第1回 大学発ベンチャー



 我が国で大学発ベンチャーの重要性が一般的に認識されたのは、おおむね2001年6月の「平沼プラン」による大学発ベンチャー1000社構想からと考えて間違いないだろう。爾来、我が大学こそは・・・という感じで、多くの理工系国立大学と一部私立大学におけるベンチャー設立機運は一気に高まった。筆者も、2000年以降の国立大教員による役員兼業を前提とする第1号ベンチャーの設立に始まり計11社におよぶ設立に深く関わってきたが、過去5年あまりの経験をわずかでも振り返るべき時が来たようだ。

 「大学発ベンチャー」という現象は、その無数の試行錯誤と失敗例を含めて、実に実り豊かな経験を大学人および我が国にもたらした。第一に、我が国歴史上初めて、大学が富を直接生産する当事者になる経験をもったことだ。その結果、大学人は、1997年以降の経済大混乱にあった日本経済に対し、テクノロジーに裏付けられたアントレプレナーシップ(起業家精神)の発揚を体現し、少数ながら地域の新規雇用創出に成功した。

 第二に、大学発ベンチャーに対するVC直接投資によって、東京から地方への民間資金還流がわずかながらも実現したことである。というのは、我々が振り込む保険・預貯金・株式等の資金が日々東京・金融機関本店へと流れる我が国の金融システムでは、地方への資金還流は従来、公共事業と国庫補助・交付金による中央から地方への財政支出によって支えられてきた。だが、地方に確固たるIPOベンチャーが出現によって、わずかながらも民間資金の地方還流が実現した。この流れは、地方におけるVCファンドの設立によってさらに加速している。

 第三に、地方の理工系国立大学は、地域貢献とは何たるかを初めて自己学習できたことだ。従来、国立大学教官(今は教員と呼ぶ) は、国から送られてくる決して減額されることのない永遠の<予算>を年度内に完全消費して、世界を相手にする学問を<探究>する場としてのみ、自らの国立大学を位置づけてきた。だが、税金を投入する国民とは生身の企業と従業員、自営業者なのだ。こうした企業・人々に対して、大学は従来の教育と研究に加えて<地域の新産業創出>を通じた具体的貢献が可能であることを実証した。

 このように、大学発ベンチャーは、大学人と地域社会の双方に対して大学の存在意義を鮮明にアピールできたし、太平洋戦争敗北後に絶えて久しかった社会イノベーションの新たなエンジンとなりうることを証明した。しかしながら、本当にそれでハッピーなのかといえば、話はそれほど単純ではない。私立大学を含めた我が国大学における知財の保護と活用のための人材および資金の不足は、米国に比して絶望的な状況にある。また、たとえ大学発ベンチャーが設立されても、IPOまで牽引できる有能な経営人材はほとんど存在しない。なぜならば、知財管理でも企業経営でも、それにふさわしい資質と能力を有する人材は一部大企業に集中し過ぎており、かつ彼らは激烈な社内外競争の最中にあって消耗戦を日々強いられているからだ。

 それゆえ、大学がなし得る次なる仕事は、大企業にひしめく有為なる中高年人材の受け入れと、彼らの雇用創出にある。そのためには、「教授ポスト一つをどうするか」といった次元とは決別する<ライセンスアソシエイト>、<知財本部運営>、<大学経営管理>といった仕事に、次々と民間企業からの有為なる人材登用を大胆に進めるべき時代に大学は入っているのだ。大学発ベンチャーにおける試行錯誤が、大学人に時代の要請と期待を正覚させる大きな契機となったことは間違いない。