第76回「訴訟弁護士の倫理」



In re E. R. R.判決
著名なチーフジャッジと敏腕弁護士の軽率なミステークについてCAFCオンバンクで公開叱責判決


米国は訴訟社会で訴訟の数が異常に多いため、訴訟手続きを濫用したり、倫理規定に違反する行為があるととんでもない制裁措置があり得る。これは徹底した当事者主義であるので、当事者/弁護士の力や能力で判決の行方が左右されるため、訴訟濫用とならないように判事に強大な権限が与えられているためである。


ところが、ところが、である。この制裁措置は弁護士のみならず、判事自身にも課せられることがある。それに近い例がここにレポートするチーフジャッジのemail事件である。この事件ではCAFCという日本の知財高裁と同じ強大な裁判所の著名なチーフジャッジAが退任を余儀なくされ(その為制裁措置は免れた)、弁護士Bが判決で公開叱責されたのである。


特許事件のCAFC控訴の後は、連邦最高裁判所への上告しかなく、その上告は滅多にないから、その控訴は非常に重要である。そのCAFC控訴のある事件で、弁護士Bの抗弁は実に見事なものだった。弁護士BはCAFCの諮問委員会のチーフを勤めるくらいで、高名で実力のある者だったのでCAFCの判事達も一目を置いていた。


その口頭弁論が終了した後、判事達は自分達だけの気軽なランチになった。


こういうとき彼らは政治や年金などの他愛のない話をするものであるが、その時口頭弁論を担当したパネルの3人の判事の内の1人の女性判事は弁護士Bの友人でもあるチーフジャッジAに概略以下のように述べた。


    「今日の弁護士Bの弁論や論旨は実に見事だった。相手側のSW弁護士は大勢の部下を従え、部下たちが、キーポイントにかかるとメモや判決を渡してチームワークで対処していたが、弁護士Bはたった1人で全てに対してスムーズに対応していた。弁護士Bは証拠や記録の全てを記憶して、部下の助けは何もないにも係わらず、論旨は明快で、非の打ち所のないものだった。彼のあの弁論は素晴らしかった。」(詳細はチーフジャッジAの下記emailを参照)


チーフジャッジAは自分の友人であり、弟子の弁護士Bが激賞されたのでいたく満足であった。すると他の2人のパネル判事も「全く同感、その通りだ、我々もあれには感心していたよ」と、同意見を述べた。


チーフジャッジAは喜びのあまり、以上のことを全てemailに記載して、を弁護士Bへ送り、その文面の最後には、不用意にも「このemailを他者に見せることを奨励するよ」と付け加えたのである。喜んだ弁護士Bはメールを入手してから僅か3分後にクライアントのC社へメールを転送したが、それらのemailの交信は以下のようなものである。


    1. チーフジャッジAが弁護士Bへ送ったメール(2014年3月5日3時24分) 君もご存知のように水曜日にはいつもの判事同士の気ままなランチがあった。
    我々はいつも政治や年給などの話をするが、今日はそんな軽い話をしている間に女性判事の1人が突然彼女の口頭弁論の様子を話し出した。彼女はこう言っていた。
    『弁護士Bは非常に複雑な事件を次々と扱い、その1つの相手側弁護士はSW弁護士だった。SW弁護士は大勢の訴訟弁護士を従え、彼らはSW弁護士にメモやノートを渡して助けていた。しかし、弁護士Bはたった一人で対処し、しかもその扱いは非常に印象的だった。両事件とも弁護士Bは記録や証拠を完全に頭に入れ、あらゆる質問に対しても自信と立派な姿勢で答えていた。私は弁護士Bのそのような対応に非常に感心させられた。』
    そして側にいた二人の判事も直ちに、全くその通りで我々も感心させられたよ、と呼応した。
    勿論、私は君に最近のバークレーのクラスで全てのことを教えた。いや、それどころではない。君はほとんどあらゆるトピックについて躊躇やポーズもなく完全にマスターしている。
    ともあれ、今日は私は君の友人であることを本当に誇りに思う。君は素晴らしい名声を身につけている。実際、私は君がこの私のメッセージを他の人に見せることを気にしないどころか、奨励するよ(I encourage you to let others see this message)。
    君の永遠の友人より。 rrr(判事のイニシャル)


