第9回 イノベーションの共通基盤その1
「イノベーションの共通基盤、サイエンス・コモンズ(その1)」
今回は、デジタル化時代の知財のあり方、サイエンス・コモンズ(後述)についてご紹介したいと思います。
筆者が本件に触れたきっかけは、黒川清先生のお声かけで、CREATIVE COMMONSのCEO、Mr.Joichi Itoと SCIENCE COMMMONSの方とお話しするお誘いがあったことです。
浅学非才の筆者のことですから、黒川先生がメールでDNDデータベースの共有の重要性、これにはサイエンス・コモンズの考え方が大切だ、とおっしゃることの意味が全くわからず、はてどうしたものかといろいろな人に尋ねたところ、東京大学坂田一郎先生から、東大構内でそれに関係しそうなシンポジウムがある、と教えていただきました。
ということで、10月5日、東京大学農学部の弥生講堂にて開催された、「科学における情報の上手な権利化と共有化」シンポジウムに顔を出しました。シンポジウム全体の概要は、以下のウェブを参照ください。
http://symposium.lifesciencedb.jp/IPDS/
本会合はいわゆる「クリエイティブ・コモンズ」(注:共有された創作物とでもいいましょうか)のうち、特に科学情報に関する知財権保護と共有化(サイエンス・コモンズ)の議論を目的としたもので、主催者の目的も、「デジタル時代の利点を活かした発見や創作を促進するには、知的財産やプライバシーの保護を前提にしつつも、既存のマインドや制度を時代とともに変えていく必要があります。これは、科学における情報の流通・共有についても同じです。本シンポジウムでは、デジタル化が進むわが国の生命科学を例として、情報流通・共有に関する望ましい規範や制度について考察します。」とあります。
ここに示されているように、サイエンス・コモンズとは、科学技術論文やデータなど、科学を目的とした情報に関して、従来の知財権、特に著作権に基づいて囲い込みばかりを強調するアプローチは適切ではなく、共有化を促進して科学技術、さらにはイノベーションを推進すべき(そのために、ライセンスその他の必要なツールを最大限活用すべき)、という考えの下に提唱されているものです。
会議は、CREATIVE COMMONS・ジャパン事務局長の野口祐子弁護士の司会で始まり、大久保公策国立遺伝学研究所教授の講演の後、クリエイティブ・コモンズの提唱者で、世界的運動の中心におられるハーバード大学法学部Prof. Lessigのほか、我が国著作権の審議会等で同様の立場の主張をされている中山信弘東京大学名誉教授、前京都大学総長の長尾真国立国会図書館長、末吉亙弁護士など、知財の世界等でも有名な方々が登壇し、サイエンス・コモンズの重要性と課題について議論がされました。また、会場には、著作権や知財の専門家が多数来られていましたが、主催者の文部科学省・情報システム研究機構・ライフサイエンス統合データベースセンター(高木利久センター長)の関係者か、ライフサイエンス界の重鎮の姿も見られました。
シンポジウムの内容は下記に示しますが、サイエンス・コモンズについては主として著作権上の問題が主体である、との印象を得ましたが、Lessig教授と立ち話したところ、米では特許上の問題もあり、たとえばデバイスにおいて議論が行われているとのことでした。また、DNA塩基配列など、ライフサイエンス系の様々なデータベースの公開の問題は特許とも関係があり得ることでしょう。
以下、本議事概要の文責は筆者です。
「3つの基調講演」
最初に登壇されたのは大久保公策・国立遺伝研生命情報研究センター長・教授です。氏は概略以下のお話をされました。
「疾病に関して重要な遺伝子のDNA塩基配列を膨大なデータから抽出する研究を行っている途上で、そのデータを私企業に独占させて良いか、コモンズにすべきかの問題に直面した。調べてみると、米国は1990年代からこの問題に対応しつつあるが、日本ではTLO法、バイドール法と、米国に遅れて知財の民間移転を進めてきたが、コモンズへの対応は米国に10年遅れている。特にバイドール・法人化以降、国(大学、国研)が有してきた基盤データが、各法人に所有され、研究者が十分に活用できないという状況が生じている。」
次の講演者は、ハーバード大学法学部Lessig 教授。
「米国著作権法は、19・20世紀の主要な著作物である本、レコードを対象としてできあがっている法体系である。一方、21世紀にデジタル化が急激に進み、デジタル化された著作物はその旧態然たる著作権法で厳しく守られていて、現実に不都合を生じている。たとえば本は、その個人使用(read)、他人への譲渡、販売は自由に行えるが、デジタル化された情報は、個人使用以外はすべてコピーであり、違法となる。また、著作権法で対象としている創作者についても、当初の想定であるプロの小説家、演奏者等、その著作物の対価を必要とする者以外に、デジタル化によって、たとえば同人誌の漫画家やブロガーなど、対価を必要としない創作者が増大している。
