第17回 知財を巡る裁判のお話
特許など、知的財産権を巡っては様々な審決(特許庁の審判による)、判決(知財高裁等の裁判所による)が行われており、特許庁の事務方は常にこうした判例、審決例を研究して日々の審査等の業務に反映させています。
また、筆者の担当する審査業務部には、方式審査基準室というところに行政不服班があり、処分手続などに関する行政不服及び訴訟全般を扱っています。今回は、こうした行政不服を巡る裁判のお話として、昨年に最高裁で国の勝訴が確定したある行政事件の裁判の例をご紹介したいと思います。
行政事件訴訟は地味なもので、特許や商標の成否の判決のように一般紙に報道されることもほとんどありません。国(特許庁)の行った却下などの行政処分が、適法かどうか判断するもので、世の中の情勢や新しい法的解釈などには左右されにくいものだからです。国としては、手続きに明らかな瑕疵(かし)がなければ当然勝訴すべきものですので、逆に緻密な対応が求められます。一方、却下処分を受けた方にとっては、たとえば特許の新規性などが争われるのと同じ影響があるわけですから、これら手続き上の扱いも知財に関する戦略の重要な部分となります。
(事件の概要)
今回ご紹介するのは、意匠権の登録出願について、出願人が優先権主張(後述)を行ったものの、これを出願と同時に行わず、後の手続補正書で追加した手続に対して特許庁長官がした却下処分について、その取消し訴訟を行ったものです。地裁、知財高裁と裁判が行われ、最高裁判所にて平成21年10月1日に国の勝訴が確定しました。
問題の意匠登録出願は、パルミジャニ フルリール エス.アー. というスイスの高級時計の会社から行われたものです。時計にとって意匠権は重要で、同社も本件とは別に、腕時計の外側のデザインについて日本でも意匠権を登録しています。
図に示すように、日本での時計分野の意匠権登録は年間100件から200件程度で推移していますが、スイスからの出願は半分近くを占めており、時計のデザインにおけるスイス企業の存在が大きいことがおわかりになると思います。
同社は、パリ条約による優先権主張の手続を出願と「同時」に行うべきところをそうしないで出願(平成18年9月28日)し、出願の2時間17分後に優先権主張に必要な事項を追加した手続補正書を提出しました。特許庁長官は、上記手続補正書及び優先権証明書の提出書に係る各手続を手続補正書による優先権主張の追加は認められないとして、いずれも却下する処分をしたものです。
また、これと併行して行われた意匠権の実体審査において、本出願については、優先権主張が適用されなかったので、新規性の判断基準日は日本国特許庁への出願日とされました。そして、既に公知である自らの登録意匠(スイス連邦意匠)と同一と判断されたため、判決確定後にこの意匠登録出願は拒絶されました。このように、意匠権は、自らの発表したものや自分が他国で有している意匠権により、権利が認められないことになるのは特許権の場合と同様です。
パリ条約の優先権というのは、本稿の読者のほとんどはご存じだと思いますが念のため解説しますと、意匠法15条1項で準用する特許法43条に規定しているもので、工業所有権の保護に関するパリ条約に基づいて、優先権(パリ条約に加盟しているA国において特許(意匠)出願した者が、その出願にかかるものと同一の特許(意匠)について、他のパリ条約加盟国B国に出願する場合は、A国への出願日からB国への出願日までの期間が12月(意匠は6月)以内である場合に限り、B国への出願はA国への出願の日においてしたと同じように取り扱うべきことを主張する権利。優先権が適用されると、A国への出願日とB国への出願日の間に第三者がB国に同一の発明について特許(意匠)出願をしていても、それは後願とされる。)(*i)が主張できるものです。
その優先権を、パリ条約加盟国であるスイスの企業が、パリ条約加盟国である日本の意匠登録出願において、既に自国で行った意匠の出願の優先権を主張したのですが、それを同時(*ii)に行うべきところ、2時間17分後に行ったことが事件の発端です。
(裁判所の判断)
以下、長くなりますが、判決について解説します。詳細は文末脚注をどうぞ。
(1) 東京地方裁判所は、平成20年6月27日に請求棄却の判決を言渡しました(*iii)。
請求内容は、「手続補正書」、「優先権証明書の提出書」の却下処分の取り消しです。
