第6回 オバマのイノベーション戦略
「プロパテント政策からプロイノベーション政策へ」
次回ご報告しますが、先般筆者が行った「NEDOカレッジ」の講義では、米国のプロパテント政策がどういう過程で起こり、日本にどう影響したかを紹介しました。それを別の観点でわかりやすく解説したのが、『妹尾堅一郎 2009 技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか ダイヤモンド社』です。次回、これに加えてイノベーションの参考書をご紹介しようと思います。
さて、この本では、米国のプロパテント政策が最近プロイノベーション政策に変化している様を教えてくれます。実際米国は、パルミサーノレポートから最近まで、超党派で新たなイノベーション政策を論議し、オバマ政権になっていよいよ実行段階に移ってきているわけです。
「米国イノベーション戦略」
今月21日には、ホワイトハウス(NEC(National Economic Council)とOSTP(Office of Science and Technology Policy)の連名)から、アメリカイノベーション戦略(Strategy for American Innovation)なる文書が発表されたことが、NEDOワシントン事務所から報告されました。NEDOワシントン事務所の高見牧人所長の今年度NEDOカレッジでの講義は前期に終了していていますので、本件に関する高見所長からのレポートから抜粋してご紹介します。
「同文書は大きくは四章からなっており、(1)過去のバブル主導の成長の問題、(2)イノベーション、成長及び雇用へのビジョン、(3)政府の適切な役割、(4)アメリカイノベーション戦略、という構成です。今後の具体的な戦略となる第4章はざっと以下の内容です。
1.イノベーションの基本要素(Building Block)への投資
@ 基礎研究分野でのリーダーシップ回復(主要政府機関のR&D予算倍増、R&D投資の GDP比3%目標等)
A 21世紀の知識・スキルの教育と世界クラスの労働力
B インフラ建設(道路・橋等、電力網の近代化、高速鉄道等)
C 先進情報技術エコシステム(ブロードバンドアクセスの改善、次世代IT技術R&D支援、 Chief Technology Officerの任命他)
このセクションはイノベーション促進に向けた分野横断的な施策を整理しています。主要政府機関(NSF、エネルギー省科学局、NIST)のR&D予算倍増(←前政権の競争力政策の目玉の一つ。基礎R&D重視の意味合い)、K-12教育改革(=初等中等教育の改革)、STEM教育(科学・技術・工学・数学)の強化など、既にブッシュ政権時代から取り上げられていた項目も多く見受けられます。また、インフラ整備や先進的ITシステム整備などはオバマ政権で打ちだされたものですが、今回発表で特に新しい政策が加わっているわけではなさそうです。目を引くのは、R&D投資のGDP比3%目標の設定で、政府投資だけでなく民間投資も含めたR&D投資の拡大をR&D税制等を通じて達成しようとのメッセージです。
2.アントレプレナーシップの活性化に向けた競争市場の促進
@ 輸出促進
A オープンキャピタルマーケットへのサポート
B アントレプレナーシップの奨励
C パブリックセクターイノベーションの改善、コミュニティイノベーションへの支援
本セクションは、貿易促進(のための通商政策)、アントレプレナーシップの奨励、オープンガバメント等の政府取り組みなど市場環境整備に関する事項を中心に整理されています。キャピタルマーケット分野の最大の課題は、昨年の金融危機以降に米国内で議論が交わされている金融サービス分野への規制のあり方で、まさに現在進行中の案件です。また、アントレプレナーシップ関連の一例としては、オバマ政権が商務省に検討指示を出した地域イノベーションクラスターへの支援施策などがあり、具体的にはビジネスインキュベーターのネットワーク構築支援などが入っているようです。 (筆者注 このセクションに知財戦略についての記述があります。産業時代からデジタル時代の知財に変化しているとの認識のもと、海外での適切な知財保護、国際標準協力を推進するとともに、米国特許庁が効率的なシステムを構築し、イノベーティブな高品質知財を登録する能力を持つこと(保護に値しない特許を拒絶することと併行して)としています。)
3.国家プライオリティへのブレークスルー
@ クリーンエネルギー革命(再生可能エネルギーを3年以内に倍増、省エネ産業の振興、クリ ーンエネルギーイノベーションへの投資、温暖化ガスのキャップアンドトレードシステムの導 入等)
A 先進自動車技術(電気自動車及び輸送の電化関連技術への史上最大の投資、先進自動 車技術分野の米国製造業支援、次世代バイオ燃料、自動車燃費改善)
B ヘルスIT(ヘルスIT利用の拡大、医療研究への再コミット、ヘルスケアコストの増加抑制)
C 21世紀のグランドチャレンジへの取り組みへの科学技術の活用
この章はオバマ政権が重点的に取り組んでいる具体的R&D施策に関して列挙しています。
まずは従来からオバマ政権で取り組んでいるクリーンエネルギー(スマートグリッド、省エネ、風力・ソーラー等の再生可能エネルギー)やヘルスITが順当に並んでいます。内容的には他と同じく、今まで個々に方針を表明または実施している項目がならんでいます。
