第1回 クラスターの形成とバブル崩壊


●はじめに

 子供の頃からエレキ少年だったこともあり、シリコンバレーにはずいぶん前から関心を持っていた。たまたま、92年から1年間ロサンゼルスの南カリフォルニア大学でお世話になった先生が技術移転の専門家で、ゼロックスPARC(パロアルト研究所)で生まれた技術がシリコンバレーの様々な企業に伝播していく状況を調査したことがあり、この地域には何度も足を運んだ。元エレキ少年としては、行く先々で目にする会社のロゴを目にするだけで心弾む思いがした。

 今振り返ると92年という年は、モザイクブラウザーが登場してインターネットが一般に広がる寸前で、シリコンバレーは不況の中にあった。ちなみに、今回JETROサンフランシスコに駐在員として着任したのがバブル崩壊直後の2001年夏、よくよく不景気のシリコンバレーに縁があるのだろう。

 私が日本にいる間、シリコンバレーはインターネット景気に湧いた。シリコンバレーに関する各種出版物が書店に溢れ、インターネット技術のみならず、地域クラスター、産学連携、ベンチャーキャピタル、ビジネスインキュベータなど、およそあらゆる観点からシリコンバレーを礼讃する論調一色になったといっても過言ではない。

 ところが、実際にシリコンバレーに来て、ここに長く暮らし、ブームとバストと見てきた人達に接するうちに、日本で語られていたシリコンバレーが全てではないように思えてきた。むろん、好況時と不況時では見る視点も、見えてくるものも変わるの。本稿では、このようなバブル後の少しく冷めた視点で見たシリコンバレーをご紹介しつつ、逆にその中から学ぶべき本質を考えてみたい。

●シリコンバレーとは

 良く知られているように、地図上にシリコンバレーという地名はない。行政区分ではサンタクララ郡のほぼ全域、サンマテオ郡の南部、アラメダ郡の一部を称してシリコンバレーと呼ばれる。したがって、シリコンバレーを定量的に捉えることは非常に難しい。企業数、起業・廃業動向、雇用・失業、不動産の状況などを正確に把握することは困難で、多くの場合はサンタクララ郡の統計で代用することになる。

 日本からの訪問客を案内するのに一番困るのは、「シリコンバレー」を見たいと言われることだ。実際にシリコンバレーに立ってみると、少なくとも「谷」という印象はない。バレーを構成する二つの山地は50キロ以上離れているので、日本的には「盆地」に見える。また、ハイテク企業が集積していると言っても、日本的な工業団地のイメージではなく、南北60キロ、東西30キロほどの地域に無数の企業が分散している。シリコンバレーは既に地理的な名称から、ある種の社会的生態系のブランドになっていると言えよう。

 同じように、日本のハコモノ行政にありがちな「中核施設」もない。歴史的、また人脈の結節点という面でスタンフォード大学は重要だが、それとて教育や研究という大学本来の役割を必死で果たしているのであり、結果として地域の求心力となっていると見るべきだと考えている。

●発展の歴史

 クラスターとしてのシリコンバレーの形成には色々な要素が指摘されているが、その初期段階では、人材と技術の供給源としてのスタンフォード大学と、ハイテク製品の調達先としてのNASAのエイムズ研究所など政府機関が果たした役割が大きい。

 一般的にクラスターの形成に当たっては、ボストン周辺のように大学の集積を中心に発展したもの、テキサス州オースチンのように大学に加えて地域政策が成功したもの、大企業を中心にして発達した企業城下町型などがあると言われるが、いずれの地域を訪問しても産業の集積と生活文化空間としての「まち」が共生的に発展してきていることが分かる。

 オースチンにしてもシリコンバレーにしても、その地域の大学を卒業した人材が引き続きその土地に暮らしたくなるような都市機能が存在していることは非常に重要だ。さらに、シリコンバレーの場合には、冬でも氷点下になることはほとんどなく、夏でも乾燥して過ごしやすく、さらには海岸や国立公園にも比較的近いという生活の豊かさが古くから人を惹き付け、多様な人が集まるから新たなビジネスチャンスも生まれるという好循環が起こってきたことは間違いない。

 次回以降、シリコンバレーを支える大学、ベンチャーキャピタル、インキュベータ、各種コミュニティ等について触れていくつもりだが、これらは多分に結果として集積している面があり、これらのインフラを人為的に揃えればシリコンバレーが作れるわけではないだろう。

●シリコンバレーの抱える問題

 2003年後半になって米国の企業業績は著しく改善し、増益を報告する企業が相次いだ。しかし一方で、バブル崩壊後失われた雇用は回復していない。サンタクララ郡の雇用は、ピーク2001年の98万人から、2003年末には85万人にまで減少しており、1996年以前の水準になってしまった。

 H1ビザで入国し、就業していた外国人技術者のかなりの部分が帰国したと言われる。IT化により企業の労働生産性が向上していること、インターネットインフラの整備により地球上のどこにいても同じように企業活動が可能になっていること等が原因として指摘されている。端的には、途上国へのアウトソーシングによって、プログラマ、ソフトエンジニアの職が移転し、さらに会計事務所や法律事務所なども高い教育を受けた海外の労働力を積極的に使うようになっている。このような変化は、循環的と言うよりは多分に構造的なものであろう。

 一方で、バブル期に上昇したシリコンバレーの不動産価格は高止まりしており、いまだに生活物価は非常に高い。加えて厳しいカリフォルニアの労働法によって、企業が従業員を雇用する際の人件費は非常に高いものになる。環境規制も厳しく、今後シリコンバレーで雇用を増やすことは、企業にとっては厳しい選択となってくるだろう。

 もちろん異業種を含めた濃密なネットワーク、豊富なインフラ、多様なビジネスチャンスは大きな魅力であり、ベンチャー企業がスタートするには引き続き優れた地域であるとしても、持続的に企業を成長させていく環境としては有利性を失いつつある。
 シリコンバレーが、「東京化」している。