第4回 ナショナル・イノベーション・システムと知財政策 その3


 いよいよ鳩山新政権が誕生しました。様々な変化がおきつつありますが、筆者を含め「官」は、「政」の指揮監督のもと、粛々と政策の実施、個別の行政執行にあたることは、これまでと変わることはありません。なお、本連載につきましては、筆者の個人的見解に基づくもので、政府の見解とは一切関わりのないことを改めて申し述べさせてください。くどくてすみません。


「(前)総理と特許庁」




 少し旧聞になってしまいましたが、前週の二階大臣ご視察に続き、9月14日には麻生太郎総理大臣が特許庁をご視察されました。総理は、鳩山民主党党首との引き継ぎ会合の直後でしたが、当方の説明にもにこやかに頷かれて、リラックスされたご様子でした。特許、意匠、商標の審査現場においでいただき、担当者からそれぞれの制度の概要、最近の活用事例などをご紹介しました。左の官邸ホームページ冒頭写真で総理に審査の実際を説明している女性が、当審査業務部商標課の審査官です。




 彼女は、先日の「がっちりマンデー」での経済産業省紹介番組にも登場した人気者?です。総理の向こう側に見えるパネル上に、「今治タオル」の商標、「赤字に白丸と青線」の図形が見えます。筆者からは総理に商標、特に最近、地域ブランド施策において機能している地域団体商標について、今治タオルなどを例としてご説明をしました。「今治タオル」(四国タオル工業組合)のブランドは、安い海外産に苦しめられてきたタオルの有数の産地を、地域ブランドを高めて再度よみがえらせ、世界一にしようという地元産業の熱意あるプロジェクトで、地域団体商標のシンボル的な存在のひとつです。今後の海外展開にも強く期待しています。


(以下、官邸ホームページから抜粋します。)


「視察を終え、麻生総理は「日本の最先端技術の一部を垣間見させてもらいましたが、将来の日本を支えるものになると思ったものがいくつもあります。また、地域ブランドなども地域の活力になると思いますし、いろいろなものが出来てきました。地域での特許(筆者注、知財のこと)はやってよかったと思っています。」と述べました。 」


 現職総理が特許庁をご視察されたのは平成18年9月の小泉総理以来のことですが、行政現場を政府首脳に見ていただき、ご理解を深めていただくことは、日夜粛々と業務を進めている我々にとって非常にありがたいことです。現場の志気も大いにあがったものと思います。


 さて、そろそろ、前回の続きに移りましょう。


「知財制度とイノベーション」

 前回述べたように、構造改革的産業技術政策またはイノベーション政策として整備されてきた知財政策ですが、イノベーションと知財制度についてはどのような関係があるのでしょうか。


 長岡貞男一橋大学イノベーション研究センター教授、後藤晃教授の両先生は、イノベーションを促進させる知的財産権のあり方について、以下の4つの分野にわけて整理しています。(@)


・知的財産権と技術取引
・研究開発生産性と研究開発・知財戦略
・累積的・補完的な技術革新と知的財産制度
・競争政策、知的財産制度の選択
そして、この整理の冒頭に、概略以下の説明があります。


 「知的財産権は、研究開発の成果の占有可能性を強化することに加え、技術取引の促進、研究開発成果の公開を促進等の多様な経路でイノベーションに影響を与える。特に累積的技術革新の場合、関連する技術革新の担い手の間の分業と競争のあり方に影響する。さらに、新規性、進歩性等の特許性の基準など、知的財産制度の設計や知的財産制度の排他権行使の可能性に影響する司法制度、競争政策などのあり方もイノベーションへの影響を大きく左右する。」(A)


 さらに、長岡先生は別稿でイノベーションと知的財産制度について詳しく解説しています(B) 。そこでは、イノベーションを促進していくための知的財産権の役割として、以下の二つに整理しています。


