第54回 「バッシングは一流への道か」
今回は、アメリカにおけるバッシング、特にタイガーと、トヨタに対するバッシングについて書いてみたいと思う。両方共、共通するのは強者は徹底的に叩くというアメリカ的文化であるが、更に、両者はアメリカ階級社会の王者ではなく、マイノリティであり、ターゲットになり易いことも共通している。
タイガーは、これまでゴルフの顔であったホーガン、パーマー、ニクラウスという白人プレーヤーと異なり、黒人プレーヤーであり、しかもアジア人の血さえ入っている。トヨタは日本企業だからマイノリティであることは当然である。従って、これまで一言、言いたかった白人のアメリカ人は、ここぞとばかりバッシングに走る。これは私の意見だけでなく、私の友人のアメリカ人でさえ、両者のバッシングは何かおかしいという。
いずれにせよ、タイガーはマスターズに勝てなかったものの、あれほど活躍するとはちょっと考えなかった人が多いのではないか。とにかく6ヶ月のブランクがあり、しかも初日の最初のティーショットの時には空中に不倫を揶揄する飛行機が飛んだ位だから、タイガーにかかるプレッシャーは信じられないほど大きかったはずである。(もっとも、タイガー自身はその飛行機は気がつかなかったと言っているので、効果は薄かっただろう。)
とにかく、あれだけの長いブランクでしかもコースはオーガスタ・ナショナルという超難コースだからタイガーが予選を通過することさえも危ぶまれていたが、最後まで優勝争い一角をしめしていたことは、唖然とさせられた。それでもタイガーの尺度からすると敗れた、というのが正しいらしい。
タイガーの本当の敗因は何だったろうか。それはミスパットをしたりミスショットをしたときの感情コントロールが出来なかったとであろう。この点についてはマスターズが始まる前日のウォールストリートジャーナルが「タイガーはアンガー・コントロール(怒りの自制)ができるか」と予想していたのはさすがと感心する。
ゴルフは他のコンタクト・スポーツとは異なり、フィネス(技巧)を争うスポーツである。とにかく200ヤード先に飛ぶボールの落下地点が目標の数10cm以内に落ちなければならず、その上グリーンの表面の固さや傾斜に応じてボールのスピンもコントロールしなければならない。しかも、ボールがフェアウェイ上に浮いている場合は打ちやすいが、芝の間に沈んでいたり、ラフに入っていたりすれば、その抵抗も考えなければならないから異常に難しくなる。
とにかく、一打一打、沈着に判断し、計算通り打たないと、この微妙なコントロールはできない。だからほとんどのプロゴルファーは失敗しようが成功しようが、あまり感情を出さず、ポーカーフェースで表情を変えない。その次の一打に対する影響を極力小さくする精神統一、そして、ゲーム/マインド・コントロールが重要なのだ。
ところがタイガーは心の感情をむき出しにするタイプのプレーヤーである。この性格は恐らく黒人のゴルフプレヤーという生い立ちがかなり影響していると考えられる。
とにかく小さい時は黒人という理由のみで、カントリー・クラブでのプレーが拒否されたり、白人少年達に木に縛り付けられ、叩かれた経験がある。誇り高いタイガーが白人達に勝たなければならない、ニクラウスの記録を破らなければならないという闘争心を持つことは、人種の問題が少ない我々日本人には想像もつかないほど強いのであろう。
そして、この感情問題が優勝争いがちらつき始めた、マスターズの3ヶ日辺りから完全に出ていた。それまでショット自体は素晴らしかったから、パットさえ決められれば容易に首位に踊り出られたはずだが、パットがまるで入らずフラストレーションが溜まりに溜まるゴルフであった。
ゴルフはリズムだから、その内ティーショットもセカンドショットも乱れ始める。タイガーのフラストレーションはどんどん高まる。アメリカのテレビ中継は、マイクロフォンのボリュームを最大にしてプレーヤーの叫び声を集収して中継するから、タイガーが自分に対して「Tiger Woods, suck!」と叫ぶ声がガンガン画面に入ってくる。公共の場では絶対に言ってはいけない言葉である。翌日の新聞が、タイガーはマナーがなっていないと書き、名ゴルフアナウンサーのJim Nantz もそれを非難する記事を書いた。
確かにこの非難は正論だ。ゴルフはレスリングやフットボールや野球やホッケーのようなケンカスポーツと違う。ケンカスポーツでは時折掴み合いの乱闘をしていないとファンが喜ばない。納得しないのだ。感情を剥き出しにしないと限界のプレーができないというスポーツならそれでよい。しかしゴルフはフィネスが必要なゲームである。その為には怒りを収めなければ駄目だ。タイガーもそこを理解しないと本当の偉大な選手にはなれないだろう。
