起業への道
室蘭工業大学 応用化学科助手の藤井克彦氏が、現在進めているベンチャー設立までの軌跡をリポートします。本人自らがつづる、臨場感あふれる体験談です。

不安はあるけれど挑戦してみるか

【vol.2】

平成14年5月某日

午後7時ごろ、田頭博昭学長から、また電話があった。

『先生実はですね、機械の航空に笠原先生とおっしゃる若手の助手の先生がいるのですが、彼もベンチャー立ち上げを考えているのです。そこで、よろしければ是非とも笠原先生にお会いになって話を聞かれてはどうでしょうか?今のところ夏頃に起業しようかという計画で進んでいるようです。』

▲「不安はあるけれど挑戦してみるか」という気持ちに固まった藤井氏
 翌日、学内メールで笠原先生に連絡し、次の日の朝10時に笠原先生の教官室を訪ねてみた。

 笠原先生は私より4歳上で名古屋大学・大学院を修了されて3年前に本学に着任された。専門はデトネーションエンジンと呼ばれる高効率のロケットエンジンの開発であり、生物屋の私の脳みそでは理解が追いつかないが、 とにかくすごいらしい (この程度の理解で大変申し訳ない)。

 しかし話してみると大変快活な方で若僧の私を歓迎してくれた。どうやら私と同じく関西ルーツでかつ酒好きな人間らしい。 酒好きの関西人で悪い人間はいない。 彼は数年前よりnedoの助成金を受けてエンジンの実用化と産業化可能性について研究しており、その結果を踏まえて『よし起業する!』と決めたらしい。

 学長から言われてベンチャーを考えはじめた私と違ってきっちりとした手順を一歩一歩踏んで起業を目指している。彼自身は学生時代の友人達と『将来会社でも一緒に起こせるといいよね』という感じで以前から話はしていたらしいのだが、忙しくてもう一歩踏み出す機会がなかなか無く、そんな時に小樽商大ビジネス創造センター(cbc)を学長から紹介していただいたそうだ。

 笠原先生が 特に苦労しておられるのが、人材面の問題らしい。 いざ起業の旗を揚げても、かつて夢を語り合った友人達は会社や家庭等それぞれの事情で本腰を入れて経営に参加するわけにはいかないことがわかったのである。でもcbcからアドバイスをもらいつつ、8月頃には会社を設立する予定でコツコツと努力されているとのこと。

 『私も本当に成功するか失敗するかわからないけれど、藤井先生のベンチャー設立の参考になればと思っています』

最後に大変嬉しいお言葉を頂戴した。



6月某日

 昨夜遅くに小樽入りした私は本日10時から 小樽商大cbcの下川哲央センター長と面会 予定である。小樽の地利についてはよく知らないが、小樽駅前から乗った私のバスは勾配のきつい坂をどんどん登って行く。終点が小樽商大前だったが、随分と高い所に位置する大学であった。緑が多く、景色が本当に良い。そしてほとんど男だらけの室蘭工大とは違い女子学生が多いので、キャンパスに明るさが増した感があって羨ましい。

 cbcはキャンパスのかなり奥深い所にあった。建物自体はまだ新しいようである。事務の方に面会予定の旨告げてセンター長室に案内して頂いた。

『おはようございます、はじめまして。室蘭の藤井です。』
『あ、藤井先生はじめまして。センター長の下川です。遠いところをご苦労様です』

▲ビジネスを知らない大学研究者ではいられない…
 ご多忙であるにもかかわらず、一介の若手研究者である私の相談にセンター長に乗っていただけるとは夢にも思っていなかった。

 下川センター長は小樽商大卒業後に北海道銀行に入られ、金融界・実業界の現実を目の当たりにして来られた経験豊富な先生である。

 約2時間の面会時間で私の起業計画について話させていただき、下川センター長からアドバイスを頂いた。今ブームとなりつつある大学ベンチャーではあるが、決して甘いものではないということに気付いた。

