第1回 再生医療は培養皮膚からはじまった


 今日では再生医療という言葉を知らないひとは少ない。毎日のようにこの言葉を見聞きするようになって久しいが、そもそも再生医療とはいつどういう形ではじまったのだろうか。21世紀型テーラーメイド医療の代表であり、新世紀の最有力バイオ産業の核になると考えられている再生医療の始まりを解説することからこの連続コラムをはじめたい。

 1983年デンバー市の子供病院に2名の少年がはこびこまれてきた。
二人はともに全身の97%におよぶ大火傷をおっていた。二人の少年はワイオミング州の田舎町にすむ6歳と5歳の兄弟で、近所に住む6歳の少年とともに、互いの体にペンキを塗りあって遊んでいたのである。かれらはペンキを洗い流すためにガソリンを使うことをおもいついたが、ここで悲劇がおこった。ガソリンにマッチの火が引火し、たちまち全身は炎につつまれ、近所の少年はまもなく息をひきとった。
 こうした、90%を超える熱傷は現代でも救命は難しく、当時の医療技術では助かる可能性はゼロといってよかった。兄弟の担当医は、苦慮した挙句、当時話題になり始めていた「培養皮膚」による治療を受けさせることを決断する。


▲少年から採取された増殖の元になる皮膚

 ボストン中心部にあるシュライナー熱傷病院に移送された少年たちのわきの下残る2平方センチの皮膚片が採取された。採取された皮膚片はただちにマサチューセッツ工科大学のハワード・グリーン研究室に運ばれ培養皮膚の作製が開始された(写真上)。熱傷の治療は時間との戦いである。培養皮膚が完成するまでに、感染が起きればこどもの命は危機にさらされる。できるだけ早く培養皮膚が完成するよう、昼夜を分かたぬ作業がつづいたことだろう。そして培養皮膚の7回にもわたる移植手術をへて入院20日後に、子供たちの命は救われたのである。

 この一連の培養皮膚の移植手術は1985年のニューイングランド医学誌に、二人の担当医であったオコーナー博士とガリコ博士によって報告され、同時にテレビ、ラジオの報道機関に大々的に報じられたのである。これが今日の再生医療の幕開けとなる事件になったのである。


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