日本は必ず復興する(2)

米国特許弁護士 服部健一氏
2011/06/10

 今回の東日本大震災は、大地震だけでなく、その直後の大津波、さらにはそれによって生じた原発の放射能問題という世界でも例を見ない三重苦の稀有な大災害となっている。

 日本の経済活動は大幅に落ち込み、自動車会社の生産量が元に戻るのはほとんど本年末という大混乱だ。日本経済はだめになるという悲観論があれば、必ず立ち直るという楽観論もある。

 私は日本は必ず立ち直る、しかも数年後にはもっと良くなる、強くなるという超楽観論者のほうである。その大きな理由の一つは、1974年の石油危機の時の経験である。個人的な話で恐縮ではあるが、そのときの模様を紹介させていただく。

 当時、私は通産省(現経産省)の大臣官房企画室という、通産省のビジジョンを作るブレーンの室にいた。室長は福川伸次氏(後の事務次官)、上司に吉田文毅氏(のち特許庁長官)、伊佐山建志氏(のち特許庁長官)、仲井眞弘多氏(現沖縄県知事)、池口小太郎氏(現作家の堺屋太一)、間接的な部下に望月晴文氏(前事務次官)というそうそうたる人物がいた。

 時の総理大臣は田中角栄氏、通産大臣は中曽根康弘氏であった。そのとき、日本を襲った第一次石油危機は、石油の値段を一夜にして大高騰させ、狂乱物価を導き、日本は未曾有の経済危機に陥った。

 通産省は物価の暴騰を抑えるための価格統制を行うことを決定し、徹夜の連続でその施策資料を完成させたのはある日の夜中の2時ごろだった。大臣官房企画室で一番若かった私が、その資料を持ち、夜中に首相官邸へ出かけ、田中総理と小長啓一秘書官(岡山大学出身で、地方大学出身者として始めて通産事務次官に就いた人物)に分厚い資料を手渡した。

 その資料をパラパラめくると、田中総理は、「君、この対策ではだめだ。大事な点が抜けている。」と叫んだ。

 当時の我々は、通産官僚が作る資料に落度があるはずがないと自負し、中曽根大臣も既にOKを出していたので、目を白黒させていると、「価格統制そのものはちゃんとできているかもしれないが、そもそも便乗値上げをどう防ぐかという章がないではないか。」と怒鳴られた。

 確かに我々はコンピュータを使って、無数にある各分野、業界での石油使用率から値上げ幅を詳細に決定していたが、石油を使っていない分野が勝手に便乗して値上げすることをいかにして防ぐかという施策は考えてもいなかった。実業界の表も裏も知る田中総理だからこそ、咄嗟にそれを考えられるのだろう。

 慌てて、企画室に戻って全員で再び徹夜、徹夜で便乗値上げ施策を作り、ようやく数日後OKとなったのである(この話は今でも経産省で有名らしい)。

 それはともかく、そのとき我々は日本の経済はガタガタになる、エネルギー産業は潰れる、特に日本の自動車産業は消滅する、と真剣に考えていた。とにかく、当時の日本車は安かろう悪かろう、アメリカの高速道路では耐えられるはずがない、というイメージがあり、アメリカでは野積みになっており、全く売れていなかったときである。

 しかし、我々通産官僚の危惧は、全く外れたのである。石油価格は当然のことながら、アメリカでも高騰した。

 すると金にうるさいアメリカ人は、じゃあ小型車に乗ってみるか、日本車が沢山あるから買ってみるか、と初めて日本車に手を出し始めた。乗ってみると、その頃の日本車はそれなりに良くなっているので一気に売れ始めた。とにかく、アメリカの自動車会社は、ガソリンを垂れ流す大型車しか作っていなかったから、日本車の売れ行きは凄まじかった。

 ところがアメリカの自動車会社の小型車開発は一向に進まず、どんどん経営危機に陥っていった。そのため、1981年にアメリカは日本に自動車輸出台数を年168万台に制限する自主規制を強要したのである。

 いずれにせよ、日本は添付図にみられるように明治の開国以来、危機があるたびにそれを克服し、逆に大発展してきた。それと同じことが今回も考えられる。ただ、現在の日本は、国内の需要が底をつき、輸出しか発展の道がなく、その輸出が円高でますます厳しくなるという状況なので、過去百数十年の歴史とは異なることは確かである。

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 しかし、自動車産業は今年末には、元の生産体制に戻るだろうと予測しているので、日本産業全体もその頃にはとりあえず元に戻ると考えられる。その後、東北地方の部品工場は刷新されて、新工場が多く建設されることが予測され、耐震、耐津波構造が大幅に強化されることは間違いない。農地の回復には3年かかかるそうであるが、とにかく2、3年後には日本は必ず世界一の耐災害強国になるであろう。

 なぜそこまで楽観できるかというと、災害に対する日本人の取り組み方は他国と比べ物にならないほどすごいからである。ソ連は、チェルノブイリの事故の処理に80万人が動員し、放射線で6万人が死に、16万5000人が汚染で障害を負ったという(Wikipedia: Liquidator (Chernobyl)より)。

 ところが、日本では東電、日立、東芝、そして自衛隊の作業員は数百人程度で、しかも放射能による死者が出たとの報道は目にしていない。その上、このゴールデンウィークには13万人のボランティアが東北に出かけるという(読売新聞4月29日報道)。これは単に瓦礫を片付けるということだけでなく、日本人と日本が一心同体になる計り知れない効果を生み出すだろう。

 ともあれ、地球はこれから数十年後、数百年後には、予想もつかない大災害が生じることは十分考えられる。その中で新日本は理想に近い頑健な経済社会構造になっていくのかもしれない。

 世界一といえる現在の日本の省資源省エネルギー経済社会は、あの石油危機で培われたように、今回の三重苦災害は日本に新しい構造の社会をもたらすと考えられる。

 勿論、一時的にはこの危機の最中で、日本のシェアは韓国や中国に奪われることになることは避けられないかもしれないが、世界の製造業は必ず日本の技術が必要としていることを忘れてはならない。日本の復興努力と技術開発が損なわれない限り、日本は必ず今以上に発展することになろう。











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