 冷静に考えれば当然ではあるが、ビジネスについて全く知らない大学研究者が作ったからと言って何ら優遇されるものではなく、設立後は大学とは全く異なる世界の荒波をかいくぐって行かなければならないのだ。 倒産させた場合の責任も、一般的なベンチャーと同様に取締役として責任を負わなければならない。

 皆さん、理系研究者はこんなことも知らない人達が多いのです、私も含めて(泣)。。。

 そんなビジネスど素人の我々を前に国はベンチャー1000社!なんて言うのだから本当に不安に駆られてしまいます。しかし質の良い大学ベンチャーが世に出れば元気をなくした日本の産業や経済を活性化できるわけで、仮に私のベンチャーがそのような形で国に貢献できれば、と思うと『 一度でいいから作ってみたいな 』という分不相応な野望が沸々とこみ上げてきた。

『ですので決して浮かれた気持ちでやってはいけませんよ。ただし、私が今日申し上げた現実の厳しさをよく考えた上で、それでもベンチャー設立を考えられるのでしたら、その時は是非とも支援させて頂きますよ』

『はい、下川先生のお話大変勉強になりました。起業がいつになるのか全く分かりませんし、途中で挫折することもあるかも知れませんが、今の私は起業してみたいと思っています。』
『そうですか。cbcとしても 全面的に協力します ので、何かありましたら電話でもメールでも構いませんのでいつでも連絡を下さい。菊池先生にもよろしくお伝えください。』

 帰りのバスと汽車の中、せめて車窓から見える景色を楽しもうとも思ったが残念ながらそういう気持ちにはなれなかった。起業を目指しますので是非ともご支援を、と下川センター長にお願いしたわけであるが、起業への不安が全くなくなったわけではなく、相変わらず心の隅に残っている。

 しかし、この不安は起業を目指す限り決して消えないだろうという気もした。この不安は言ってみれば自分の慎重度を測る指標のようなものかも知れない。逆に言えば、このような不安を全然感じなくなったら、それは自分が慢心している証拠なのかも知れない。ならば不安を消そうと考えるよりもこの不安とうまく付き合っていこう。汽車に揺られながらだんだんとそんな気持ちになってきた。

 時間は正午過ぎ。今日は休みなのだろうか、隣りのコンパートメントには中学生らしい女の子4人がお互い持ち寄ったお菓子を交換しながらワイワイと楽しそうにしている。そしてその向こうには太陽の輝きを反射する日本海が美しく広がっていた。

 翌日、菊池慎太郎教授に下川先生との面会について報告した。

『まあ、今世の中そういう流れになってきてるから、 やってみるのもいいかも知れんな

 しばらく考え込んでいた彼が言った。大学ベンチャーの重要性も必要性も分かっているが、だからと言って現実問題としてそう簡単に作れるものなのか?それが菊池先生の考え方であり、懸念されていることでもあったが今日までに先生も私の将来を考えた際にどの選択肢が良いのか、いろいろと考えてくれていたようだ。

『でも先生、万一倒産ってことになったら協力してくださった方々に迷惑かけることになりますよ』
『まあそれはあんまり心配しなくていいよ、 倒産すればまた作ればいいんだ。 ほら○○○で有名な□□□って会社あるだろ?あれなんか潰しては作り、また潰しては作り、、を繰り返してんだから』。

 ちょっと極端な例を持ち出されたような気もしたが、その後の『うまく行っても失敗しても、君にとってはいい経験になるよ。俺が君の立場だったら挑戦してみるよ』という言葉を頂き、どうなるか分からないという 不安はあるけれど挑戦してみるか 、という気持ちに固まった。


藤井 克彦氏の略歴

◇室蘭工業大学 応用化学科 助手
◇1971年生まれ 九州大学理学部 生物学科卒業
◇奈良先端科学技術大学院 バイオサイエンス研究科博士前期課程
◇東京水産大学大学院 水産学研究科博士後期課程終了
◇専門分野:微生物工学、環境バイオテクノロジー、有用微生物の探索
 電子メール:kfu@mmm.muroran-it.ac.jp
 ホームページ:http://www.mmm.muroran-it.ac.jp/~kfu/