第12回 イノベーション政策学


 ご無沙汰しました。今回は2月4日に開催された東京大学イノベーション政策研究センター主催、NEDO・JST共催のイノベーション政策学ワークショップに於いて議論された、「イノベーション政策学」についてご紹介します。なお、同ワークショップ概要と報告はhttp://ipr-ctr.t.u-tokyo.ac.jp/jp/event.html をご覧ください。


「東大本郷にて」

 2月4日、立春というのに、この冬一番の寒さの中、東大本郷の工学部2号館の一階展示室で、ワークショップが開催されました。工学部2号館は先年リニューアルされて、古いれんが造りの校舎の上にガラス張りの近代的な高層ビルが乗っかっている風変わりな、もとい、斬新な意匠の建物です。リフォームされて残されたれんが造りの校舎一階には、レストラン松本楼が出店していて、日比谷店と同じく定番のオムレツライスなどの温かい食事を提供しています。学内の食堂にしては値段も高級ですが、高い人気を誇っていて、気持のよい天気のお昼にはほぼ満員になることもあります。なお、ここだけの話ですが(どこが?)、混雑するお昼時でも、お店のマスターの顔見知りの教授と同伴すれば、奥の静かな席をとってくれるらしいです。


 ワークショップは、松本楼の扉を通り過ぎた廊下の突き当たりにある展示室で午後から開催されました。午前中はひと気のない部屋だったのか、底冷えのする中、60人ほどの参加者で部屋はいっぱいになり、主催者の坂田教授の挨拶からワークショップは始まりました。


「イノベーション政策学」

 このワークショップの目的の一つは、イノベーション政策学という概念を関係者で共有することにあったと筆者は思います。坂田教授のイントロダクションでは、世界における3つの構造的変化、つまり知識の爆発、知識の細分化、地球的課題の顕在化を挙げ、これらを乗り越え、Global Challenges の解決に貢献するモデルへ到達するための道筋として、イノベーション政策を科学する、イノベーション政策学の重要性を強調されました。


 さらに、イノベーション研究主要10ジャーナルの分析から、我が国のイノベーション研究が近年には相対的に低位になっており、特に直近5年の論文数では、世界でも11位に下落している現状を紹介されておられましたが、これはイノベーション立国を標榜すべき日本にとっては将来致命的なことになりかねません。主要ジャーナルのエディターには、後藤晃先生や京都大学の若杉隆平先生、東大の藤本隆宏先生らにならんで、今日、坂田先生に次いでワークショップの趣旨説明を行ったノベーション政策研究センターの梶川裕矢特任講師が若手では唯一、名を連ねています。このセンターのさらなる活動を期待します。


「政治とイノベーション政策学」

 ついで基調講演は、民主党内きっての科学技術政策通といわれている藤末健三参議院議員です。議員からは、「政治からのイノベーション政策学への期待とニーズ」と題して、力のこもった講演をいただきました。先生のイノベーション政策研究センターとの関係をご紹介しましょう。筆者の経産省そして大学の後輩でもある藤末議員は、米国留学中に、2年間でMITの経営大学院とハーバードの行政大学院の2つの修士号を得たというとんでもない勉強家ですが、イノベーション政策研究センターの所属する東大工学研究科の助教授もかつて務められており、技術経営の教科書を執筆されるなど、東大でイノベーション政策の研究と教育をされていた先駆者の一人といってもよいでしょう。久しぶりに母校で行われた議員の講演は、とてもわかりやすく世界の現状を整理し、日本の政策現場の課題を指摘したうえで、政治の現場から見れば、今後重要になる政策の大転換は本来優れたシンクタンク機能が必要で、この機能は、専門的知識を有する大学こそ持つべきであるとの内容でした。これは、小宮山前東大総長の目指した方向性とも重なるものです。藤末議員、お忙しい中どうもありがとうございました。


「イノベーション政策学の進展」

 続いていくつかの講演がありました。JSTの研究戦略センター(JST-CRDS)フェローの岡村麻子氏は米国の科学技術政策の意志決定の構造と政策実現の体制を例にして、イノベーション政策の科学に関する日本への示唆を講演いただきました。米国では、前政権からエビデンスベースの政策立案に関する上層部(大統領顧問)からのイニシアティブがあって、オバマ政権でも政策科学とその現場への適用が進んでいくことの説明が印象的でした。学識経験を有する専門家による政策立案とその科学的な評価が行われつつある米国に比べると、先般の市民公開裁判を思わせる日本の政策改廃の「イベント」はこれと対極的であるとの印象を持った方もおられたのでは。このお話は次号で触れたいと思います


