第5回 「マイ・カー・ライフ」の巻
30年以上前、教科書で読んだ記憶があるのですが、菊池寛の「形」という短編小説があります。以下のような内容でした。際立った武功を誇る槍使いの武士がいて、その武士は、いつも猩々緋の鎧を身につけて戦場に出るわけです。敵方の武士は、その猩々緋の鎧を目にしただけで、おじけづいてしまい、猩々緋鎧の武士にいいようにやられてしまうのです。その武士の主君の息子の初陣の日、彼は、その息子に頼まれて猩々緋の鎧を貸すのですが、その息子は一番槍として戦場に飛び出し、輝かしい武功を治め、帰陣します。当日は、黒皮縅の鎧を身につけていた槍使いの武士は、二番槍として戦場に臨むのですが、日頃とは勝手が違い、敵方の武士たちは全くひるまずに向かってきます。槍使いの武士は、日頃の倍の力を使うけれども、二、三人の武士を突き伏せるのにも苦労します。そして、猩々緋の鎧を貸したことを後悔する思いがかすめたとき、とうとう討たれてしまうのです。
さて、私は、これまで2度だけマイカーを持ったことがあります。最初は、米国のイエール大学大学院留学時代で、赤いサニー。二回目は、カナダ大使館勤務時代で、黒いベンツ。実は、黒いベンツでカナダの真っ直ぐな道を走っていて、上記の「形」を思い出したことがあるのです。私は、基本的に慎重なドライバーであり、めったに追い越し車線には出ないのですが、ある日、かなり遅い車の後にしばらくついていて、さすがに辛抱できなくなり、この一台だけ追い越そうと追い越し車線に出ました。すると、追い越し車線を走っていた車が次々と一般走行車線に戻っていくのです。結局、当初の思いとは裏腹に、米国国境に到着するまで、ずっと追い越し車線を走ってしまいました。これは、赤いサニー時代には経験しなかったことで、むしろサニー時代は、追い越し車線にいると、大型トラックなどにどんどん迫ってこられて、慌てて一般車線に戻る経験をしばしばしました。
こんなことを久々に思い出したのは、幕張メッセで行われた東京モーターショーで、日本カー・オブ・ザ・イヤー30周年記念展を見たからです。この30年間の歴代の受賞車が並ぶとともに、それぞれの年の主な出来事も併せ展示されていて、懐かしさ一杯でした。
「あー、昔はこれに乗ってたよなあ。」といった家族連れの声や、写真を撮りまくっている若者グループの歓声を耳にしながら、一つ一つの車を丹念に見ているうちに、ふと、あの赤いサニーと黒いベンツは、今頃どうしているかなと思いました。今でも北米を元気に走っているでしょうか?それとも他の大陸に行っているかな?オーナーは大切に扱ってくれているでしょうか?ひょっとしたら、リサイクルされて、別のモノに生まれ変わっているかも。いずれにせよ、私の合計5年にも満たないささやかなカー・ライフを共にしてくれた赤いサニーと黒いベンツが、私の手元から離れた後、どちらも、良い人生ならぬ'車生'を送ってくれたことを願ってやみません。
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