ともあれ今回のマスターズで男を上げたのはミケルソンである。彼は最終日の後半に奇跡的ショットを連発して3度目のグリーンジャケットを手にした。そして、18番ホールではブレストキャンサーの手術から帰ったエミー夫人と長い抱擁をし、視聴者の涙を誘い、翌日のジャーナリズムは、「家庭人のミケルソンが非家庭人のタイガーを破った」、とまるでミケルソンを聖人君子のように褒めちぎっている。
しかし、しかしである。その後の展開が実にアメリカらしい。タイガーは何せアメリカ人であるから、タイガーファンは絶大に多く、彼らは黙ってはいない。ミケルソンやその家庭は本当に聖人君子の家庭人なのだろうか。マスターズ終了直後のインターネットには、ミケルソンもある女性と浮気していた、エミー夫人はマイケル・ジョーダンとできていた、という情報が流れ出ているのである。
これが本当か否かはまったく分からない。しかし、大体、健康ではちきればかりのスポーツマンとその若い夫人(しかも、夫はトーナメントでほとんど家にいない)が聖人君子であると考えること自体が不自然と言えなくはない。ミケルソンは長い間、タイガーの下でナンバーツーであったが、ナンバーワンになるととたんにバッシングが出るのがアメリカである(世界ランキングではまだタイガーが1位)。
ところでトヨタのバッシングはどうなっているのか。日本企業だから怒りはせず、黙々と対応している。しかし、残念ながら日本企業には反バッシングを買って出る第三者はいない。唯一の例外は、中立で権威の高いコンシューマ・リポートだったのかもしれない。
豊田社長が議会の公聴会で証言前日に、コンシューマー・リポートがプリウスはベスト環境車と発表し、アメリカ市民はトヨタ車を信頼していると私は思った。公聴会が曲がりなりにも無事に終わったのはその影響もあろう。
しかし、そのコンシューマー・リポートでさえ、最近、トヨタのレクサスのSUVは横滑りして倒れる危険があるので購入しないようにというリポートを発表したではないか。コンシューマー・リポートが、前回のプリウスを支持することを発表した時に相当のプレッシャーが来たことは否定できないだろう。その為かわからないが、今度はトヨタ車を非難する記事を書いたのか、と勘繰りたくもなる。
但し、トヨタがレクサスを直ちにリコールして販売停止すると、コンシューマー・リポートの某幹部は「トヨタの素早い対策に感心した」、と言っていたので純粋な技術レポートだったのかもしれない。とにかく、この国ではナンバー1はすぐバッシングの対象になり、それに耐え、反論して生き抜かなければならないのがアメリカ的生き方なのである。
話は異なるが、鳩山首相は沖縄基地の問題で、サミットでは最も哀れな首相と評価された。これは日本がアメリカに基地問題で戦後初めて楯突いたことに対するバッシングとも言えるが、私はこのように報道されることは逆に良い事だと思っている。それは、今までのようにアメリカにべったりになっていればアメリカジャーナリズムからバッシングはされないかもしれないが、他国からは嘲笑されるだけだ。そんなアメリカ追従外交していては、他国から評価されるはずはなく、ましてや、日本が国連の常任理事国になることは夢にまた夢である。
私は鳩山政権のビジョンもなく官僚をたたき、三権分立をぶち壊そうとする政策はまったくサポート出来ないが(別に私が元官僚だからそういうわけではないが)、日本が独自の外交を行えば、当面アメリカはバッシングを行うだろうから、一人前になる為には、当然通るべき道なのだ。
中国は何十年と独立独歩を歩み、何回も国際的にバッシングされて、ようやく最近一人前の国(まだ、一流国といえるほど国内は整備されていない)としての扱いを受けるようになった。一人前の国、或いは一流国になるためには最低、自分の主義主張を十分有し、通す国でなければならないのは当然である。
日本は敗戦後、アメリカ一辺倒に追従し、そのため経済的には繁栄したが、アメリカの腰巾着と評価されてきたことは間違いない。しかし、アメリカの横柄さに世界の中小国達が立ち上がってきており、テロも辞さないから、アメリカ一辺倒になれば、日本もターゲットになる。
幸い日本は世界に良い影響を与えている国としてはドイツに次いで2位に評価されている(読売新聞社/英BBC放送33ヶ国世論調査)。これから如何にして真の平和国、そして独立国として歩くかを考えなければならないだろう。その時、アメリカからバッシングがあるのは当然であり、それに耐え抜いていかなければならないのだ。
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