第15回 「O Canada」の巻


 首都の寒さ比べをした場合、表彰台に上がる3都市、お分かりになりますでしょうか?多くの方は、3つのうちの1つは、正解されますね。モスクワだと。はい、銅メダルです。それでは、金メダルは?朝青龍や白鵬のふるさとです。そして、銀メダルが、カナダの首都、オタワです。私は、在カナダ日本国大使館に赴任して、3回オタワの冬を経験しましたが、ちょうど今頃の時期の寒さはまことに厳しいものでありました。零下20度、風を伴うと、体感温度零下40度にまでなることがあり、それを初めて経験した際は、北海道のトマムのスキー場のてっぺんで風に吹かれた時のことを思い出しました。日本人の感覚だと、まあ10月末から4月末までの6ヶ月は、冬と言って良い気候でした。ところが、西海岸のバンクーバーの2月は、意外とそれほど寒くなく、しかしながら結構雨が降るし、雨降りにならない日も曇りがちで、2月から3月にかけては、人工の光に当たるサロンみたいな施設がとても流行るという話をカナダで聞きました。ですので、今回の冬期オリンピック、コンディションを気にしていましたが、女子モーグルの時は気の毒な天気でしたね。上村選手がまた惜しくもメダルに手が届かなかったことが残念だったですが、加えて私には、カナダ開催の五輪で初めての金メダルを取るカナダ選手になるであろうと言われていた選手がラス前で滑って首位になりながら、最後に滑った米国選手に首位を奪われ、星条旗をまとった金と銅の米国勢に挟まれて立っていた姿が、目に焼き付いてしまいました。


 米国とカナダ、前者は留学で、後者は勤務で滞在し、いずれの国も好きですが、スポーツで両国が競争しているときに何となくカナダを応援してしまうのは、2001年9月11日に起きた米国でのテロ事件以降の両国関係をカナダで見ていたことが間違いなく影響していると思います。あの時、テロ事件を引き起こした犯人の一部が、まずカナダに入国・潜伏し、事件直前にカナダから米国に入ったという未確認情報に基づき、米国からカナダにかけられた圧力は相当強かったようです。例えば国境管理について、カナダは米国と同じようにやって欲しい、さもなくば、米国としてカナダからの人・物資の円滑な流入は保証しないという具合です。国境管理は、もちろん国家の主権に直結する重要事項ですし、一方、GDPの4割を輸出が占め、その9割が米国向けであるカナダにとって、円滑な対米貿易の維持は死活問題です。20世紀末にかけ、北米自由貿易協定と長期にわたる米国の好況とのダブル効果で、経済的な対米一極依存が著しく進んでしまったカナダが、21世紀のスタートでいきなり見舞われた大きな試練。世界一の大国たる隣国との経済的一体化が進展する中で、隣国とは異なる国家としてあり続けていくというカナダの宿命的課題を第三国の外交官ながらひしひしと感じ、自国の道行きを真剣に考えているカナダ人にとって、カナダという国は結構つらい国だなと思いました。


 もちろん、米国にとっても、自国が同時多発テロに見舞われた大変な試練でした。良き隣人として、カナダは一所懸命に米国を支えようとしていたと思います。米加国境の橋には、両国の国旗の間に"UNITED WE STAND" という言葉を配した巨大な横断幕が掲げられていました。国境管理については二国間協議の上、セキュリティ確保と円滑な貿易の両立のための取り決めを2001年内に行い、また、米国のアフガン攻撃にカナダも参画しました。しかし、米国で活躍していた多くのカナダ人が、怒りとリベンジの思いにあふれた雰囲気(私も、"AMERICA STRIKES BACK" というスローガン下の報道を連日、聞きました。)に嫌気がさして、カナダに戻ってきたのも事実のようです。そして、対イラクについては、単独行動を辞さない米国と国際協調を主張するカナダとがはっきり分かれてしまいました。


 そうした同時多発テロ後の重苦しい雰囲気の中で行われたのが、米国ソルトレークシティでの冬季五輪でした。特にアイスホッケーはカナダ国民に人気のスポーツで、五輪期間中にカナダ政府主催の会議に出席していたら、外からメモが入れられ、現在、カナダがリードしておりますというアナウンスがあって一同拍手というシーンもありました。そして、この五輪では、カナダのアイスホッケーチームが男女とも金メダルを取ったのです。しかも、男女とも米国を破って。メープルリーフの国旗をまとって大喜びをしているカナダ人を見て、本当におめでとうと思いました。それから暫くは、アイスホッケーの話から始めることにより、カナダ政府からの情報収集がとてもスムーズでありました。さて、今回、男子モーグルで、カナダ開催五輪で初めてのO Canadaが演奏されたようですが、あとどれくらい演奏されるか楽しみです。もちろん、君が代の演奏も。



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