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第20回 「WBCの熱狂が示すもの」



 野球はドラマだ、といったのは長嶋だったろうか。
 しかし、今回のWBCの意外性、瞠目、熱狂はドラマどころではなく、事実は小説より奇なり(truth is stranger than fiction)とでもいうような顛末であった。アメリカの大リーグチームは準決勝さえ進めなかったが、それでもアメリカの新聞、ジャーナリズムでさえこのWBCは非常な成功だったと評し、NYタイムズは「日本のYakyu、そして決勝戦はなんと素晴らしかったことか」と社説で讃えた。それは野球というアメリカ中心の少数国スポーツで、オリンピックにかろうじてひっかかる程度のマイナー競技がほぼ世界的に注目されたことである。

 一体何故野球は世界的に普及しないのか。
 それはなによりも大リーグの利己主義、自己中心主義である。

 そもそもWBC大会の開催がかくも遅れたのはアメリカとしては野球をサッカーのように世界に広めたい気持ちはあるものの、大リーグはその人気、収益が絶対に衰退してはならないという基本的前提があるので、その制約された範囲内で行うとなるとどうしても他の国との調整が難しくなるからだ。しかし、サッカーには、ワールドカップがあっても欧州や日本のサッカーリーグの人気が下がることはなく、逆に、むしろ各国のレベルを技術的にも興行的にも引き上げているといえる。ところが、大リーグはそれ以上に別の問題も抱えており、それが今回の結果にも露呈したともいえる。

 まず、今の大リーグの主力選手は純粋のアメリカ人よりもドミニカ、プエルトリコ、キューバ、パナマ等の南米選手が圧倒的に多く、その上にカナダ、豪州、日本、韓国等の選手も増えつつある。つまり国別対抗にすると純粋なアメリカ人チームは勝てない恐れがあることが最初から分かっている問題があった。最も、特に強いと思われていた国は、大リーグの4番打者や投手がひしめくドミニカやプエルトリコであり日本や韓国がこれほど躍進するとは夢にも思っていなかったであろうが。

 次のドーピング問題はもっと深刻でやっかいである。 大リーグも今は当然ドーピング検査は行っているが、WBCやオリンピックのドーピング検査の方がははるかに厳しく、多くの大リーガーが引っかかる可能性がある。 このためか多くの有名選手が早々に出場を辞退したが、ボンドも直前に辞退したのはヒザの故障というよりも、WBCのドーピング検査を恐れたためとも考えられる。こういう裏事情が大リーグがなかなかWBC開催に同意できなかった本当の理由ともいわれている。開催日の調整や試合システムのあり方も問題はこういう本当の問題を隠す隠れミノであったのかもしれない。

 いずれにせよ大リーグもとうとう押し切られて今回開催するに至ったが、開催時期、試合方式、審判等の全てのシステムは大リーグの都合を中心に開催される事になった。まず、参加する国々をどのようにグループ分けしてアメリカをどこのグループに入れるべきかである。 ドミニカや恐るべきキューバとは最後まで当たりたくない。 こうして北アメリカ、アジア、中米、南米中心の4つのグループに大別され、アメリカはアジアリーグ側で、準決勝まで争い、決勝はドミニカ等の中南米グループの勝者となる予定であった。勿論、実力から言えばやはりアメリカチームは優勝候補の筆頭であった事は間違いなく、ペナントレースのような長期戦ならそう問題ないだろうが、こうした短期決戦は何が起こるかわからない。運や勢いが大きく左右する。

 その上、勝って当たり前だと余計にプレッシャーがかかるからやりにくい。そうしてそれらの杞憂の全てがアメリカのみならず他の野球王国にも起こったのが今回のWBCだった。

 まず恐るべき躍進をしたのが韓国である。日本やアメリカがいるリーグでは負けて当たり前だったからプレッシャーも何もない。しかも大リーグ選手は7人もおり、日本の2人(イチロー、大塚)よりはるかに多く、数だけからいえば大リーグ級といえないことはない(但し、野手の大リーガーは少なく、攻勢力は弱いが)。
 韓国は一次リーグは日本に2対1で辛勝すると乗りに乗りまくり始めた。年間56本のホームランを打って、鳴り物入りで日本のプロ野球に入ったが全く打てなかった李選手がボカスカホームランを打ち始めたのだ。しかも7試合全てでエラーが1つもなかったのは韓国だけである。 こういう緊迫した雰囲気の試合ではエラーがつきもので、日本はエラーをきっかけにして韓国に2度敗れた。
 韓国はファインプレーの連続で、日本の打球はことごとく韓国の野手の正面に飛んだ。韓国はツキ物が付いた様に勢い付き始めた。こういう状態になると誰も手が付けられない。アメリカでさえ7対3という大差で敗れたのだ。 勿論、アメリカは負けられないという大変なプレッシャーがあり、初戦をカナダに敗れ、対日本戦は審判のミスで勝ちが転がり込んだようなものだから完全に萎縮していた。 しかし、韓国の唯一のミスはそれが実力だと過信し始めたことである。

