第15回 イノベーティブなイノベーション政策
皆さん。今回は舌を噛みそうなタイトルにいたしました。出口鬼編集長の依頼で巻き起こったイノベーションの風(いや今や嵐といっても良いですね)は、更に風速を増しております(このままいくと、ニューオリンズを水没させたカトリーヌ並ですね)。そして、イノベーション・シリーズのコラムも、タイトルが尽きてしまいそうです。で、今回のタイトルか?と怒られそうですが、勿論そんな安易な意味ではありません。実は、深い深い意味があります?
12月から本格的にイノベーション25と新健康フロンティアのシナリオに関する下請け委員会?が、本格化してきました。新健康フロンティアでは、2015年までのシナリオと実現方策、イノベーション25では2025年までの国民医療の夢の姿とそのロードマップ作成という難しい注文です。以前のコラムでも書きましたように、2025年までの予測は大変困難です。我々は、どうなっているのでしょうか?アルツハイマーの根治療法、HIVの根治?、あるいは、在宅医療の実現?、正直、言うのは簡単ですが、外れても文句を言われても困るといいたくなる予想が出てきます。
黒川座長の例は、過去25年に起こったITでの大変動を示しています。以前書いたように25年前には、ヤフー・グーグル・SNSなどの出現によるソフト面での変化は当然予想できず、また今のように個人用のPCの爆発的な普及や、そのスペックがかつてのスパコンの100倍以上になるなどというハード面の変化ですら、予測できなかったのではないかと思います。私は、ここ暫くの議論で、ブレーン・ストーミングした結果、同じ変化が医療の上でも起こるのではないかと思いだしました。
で、実際の私の予測はまた別の機会に聞いてもらうとして、イノベーション25の意味は何でしょうか?たぶん出来上がった2025年の姿の話だけを聞いていると筋のよくないSF作家もどきの酔っ払いの会話を聞いているように思う方もいるかもしれません。しかし、私は今回の会議に参加して、イノベーション25は日本で始めてのニーズ・オリエント型の政策提言システムであると思うに到りました。何のこと?って、いわれそうですが、実は今までの日本の政策は基本的にシーズ・オリエント型なわけです。例えば、分子イメージングという技術を元に何か世の中に役に立たないだろうかというのは、シーズ・オリエント型です。研究成果は、徐々に出てきますので、将来予測もやりやすいですので、予算もつけやすい(ある意味、演繹的な手法ですね)。日本人にあった思考経路といっても良いと思います。
では、ニーズ・オリエント型とは何でしょうか?がんになりたくない、じゃあ、がんを早く見つけよう、目で見ることができれば良いよね、じゃあ、必要な技術は何だろう?がんが見るには、分子イメージングという技術要素が必要だよね。そのために、分子イメージングを研究開発しよう!このような考え方です(簡単に説明しすぎて合っているか、ちょっと不安になりました)。
このニーズ・オリエント型政策は、ある意味ギャンブル的であたりはずれがあります。国民の日常生活の上で2025年にはこうなってほしい、こうあるべきだというあるべき姿論なわけですから、当然です。もちろん、技術的に出来ないことでは単なるSFですが、2025年には実現可能な要素技術を入れておけば、それは現実に実現可能な姿です。そのあるべき姿に対して、国の科学技術予算を実現されるべき要素技術につけていく、これは演繹法でないニーズ・オリエント型の予算システムです。
近い例は、アメリカのケネディ時代のNASAの宇宙開発です。宇宙へ我々は進出するのである、そのために必要な要素技術の開発としてロケット開発やスペースシャトルに予算をつけるという感じですね。これは、アメリカ人の得意な思考回路です(最も、軍事的な予算は同じ思考回路ですので、いわゆる狩猟民族型かもしれません)。
イノベーションは予想しがたいですが、イノベーションが実現した後の理想の社会像は想像可能です。方向性さえまとまれば、我々科学者(一応私も科学者の端くれだと思っていますので、お許しください)にとって要素技術開発はお得意ですし、社会システムの変革が起こりうるという前提であれば、かなりのことではできます。良く出来ない論の根本には、現在の医療制度ではとか、法制度の下ではなどということがありますが、イノベーションは社会システムを変えうるという現実を考えれば、そのような議論は無意味です。
例えば、医師が必要ない心臓血管のカテーテル・システム(いわゆる心筋梗塞を治療する風船療法をするための機械ですね)は、まもなく米国で実現します。MRIを利用して磁気装着型カテーテルで完全ナビゲーションのカテーテル・システムで、医師はコンピューター上で心臓のある場所を示すだけです。このシステムを使えば、カテ名人とカテの素人が同じ技量でPTCAができますし、遠隔でも可能ですので、過疎地域でもカテさえ挿入できれば都会と同じ医療を受けることは可能です(極端にいえば、子供でも可能です)。もっと進めば完全操作型マイクロ・ロボット血管内視鏡なども実現可能かと思います。
また、在宅医療(あるいは在宅管理というべきですか?)も本格的に普及するかと思います。病院にはよほどの重症でない限りいかず、遠隔診断し、薬剤が郵送され、投与後のバイオ・データが病院に送られ、結果を判定し、治療を継続する。病院から在宅へという根本的なパラダイム・シフトが起きるのではないでしょうか?(現在の在宅医療は、医療経済上の問題で推進されていますが、私が考えているのは、もっと積極的な在宅管理です)。何故必要か?これから2050年までに人口が高齢・減少してきますと、多くの過疎地域が生まれてきます。そうなると、医師がいない地域ばかりになってきますので、必然的に社会的なシステム変革が必須になります(80歳のお年寄りが車で2時間の病院に通えると思いますか?しかも、大都会を除く殆どの町がこういう状況になります)。その解決策が、在宅管理で、よほどのことがない限り自宅で治療するという方向性が出ると信じています。
しかし、こういう議論をすれば、現在の医師法ではできないのでないか?あるいは、患者さんは医者の顔を見たいので、そんな在宅での診断は望まない、とか、そんな先の話でなく今の医療崩壊をなんとかしろ、そういう意見が出てきます。現状は、その通りです。しかし、2050年には少子高齢化が今まで以上のスピードで進んできます(政府予測では8800万人ですが、出生率が下がるとこの数字は下がるので、私の予測は8000万人以下です)。ということは、過疎地域で医者がいない地区が急増していくわけです。そこに、医者を張り付かせるのは現実的でありませんし、不可能です。たとえ素晴らしい医師の再配置システムができたとしても、続きません。医師もどんどん減っていくし、国土は変わらないのですから、当たり前です。
社会システムが現状のまま維持されると皆さん本当に思いますか?私は、思いません。したがって、2025年には在宅管理が基本であるという認識をもっています。逆に、在宅管理を可能にすることによって、過疎地域は医療過疎ではなくなり、安心して田舎に暮らせる社会が実現でき、都市への一極集中圧力は減少する(ここまでいうと嘘かもしれませんね)。イノベーション25での議論は、現在の社会システムによる制限は一度取り外してブレーン・ストーミングを行い、ニーズ・オリエント型のイノベーションを生み出す場にするイノベーティブなイノベーション政策を期待しています(あー、舌を噛みそうです!)。
皆さん。どう思われますか?この件に関して、ブログでも取り上げておりますので、一度ご覧くださいhttp://blog.m3.com/。
大阪大学大学院医学系研究科臨床遺伝子治療学教授
知的財産戦略本部 本部員
アンジェスMG社取締役
森下竜一
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