 1.研究開発への誘因を高めること:研究開発成果の専有(占有)可能性、すなわち新技術からの利益を確保できる程度を高めることにより知財制度は研究開発を促進しています。ただし、これは産業分野により程度の差が大きく、たとえば医薬品や化学品では特許の重要性が極めて高くなっています。一方、最初に特許をとったものにその技術から生ずる利益をすべて与えることにより、企業間の競争を促進しています。これらの結果、企業の研究開発への誘因を高めているということです。


 2.研究開発成果の公開を促進すること:特許を公開することにより研究開発の効率性を高めています。特許は公開が要件でありまた権利期間も限定されています。現在のイノベーションは多数の先人のイノベーションを基に成り立っていることがほとんどであり、研究開発成果の公開が行われていなければイノベーションのスピードと効率は格段に落ちることとなることでしょう。


 1.について、ちょうど最新号のハーバードビジネスレビューの巻頭に榊原清則慶應義塾大学教授が寄稿されています(C)。榊原教授は、MOTの第一人者の一人で、先生には、MOTの推進について筆者も大変お世話になりました(D)。NEDOでもご指導いただいています。


 先生は、液晶について発明から市場化までの各国の寄与を題材に、すなわち、オーストリアの植物学者が発見した液晶物質を、米RCA社が表示装置に応用し、これを日本のシャープが商用化したものの、90年代半ば以降、急激に拡大する液晶産業を制したのは韓国及び台湾であったという例を引きながら、日本企業がイノベーションの専有可能性が低いことの問題点について指摘されています。そこでは、イノベーションの専有可能性を固めるための4つの課題を示されています。 第一に、技術革新のフロンティアになればなるほど、失敗の確率が高まるので、キャッチアップ型とは異なる不確実性の技術マネジメントが必要であること、第二にバリュー・チェーンの分割に対応し、自社の強みを見極めて分野を限定した成果の専有可能性を高めるべきこと、第三に、オープン・イノベーション時代においてはパートナーとの収益獲得競争にも勝利しなければいけないこと、最後に、かつて経験値の蓄積だった自動車産業でさえサイエンス型産業となっているように、多くの産業で技術開発がサイエンスとの連携性が高まっている中で、公共的、流動的であるサイエンスをいかに企業戦略に取り込んで収益に結び付けられるかということ、の4つで、イノベーションの実現には、知財戦略、投資戦略を包括した技術戦略が経営上ますます重要となると結んでおられます。


 このように、知財制度は、企業の技術開発行動を含め、経営戦略に密接に関係しており、さらにいえば、知財制度は、知財の活用、流通を促進することにより、もともと「オープン・イノベーション」に貢献してきたともいえます。万一知財制度が確立していなければ、企業は自らの技術をほとんど外に出さないようにして競争的優位を確保しようとしただろうし、他社に対価を得て技術移転することもなかったかもしれません。イノベーションの形が相当いびつになったであろうことは容易に想像できます。デザインやブランドが勝手に第三者に使われる世界があったとしたら、新しいデザインの発達やブランド戦略など意味をなさなくなってしまうでしょう。


 こうしたことから、知財制度の設計と運用を負託されている特許庁をはじめとする知財制度の事務局は、我が国産業界、特にそのイノベーション創成の環境整備において重要な責任を負っていると言えます。




(@)長岡貞男・後藤晃編、2003、知的財産制度とイノベーション、東京大学出版会
(A)同上、p.1。長岡先生、誤植を見つけました。l-12です。
(B)長岡貞男、2001、第12章「知的財産権とイノベーション」、一橋大学イノベーション研究センター編、イノベーション・マネジメント入門、日本経済新聞社
(C)榊原清則、2009、「イノベーションの専有可能性」、ハーバードビジネスレビュー、
Sept.2009, p.3、ダイヤモンド社
(D)「技術革新型企業創成プロジェクト」(http://www.nedo.go.jp/cisrep/)を参照。

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