 日韓の準決勝は正に異様な雰囲気だった。
 球場のほとんどは韓国ファンである。

 7回までゼロゼロの一見投手戦だったが実際は日本の方がかなり優勢だった。しかし、とにかく日本の打球は相変わらず全て韓国選手の正面をついていた。これは決して運が悪かっただけではない。
 日本選手もアメリカ選手と同様に緊張しすぎていたため打球にもう1つの伸びがなく、そもそも若干中途半端な打球というものは野手の間を抜けないのだ。手首や肩が緊張で硬過ぎて、返しが遅くなるからだろう。イチローだけは例外で、バント、盗塁と自在に活躍したが、後が続かなかった。しかし、韓国の方は上原の絶妙な制球にとにかく手も足も出なかった。 つまりゼロゼロではあったがかなり力の差は見えていたのである。しかし、チャンスがあっても物にできないと1、2戦で1点差で敗れたと同じで必ずしっぺ返しが来る。
 私はテレビで観戦していたがとてもビールを飲む気持ちにはなれなかった。それを救ったのは上原の気迫の投球、イチローの執念、そして小笠原の超ファインプレーであったのだろう。7回に韓国は救援に切り札の金投手が出てきた。彼は下手投げたが、球速150キロを出す本格派である。 しかし本格派だけにスピードはあるものの制球ミスもあるピッチャーだ。彼は大リーグのプレーオフやワールドシリーズで決定的なホームランを何本も打たれ、ボストンレッドソックスを首になった投手だ。それでも、彼は今回のWBCではそれまで非常に良い救援をしていた。 しかし、絶不調だった代打福留はど真ん中に近い失投をあっという間に2ラン・ホームランを打った。

 テレビでは数年前のプレーオフやワールドシリーズで、金投手がホームランをビデオで見せて、「金、やはり救援失敗!」と叫んでいた。アメリカのメディアはこういう情報を実に準備周到に用意してあり、タイミング良く再現するので韓国や金投手には酷であったろう。
 この一打で日韓の緊張感とツキは完全一変した。 日本は畳み掛けるように打ち始めたが、あわやホームランというエンタイトル・ソーベスになった里崎が打った球は右打者のインコースに食い込む決して易しい球ではなかった。それまでの日本であれば完全にツマるか、せいぜい野手の正面をついていたろう。外野手をあっという間に超える打球になったのはやはりリラックスして手首や肩が回るようになったおかげだ。韓国ファンから罵声を浴びていたイチローは芸術的流し打ちを見せてダメ押しの打点を上げた。
 この辺から私はやっとビールを飲めるようになった。ところが雨が降り始めて試合は40分中断した。まだ韓国にツキがある、と感じたのは私だけでないだろう。再開されて韓国がランナーを出したところで、日本は8回から大リーガーの大塚が出てピシャリと押さえた。

 韓国は6対0で敗れ去ったが、エラーそのものはなかったものの、金投手のあの一球で日韓の立場が完全に変わったのである。逆に言うと韓国の強さとはそもそもその程度なのである。ところが、後韓国は、6勝1敗で決勝へ行けず、日本は4勝3敗で決勝にいけたのはおかしいとさえ言い始めた。しかし、日韓の得点差でみれば3試合で日本の10-6(1対2、3対4、6対0)で圧倒的に日本が勝っているのである。こういう短期トーナメントでは数字の魔術はいくらでも出てくる。その一部だけ取り出して問題だとか、不公平だと騒ぐのは負け惜しみであり、精神的に未熟に過ぎないだけなのだ(私もイチローと同じように在米韓国人に非難されるかもしれないが)。

 こうして決勝に進んだ日本は肩の力が抜け、初回に4点を入れ、キューバにも圧勝した。 私も最初からビールを飲めた。 それでも8回に6対5まで追いつかれ、信じられないエラーが続出し、ムードは完全に逆転負けのパターンだった。それを救ったのはやはりイチローだった。 ランナー、1、2塁で一球目を1、2塁間に打ち、一瞬ゲッツーと思ったが、2塁手はほとんど動けずどうやら自信を持って野手の間を狙って抜いていった計算した打球であったようだ。

 逆転負け寸前の空気ほど重いものはないが、そこを計算してヒットを打てるのはイチローならではなのだろう。 こうしてリードを点差に広げると日本はずっと楽になり、結局9回表に4点入れ10対6になって、最後は日韓戦と同様にパドレスの大塚がまたまた締めた。 つまり、日本は確かに世界一になったがやはりイチローと大塚という大リーガーが締めていたともいえる。
 キューバは決勝で敗れたがその後のキューバ本国の反応は実にさわやかなものだった。カストロ首相は帰国したキューバチームを空港まで出迎え「キューバ全国民がテレビで見ていたので電力が吹っ飛ぶかと思ったよ。日本は素晴らしいチームだがキューバの選手アマチュア選手でよくあそこまで戦った」と言いキューバチームに叱咤したり、日本のスモール・ボール野球を非難する事はおくびにも言わなかった。これこそ立派なスポーツ精神である。
 キューバ選手は国が手厚く保護しているので本当にアマチュアかという疑問はあるが、勝った相手に嫌味を言わない心意気は立派というしかない。あれだけ期待されて敗れたアメリカでさえ驚異的躍進を遂げた韓国や優勝した日本を褒めこそすれ、けなしたり、言い訳を言ったりしてはいない。NYタイムズは社説で「この熱狂で我々は野球への愛を再発見することになるかもしれない」と述べた。唯一、ヤンキースのロドリゲス選手が「彼らはテレビで見て我々のプレーを良く知っているが、我々は彼らのプレーを全く知らないからハンデがある」と言っていたのは言い訳ではなく、本音だろう。

 それにしてもこのWBCは当然勝てると言われたチームがほとんど敗れた。 アメリカが対韓国、メキシコ戦で、日本が最初の2回の対韓国戦で、大リーガーの4番打者を集めたドミニカが対キューバ戦で・・・。
 これは国対抗、そして数試合しかない短期決戦というWBCそしてオリンピック方式のせいだろう。そしてそのため野球を今までとは全く異なるレベルのゲームに、そしてドラマに仕上げていたということは野球にとって何よりのギフトであったと言えるのではないか。次の2009年までにはアメリカもドーピング問題を一掃させるので本気になって取り組むのに違いない。早くも次のWBC大会が楽しみであるが、これが4年後でなく3年後の2009年になったのも大リーグの都合である。