(著者注:下線部は、弁護士BがチーフジャッジAと非常に親しく、影響力を与えられる関係を示唆していると判決の中で特に指摘された点である。)


    2. 弁護士B、僅か3分後にクライアントC社へメールを転送(同日3時27分) 「C社の訴訟チームの皆様、CAFC訴訟が必要な時は、私の控訴技術に対する添付のチーフジャッジAのEmailが参考になるかもしれません。彼は他に見せても良いといっていますが、広くは広めないで下さい。草々 弁護士B」
    (著者注:僅か3分後に送ったということはほとんど何も考えずに送ったのだろう。一応、広く広めるなとは言っているが、現実には35社に送っている。)


    3. C社の返事のメール(同日5時33分) 「ナイス!」


    4. 弁護士BのC社へのメール(同日6時15分) 「ありがとう。私のCAFC控訴の仕事は繁盛している。非常にやりがいがある。」


弁護士BはC社以外にもクライアントになりそうな35社、70名にチーフジャッジAのemailを添付して送ったが、それらのメールのほとんどは下記の文面で送っていた。


「私は、CAFC控訴で非常に成功している。チーフジャッジも添付のemailにあるようにそれを認めてくれている。実に満足だ。私は前に地裁で5200万ドル(52億円)の損害賠償判決を下された被告を逆転勝利させたこともある。今後、貴社がCAFC控訴が必要な場合は是非このメールを考慮されたい。」


ところが、こうしたメールの交信があったことが何故かすぐに外に漏れて、一週間後にウォールストリートジャーナルがこれをすっぱ抜いたのだ。CAFCのチーフジャッジAともあろう判事が控訴弁護士を公然と称えてよいのか?弁護士Bは自分はチーフジャッジAの友人であり、影響力があることを示したことと同じではないか?これは倫理上許されるものか?等々の問題提起であった。


そして、チーフジャッジAはまず同僚の判事達に「あのemailは私の軽率なミスであった」というレターを公開して謝った(添付資料参照)。しかし、暫くして、それでは収まらないと考えてか、チーフジャッジを辞任し、一判事に降格することを発表した。これでひと段落かと思われたがそうではなかった。それから数週間後にチーフジャッジAはCAFCから退任すると発表したのだった!このチーフジャッジAは非常に著名で、評価も高く、世界中で講演やレクチャーを行っていたから、特許業界の驚きは半端ではなかった。彼が、自発的に退任したのか、退任させらざるを得なかったのか、訴追されることを防ぐためだったのかは不明である。


しかし、話はこれで終わらない。CAFCは弁護士Bを訴追したのだ。問題は、弁護士BがチーフジャッジAのemailを彼のクライアントに対して自己宣伝のメールに使ったことはアメリカン・バー・アソシエーション(ABA)のプロフェッショナル・コンダクトのモデルルール8.4条(e)の規定に違反することになるかであった。その罰則としては、弁護士資格の剥奪、又は一時停止、または公開叱責等があるとしている。


しかもCAFCは、弁護士Bに対するこの裁判(チーフジャッジAは対象になっていない)を事の重要性から、判事全員法廷(オンバンク)による裁判にしたのである。そして2014年11月5日に公開叱責命令という判決を下した。


In re E.R.R.14-MA004(14-4) CAFC全判事による公開叱責命令(2014年11月5日)
http://cafc.uscourts.gov/images/stories/opinions-orders/14-ma004.pdf


判決の概略は以下のような論旨である。


弁護士Bは何度もCAFCで控訴を行い、CAFCの諮問委員会の委員長を務めている著名弁護士である。チーフジャッジAは弁護士Bの友人であり、その手腕はすごいという上記のemailを送った。弁護士Bはチーフジャッジのemailをクライアントやクライアントになりそうな35社、70名に送った。これらのメールは弁護士BがチーフジャッジやCAFCに対して相当な影響力があることを示唆しており、アメリカン・バー・アソシエーション(ABA)のプロフェッショナル・コンダクトのモデルルール8.4条(e)を違反している可能性がある。