一方、現行著作権法では、著作権の使用について著作者の了解が必要となっているが、たとえばドキュメンタリーフィルムをデジタル化することを考えても、様々な者がコンテンツに関わっており、著作権者すべての了解を得ることは現実的ではなく困難となり、結果として著作物の利用や、劣化するフィルムのバックアップを取るなどの文化保全の作業を阻害している。特に問題となるのは科学情報であり、本来、科学情報は社会に共有されることで価値を生み出す側面も大きいため、これを一律に囲い込むという方向性は、科学技術の発展を阻害している。
このようにデジタル化時代に現行著作権法、さらに知財法は、多様化する情報流通のあり方に対して一つのルールのみを強制している点で「時代遅れ」となっており、フェアユースなどの法的な手当が喫緊の課題である。」
そして、午前中最後は東京大学名誉教授の中山信弘先生です。先生は文科省文化審議会著作権分科会の委員でもあり、フェアユースの観点から、著作権法の改正を熱心にご主張されています。
「Lessig 教授の講演に追加して日本の状況を述べる。日本の著作権法では、著作権は不動産権と同じで、物権法的な扱いをしており、19世紀的な古典的著作物と古典的流通形態を前提とした法体系である。Lessig 教授が指摘するように、21世紀的な、ネットに典型的に見られるような新しい流通形態や新しい創作者のデジタル環境に適応していない。
著作権法は、産業とも大きな関わりを持つようになっており、現行著作権法がイノベーションの阻害要因になっていないか。
現行法では、著作権法に「例外」として明示されていること以外はすべて違法であり、聴衆の皆さんもたぶん違法行為にあたることを行ったことがあるはず(罰則は10年以下の懲役だが)。
このため、時代の進展、デジタル技術等の発展に即した法改正が必要である。今回は検索エンジンについて法的手当がされているが、今後どのような技術に対応すべきか明確ではない。
科学情報等については、フェアユースという概念を導入し、著作権法の中で別の体系で保護すべきと考える。」
この後の午後のセッションでは、国立国会図書館長の、元京都大学総長長尾真先生や、知財分野の有力な弁護士のお一人、末吉瓦先生などの講演が続きましたが、時間の関係で筆者は傍聴しませんでした。概要は前出のwebでプログラムをご参照ください。
いずれにしろ、著作権法を中心とした知財システムのデジタル化時代の課題と、クリエイティブ・コモンズ、サイエンス・コモンズへの期待についてはじめて詳細に知ることのできた会合でした。
「CREATIVE COMMONS Ito氏、そしてサイエンス・コモンズ」
このシンポジウムの数日後、黒川清先生のお声かけで、CREATIVE COMMONSのCEO、Mr.Joichi Ito、 SCIENCE COMMMONSのMr. John Wilbanksと懇談する機会がありました。
Mr.Joichi Itoに初めてお会いしたとき、いかにも米国で活躍されている国際ビジネスマンでアジア系米国人のような雰囲気を持っておられたので、英語で挨拶したところ、全くの日本人でした(大変失礼しました。日本名は伊藤穣一氏、のようで有名な方でした)。
Ito氏からは、クリエイティブ・コモンズの基本的な考え方と、サイエンス・コモンズの課題を教えていただきました。やはりここで問題になるのは、科学情報データの取り扱いです。
一方、Wilbanks氏の所属するSCIENCE COMMMONSは、CREATIVE COMMONSの一部門として特に科学技術情報の共有のあり方に力を入れているプロジェクトで、事務所も別の場所に構えられており、現在はMITの中にあります。CREATIVE COMMONSはサンフランシスコが本部です。(@)Wilbanks氏からは、特に最近の動きとして、SCIENCE COMMMONSが組織する、いわば「エコ・パテント・コンソーシアム」のご説明を聞きました。ナイキなど企業が有する環境に良い影響がある技術の特許について、一定の(安価な)契約事項を公開して広くライセンスするものだそうです。
特許で守る、または知財を資産として経営をするといったこととはちょっと視点が違う概念がここには含まれているようです。
「CREATIVE COMMONSジャパンの幹部との懇談」
その後も、サイエンス・コモンズについて、いまいち概念が把握できなかったので、先日のシンポジウムで名刺交換した野口祐子弁護士に「誰か説明できる方を紹介してくれませんか」とお願いしたところ、なんと、野口先生、末吉先生、高木先生、大久保先生という、このシンポジウムのキーパーソンからご説明を伺うこととなりました。
このおかげで、鈍い筆者もようやく本件の大切さと難しさがわかることとなりましたので、詳細は次回に。
(@)法人上は、Science CommonsはNPO法人であるCreative Commonsの一部門であり、オフィスの場所は別ですが、組織としては別組織ではありません。
記事一覧へ
|