第1回 ベンチャー企業支援の淵源
皆さん、はじめまして。財団法人ベンチャーエンタープライズセンター、通称VECの理事長をしていますM田と申します。
それでは、これから、しばらくの間、「ベンチャー企業支援の今昔」という題でお話をさせて頂きたいと思います。
これは私が経済産業省に在職中に様々なホストでベンチャー企業の担当となり数々のベンチャー企業支援策というものを実際企画し、実施に移してきましたので、その時々の、どういうねらいだったかというようなお話を中心にしたいと思っています。
ところで、昔からベンチャー企業の支援というのは経済産業省の非常に重要なテーマだったわけですが、何十年もこういう政策を展開してきてますけれど、その当時の問題意識が今日達成されたかというと、今も昔も相も変わらずという感じです。すなわち、米国とちがって日本から世界に通用するようなベンチャー企業が生まれてこないじゃないかというような意味では、ベンチャー支援政策の効果・成果は思うように挙がっていないという声もあると思います。そういう意味では、歴史をふりかえり、その当時の問題意識と今日のベンチャー支援の意義というのを含めて整理をしていきたいというふうに思っております。
ベンチャービジネス、あるいはベンチャー企業とも最近はよく言われていますけれど、この言葉は、皆さんご承知のように、昭和40年代の半ばに清成先生たちが勉強会を作られ、そこでの議論の中から生まれてきたというものですから、完全に日本オリジナルなコンセプトです。したがってベンチャー企業支援の歴史というのは、この勉強会の成果として財団法人ベンチャーエンタープライズセンターの設立をもって始まったと解釈されているわけです。実際、こういった認識はベンチャー企業論の教科書と言ってもよい松田修一先生の本などにも示されています。(ベンチャービジネスというコンセプトがそこから始まっているので当然とも言えます。)
しかし我が国のベンチャー企業支援の歴史は実はもう一つ前があるということを今回はテーマとしたいと思います。清成先生をベンチャー支援のキリストと考えますとビフォーキリスト(B.C)すなわち紀元前の歴史として、中小企業投資育成会社の設立というものがあったわけです。1963年に中小企業投資育成会社法という法律に基づきまして、東京、大阪、名古屋に公的なベンチャーキャピタル3社が設立されました。これは1958年に米国で中小企業に対するリスクキャピタルの提供や創業支援ノウハウの充実を図る目的面でSmall Business Investment Actが制定され、SBIC(Small Business Investment Company)制度が開始されたことを踏まえてのことだと思われます。
ところでアメリカのベンチャーキャピタルの起源は、1920年代にまでさかのぼることができるといわれておりまして、そのころの財閥や個人投資家などが、後に大企業となるような企業にスタートアップ資金を提供したというケースが散見されたようです。しかし、産業としてベンチャーキャピタルという形態を確率させたという意味では、1946年のAmerican Research & Development(ARD)の設立が世界初であることは疑いがありません。この会社は当時の全米証券業協会の会合でボストン連銀総裁ラルフ・E・フランダースが提唱して、それに賛同したハーバードビジネススクールのドーリオ教授たちによって設立されたものです。
その目的は、大企業だけではアメリカの経済の繁栄は続かないだろうという認識の下に、スタートアップ企業に対して莫大な機関投資家資金の一部を投資するための仕組みを作ることが大事だという趣旨でした。こうした認識の背景には第二次世界大戦中に軍事用目的に様々なR&Dが進んだわけですけど、これをいかにビジネスに転用するかという面もあったかと思います。ARDはクローズドエンド型投資会社として設立され、当初は5百万ドルという額を募集した訳ですが、7割しか集まらなかったというように、かなり設立時は棘の道だったようです。しかし、その後ARDはDECへの投資を契機に、DECの成長とともに大成功を収めて、ベンチャーキャピタル投資ブームのきっかけなった訳です。
それに刺激を受ける形で米国中小企業庁が1958年に先程言いましたSmall Business Investment Company制度を開始したことが、ベンチャーキャピタル業界にとっての第2ステージの始まりとなりました。このスキームは、SBICが自ら投資した額につき政府から4倍の低利融資を受けるというもので、これを投資に回せることとなりました。しかし、低利にせよ融資制度に依存した結果、政府への返済のため、実際の投資活動ではARDとはほど遠い投資行動を採らざるをえなくなってしまいました。具体的にはあまり株式取得は行わず、融資中心の活動となった訳ですが、政府の支援もあり、1960年代の半ばには約700社にもなりました。しかし、ARDの経験は生かされず、中小企業のリスクを過小評価することで60年代末には200社以上のSBICに深刻な問題が発生するなど紆余曲折を経て今日に至っています。
このSBIC制度をほとんどそっくり真似して導入したのが我が国の中小企業投資育成会社法でして、米国のSBICと同様に比較的保守的な投資態度がとられました。ARDなどの民間VCの経験は活かされなかった訳です。具体的には投育3社は年率約6%程度の配当を安定的に保証できる中小企業に対してのみ、発行済み株式の20〜30%を長期間保有するというようなスタンスで投資を行った訳です。
当時は証券市場が現在ほど新興企業向きじゃなかったということもあって、IPOが投資のゴールとはされずに長期安定保有、キャピタルゲインよりはインカムゲインを中心に運用するというのが、この3投育の基本的な機能だったわけです。このようにやや保守的な運営だったのですが、一定の政策的効果はありました。具体的には、まず、投育からの投資があった中小企業にとっては、政府の出資を得た優良な企業であるというお墨付き効果があって、その後金融機関や取引先に対する信用につながりました。また、長期中立的な株主がいるということで安定経営が図れるというメリットもありました、さらに、相続税評価の際には未公開株の株価算定基準に投育の投資額を基準にするという通達が出されたことで、投育にとっては安価に株式が取得できるという効果もありますが、一方で事業承継に際しては会社の株式が比較的低く評価されるということで事業承継がスムーズに行くというようなメリットがありました。
投育はガバナンスについても比較的ニュートラルで、その保守的なスタンスからベンチャー企業支援の歴史に明確に位置付けられないできたということかもしれませんが、米国の例にならって中小企業の活性化を図ろうというパターンから見るとベンチャー企業支援のプロトタイプではないかと思います。
次回に述べます我がVECを作った熊野さんという通産省の先輩が東京投育の社長になられて以降、同社のスタンスも非常に積極的になり、ベンチャービジネス育成の一翼を担うという展開となっており、現在では公的ベンチャーキャピタルとして大変な活躍をしています。
以上、一回目はベンチャー企業支援の前史ということで、次回はVEC誕生の秘話というテーマでお話を続けていきたいと思います。
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