室蘭工業大学 応用化学科助手の藤井克彦氏が、現在
進めているベンチャー設立までの軌跡をリポートしま
す。本人自らがつづる、臨場感あふれる体験談です。

【Vol.6】

なんと、興味をもつ起業が3社も!

平成14年9月某日


 小樽商科大学CBCの某先生(本人の希望により名前は伏せる)から連絡をもらった。何でも、来年(平成15年)からの施行を目標に、会社設立の際の資本金準備を5年間猶予する法案が国会でもうすぐ通過予定なのだそうだ。

雪景色の室蘭工業大学。藤井氏は北海道に来てまだ1年だ
 今日は室蘭市の方々との話合いの日である。場所は室蘭テクノセンター(室蘭・伊達・登別エリアの中小企業の支援をする)という場所である。小さな応接室のような部屋に通された。山田進・企画財政部長、小林教章・新産業支援主幹、矢島清孝・工業振興課長、そして手塚満紀・室蘭テクノセンター専務理事が対応してくれた。名刺交換の後、早速本題に入った。

 これまでの研究内容とベンチャー計画を書いた簡単な資料を配り、説明を始めた。要所要所で質問が入ったが、さすが財政のプロ達だけあってビジネスとしての成立可能性についてかなり突っ込んだ議論になった。特に手塚専務の質問&眼光がマシンガンのように鋭く、『俺は頭からガブっと食われるのだろうか』という不安を少し覚えた。

 彼の名刺には笑顔でピースをしている本人の絵が印刷されているが、そんな穏やかな笑顔はどこにもなかった。ビジネスとしての成立可能性については確かに疑問が多く残る。

 何よりも環境ホルモン分解菌を使った環境浄化ビジネスがまだ前例がない。また、確かに環境ホルモン問題は重要であり、何とかして手立てを打たねばならない、そのために分解菌は有効かも知れない、でも環境ホルモンの使用、環境排出についての法整備がなされていない今がベンチャー設立の時機なのか。

 確かにそうだ。日本の環境ホルモン対策は間違いなく欧米に比べて大きく出遅れている。ノニルフェノールについてもその環境ホルモン作用は10年以上も前に米国の大学から報告され、EUでは2000年を目途に使用制限や禁止をかけている国々が多いにも関わらず、我国の環境省はまだ法的規制をかけようとしない。何故なのだろうか?

 しかし市政に携わり、新規産業創生による室蘭発展を願っている彼らは、研究内容、『環境』をキーワードとしていること(室蘭市は環境産業の発展を目指している)、これまで鉄鋼の街には縁の薄かったバイオ分野でもあること、等から成功したらすごく面白いと強い関心を持って聞いてくれたことは大変嬉しかった。今日説明&議論した内容を基にしてベンチャー設立計画に興味を持つような企業を探してみると約束してくれた。

 その後はベンチャーからは外れてちょっと雑談。室蘭に来て何年目?室蘭の冬はどう?歳いくつ?といった感じで室蘭の外から赴任してきた私の話題で盛り上がった。驚いたことにこのような雑談タイムになるとあの手塚専務が元気になった。まさに名刺に印刷された破顔一笑の笑顔そのもので、一番ノリが良かった。

手塚専務『え、何?まだ結婚してない?何で結婚しないの?』
山田部長『手塚さん、あんたの娘、今年いくつだっけ?』
手塚専務『確か22だったかな?うちの娘やろうか?』
::手塚専務からの有り難いご提案は丁重にお断りした。

9月某日

 な、な、なんとベンチャー計画に興味を持つ企業(の社長)が見つかったらしい。それも3社もである。道南清掃株式会社、東海建設株式会社、株式会社メイセイエンジニアリング、いずれも室蘭に本拠を置いて業績を伸ばしている会社である。

 そこで企業の方々にベンチャーの話を聞いてもらえる場(仮称:勉強会)を室蘭テクノセンターに設けるので日程調整したいとの連絡が手塚専務理事から入った。。


▲「『助手』という呼称は何とかならない
だろうか?」と問いかける藤井氏
9月某日

 勉強会当日。企業サイドからは齊藤崇・道南清掃社長、中田孔幸・東海建設社長、西潟勝・メイセイエンジニアリング専務の3人、室蘭テクノセンターから手塚満紀専務理事、豊岡知・企業支援室長、相馬英明ビジネスコーディネーター、そして室蘭工大からは私と、企業の方々との話し合いが上手い(企業経験有りの)菊池教授。