争点は、パリ優先権主張の提出時期について、日本の意匠法では「出願と「同時に」提出しなければならない」と規定されていますが、法令上の「同時に」と本件のような「同日中に」の解釈と運用が争われたものです。同日で出願から2時間17分後に手続きされた、優先権主張を追加する手続補正書が、適法か否かが問題となりました。
東京地方裁判所の判断は、概略以下のとおりです。
まず、パリ条約による優先権は、先願主義の例外事由となり、新規性等の判断の基準日を遡らせるなど、その効果が第三者に与える影響が大きく、手続については関係法令に基づく方式が要求される。方式を充たしていない場合は、優先権の効力が生じていないといわざるを得ないとし、原告の主張する「「同一日に」手続が行われれば特許法43条1項の「同時に」といえる」については、「同時に」は言葉の通常の用法(広辞苑を引用)において「同一日に」とは異なる意味で用いられるのは明らかで、特許法、意匠法においても、「同一日に」を意味する場合は「同日に」の文言が使用されているため、法の解釈及び運用の誤りがあるということはできない、というものでした。
(2) 次に控訴審である知的財産高等裁判所は、平成21年3月26日、控訴棄却の判決を言渡しました(*iv))。
このときは、一審判決を不服とした控訴人は、特例法施行規則14条2項(「同時に」しなければならない手続について、オンラインと書面で手続きした場合は同日を同時に取り扱う旨の規定)があることを根拠に、本件の「同時に」は「同一日に」と解釈すべきであるとの理由から、原判決取り消しを求めて控訴したものです。
知財高裁の判断としては、パリ条約に基づく優先権主張の手続をオンライン出願により行う場合であるから、特例法施行規則12条により意匠登録出願の願書中にその旨を記録して行う必要がある、控訴人は、オンライン手続で送信した願書中にその旨の記録をすることなく、その2時間17分後にオンライン手続で上記出願につきパリ条約に基づく優先権の主張をする旨の送信を行ったのであり、この手続が特例法施行規則12条に違反することは明らかである、また、特例法施行規則14条は、オンライン手続で送信された情報を同時受信できないという特例法制定当時の技術的制約及びオンライン手続と書面提出手続の併存という、二つの手続を「同時に(行う)」という特許法等の要請の実現を困難とする事態に対処するために制定されたものであり、「同時に」の時間範囲を必要最小限度の範囲内に留めた合理的な立法的措置であって、特例法施行規則14条を根拠に、本件の「同時に」を上記の通常の意味を超えて「同一日に」と拡大して解釈することが相当でないことは明らかというべきであり、控訴人の主張を採用することはできない、としています。
(3) 上告審である最高裁判所は、 平成21年10月1日、地裁、高裁の判決を支持し、上告棄却及び上告審として受理しないとの決定を下しました。
この結果、原審(知的財産高等裁判所)の判決が確定しました(*v)。
(エピローグ)
「同時に」と「同日に」は、一字違いですね。しかしその間の壁はとても高くそびえています。特許法(意匠法)においては、文言上厳格に使い分けていて、それが「いつ」されたかという点において全く意味が異なってくるのです。本件は、2時間とすこしの違いではありますが、その違いで優先権が認めらなかったため、この企業の意匠登録出願そのものが拒絶されました。人の感情としては何とかしてあげたいという気持ちにもなりますが、地裁の判決にもあるように、優先権という第三者への影響が大きい権利の問題であり、また行政手続きの公平性、透明性はきわめて重要なことですので、「動くサービスマン」としても厳正に対処してきた、ということでしょう。もちろん、一般論としては、こうした行政不服申立てなどをきっかけに、審議会、最後は国会で議論いただいた上で所要の法改正を行うことはありうることです。最高裁で国が勝訴したと無邪気に喜んでいるわけではなく、こうした「不幸」が起こらないよう目を配りつつ、ユーザーフレンドリーの観点からも、よりよい知財法制を目指し、また日々業務を厳正に行うことが特許庁に求められた責務と自覚しております。
@.特許庁編「工業所有権逐条解説第18版」p152から引用、再構成。
A.特許法43条1項には「パリ条約第4条D(1)の規程により特許出願について優先権を主張しようとする者は、(中略)…パリ条約の同盟国の国名及び出願の年月日を記載した書面を特許出願と同時に特許庁長官に提出しなければならない。」とされている。
