第21回 食と健康、環境を守る農業の未来像



 私の座右の銘は、「農は国の基なるぞ」である。この言葉は、かつて農業が主力産業であった時代の「農は国の本なるぞ」を進化させたものである。小学校5年生の時に将来は農業をするか農業の指導者になりたいと決心した私は迷わず、沖縄県立北部農林高校へ進学した。


 当時はまだ戦後の食糧難が続いていた頃でもあり、国民の命を守るための国の基幹産業であり「農は国の本なるぞ」という言葉に実感があった。昭和40年代に入って、米が余るようになり、二次三次産業の発展とともに農村の人材は都市部に移り、農はジイちゃん、バアちゃん、カアちゃんの三ちゃん時代になり、農産物の自由化の荒波をかぶり、いつの間にか「農は国の荷物なるぞ」に変わっていたのである。


 農政も手をこまねいていた訳ではない。他国に比べると、想像を絶するような予算を投入し、農村の耕地整備事業を中心に構造改善に関する様々な振興事業を展開したが、今では、農業現場を支える人々の平均年令は65才、農産物の自由化圧力は更に高くなり、食料自給率はカロリーベースで40%という尋常でない状況に陥っている。


 我が国の農地は価格も高く、規模を拡大し機械化し合理化しようにも、地形の関係から山林が多く、農地の拡大には様々な制限がある。その上、広大な都市部周辺の優良農地が住宅や道路、工場及び商業施設や公共施設等々に転用され、農業のための基盤整備の成果は、本来の力を発揮できない状況が広がっている。その上、農民を守るために行われた戦後の農地改革や、その後に強化された農地法は日本農業の規模拡大の大きなネックになり、他産業から農業への参入は不可能なくらいに厳しく制限され、農家の出身でないものが新規に農業を望んでも農地を取得するための資金の手当ては個人の能力をはるかに超える額が通り相場であり、残された道は原野や山林を入手し様々な手続きを得て開拓し、農地として登記され、これが0.5ha以上であれば農民になれるというものであった。農民にならなければ農協に加入し、政府の様々な助成や保護、低金利の融資を受ける資格はなく、実質的には農民の子供でなければ農民になれない制度である。したがっていかに農業が好きで大学の農学部を出ても、親が農民でなければ、農業の道を選ぶことは不可能であり、農学部の卒業生が農業現場に就職していないという批判は見当違いである。


 したがって農学部を出た大半の卒業生は農業公務員、農協職員となり、農民パワーを政治力に発展させ、政府の補助金をすべて農協経由になるような仕組みを作り、農民を営業のターゲットにし、世界に冠たるノウキョウ(NOKYO)を作り上げたのである。その結果、一次産業の大半の分野を固め、外部からの参入を完全にシャットアウトした独善的な利権集団となり、農の本質を見失ってしまったのである。


 農の本質とは安全で機能性の高い食を適正な価格で過不足なく供給すると同時に、農業の生産過程を通し積極的に環境を保全し、自然資源を育み、人々の健康を守ることにある。同時に、その対価は経済行為として評価されなければならないが、現状の農政には、その視点があいまいである。


 産業が衰退したり企業が倒産する場合、単純に表現すれば、生み出した富よりもコストが余分にかかる構造に陥った場合であるが、現在の農業は、この常識をはるかに超えて「生み出した富よりも、作り出したマイナスが大きい」とも言える最悪な状況となっている。


 農薬や化学肥料による潜在的な健康被害、大型機械による表土の流失や土壌生態系の破壊は農薬や化学肥料と連動し、想像を絶する環境汚染や自然破壊や自然資源の枯渇に結びついており、すでに述べたように日本の近海漁業の不振の原因ともなっている。


 この対策のために、国は膨大な医療費を手当てせねばならず、環境対策費や漁業振興費はもとより、輸入魚貝類の支払い等々を合計すると農業生産(一次産業)額をはるかに上まわるマイナスを生み出している。私のこのような過激な意見に対し、因果関係が明確でないとか、様々な弁明があるが、先ずは農業が生み出すマイナスをプラスにする解決法に挑戦すべきである。


 その第一点は食の安全の問題である。食が危険ということは、間接的な殺人行為であり、れっきとした犯罪行為であることを認識する必要がある。食の安全は食を作る人の常識であり義務であり、食の機能性、すなわち健康に対する貢献度をキャッチフレーズにすべきもので、安全を売り物にするのは非常識である。農薬や化学肥料中心の現在の技術体系では決して安全な食を作ることは出来ず、体に良くないけれど食べても死なない程度の食のレベルであり、機能性については望むべくもない。世界中の学会で、有機農産物と化学肥料や農薬を使った農産物のビタミンやミネラルには大差はなく有機農産物が体にとって特に良いという背景は認められないという見解が示されている。


 その内容は旧態依然たるもので、ビタミンでも脂質でも酸化状態によって機能が根本的に異なることを無視し、総量のみで判断するおそまつなものであり、極微な残留農薬などは分析の対象にもなっておらず、食品の持つ抗酸化レベルが機能性を決定的にするという視点は欠如したままである。


 この問題はEMを活用した循環型の技術体系に変えるのみで容易に解決するものであり、現行法と併用しつつ、数年で切り替えることが可能である。要はEMを空気や水の如く使えるシステムを作ることである。


 その次は農業が生み出す余得、すなわちプラスアルファーの評価を正しく行なうことである。当然のことながら人々の健康を積極的に守る農業や環境を保全し、積極的に自然を守り自然資源を豊かにする農業に対しては、それ相応に手厚い保護を行なっても、自由貿易協定に反する物でなく、現在の農家の所得補償制度を倍増してもおつりが来るものである。


 その次に更に重要なことは農業に産業としての付加価値をつけることである。 農業は有史以来、耕す、雑草や病害虫との戦い、自然災害との戦い等々基本的な構造は変わらず、その対応を化学肥料や機械におきかえただけで、目を見張るような技術革新もなく、産業として付加価値のついていない希有な存在である。耕さないで農地を肥沃にする、草が生えてこないような簡単な農地管理法、病害虫が全く発生しない栽培法、災害に強い栽培法、食べると病気が治り再び病気にならない作物や畜産品、人糞尿はもとより、あらゆる有機廃棄物を簡単で安価な機能性の高い生産資材への転換、自然や自然資源が多様化し豊にする農業生産体系、エネルギー資源を含め工業の原材料を無限に生産する農業等々は農業に産業として付加価値を付ける分野である。



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