第19回 「サミットとイノベーション」
−イノベーションは首脳の頭から消えてしまったか?−



 若干古い話題から始まります。すみません。

 先日、北海道洞爺湖町において、G8サミット:先進国首脳会合が開かれました。今回のサミットは、メディアが様々な総括をしていますが、日本としては久しぶりに議長国としての責任を果たし、議論をとりまとめたことを評価する論調が目立ったような気がします。どうでしょうか、出口さん。

 さて、技術開発とエネルギー・環境問題をミッションとするNEDO技術開発機構としても、強い関心を持って洞爺湖サミットを見守っていました。見守りついでに?世界に日本の誇る環境エネルギー技術を世界に示そうと、サミット会場に「ゼロエミッションハウス」を展示し、近未来の環境に優しい「ジャパン・クール」住宅での生活をアピールしました。

 ゼロエミッションハウスについては、出口さんがレポートしてくれました。また、近々NEDOのウェブサイトに報告をアップしますので、ご期待下さい。


サミットの国際メディアセンター前に展示されたゼロエミッションハウス


A staff member sits in a massage chair powered by electricity generated with solar energy in a zero emission house in the International Media Center in Toyako, Hokkaido, Japan, on July 8, 2008. The zero emission house, in which all home appliances work with electricity generated by solar and wind energy is shown in the International Media Center during the G8 Summit. (Xinhua Photo)
http://news.xinhuanet.com/english/2008-07/08/content_8511361.htm

 新華社通信のサイトに紹介されたゼロエミッションハウス。なぜかゼロエミッションとあまり関係ないマッサージチェアとアテンダントの写真が冒頭に載っていますが。

 この洞爺湖サミットをNEDO的に見れば、地球温暖化問題とこれに対応する低炭素化社会の構築という課題が大きくクローズアップされたものと総括することができます。これには、各地で災害が起こり、現実化しているとみられる気候変動問題とともに、最近の石油価格の高騰と、エタノールブームにも端を発している食料価格の高騰が色濃く影響しています。今サミットで特にとりあげられたアフリカ問題や水の問題も、これらの点が強く関係しているといえるでしょう。

 地球温暖化問題への対応は、各国の足並みがそろわないと前に進まないのはよくいわれることです。今回、議長の福田総理が最も苦労されたのはこの点だったのではないでしょうか。先進国間の調整もさることながら、地球温暖化問題に対処するには、サミット国ではないインド、中国などの成長著しい新興国の対応が重要です。

 地球温暖化問題が多くの国々の首脳によって議論されたのは、1992年のブラジル・リオデジャネイロにおける「地球環境サミット」が初めてです。この国連主催の「環境と開発に関する国際会議」では、170ヵ国以上の首脳が一堂に会し、持続的な成長をテーマに議論が行われたものです。この会議で京都議定書の基本となる「気候変動枠組み条約」とカルタヘナ議定書の基本となる「生物多様性条約」がセットされ、署名が開始されました。

 実は私も、このリオ・サミットに生物多様性条約の交渉担当官として出席していました。国内での根回しを経て、サミット会場で生物多様性条約の署名に至ったときは、長い交渉の苦労が頭を巡り、感無量、といったところでした。(その後のカルタヘナ議定書などでご苦労された諸氏からはご意見があるところと思いますが。)

 リオデジャネイロの郊外に設置されたサミット会議場では、断続的に条約交渉をはじめとする各種公式会議や非公式な打ち合わせがそこここで行われ、またメイン会場では次々に各国首脳が登壇して演説をしていきます。キューバのカストロ首相の時には、警備を含め大騒ぎになりました。米国大統領もしかり、各国首脳はテロなどのリスクもおそれず、このリオの地に集まってきていました。この重要な地球的問題に、各国の首脳が自ら議論を行う、その熱気が伝わってくるサミットでした。

 このとき、ある事件が起きました。いよいよ日本の首脳の演説が行われるというその前夜、当時の宮沢総理の出席がドタキャンされたのです。国内の国会審議が長引き、当時の野党の牛歩戦術によって結果的に総理が出張できなくなったと聞いています。次の日、日本の番には、急遽収録された総理のビデオ演説が会場内に流れていました。このとき、日本の国際感覚がどの程度かを認識し、また、ビデオ演説という存在感のない空虚さに、悄然とビデオを見ている私の姿が海外のメディアに捉えられ、サミット終了後も何回もオンエアされたようです。

