第50回 時勢が決めた2016年のオリンピック開催国
2016年のオリンピック開催国は、予想通りといえばそれまでの、ブラジルのリオデジャネイロという南米初の開催となった。夏季オリンピックは、これまでヨーロッパ、アメリカ、アジアで何回となく開催されてきたが、南米やアフリカでは全くなく、ブラジルのルラ大統領は、「南米が一度も開催していないことは、とにかくアンフェアだ (Its simply unfair that South America has never hosted the games.)。 この不公平さを追求しなければならない時だ (It's time to address this imbalance.)。」、とあたかも差別があったことをほのめかして訴えてきた。IOC委員の多くは、発展途上国の委員であるから、これほど強い説得力はない。
それにブラジルは、前回の2012年の開催国の決定でロンドンに敗れているので、その経験が今回の戦い方に十分以上に役に立ったこともあろう。であるから、筆者にとっては、マドリードが最後まで競り合ったことさえ驚いている。それにしても、アメリカの負け方は余りにも惨めであった。
ファーストレディのミッシェル夫人の演説は見事だったという。オバマ大統領は、ぎりぎりまで出席を決定しなかったが、土壇場で出席したことは、その頃はかなりシカゴ開催に自信があったからだとアメリカのジャーナリズムは報道していた。
しかし、1回目の投票で、IOCはこれまでに最もショッキングな敗戦の1つをアメリカに与えた。(IOC handed down one of the most shocking defects ever.)この驚愕には、IOC報道官さえも、「なぜこうなったのか誰もわからず、会員がショック状態だ。(Nobody knows, but everybody is in a state of shock.)」、といっていた。
なぜアメリカがこう簡単に敗れたか、しかも歴史で初めてアメリカ大統領自身が駆けつけたのにである。その上、オバマ大統領は黒人であるから、IOCの途上国委員には相当な人気があることは間違いない。現実に、オバマ大統領が到着してからは、各委員は一緒に写真を撮ったり、歓待したりして大騒ぎだった。ところがこの惨敗である。オバマ大統領自身にとっても、これほどの公の恥辱(public humiliation)はなかったであろう。
アメリカのジャーナリズムは、オバマ大統領が5時間しかデンマークにいなかったことについて、「あまりにもビジネスライクでIOCを舐めている」と反感を買ったのではないかと推測もしているが、IOC委員はそういうことはないと否定している。
これは、オリンピックが最近は途上国の発展の機会を与える国連的組織になっていることがある。IOC委員会からすると、アメリカも日本も豊かな大国であり、オリンピックは単に彼らに経済的チャンスを与えるだけで、ブラジルのように国の開発、社会体制の整備という基本的視点に資することはない、とみえるようだ。その上、それほど、途上国の発言力は強くなっており、また票の数も多いのも現実である。
しかも、アメリカはここ1、2年の世界大不況の諸悪の根源である。世界のリーダーであるべきアメリカが世界経済を破壊したともいえる。さすがにアメリカに対して公に非難できる国はいないものの、こういう無記名投票の機会には、一挙に暴き出す。
これでは、アメリカが米国大企業の横暴を抑えて経済を立て直すことができるのか疑わしい(現にアメリカ民間企業は政府の介入の政策を未だに断固反対してしている)。日本の敗戦は、単に日本ほどの経済大国が再びオリンピックを開催しなければならないインセンティブは、リオデジャネイロ(貧困からの救済)や、マドリード(サマランサ元IOC会長の懇願、後述)より、はるかに小さいということだけであろう。勿論、日本国民が冷めているということも、それに拍車をかけている。
ともあれ、時勢は完全に少数大国から複数小国へと移っているのだ。マドリードが最後には大敗したのも、多分その点であろう。スペイン人の前IOC会長のサマランチが、「私は、89歳でもう先はない。最後のチャンスをスペインに与えてくれ。(I'm 89 and I am near end of my time. Give Spain a last chance.)」と演説して、かなりの同情票を取ったことは疑いもないが、それでもスペインは、ブラジルに比べれば出来上がった大国であり、「途上国にチャンスを!」という声の方が強かったのだ。
この時勢の流れは正に皮肉といえる。オバマ氏が圧倒的に有利であったヒラリーに逆転勝ちして大統領になったのは、黒人勢力の台頭というアメリカ国内での時勢が加担したことは疑いもない。同じように、民主党、鳩山首相が大勝したのも、腐敗する自民党の時代から新しい政党とリーダーを求める日本社会の時勢からである。時勢の波に乗ってきたその2人が、世界の全く別の次元の時勢に敗れたのは、余りに皮肉ではないか。
司馬遼太郎氏は、優れた行動力と明晰な頭脳を有し、敵味方から恐れられた徳川慶喜が大政奉還し、自ら幕府を葬ったのは、時勢に負けたためと記したが、どのような偉大な人物でも歴史という巨大な歯車の動きには抗することはできないのだろう。オバマ大統領は内外の危機から最近人気は急落し、その指導力に疑問が投げかけられており、この歴史的大敗が相当な打撃になることは疑いもない。
官僚組織の大改革を進める鳩山首相は、まだ発進したばかりなので、そのつまずきを見せていないものの、世界に誇る頭脳集団であり、日本経済をここまで引き上げてきた中心的組織であった官僚軍団を、遮二無二叩くだけの大方向転換は疑問に残る。これをアメリカは政治家が指導力を有しているので、日本もそうしなければならないという単純な理由のみで変えていくことは、日本の政治家のレベルを考えると余りに危険という気がするのは、元官僚の端くれという我が身だからなのだろうか。
官僚の悪癖は、当然駆除しなければならないが、それを活用、利用しようとはせず、単に官僚組織そのものを壊滅し、アメリカ型政治主導の社会にする野望は、何か時勢の本質を見誤ったずれが見られる。結局、アメリカと同じ体制にすることはアメリカの疲弊をそのまま受け継ぐことになるのではないかと危惧される。
日本の歴史の歯車が、徳川慶喜の大政奉還から明治へ発展したのと同じように順調にいくことを祈るばかりである。
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