第21回 イノベーティブな政策を!


 NHKに「プロフェッショナル」という番組がありますが、私が注目しているのは、毎回ゲストが「あなたにとって、プロフェッショナルとは?」という問いに答える場面です。皆さん、自分自身を「活動」という側面から再考し、その上でクールに自分のあり方をたんたんと語られます。あるプロフェッショナルに固有な仕事の流儀を知るというよりも、分野横断的な人生観がにじみ出てくるところに面白みがあります。またおごること無く、まい進している中にあっても、どこかで自分を客観的に見る目を持っているところにも共通点を見出すことができます。余談ですが、これは、社会学の学生にとって打ってつけの研究のネタになると思います。

 皆様のまわりにも様々なプロフェッショナルがいると思いますが、私の心に刻まれているプロフェッショナルは祖父でしょうか。天皇の料理番、秋山徳蔵の元で修業し、フランス菓子に魅せられ、その道を極めるべく、突っ走ったという、生粋な職人です。私が幼かったころの記憶をたどると、菓子屋のアリーナである工場で若い人たちに厳しく基本を叩き込んでいた姿、新しい菓子の開発に、まさに「実験」をくりかえしていた姿(私はもっぱら「実験台」=試食係でしたが)、粘土を手に、菓子を盛りつける食器のデザインに没頭していた姿、ビスケット用の缶を彩る真紅のバラの写真を極めるべく、カメラを手にバラのつぼみの開き具合をじっとにらんでいた姿、などが脳裏に浮かびます。菓子製造のみならず、今風に言えば、「総合デザイン」まで自ら手がけていたのです。旺盛な吸収力をばねに、感性を研ぎ澄まし、「これ!」と感じるものに突進するという行動原理ですが、そこには、専門性を深める力と、竜巻のようにまわりを巻き込む力が同時に働いていたのです。またそこに火をつけたのが、彼のポテンシャルを見抜き、フランスに修行に行かせた東洋軒の伊藤耕之進さんでした。秋山さんのところで修行したあと、東洋軒に移り、そこでご主人の伊藤さんが ポケットマネーでフランスに行かせてくださったそうです。

 当時、祖父のやっていることを目の当たりにして「面白そう!」とだけ思っていましたが、振り返ってみて「これぞまさしくプロフェッショナル!」と納得している私です。職人がいただけでは商売にならないことは、皆様、特に中小企業振興を担当なさっている方々は日々実感されていることだと思いますが、祖父のフランス菓子フィーバーのウイルスに感染されたのが祖母で、彼女の「商才」が企業としての成長を可能にしたというストーリーがこの背景にあります。こちらも今風に言えば、「ベンチャー企業におけるCTOとCEOのパートナーシップ」となるわけですが、この辺の話は長くなるのでまたの機会にして、本題に少し近づくことにいたしましょう。

 まずは心の準備ですが、祖父のプロフェッショナルたるやの話をお読みになって、何かを思い出しませんか?ヒントは、第18回の「『イノベーティブなひと』とは?」(*iにあります。「プロフェッショナルである前提条件はイノベーティブであること」という仮説が導き出されますが、こちらもかなり面白い論文のテーマになりそうです。次に、この仮説を心の隅に置いて、目をフランス菓子からイノベーション政策に移していただきます。そこで登場するのが「政策作りのプロフェッショナルとは?」という課題です。昨今、政策策定プロセスに民間人もかなり関与するようになってきました。また決議権を持つのは国会であり、そしてその構成メンバーである国会議員を選出するのは国民の一人一人であるわけで、よって民主国家においては、最後の審判は国民ということになります。しかしながら、政策作りを主たる仕事(プロフェッション)としているのは、いわゆる「官僚」ですので、ここでは、彼らにフォーカスすることにいたします。

 官僚に与えられたミッションとは、一言で言えば「国民の厚生の最適化」となりますが、現実には、この単純明快さとは裏腹に、複雑怪奇な状況の中で立案能力が試されることになります。この複雑性はどこから来るのかと言うと、まず、目的関数である「国民の厚生」をどのように定義するのか、という問題があります。「国民」と言っても、「標準的」な国民はどこにも存在しないわけで、何をもって「国民の総意」とするか、「公平」をどのような形で表現するか、といった規範的な世界にも足を踏み入れることになります。ここから生じる複雑性が一つ。次に、なんらかの政策課題が与えられた場合でも、政策立案のプロセスに関与するアクターの数は増す一方で、それと同時に直面する課題そのものも複数の政策分野にまたがることが多くなっています。更にそれに輪をかけるように、最適化のプログラムも静的なものから、時間的な変化も考慮に入れた動的なものへと移行しています。

 昔は、限られた数のパラメーターを所与のものとして一つの目的関数を最適化し、自らがコントロールできる変数の最適解を導き出せば良かったわけですが、今日に至っては、パラメーターの数は増えるわ、もろもろの変数は時間と供に変化するわ、またかつては独立していた変数の間に従属性が出てくるわ、といった具合です。しかも、制約条件は増える一方、手持ちの政策手段としては伝統的な予算獲得がメインであることに変わりが無いという状況にあるわけで、「達磨さん」(*iiとでも申しましょうか、なかなか身動きが取れない。残された手としては、全体最適化の問題はちょっと横に置き、自らが守備範囲とする政策課題の一部を取り出し、その部分最適化を試みる、あるいは、政策の方向性は所与のものとし、自らの調整機能を発揮し、実効性のある施策へと翻訳する、といったものが考えられます。どちらも行動原理としては安定的均衡になりそうですが、「プロフェッショナル」の域に達するには、もう一味欲しいところで、そこに登場するのが、森下さんのおっしゃる「イノベーティブな『志』」(*iiiを持つ官僚となります。

 科学技術のみならず、ライフスタイル、世代間・地域間・国際間における富の配分・力のバランス、価値体系、など社会は刻々と変化しています。その流れの中で、一つの国としてのアイデンティティ、豊かさ、寛容性、秩序を保ちながらも、イノベーティブな試みを原動力として進化すべく、世界の国々がチャレンジしています。「日本の針路は?」と考えた時、欠かすことのできないのが、「イノベーティブな官僚」であり、彼らが仕掛けるであろう「イノベーティブな政策」なのです。いずれにせよ「初めの一歩」を踏みだすことが肝心なので、まずは、産学官の有志が連携して具体的なアクションを取りませんか?もちろん、楽しむことと、失敗から学ぶスタンスも忘れずに。


*i. http://dndi.jp/07-harayama/hara_18.php参照。

*ii.「達磨さん」の比喩は先日別件でおしゃべりをした方のアイデアを拝借しました!
*iii.http://dndi.jp/09-morishita/morishita_13.php