第7回 イノベーション政策の系譜 その2



 前回ご紹介した「イノベーション研究会」報告書について、事務局責任者の通産省産業技術課本部和彦課長(当時)の思いをいただきましたので、ご紹介します。


 「イノベーション研究会中間報告」をリマインド頂き感謝致します。同研究会のメンバーはもとより、当時の産業技術課には海外留学及び勤務経験を有する精鋭が揃い、本当に活発な議論を深夜まで戦わせていたことを懐かしく思い出しております。法律を抱えながらも、この研究会をあえて立ち上げた小生の認識を、記憶を辿りながらではありますが記載させて頂きます。何らご参考になれば幸いです。

 1.その距離が接近したとは言え、科学(Science)と技術(Technology)は別物であるにもかかわらず、我が国では「科学と技術」ではなく「科学技術」なる造語が使用されていました。このため、本来異なるべきである「科学政策」と「技術政策」が区別されずに企画立案されていました。技術政策が目指すべきは、シーズの創出ではなく、それが製品の形となって、社会や市場に供給され、経済社会をより良きものに変革していくことと定義したかったのです。社会や市場に供給されない技術は、失敗です。

 2.当時の通産省では、わずか数十億の予算を配分することこそ技術政策の全てであると思いこんでいるものが太宗でした。現実の配分は、誰が担当者であろうとたいした違いにならないし、我が国全体の技術開発投資で見ればその効果はたかが知れたものであったのにもかかわらずです。この意味では、当時生まれたばかりの産業技術課には既存予算なるものが存在しなかったことが功を奏したと言えるでしょう。本質的に、予算を必要としない政策とは何かを考えざるを得ない立場に置かれていたのですから。

 3.むしろ、イノベーションをシステムとして捉えることによって、そのどこに課題や限界があり、これをどう変革していくかを考えることこそ、技術政策の根幹です。そこに日本の弱点が存在するとすれば、それを直さない限り、決して世界で勝つことはできないし、せっかく生み出されたポテンシャルのあるシーズを世に出せなければ、それこそ国民、世界への背信です。(例えば、予算をどこにどう配分するかではなく、配分を決定するための情報の量と質、決定機構、予算制度に問題があるのではないかを検証することこそが何より大切だと考えていました)

 4.我が国のイノベーションシステムを見た場合、大学の改革はどうしても不可欠でした。国立vs私立、旧帝vs地方、理系vs文系、研究vs教育、成果の創出vs成果の実用化、そのどれをとってもあまりに特殊な我が国の状態は、国際競争力あるものとは考えられなかったのです。

 小生に関する限り、こうした思いは2年間のスタンフォード大学への留学経験と4年間のNEDOワシントン事務所勤務経験、その間の原子力安全分野での業務経験によって培われたものですが、多くの課員がそれぞれの海外経験を通じてほぼ同様の思いを持っていたと感じておりました。

 こうしたなかで研究会は開催され、その後様々な政策が進みましたが、その多くが道半ばであると考えております。まだまだやることは多いはずです。

 @大学改革はこれからです。地方大学等(小生は複数の大学の客員ですが)には、まだ研究大学になる、なれるのではとの幻想があります。我が国で研究大学となれるポテンシャルを有する(何より優秀な学生が来なければ研究大学は成り立たないはずですが、そのことは決して語られません)のは、せいぜい20校でしょう。幻想は捨てるべきです。

 そもそも大学改革は官僚から与えられるべきものではなく、大学の中から生まれるべきものです。そうした内なるパワーを引き出すためにも法人化を進めたのですが、公務員削減とコスト削減に主眼おかれたことと、相変わらず社会・市場・企業から学へのフィードバックが十分ではないために、改革が思うように進まないのが現状だと思っています。

 理系だけではなく社会科学系の改革も不可欠でしょう。本来、総合科学技術会議は、社会科学の分野も対象としているはずですが、その議論が全く行われていないのは極めて残念です。理系だけでは決してイノベーションシステムは健全に作動しませんし、結果として国は強くなりません。(なお、職業人としての医師を養成するとともに、地域に於いて最先端の治療現場を供給することに主眼をおかれてきた医学部は、多の学部とは全く異なることにも留意すべきです。そして、医学部から大学のマネジメントに選任された教官が、その悩みに直面しているのが現状ではないかと思います)

 A予算配分中心主義は今でもまかり通っています。しかし、この分野ではその後、研究開発投資促進税制の恒久化という世界に誇るべき成果が上がりました。また、その場しのぎの予算配分にならないようにする試みは、技術ロードマップの作成とその定期的な改訂によって少しずつではありますが進もうとしています。一方で、ピアレビューやロードマップ作成へ真摯に協力する研究者が少ないのは残念なことです。それは、研究者(企業内研究者を含む)として果たすべき義務のように思われますが、仮にその原因の一つが大学のマネジメント体制(旅費の積算から、研究費の管理、アルバイトの雇用まで全て教員がこなさなければならない?)にあるとすれば、@の改革はそこにも光が当てられるべきでしょう。

 B社会・市場・企業から学へのフィードバックや技術ロードマップの作成と定期的な改訂等の場において、本来大きな役割を占めるべきは学会です。しかし、この学会の有りようが極めて特殊であるのも我が国の大きな弱点になっていると思われます。査読付き論文集をまともに出せない学会が乱立している現状は、経費負担の在り方も含め早急に見なおされる必要があります。National Academy of Science & Artは、学だけではなく国民から信頼され、自らの世界を律していく存在であって欲しいと思う者の一人です。

 米国では、学会の作成した基準(学協会基準)が存在する場合、国はそれを活用しなければならないことになっています。原子力安全規制については、小生が保安院に在職した際にある程度そういう方向付けを行いましたが、こうした動きが各方面で拡大することを期待しています。そのためにもAで示したNational Academy of Scienceの活動は重要です。  この他書かなければと思うことはたくさんありますが、限られた時間でとりとめもない散文に終わってしまいそうですので、ここまでにしておきます。乱文、お許し下さい。

本部和彦