 まず手塚専務理事からこれまでの経過報告を行い、次に私が具体的な研究内容とベンチャー計画の概要を説明した。そしてその後に菊池教授が大学ベンチャーの概要、現状、必要性について企業相手に喋ってくれたが、特にこういう政治的な(ちょっと大袈裟か)話はそこそこ歳も取ってて、いい具合に貫禄も出ていて、偶然にも今年は学科長という肩書きも付いている菊池教授が喋ったほうが何となく話に信頼性が出てくるので、一緒に来てもらって本当に良かったと思う。

 初対面の事務方に時々学生と勘違いされてぞんざいに扱われている私だと社長達を納得させられなかったかも知れない。

 そう言えば、少し話が脱線して恐縮だが、私の職種でもある『助手』という呼称、これ何とかならないだろうか?分かってくれている人は良いが、大学とあまり関係を持っておられない方々の中には『助手=お手伝いさん』と勘違いする方がおり、大変悲しい。

 私の大学院時代の恩師のエピソードがある。恩師がまだ若手の助手の頃、他の家庭と同じように娘から『お父さんはどんなお仕事してるの?』と聞かれたので『大学の先生しているよ』と答えたそうだ。

 これだけならば何の変哲もない父娘の会話であるが、これからジワジワと悲劇が始まるのである。会社員の子供が『お父さんは社長?。。。専務?それとも部長?じゃあ、課長なの?係長?』と詳しく聞きたがるのと同じように、娘も若き日の恩師の職位について詳しく突っ込んできたのである。

娘『お父さんは教授なの?』
恩師『ううん、違うよ』
娘『じゃあ助教授?』
恩師『ううん、それも違うよ』 娘『。。。じゃあ、何?(娘の知識レベルでは教授と助教授までしか無いのである)』
恩師『、、、助手だよ』
娘『ふ〜ん』
そして後日学校から帰ってきた娘が改めて父親である恩師に質問。

娘『お父さんは助教授だよね?』
恩師『ううん、助手だよ』
娘『ふ〜ん。。。』

 それ以降、娘は恩師の職業について聞かなくなったそうである。今では娘さんも大きくなられたが(確か私と同年代)、やはり『助手という職位』についての勘違いがあったらしく、それ以上父親に職業の話を聞くのは可哀相だと配慮して聞くのを控えたらしい。

 それを聞いたときには酒も入っていて笑い話で済んだが、素面になって思い出すとあまり笑えない話だなと感じたことを覚えている。私自身も、まだ子供はいないが、大学研究者になってから複数の助成団体の研究助成金申請書に『指導教官の推薦文』という欄を見つけたことがあり、この申請書フォーマットの作成者は明らかに『助手=ティーチングアシスタントの大学生』と勘違いしていることが分かったことがある。助手という職位に対する誤解は今日でもやはり残っているのである。

 かつて日本に大学が出来た明治時代頃は『助手』という呼称でも良かったのかも知れないが、最近では大学研究職のスタート地点に位置するこの職位に就くにも学位が要求される場合が殆どである。そして理系の多くでは、助手は一人の独立した研究者として研究できる権利を持っている(ことになっているはずである、建て前上は。旧態依然の研究室もあるらしいが。。。)。

 米国みたいに教授、準教授、助教授という職位分けにすれば少しはこのような悲しい誤解が解けるのに、と感じたことがある。大学ベンチャーがどんどん生み出される社会にするためにはまだまだ色々な解決課題が残っているが、大学助手の職位名変更と、それに付随する職権の底上げ徹底(=単なる教授の手伝いで一生を終えるのではなく、研究室の方針に沿った範囲内での研究の自由)という点での徹底改善も必要な気がする、特に若手研究者に大学ベンチャーをどんどん起させたいのであれば。



藤井 克彦氏の略歴

◇室蘭工業大学 応用化学科 助手
◇1971年生まれ 九州大学理学部 生物学科卒業
◇奈良先端科学技術大学院 バイオサイエンス研究科博士前期課程
◇東京水産大学大学院 水産学研究科博士後期課程終了
◇専門分野:微生物工学、環境バイオテクノロジー、有用微生物の探索
 電子メール:kfu@mmm.muroran-it.ac.jp
 ホームページ:http://www.mmm.muroran-it.ac.jp/~kfu/