 こうした詳細な各国の政策の分析を、如何に日本の政策現場に活かしていくかは重要な課題です。ここは、JST-CRDSを昨年から率いている吉川弘之先生のリーダーシップにも期待しましょう。


 引き続き、梶川裕矢特任講師からは、イノベーション研究の俯瞰分析及び教育の潮流について講演がありました。梶川先生は、筆者の学位論文も引きながら、イノベーション研究の俯瞰分析を用いたイノベーション政策学の構造と役割を詳説しました。イノベーション政策学の出口として、世界の課題に対するテクノロジー・ビジネス・ソーシャルの三つのソリューションが提供できることを示されました。また、イノベーション学の教育の潮流として、イノベーション研究主要10ジャーナルの掲載論文数上位に位置する大学のカリキュラムからMOT型、MBA型、政策型に分類するという興味深い検討結果を示されました。これによれば、MOT型は論文首位の英サセックス大学、マンチェスター大学などで、ハーバード大学はMBA型、スタンフォード大学は公共政策型です。イノベーション研究では英国の大学がアクティブであるということも一つのポイントです。ここで栄えある論文首位のサセックス大学は、英国ロンドン近郊の風光明媚なブライトンという町にある美しい大学ですが、SPRUという科学技術政策の研究機関を有しており、イノベーション研究が活発に行われていることでも有名です。


 ここまでで、残念ながら筆者は中座してしまいましたが、この後、JST-CRDSフェローの渡邊康正氏、NEDO統括主幹の竹下満氏より講演があり、また60名余の出席者全員でグループに分かれたディスカッションが行われました。このファシリテータに、坂田一郎教授らとともに、総合科学技術会議の議員も歴任された原山優子東北大学教授もおられるという豪華な顔ぶれでした。原山優子先生は、筆者がジュネーブ在勤のころジュネーブ大学経済学部の准教授をされておられ、当時から様々な教えをいただいているとの縁があります。


「イノベーション・Melting Pot機能モデル」

 筆者が東大に再度顔を出したときは、すでにグループディスカッションの結果も報告され、懇談会直前でした。どういう全体総括がされたのかは聞きそびれましたが、皆さんそれぞれの顔には今日半日の充実した議論に満足した笑みが浮かんでいました。その日は、朝青龍の引退やら、小沢幹事長の不起訴やらが発表されて騒々しい午後でしたが、参加者はそうした世相にかかわることなく、世界を憂いながら熱心に政策研究にいそしんでおられたのは、幸福というべきでしょう。


 何故か筆者が懇親会の冒頭に発声をすることになったので、梶川先生に引用していただいたイノベーションを促進するための大学の有するMelting Pot 機能に言及しました。イノベーションが異種の個人、組織の融合により促進されることはいくつかの先行研究で明らかにされています。また、ネットワーク理論でも、イノベーションを促進するとされるスモールワールドが異種のネットワークを結ぶ「コネクター」の存在で実現することが示されています。筆者は、この本郷の場所で行われたワークショップそのもの、またこの懇親会の産官学の皆さんが、溶け合って融合し、反応することそのものがイノベーションを生むこと可能性があることを強調しました。これはイノベーションのもとになる「新結合」そのものともいえます。


「イノベーション政策学に期待する」

 イノベーション政策の科学的研究を深め、これを政策現場に適用する体制を構築していくことは、筆者にとってもライフワークの一つです。今回先生方の講演を聞きながら、改めてその思いを強くしました。政策の現場では、ともすれば時間的制約もあり、場当たり的、思いつき的な政策を企画実行してしまうことがないとは言えません。これまでの政策や海外の政策動向をしっかり分析評価し、産業界の動向を把握したうえで政策の立案と執行をしていく必要があります。これには、多府省にまたがる政策の専門人材を養成し、交流すること、政策ニーズに合わせたフレキシブルかつ臨機応変な政府の構造変革も必要ですが、しっかりとした政策研究拠点、藤末議員の言う政策シンクタンクの存在が重要です。筆者の学位論文にも、これまでの政策立案過程が、21世紀のスピードあるイノベーション政策立案には適しなくなってきたことを指摘しました。


 東大のイノベーション政策研究センターのみならず、こうした科学的なアプローチで政策研究を行う拠点が作られ、あるいは一層アクティブになっていくことを強く期待しています。


最後に、イノベーション政策研究センターの誇る三美人のうちの二人のさわやかな笑顔をご紹介しつつ、次号に続きます。




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