第21回 失敗からのイノベーション〜田中耕一所長と藤吉好則教授
「京都にて」
久しぶりの京都は、山裾の名刹では古寺の屋根に枝を重ねる木々の新緑が陽光を受けて光り輝くとても美しい季節です。縁あって、田中耕一所長をインタビューするという栄に浴して、4月の京都に、島津製作所本社を訪ねました。このインタビューは、今年が高橋是清が策定した専売特許条例の公布から125年という節目に当たり、希代の発明家達にリレー形式で次世代へのメッセージをいただくという企画を特許庁が進めているものです。既に何人かの方からメッセージをいただいて特許庁のHPに載せています。高橋是清翁は初代特許局長(現在の特許庁長官)ですが、それこそ心血を注いで日本の商標、特許、意匠制度を構築されました。その顛末は高橋是清自伝 (中公文庫)
に詳しく述べられています。高橋是清は、知財制度を構築するため、農商務省に担当官として呼ばれ、まず日本に商標(明治17年)及び専売特許条例(明治18年)を導入した後、米、欧の知財制度調査に赴き、その膨大な調査結果を基に、明治21年、商標、特許、意匠の三条例を新たに公布し、また農商務省から独立させた特許局の局長に任ぜられます。欧米での調査では、たとえば米国特許局からは、過去5年間の特許公報・審決を日本のものと交換ということにして、無償で譲り受けています。日本にはそのとき、特許公報など存在しなかったのでした。高橋是清の人徳でこうした貴重な資料を得ることが出来たと同時に、当時の米国特許局をはじめ、欧米の知財先進国が近代日本の創成期に暖かい支援を惜しまなかったことがわかります。
「田中耕一所長の失敗のこと」
さて、京都の島津製作所の会議室で待っていると、田中耕一所長は、それこそ普通に現れました。ノーベル賞受賞時と少しも変わらない風貌で、髪の毛のロマンスグレーが印象的ではありましたが、これも、受賞時には少し前にたまたま床屋に行って染めてきたと著書に書いておられるので、あまり変わっていないのかもしれません。
インタビューの内容は近々上記HPにアップされますので、詳しくはお話ししませんが、一つだけ今回の標題「失敗」の話をご紹介しましょう。田中耕一所長は、自著「生涯最高の失敗」(朝日選書)
で述べられていますが、ノーベル賞受賞のきっかけは、混ぜる試薬を間違えたことです。この失敗した試薬を「もったいない」として使ってみたところ、その後の大発見につながるのですが、これは偶然のことではない、というお話しです。田中氏がおっしゃるには、失敗をおそれずに挑戦すること、専門家ではやらないようなことをやってみること、その背景には「失敗はあたりまえ」、「成功すればめっけもの」という何事にもチャレンジする空気が島津製作所にはあるのだ、ということでした。これこそ、イノベーションのひとつの要諦ではありませんか。田中氏は、筆者達が事前にお願いしていた質問の全てに一つ一つ丁寧に答えながら、現場のエンジニアとして、研究者としての視点から、様々なメッセージを伝えてくれました。その一言々々に、氏のすがすがしいまでのまじめさが含まれていました。この場を借りて田中耕一所長はじめ、お世話になった島津製作所の皆様にお礼申し上げます。
「失敗学」
「失敗」について。筆者は失敗学
の権威 、畑村洋太郎先生から「失敗」の意義と具体例についてお話しをお聞きしたことがあります。MOTを担当していた大学連携推進課の頃で、「失敗学」は、実はMOTの重要な要素でもあるのです。畑中先生のお話しから、失敗することから非連続的なイノベーションが生まれることが理解できました。たとえば先生がご紹介する、三菱重工長崎造船所で1970年に起こった大失敗、新型タービンの試験中の事故ですが、この事故では、高速回転中の50トンの大型タービンローターが破裂し、11トンの破片が、1.5キロメートル先の山頂まで吹っ飛んだというタービン史上に残る大事故でした。現在、三菱重工業長崎造船所には、この破片を回収して展示してあります。この悲惨な事故は、しかし、破壊力学上貴重な資料を提供し、日本のローター製造技術は飛躍的に改善されたたと同社HPにあります。品質に厳しい重工業メーカーが「失敗はあたりまえ」として試験していたわけではないでしょうが、当時の技術者達は、この厳しい失敗を精緻に分析し、新しいローター製造技術を開発して世界に冠たるタービン技術を確立したことが、タービン製造における非連続的イノベーションの例といえるのではないでしょうか。畑村洋太郎先生、ご教授ありがとうございました。
「京都大学理学研究科にて」
折角京都を訪問する機会を得たので、夕方、旧知の京都大学理学研究科の藤吉好則教授を長男とともに訪ねました。長男は、ちゃんと6時まで講義に出ていたようです。一安心。藤吉好則先生は、電子顕微鏡を用いたタンパク質等の生体高分子構造解析の世界的権威ですが、筆者が通産省に入省後数年してナショナルプロジェクトの「蛋白工学研究所」の担当をしていた頃、同研究所の研究員として京都大学から来られた赴任されてきたのでした。その後、最近ではNEDOの「タンパク質構造解析基盤技術開発」等において大変お世話になっていましたので、筆者もNEDO時代に久しぶりにお会いし、先生の研究の進化に触れて非常に感銘を受けたのでした。この日は、先生の研究室で、映画「アバター」ではやりの?三次元映像によって先生が解明された膜蛋白の水チャネルの立体像を見せていただいたり、共同研究員の阿部一啓先生のプロトンチャネルの研究を見せていただいたりしました。立体眼鏡で見る蛋白の構造は、とても不思議で美しく、映画の世界そのもののように見えました。
ところで、つい先日、NEDOが発表した、東北大学出澤真理教授らによる「ES細胞、iPS細胞に次ぐ第三の多能性幹細胞」であるMuse細胞の命名者が、藤吉先生です。先生はこのMuse細胞発見のエピソードとして、「失敗」のお話をしてくれました。出澤先生が、取扱いの難しい幹細胞を培養していたとき、培地に栄養を与えるつもりが、間違って細胞には有害な薬品を入れてしまったところ、翌日見ると、細胞は真っ赤になって死んでしまっている。途方に暮れた出澤先生が、よく細胞を調べてみると、この厳しい環境の中で、わずかに生き残った細胞がいる。この細胞を分離して培養したところ、上述のMuse細胞が見つかったという話でした。Muse細胞は、もしかするとiPS細胞を凌駕するかもしれない発見です。この大発見がやはり「失敗」から生まれたのだというのが藤吉先生の解説でした。とても興味深いお話しです。藤吉好則先生、ありがとうございました。
以上、京都訪問から失敗学三題噺をお送りしました。失敗はしないに越したことはないとも思えますが、上記の失敗はいずれも非連続のイノベーションのもとになったものです。イノベーションというのは、奥が深いですね。「失敗をおそれてはいけない」という田中耕一所長のお話は筆者の脳裏に強く残っています。
i.畑村洋太郎先生は、最近も危険不可視社会(講談社)
を上梓されて、ますますご活躍ですね。失敗学の総論にご興味ある方は、失敗学のすすめ (講談社文庫)
をどうぞ。
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