新たに目につくのが「先進自動車技術」で、今までクリーンエネルギー対策の一つとして語られていた次世代自動車技術(蓄電池やバイオ燃料など)を独立した項目として取り上げています。バッテリー分野の事業者支援策(A123などの米バッテリーメーカーへの工場設置補助金支出等)として先月約24億jの支出を発表したところですが、米政権としては次世代自動車技術支援を通じた米自動車産業の復活支援を重視しているというメッセージだと思われます。上記の24億jの内訳を見ると、蓄電池関連の新興企業(A123,Compact Power等々に1〜2億jのオーダーで設備支援資金を流しており、いくら蓄電池技術は日本が優位との言われても、将来的に何が起こるのか心配な分野でもあります。
三つ目のヘルスITは、現在のオバマ政権の最大のポリティカルアジェンダとなっているヘルスケア改革とも相まって、医療分野の改革をITのアプローチからも進めようというもので、カルテのIT化などが代表的です。先日の景気回復法の下でこの分野にも190億jの資金が投入されています。最後の「グランドチャレンジ」の項目では、科学技術へのオバマ政権のコミットを通じて野心的目標設定が可能になるだろう、との説明があり、具体的な技術分野例をいくつか列挙しています。ざっとあげると、全てのガンのDNA解読、塗料なみに安価な太陽光パネル、ゼロエナジーのグリーンビル、教育ソフトウェア、人工光合成などが並んでいます。太陽光パネル、ゼロエナジービル、人工光合成については、確かにそうしたゴールを掲げていますし、そのためにDOE主導で基礎研究が行われているのも事実です。他の記載例もおそらくそうだと思います。こうした革新的研究は国防総省のDARPAなどではお得意の取り組みですし、それとは別に今年新たにエネルギー省内にARPA-Eを設置してエネルギー分野の革新研究に取り組みはじめているところでもあり、今後、野心的目標とセットになった革新的研究テーマとしてどのようなアイテムが選ばれるかは興味のあるところです。(←ARPA-Eではまさにテーマ設定の公募が現在行われています。)
今回の戦略ペーパー発表は少々唐突な感じも受けます。競争力強化・イノベーション推進政策はブッシュ政権時代にも取り上げられていますが、その際は産業界・アカデミアなどから競争力強化政策の必要性・対策論についてのレポートがいくつも出され(→有名なパルミサーノレポートなど)、それを受けて政府内での政策検討・策定や議会における関連立法(→「米国競争法」の成立)などが数年がかりで行われていました。これと比較すると、産業界や大学等でこうしたイノベーション議論が特に今盛り上がっているわけでもありませんし、政府内で大がかりな検討が行われているものでもありません。(今回発表に先だって行われた検討の場としても、確かPCAST(科学技術分野の大統領諮問委員会)で7月に一度そういった会合が開催されていただけだったと思います)
なぜこの時期にこうした戦略ペーパーの発表がなされたかについてはいくつかの指摘がありますが、一つには経済危機下での守りの政策中心の中で、攻めの政策を通じた前向きなムードの醸成、またそれとは別に、まさにこの戦略ペーパーに盛り込まれた施策を米国政府のイノベーション政策と規定して、今後の具体的な取り組みを政権内に促すとの意味合いがあるとの話が聞こえてきます。
内容的にも、景気回復法(Stimulus Package)に盛り込まれた各種予算措置を中心に、オバマ政権が今までに発表または実施している個別施策がかなりの部分を占めており、ざっと見る限り目の覚めるような新規政策が新たに提起されているようには見受けられません。さめた見方をすれば、政権発足後の各種経済施策(単なるアナウンスもあれば、予算措置を伴う具体的措置もあります)をイノベーション政策という切り口で整理し直してホワイトペーパーとして作文的にまとめた、といった風にも読めなくもありません
それでも、本文書は現時点でオバマ政権が行っているイノベーション強化関連施策の集大成で、ボリュームたっぷりの内容であるのも確かです。政権発足後から今までは、当面の経済危機対策が中心でしたが、そこが一段落すれば、競争力強化やイノベーション促進への政策検討が始まるのは当然かもしれず、今回発表を機にオバマ政権がこうした政策的取り組みを強化していくのか否か、注視していきたいと思います。
今回発表の施策そのものにはあまり新味がない、シニカルに申しましたが、見方を変えれば就任僅か半年程度でこれだけ数多くの個別施策を表明または実施しているのも確かです。(←実際、当地の科学技術関係者の評価も「さほど新味がない」との後ろ向き評価と「まさにこれからの政権の取り組みとして注視すべき」との前向き評価に二分されているようです。) 今後、どこまで具体的な成果を生み出せるかはまさにこれからの取り組み如何のところも大きいですが、いずれにしろ米国はクリーンエネルギーを始めとした各種分野での大々的な資金投下をテコにイノベーション促進を図っており、日本としても無視できないことは間違いないところです。今のところは、こうしたイノベーション政策がオバマ政権のハイプライオリティになっているわけではありませんが、今後の関連政策動向については引き続き注意が必要です。」
以上です。高見所長、ありがとうございました。NEDOの所長だけに、エネルギー関連の記述がより詳細ではありますが、ブッシュ政権での議論からの流れも含め、わかりやすい解説になっています。知財のところの記述が簡略なのは、特許庁としては若干心配ではありますが。
記事一覧へ
|