    モデルルール8.4条(e)
    「弁護士が政府の機関や役人に個人的関係から不当に影響を与えられることを述べたり、示唆することはプロフェッショナルとして不公正行為であり、違反になる」


モデルルールは全米で一般的に用いられる規範である。


一方、連邦控訴手続きルール46条(b)(1)(B)は、弁護士が裁判所のメンバーにあるまじき行為を行った場合には弁護士資格の停止、又は剥奪となる規定をしている。最高裁は上記46条を解釈して、裁判所のメンバーは正義を司る役割があると解釈してきた。


また各州もそれぞれの倫理規定を有しているが、必ずしも連邦裁判所の事件について適用されるわけではない。


本件の問題は弁護士が連邦控訴裁(CAFC)のチーフジャッジAのemailを利用して、弁護士Bがクライアントへemailを送った点に関する行為であるので(何らかの特定の事件における訴訟行為ではない)、プロフェッショナル行為のモデルルールを適用することとする。モデルルール8.4条(e)は上述したように、弁護士が個人的関係から政府役人(判事を含む)に影響を与えられることを第三者に示唆することは不公正行為であると規定している。


それに対し、弁護士Bは以下のように反論した。


    @私のemailは、クライアントの判断に不当な影響を与えるものではなく、一裁判官の非常なる賞賛を単に伝えただけのものである。
    A弁護士の能力に関する評価を送ることは、クライアントが弁護士を選択する考慮事項の1つになるので問題はない。
    B公開叱責命令を出すことは米国憲法上の発言(表現)の自由の規則に反する。
    CチーフジャッジAの表現は単に能力を認めただけの非常に寛大な発言に過ぎない。


しかし、CAFCオンバンクは以下のように主張した。

    @emailは両者が特別の関係があることを明白に示している(私は君の友人であることを本当に誇りに思う…私は君の生涯の友人だ…。その上、チーフジャッジAのemailは公文書ではなく私文書でもある。)
    Aemailは両者のみならず、他のCAFC判事とさえも特別の関係があることを示唆している(他の判事もべた褒めしていることを伝えている)。
    B弁護士Bがクライアント等に送ったメールには、その特別の関係があることから自分を控訴弁護士として選任すべきであると示唆している(CAFC諮問委員会の委員長でもあること、5200万ドル(52億円)の判決を逆転させたこともあることを記載し、あたかも大きな影響があることを示唆している。)
    Cチーフジャッジのemailを直接クライアントに送って、CAFC控訴に自分が選任されることを促している(弁護士選任にあたっては、添付のチーフジャッジのメールが役に立つであろうと述べた。)
    Dあたかも他のCAFCジャッジ達も弁護士Bが選任されることを好んでいることを示唆している(クライアントはCAFC判事が弁護士Bについて述べていることを参考にすべきであると述べた)。


以上の結果、我々オンバンクはやはり8.4条(e)の違反があったと結論する。


但し、その、制裁措置についてはチーフジャッジ自ら、他者に見せてもよいと提案していたことを考慮して、弁護士資格停止や剥奪まではせず、公開叱責にとどめる。


しかし、他にも問題がある。裁判に提出された証拠は、弁護士BがチーフジャッジAに対して、@コンサートチケットを提供したり、Aコンサートの良い席を確保したり、B人気アーティストに接近できるようにコンサート後、楽屋へいけるようにアレンジしていたことを示している(チーフジャッジAはカラオケがプロ級ということで有名である。)。


チーフジャッジAはその料金を支払っていたようであるが、問題はこうしたアレンジがCAFC控訴時期中に行われていたことである。しかし、我々CAFCはこの点については判決を示さず、カリフォルニアバーアソシエーションに処分を委ねる。


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以上のようにCAFCのオンバンクによる本訴訟は、チーフジャッジAのCAFCからの辞任、弁護士Bの公開叱責という異例の結果となった。チーフジャッジAは、最初は他の全判事に公開詫び状を書いたが、その直後にチーフジャッジを降りて、一判事となることを決定し、それから一週間後くらいに結局CAFCそのものを辞任すると段階的に決定したのは、事の深刻さが徐々に明らかになっていったからであろう。


