第55回 審査官としての職業(その4)(審査官採用と女性審査官の活躍)


「3月の冬空」

 3月というのに、東京の住宅地では先日降った雪がところどころ道ばたに縮こまって残っています。澄んだ青い空が続いた今年の冬にはめずらしくどんよりとした雲が流れていく様子を見ていると、春のうきうきした気分が遠くなりそうです。しかし、この時期、官庁では何となく心がそわそわしながら新年度に向けた準備に拍車がかかります。4月には初々しい新入職員達がそれぞれの部署に配属されて新しい人生がはじまるのを横で眺めることも、すこしうれしくなる理由のひとつです。


 特許庁では、毎年、事務系の職員とともに、特許、意匠、商標の審査官補を採用します。いずれも、日本の産業競争力の源泉となる知的財産のシステムを守り、構築していく人材として期待されています。今回は、将来審査官として育成される職員、特に女性審査官について、お話しましょう。


「審査官の仕事」

 特許庁の審査官とはどういう職業なのか、第18回、第20回と第50回に概説しました。


 特許庁の審査官は3つの職種の人たち、つまり特許審査官、意匠審査官、そして商標審査官でなりたっています。それぞれ別々に採用され、育成されます。特許及び意匠審査官は今年から始まる国家公務員採用総合職試験(技術系、意匠は意匠系)の合格者から、商標審査官は国家公務員採用一般職試験の合格者から庁の選考を経て採用されます。採用後、審査官補として数年間(@)の研修を経て審査官になります。審査官になると、もちろんそれぞれ担当の審査を行うことになりますが、そのほか、庁内の総務課、国際課などの企画・管理部門への併任など、特許庁の行政府としての業務に携わるほか、経済産業省本省含め、他の省庁、国際機関などへの出向の機会もあります。


「審査官補研修」

 審査官補は、配属先で審査実務の見習いをしながら、厳しい研修を経て専門知識を取得していきます。審査官補の研修は、主として知財法制に関するものと審査実務に関するもので構成されます。審査官は当然のことですが知財法制に通暁している必要があり、特許法、意匠法、商標法及び知財関連の国際条約などをマスターします。また法令に基づいて審査の実務に用いられる審査基準等にも精通している必要があります。法科大学院や知財専門職大学院などに特許庁出身の大学教授が少なからずおられるのは、こうした現場の経験に裏打ちされた専門知識が重用されているからでしょう。


「女性審査官の採用」

 さて、特許庁は最近、女性の採用に極めて熱心です。係員に相当する行政職一級(U種行政事務系)では約45%と極めて高くなっています。ところが、審査官補に相当する専行一級では、事務系に比べて少なくなっていて約17%が女性です。経済産業省全体でここ数年の採用に占める女性比率が約31%。全省庁合計で約29%であるのに比べると少なくなっていますが、これは(採用担当によれば)特許審査官は技術系の採用なのでそもそも女性の受験生が少ないのが原因と考えられます。一方、個別に見ると、必ずしも技術系ではない意匠審査官、商標審査官の場合、全体の約38%が女性というサブ「女社会」になっています。


 ご承知のとおり、霞ヶ関では女性の採用、登用に政府全体で取り組んでいます。現在文部科学省高等教育局長になられた板東久美子氏が担当されていた男女共同参画局がその司令塔です。女性職員が安心してその能力を発揮できるよう、職場と家庭の両立を支援するため、産前産後休業、育児休業、育児短時間勤務などの制度が整備されています。育休は最近男性も取れるようになりました。経済産業省では保育施設の利用に対する補助がはじまりましたが、文部科学省など、庁舎内に託児所を設けるところもあります。当庁でも、女性比率の高い商標、意匠の審査現場では、産休、育休を取る審査官がたくさんおられます。経済産業省で少子化対策も担当していた(A)筆者としては喜ばしい限りですが、たくさんの審査ノルマを抱えた管理職の皆さんには頭痛の種のようです。しかし、そこは代替職員の臨時雇用などでしのぎながら、暖かく産休へ見送りつつ、心から復帰を待っています。(ご苦労様です、林栄二商標課長さん、本多誠一意匠課長さん)


 こうした働く女性の活躍の場を拡げる良い方策の一つが、いわゆるテレワーク、在宅勤務です。日本の社会では、官庁も含め、テレワークへの対応が遅れていますが、先日訪問した米国特許商標庁では、審査官の四分の三がテレワークをしているとのことでした。またワシントンDC以外のサテライトオフィス整備の話も進んでいます。米国政府の在宅勤務には、対象職員のパフォーマンスが元々高いこと、自宅のネット環境が整備されていること、守秘義務が遵守できるよう個室があることなどの条件が設定されていますが、もともと情報の機密性の高い特許等の審査がテレワークで対応できるような技術的な裏付けができているということでしょう。翻ってわが国では、ようやくテレワークを試行しようとの動きがあるところを見ると、まだまだこれから、というところです。さきほどの、優秀な審査官たちの産休、育休でため息をついていた管理職の皆さんも首を長くしてその実現を待っています。


