIP Panoramaといわれるアニメーションによるストーリーテリング形式のe-learning 教材です。2010年12月現在で特許、商標、ライセンスなど全12プログラムが用意されています。従来の知財の教材にありがちな法律の説明に偏ったものではなく、実際のビジネスシーンにおいて知財マネジメントを考えさせ理解させる、最も先進的な知財英語教材の一つであると言えます。中小企業向け知財の英語コンテンツ教材を政府主導で開発することは、国内市場が急速に縮小する現在の日本でこそ必要ですが、民間企業の社内英語化でも政治家から否定的な議論が起きることもある現在の日本では当分難しいでしょう。日本と比較をすると、国内市場が小さいために、外国市場で競争力を増していくことのみが国の発展の鍵であると決意し、オープンイノベーションを政策のコアに据えた韓国の知財戦略の切れ味の良さは際立っています。韓国は、現在でも日本の政策や企業戦略を緻密に分析して自らの政策に反映させていますが、特に新興国に展開するイノベーション戦略に関しては、自らの技術が最も価値があると信じる技術ノスタルジアに拘束されない合理的技術経営が必要になります。この点では、日本こそ韓国から学ぶべきことが多いというべきでしょう。
1)ETSI資料を根拠とする二又俊文氏(シズベルジャパン)による分析を引用(2010年8月現在31社2466特許のシェア)
2)K.Wajima, A.Inuzuka and T.Watanabe, "Empical study on essential patents in DVD and MPEG standards patent pools", IAM Disucussion Paper Series #016(2010).
http://www.iam.dpc.u-tokyo.ac.jp/workingpapers/index.html
3)http://www.wipo.int/sme/en/multimedia/
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