第1回 テクノナショナリズムの時代


 今回、DND通信の出口事務局長のご厚意により、「技術経営立国への指標」をお届けする機会を賜りました東京農工大学の古川勇二です。現職が専門職大学院技術経営研究科長のこともあって技術経営全般に大いに興味をいだいておりますが、経験が少ないため、大学関係者はさておき、企業で技術経営を実践されている方々に役立てる内容お届けできるのか一抹の不安もあります。私自身の経験や考えを中心に取り纏めたいと存じますのでよろしくご支援ください。

 雑駁ですが、世界の技術経営プログラム、日本の技術経営プログラム、技術経営人材の育成の3部構成で執筆の予定です。

T.世界の技術経営プログラム
T−1.テクノナショナリズムの時代

 世界の国・地域、あるいは国家のなかの自治体や、また個別の企業においても、資本主義・市場経済主義体制下では、当然のこととして自身の産業経済を発展させて豊かさを享受したいと願うものです。 最近でこそ協調とかフィランソロフィーとかの概念が一部に聞こえますが、個人の豊かさを追い求めることは有史以来の私達人類の必然とも言えるでしょう。

 17世紀の産業革命当時には、イギリスは石炭を採掘してエネルギ源とし、都市基盤、家屋、交通手段などを開発して自国の反映に役立ててきたのです。なかでも1769年のJ.ワットの蒸気機関の発明は、人類に初めて人工的動力源をもたらしたのです。これは大変な発明ですね、それまでの1万年以上の人類生活において、人間の力、動物の力、よくても風や流れの自然力以外に動力源を持っていなかったのですからね。多分、当時のイギリスはこの人工動力源を独り占めにして、自国の反映を構想していたのではないでしょうか。これは僅か237年前のことなのです。

 クルマも同様です、初めはフランス人キューニョーの蒸気自動車だったのですが、今のガソリンエンジン自動車をベンツが開発したのは1885年でした。フランス、ドイツ、イギリスなどは、自動車技術を独占して自国優位性を確保しようとしたのは当然です。しかしヨーロッパ人のアメリカ移住に伴い自動車技術も同時に移転され、やがて自動車技術はアメリカで花開いたのです。その最大の所以は、1908年に発表されたT型フォードなのです。ベンツが自動車の原型を創案したのに対して、フォードは自動車の量産化に成功して普及に貢献したのです。それまでの機械づくりは、一個の部品を作っては他の一個の部品と寸法合わせして組み立てていたのです。丁度、個人個人の体型に合わせて洋服を手作りするような方法ですから、通称、テーラメイド生産と呼ばれています。これでは生産効率が低いのは自明です。そこでフォードは部品AとBをそれぞれ100個まとめて作り、そのいずれの一つのA1とB1を取り出してもスパっと組み合わさるような互換生産方式を編み出したのです。今では100円のボールペンのキャップがどれとでもピタっと合うのが当たり前ですが、これは大変な技術革新なのです。このことによって今日の大量生産方式が確立されたとも言えます。このためには部品寸法の公差管理を徹底しなければなりませんが、これが結構大変でして、すべての部品を同一の精度内に加工しなければなりません。いわゆる加工法の御三家、鋳造、鍛造、切削技術を最適に組み合わせて部品を仕上げるわけで、これが品質管理、QC,TQC,そして今日的6Σへと発展してきたのです。

 クルマに話を戻すと、その後、GM、クライスラーも含めアメリカは今日の自動車王国を確立し、自国の富を築き上げ続けてきたのです。自動車技術、量産技術を独占化(モノポライズ)してきたテクノナショナリズムの顕在化です。しかし、そのビッグスリーですらトヨタを中心とする日本メーカの追い上げに苦慮し始めているのが今日です。ご承知のようにその理由は、1970年代の予期せぬオイルショックでした。原油の需要供給のアンバランスによる価格高騰に機を発して高燃費車が市場で求められ、懸命に技術開発してきた我が国メーカが市場要求に応えられるクルマを創出してきたのです。しかし残念なことに強国アメリカの主張は、自国自動車産業を保護するために、我が国メーカの輸出自規制、現地ノックダウンから現地部品調達、現地工場化でした。さらには日本の製品技術・生産品質技術の高さを牽制すべく、日本の基礎研究ただ乗り論、さらに日本は技術をモノポライズしているとのテクノナショナリズム論を展開したのです。

 現下では地球環境保護時代にあって、高燃費・ゼロエミッションのクルマが求められ、トヨタのハイブリッド車プリウスが売れっ子です。しかしその陰に、ナショナルコンピータンシーとか大競争の時代という言葉が潜んでいて、日本の一人勝ちに過ぎると、またもやテクノナショナリズムが台頭しかねないことを心に留め置かなければなりません。