このチーフジャッジAの能力はかなり評価されており、特許では世界的に著名で、頻繁に各国で講演をしたりレクチャーをしている。それはアメリカ特許は莫大な損害賠償が出るのでどの国もその内情や対策方法を知りたがるからである。但し、あまりに海外出張が多いので、一度議会のある議員があの金はどこから出ているのだ、と諮問したことがある。勿論、米国政府の予算ではなく海外の知財関係者の招待なので特に問題にはならなかった。であるから、判事を辞めた後も、要望があればどこにでも行く、と今でも公言している。


当然、他の厳粛な判事からは批判がないわけではない。更に、議会や特許業界には知財高裁の裁判官にそんな暇があるのか、その時間、もっと判決を出して処理しろ、と思っている者も多いはずだ。更に、コンサート関係の証拠があったようにこのチーフジャッジAは公私共にとかく噂の多い判事ではある。


その上、今はCAFC自身が、特許業界から多く批判が出ている問題もある。CAFCの重要判決は、過去15年間,ほとんど全て最高裁で逆転されており、こうしたことからCAFC不要論、昔のように各巡回控訴裁でよいではないか、という人もそれなりにいる。今回の裁判が全裁判官によるオンバンク判決になったのも、残されたCAFC裁判官が危機感を感じ、毅然たる姿勢を示そうとしたことも一因と思われる。


また、弁護士Bも非常に迂闊だったといえる。チーフジャッジAはメールの中で、「この私のメッセージを他の人に見せても(let others to see)気にしないどころか、そうすることを勧める」と言っているので、読者の中には今回の問題は、チーフジャッジAが原因であり、弁護士Bには責任がないのではないかと考える方もおられよう。しかし、チーフジャッジAは「見せて(see)」よいとしか言っておらず、まさか弁護士Bが送付したり、配布するとは思っていなかったのではないか。弁護士Bが手に持っていて、そっと見せるだけであれば証拠は残らないのでウォールストリートジャーナルにすっぱ抜かれたり訴追されたりはされず、チーフジャッジAも自ら降格したり、退任せざるを得なくなることはなかっただろう。送付すれば証拠として残り、あっという間に広まるものである。特に、ライバル弁護士達は虎視眈々と著名な弁護士の足を引っ張る機会を狙っているものである。


弁護士Bは恐らく、感激のあまり文脈を十分把握せず、受領して僅か3分後にメールで転送してしまったのである。これでは米国弁護士にも係わらず英語の読みが浅いといわれても仕方がないかもしれない。人生、好調なとき程、頂点に達したとき程、用心しなければならないという人生の教訓になるだろう。


カリフォルニアバーアソシエーションがコンサートチケット関係の証拠でどのような処分を下すかは全く不明であるが、アメリカの弁護士は強大な権限が与えられているだけに問題が生じたときの制裁も厳しいものであることを知るべきである。


さて、このチーフジャッジAは、今は一介の元判事となったので、(米国では一度連邦判事になると退任しても憲法の規定で減給はなく、一生判事という称号を用いることが出来る。)「ディ・ノーボ:De Novo(裁判を根底からやり直すという意味のラテン語)」というバンドで仲間の弁護士達と盛んに歌っているらしい。歌の上手さからすると、もしかすると、本当は歌を堂々と歌いたかったために判事を辞任したのかもしれない。それでも、「あのemailはディ・ノーボでやり直したい…」とか思っているのかも…。


参考: http://law.scu.edu/wp-content/uploads/Rader-BH-Annotations-9-26.pdf


チーフジャッジAの事件発覚後のレター



レター内容要旨:
私はこのレターを一般に公開してお詫びをしたい。
私は判事として、訴訟弁護士に対して一線を越えてしまったようだ。
私が問題のemailを送ったことは誤りであり、またemailの内容も正確ではない。
このemailは判事としての倫理に反するので、この弁護士が絡む控訴は忌避している。
ともあれこれからは米国判事の規範法を遵守し、裁判所の規律を守っていきたい。


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