 サミットに首脳が出ないというのはニュース性に富むのでしょう。その後、関係の国際会議に出ると、各国の代表から「また見たよ!」と冷やかされたことを思い出します。

 さて、このように16年前の地球サミットでは、世界中から首脳が参加して二つの大きな条約がセットされるという画期的な成果がありました。経済力が大きい国々とはいえ、わずか8ヵ国の首脳だけで地球規模の問題の処方箋を決めようというのは無謀と言えるでしょう。その意味では、8ヵ国以外の中国、アフリカ諸国をはじめとする国々の首脳が議論に参加した今回の洞爺湖サミットは、それはそれで画期的といえるかもしれません。

 今回の洞爺湖サミットでは、もうひとつ特徴的なことがあります。前回のハイリゲンダム・サミットでは、その首脳宣言に「イノベーション」という言葉が、冒頭の第一節を皮切りに24カ所出てきます。世界経済の成長と安定のためにはイノベーションが極めて重要とのメッセージがちりばめられているのです。一方、洞爺湖サミットの首脳宣言にはイノベーションは一カ所、しかも前ハイリゲンダム・サミットの宣言を評価するとの紹介の文脈で出てくるのみです。英語の原文を見ると、「innovation」という言葉は数カ所見あたります。ほとんどが、気候変動問題に対応してinnovative technologyが重要とのコンテクストです。ハイリゲンダム・サミットで強調された、世界の成長のための重要な処方箋としてのイノベーションという概念は宣言から消えてしまいました。

 わずか一年でどうしてこうなってしまったのか。

 これには二つの見方がありえます。第一。イノベーション創成のための環境基盤、国家レベルで言えばナショナルイノベーションシステムの構築は、一朝一夕には出来ません。一方、原油価格の高騰と、顕在化する気候変動への対応はすぐにでも行わなければいけない。このため、どちらかといえば中長期的な視点と努力を要するイノベーションよりは、現実的な処方箋を列挙することがサミットしては優先順位が高いのではないかという視点。各国首脳は、当然政治家ですから、自らの任期中に出来ることをやろうという意識もあるかもしれません。

 一方で、イノベーションの概念が普遍化し、必ずしもノベーションといわなくても必要なことはカバーできているのではないかとの第二の視点があります。前回述べたように、イノベーションを対象とした学術研究は90年代初頭から活発となり、近年では年間3千報前後の論文が発表され、論文総数は既に4万を超えています。(学術論文データベース(英文)から、innovationがタイトル、キーワード、アブストラクトに含まれる論文を抽出した結果得られたもの。)


イノベーション学術論文推移(英文誌のみ)

 一方、イノベーションを対象とした研究は果たしてそれだけにとどまるか、という疑問があります。イノベーション研究が深化していくにつれ、論文タイトルなどにイノベーションと書いていない論文が増えていくのではないか、というものです。これについては、イノベーション以外のイノベーションに関係あるキーワードを追加して調べたところ、1/4程度論文数が増えることがわかりました。これは、イノベーションと関係ある論文の4/5がイノベーションとタイトル等に書いてあるということを示すことでもあります。したがって、イノベーションを語るには、やはりイノベーションという言葉に言及することが必要で、第二の視点は的はずれ、ということになります。

 実際、昨年と今年のサミットの首脳宣言を見比べると、イノベーションへの期待が充ち満ちている昨年の宣言に比べ、今年は気候変動、水、伝染病、テロとの戦いなど、喫緊の課題が目白押しで、イノベーションどころではない、という切迫感が伝わってきます。

 しかしながら、地球規模の問題に首脳レベルで対応を考えるのに、これだけで良いか、との疑問が湧いてきませんか? 本稿第14回『イノベーション「戦略」とは』、で紹介したように、イノベーション戦略の中で最上位にあるのは、国家理念であり、これは国家のリーダーがイノベーションの重要性を説くことです。イノベーションは、国家にとっても最も重要な概念であることを国民に示し続けることが国家の成長のための大戦略を形成するのです。

 イノベーション25のとりまとめを自ら指示し、黒川清先生を初めて科学技術担当の総理顧問に指名した安倍前総理と、それを引き継いだ福田総理の感覚の違いがここに顕れているのかもしれません。

 今年も、9月16日から有楽町の東京国際フォーラムでイノベーション・ジャパン2008:大学見本市が開催されます。今年はイノベーション・ジャパン5周年特別シンポジウムに、安倍晋三前首相をお招きして、「目指すべきナショナルイノベーションシステム」について基調講演をお願いしています。もちろん、黒川清先生にもご登壇いただきます。奇しくも、昨年のこのシンポジウムの開催中の時間に、総理の電撃的な辞任が発表されたものでした。
 http://dndi.jp/14-kurokawa/kurokawa_x64.php
一年を経て、お元気をとりもどした前総理の勇姿をご期待下さい。

 イノベーション・ジャパン2008の詳細は近々アップされる予定です  http://expo.nikkeibp.co.jp/innovation/