第6回 我が国大学による産業イノベーションの創出
国内大学は、戦後の産業イノベーションからの疎外状況と停滞期からようやく離脱し、再び我が国新産業創出の拠点となるべく<技術シーズの発信地>となる自覚が次第に生まれつつある。だが、国民は、大学に対して産業イノベーション分野における<世界的な競争力>を渇望している。大学は研究成果を論文として公表すれば自己責任は果たされると信じ、国民は素直に<産業イノベーション>の実現・トリガー(引き金)を大学に期待している。まさに、この矛盾を解決するために国立大学は法人化された。
大学による産業イノベーションの創出といった分野で、我が国大学は国際的にはどのような位置・水準にあるのであろうか? 筆者は、文部科学省からの委託研究としてこのテーマに取り組み、『大学発知財の商業化戦略』(H17年3月小樽商科大学CBC編)という報告書を先頃まとめた。詳しくはそちらを参照されたいが、結論としては、英・仏の大学では<商業化>が日本同様始まったばかりであり、独では大学外の地域支援組織化と実務において優れ、米・カナダとは20年の格差が存在する。
米国の私立大学・州立大学、そしてカナダの州立大学では、知財化と共同研究先の企業探し、技術移転と事業化、利益責務相反の回避など、大学発知財の商業化に伴うすべての課題を一人またはチームで全て取り仕切れる「ライセンス・アソシエイト」が大活躍している。彼らは、職業的プロフェッショナルとして内部養成され、後にVCキャピタリストや、インキュベーション・ハイテクベンチャーのCEO/CFOとして転出する例も多い。ところが、こうした知財商業化のプロが我が国大学にはほとんど存在せず、やっとそうした志向のMOT教育プログラムが手探りで始まったばかりである。
文部科学省の発表データによると、国際的なジャーナルでの発表論文数や被論文引用件数において、旧帝大を中心とする我が国大学が世界上位に東大・京大・東北大・阪大など数校入っているという。一体、国内大学における<商業化における貧弱な体制>と<学術分野における健闘>の対照は、どこに由来するのであろうか?
筆者は、その問題が学術レベルの格差ではなく、大学経営における<ミッション不在>と、産業界のアカデミズムに対する<リスペクト不在>にあるのではないか、と仮説する。例えばミッション不在に関して、戦前・戦中の帝国陸海軍の不仲が有名(ノトリアス)であるように、日本人は同じミッションのために異なる組織同士が一心同体となることが大変不得手である。それどころか、同じ組織内(官庁・会社・大学)においても、部局が変わるとそれぞれが既得権益を主張して、結局ミッション不在の折衷・妥協案のみが残り、あとには調整能力にたけても実務専門能力の乏しい人間だけがリーダーとして残ってしまう。これが大学内の教授会主導型組織において展開されるとさらに顕在化し、知財商業化のプロとしてのライセンス・アソシエイトの活躍場と地位は矮小化されてしまう。
また、リスペクト不在に関して以下の点が指摘される。敗戦直後のGHQ(占領軍総司令部)命令により、全国各地に設置された地方国立大学理工系やその後の国立高専からの豊富なエンジニア供給があったからこそ、日本の産業界が戦後国際社会で圧倒的な技術優位に立てたことをわきまえている国内企業経営者はどれほどいるだろう。さらに、自社の研究開発投資1000−2000億円台のグローバル企業が、米国の大学に1−2億円規模の研究委託を行う一方、国内の大学には年間100−200万円程度の奨学寄付金で済ましてきたことを疑問視する研究開発責任者はどれほどいるだろう。
例えば、欧米の製薬企業では、何年にも及ぶ新薬開発の基礎研究で国内外のどこかの大学に先を越されたと知るやいなや、大学からの知財導入ないし共同研究開始の引き替えと同時に社内当該研究部門が廃止(リストラ)されるという。筆者は、こうした経営手法が日本的経営になじむものではないと信ずるが、国内の大学・企業ともにイノベーションのグローバル競争に全面的に巻き込まれていることは、動かし難い事実である。
それゆえ、我が国大学が産業イノベーションの拠点となり産業競争力の守護神たるためには、大学と産業界の一層緊密な連携が欠かせない。そのためには、大学と産業界を結ぶ知財商業化を担うプロの<ライセンス・アソシエイト>が不可欠だが、そもそもこうしたプロを尊重し育てるためには、大学発の産業イノベーション創造というミッションが大学経営にビルトインされる必要があろう。さらに、我が国産業界は、自国のアカデミズムの伝統と人材育成の拠点である大学に対し、謙虚な尊敬心をもって物心両面にわたる援助を開始することが重要だ。こうした<大学内における産業イノベーション創出のためのミッション経営>と<産業界による国内大学への強力支援>の両輪があってこそ、素晴らしい人材と研究そして産業イノベーションが我が国大学から続々と生まれる。
筆者は、20数年前に大学卒業を延期して渡英し、夢にまで見たグラスゴー大学とクライド川周辺のドック廃墟を目にしたときの衝撃を、人生で忘れ得ない。造船所は消えていた。日本やドイツとの国際競争に敗れ、同地の造船業は壊滅した。かつて、ジェームズワットを育てたグラスゴー大学の停滞と世界のドックとまで呼ばれたグラスゴー造船業の衰退は、軌を一にしていたのだった。
参考文献 『大学発知財の商業化戦略』
http://www.otaru-uc.ac.jp/cbc/sub5.htm
|