 先般公表されたように、特許庁にも標的型ウィルスの攻撃がありました。審査の情報セキュリティ確保は重要な課題です。審査のテレワークは、この情報セキュリティの問題のほか、審査用端末の品質の確保、データベースへのアクセス利便性など、審査特有の問題もありますが、今後の検討の進捗に注視していきたいと思います。


「活躍する女性審査官」

  さて、女性審査官の登用はどうでしょうか。


経済産業省全体(22年1月現在)では、女性職員の比率が約20%と、全府省の約16%をかなり上回っていますが、うち課長補佐級は約11%と、これも全府省の約6%を相当上回っています。一方、課室長以上となると、2%未満と全府省を若干下回っています。実は、この数字には俸給表の異なる特許庁の審査官は含まれていません。


 特許庁の審査官はと見ると、直近の24年1月には、課長補佐級以上では審査官全体で女性比率は約13%、うち意匠が約37%、商標が約34%となっています。そして、課室長級以上では、審査官全体で約10%、うち意匠が約32%、商標が約35%です。これら二分野の審査官は全府省に比べて10倍以上の比率です。特許庁六階の商標の審査室を覗くと(B)、国際商標審査を含め7つの審査室のうち、4つの室の長が女性です。(写真は若手審査官を指導する寺光幸子 機械審査長(左)と土井敬子 国際商標登録出願審査監理官(右))


 特許審査部でも、素材や医薬、バイオ分野を担当する特許審査第三部は、淺見節子部長以下、管理職である上席総括審査官にはずらりと女性が並んでいます。これは国際的に見ればあまり不思議なことではありません。特に商標の世界では、米国特許商標庁のコーン商標コミッショナーや、前商標コミッショナーのべレスフォード氏も女性ですし、最近訪ねてこられたタイ王国知的財産局は、パッチモ局長以下代表団の4人とも女性でした。


 

「特許庁初の女性部長、淺見節子さん」

 さて、淺見節子特許審査第三部長(右写真)は、特許庁初の女性部長です。筆者とは経産省同期入省ですが、職場が離れているため、入省以来お会いしたのは部長就任の昨年です。大変お久しぶりでした。


 そこで、淺見部長にインタビューをお願いしました。

 「大学では化学を専攻して日々実験をしていましたが、自分にはあまり適性がないのではないかと感じ、専門を活かせる職業を模索していました。男女雇用機会均等法もない時代でしたので、企業は男性と女性の採用を別に行っており、条件は大きく異なっていました。せめてスタートラインは同じところに行きたいと思い、公務員試験を受けました。まだ「特許庁」があまり世間に認知されておらず、「東京特許許可局」とどう違うのですか?といった質問をされるような時代でした。大学の先輩の女性審査官に伺ったところ、技術の内容は一つずつ異なるので日々新しいことに触れられ面白い、基本的には一人で判断するので自分のペースで仕事ができる、といったとても魅力的なお話でした。」


「昭和63年、娘が3歳になったときに審査基準室に併任しないかというお話をいただきました。併任は夜遅くまで残業するのが当たり前でしたし、自分にできるのだろうかという不安もありましたが、家族の協力も得られ、また上司が一から指導してくださり、なんとか乗り切ることができました。東京で開催された日米欧三極特許庁の会合に出て、世界が一気に広がり、いろいろなことをやってみたいと思いを強くしました。」


 「平成3年には一人でベトナムの特許庁に出張するという経験もしましたし、ジュネーヴにあるWIPO(世界知的所有権機関)でアジアの途上国協力のプログラムを作るとか、ワシントンDCで米国の特許訴訟を勉強するといった機会もいただきました。知的財産研究所や一橋大学にも出向しましたが、特許以外の知財を知るとともに、人の輪を広げることができたことが自分の財産になりました。自分自身は女性であることをあまり意識していませんが、印象が強いという点で得をしているのかなと思うこともあります。」


 「大学で薬学やバイオを専攻する女性が多いこともあり、特許審査第三部には女性の審査官が大勢います。管理職も多く、課室長以上の管理職の25名中5名が女性)です。皆審査実務に精通しており、部下からも信頼され、あるときは優しく、あるときは厳しく部下を指導しています。審査官もそれぞれ苦労はあると思いますが、自分流の仕事の仕方を見つけ、しなやかに誇りを持って仕事をしています。」


 どうでしょう、魅力的な職場だと思いませんか?淺見節子部長、お忙しいところ貴重なコメントをありがとうございます。


今回は審査官、特に女性審査官の採用と登用を中心にお話ししました。詳しくは特許庁のHP(採用情報)をご覧ください。



(@) 学部新卒は4年、修士新卒は3年の研修期間があります。
(A) 具体的には、結婚情報サービス業の適正な発展を応援しておりました。
(B) 残念ながら審査室の中には一般の方は入れませんが。




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