iii.東京地方裁判所請求棄却判決(平成20年6月27日)
(請求)
「手続補正書」、「優先権証明書の提出書」の却下処分の取り消し
(争点)
意匠法15条1項で準用される特許法43条1項にて規定されているパリ優先権主張の提出時期について、「出願と「同時に」提出しなければならない」と規定されていて、「同時に」と「同日中に」の解釈と運用が争われた。
本願は、要求される方式を充たしていないことは明らかであるが、同日で出願から2時間17分後に手続された、優先権主張を追加する手続補正書が適法か否かが問題となったケース。
(裁判所の判断)
・パリ条約による優先権は、先願主義の例外事由となり、新規性等の判断の基準日を遡らせるなど、その効果が第三者に与える影響が大きく、手続については意匠法施行規則様式第2備考32、特例法施行規則12条、意匠法15条1項で準用される特許法43条1項に基づく方式が要求される。方式を充たしていない場合は、優先権の効力が生じていないといわざるを得ない。
・原告の主張する「「同一日に」手続が行われれば特許法43条1項の「同時に」といえる」については、「同時に」は言葉の通常の用法(広辞苑を引用)において「同一日に」とは異なる意味で用いられるのは明らか。特許法、意匠法においても、「同一日に」を意味する場合は「同日に」の文言が使用されている。(特許法39条2項、意匠法9条2項)
・その他、原告は、a.パリ条約4条D(1)の文言について、フランス語正文の「moment」の英文(date)、スペイン語(plazo)の公定訳、b.実質論として第三者の不利益がない旨の主張、c.先願の定め(特許法39条、意匠法9条)を援用して「日」単位で先願主義が運用されていること等を主張したが、裁判所は採用せず「同時に」を「同一日に」と解釈すべき特別の事情があると認めることは出来ない。
・したがって、意匠法15条1項で準用される特許法43条1項の解釈及び運用の誤りがあるということはできない。
*iv.知的財産高等裁判所(控訴審)判決(平成21年3月26日)
(争点)
一審判決を不服とした控訴人は、特例法施行規則14条2項(「同時に」しなければならない手続について、オンラインと書面で手続きした場合は同日を同時に取り扱う旨の規定)を根拠に意匠法15条が準用する特許法43条1項の「同時に」は「同一日に」と解釈すべきであるとの理由から、原判決を取り消し、本件各処分をいずれも取り消す旨の判決を求めて本件控訴を提起。
(裁判所の判断)
・本件は、パリ条約に基づく優先権主張の手続をオンライン出願により行う場合であるから、特例法施行規則12条により意匠登録出願の願書中にその旨を記録して行う必要がある。
・控訴人は、オンライン手続で送信した願書中にその旨の記録をすることなく、その2時間17分後にオンライン手続で上記出願につきパリ条約に基づく優先権の主張をする旨の送信を行ったのであり、係る手続が特例法施行規則12条に違反することは明らかである。
・特例法施行規則14条は、オンライン手続で送信された情報を同時受信できないという特例法制定当時の技術的制約及びオンライン手続と書面提出手続の併存という、二つの手続を「同時に(行う)」という特許法等の要請の実現を困難ならしめる事態に対処するために制定されたものであり、その規定内容に照らすと、「同時に」の時間範囲を必要最小限度の範囲内に留めた合理的な立法的措置である。
・したがって、上記事態に対処するための特例法施行規則14条を根拠に、意匠法15条が準用する特許法43条1項の「同時に」を上記の通常の意味を超えて「同一日に」と拡大して解釈することが相当でないことは明らかというべきであり、特例法施行規則14条を根拠とする控訴人の主張を採用することはできない。
*v.最高裁判所(上告審)決定(平成21年10月1日)
(裁判所の判断)
特例法施行規則14条を根拠に、意匠法15条が準用する特許法43条1項の「同時に」は「同一日に」と解釈すべきであるとの理由から、控訴審判決を取り消し、本件各処分をいずれも取り消す旨の判決を求めて上告を提起した上告事件について、最高裁判所は、上告棄却及び上告審として受理しない旨の決定を行い、原審(知的財産高等裁判所)の判決が確定した。
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