震災のあと考えた、いろいろなこと

元内閣府大臣官房審議官 塩沢文朗氏
2011/06/10


:【写真】(呑川の桜並木)

 東日本大震災から1ヵ月半が経ちました。その間に、東京では桜が咲き、散っていきました。今年の桜の花もきれいでした。桜新町から大岡山まで続く呑川(のみがわ)の桜並木は、静かな住宅地を抜ける桜の散歩道です。青空に桜の花が映える4月10日の日曜日は、あれほどの災害が起きたことが嘘のような散歩日よりでした。それにしても桜の花、日本人の好きなソメイヨシノの花は、何のために咲いているのでしょう。実を付けるわけでもなく、咲くためだけの花。風に散らされ吹き寄せられた花びら、吹き落とされて川面にのびる花びらの帯を見ていたら、思わずそんなことを考えてしまいました。そして、今頃は被災地でも美しい桜の花が咲いているころでしょう。

 早い機会に一回、被災地のお邪魔にならないように現地を訪れてみたいと思っています。TVに映し出される、いまだに津波の爪あとが生々しく残り瓦礫が広がる被災地の光景、原発災害で人気のなくなった海辺の被災地に風だけが吹きぬけている光景は、まるでSFホラー映画の一場面を見ているようです。こんな悪夢を見ているような光景が現実となっていることを、自分の体感として刻みつけ、今回の大災害からの自分なりの反省材料を得ておく必要があると感じています。

 東京の繁華街も、節電で夜の街の様子が様変わりしています。ネオンと店の表看板の消えた銀座の街は、暗い中で人だけがうごめく街のようです。ある年配の方は、「終戦直後の銀座を思い出す」と言って懐かしんでいましたが、その方より少しだけ若い私たちにとっては、やはり異様な世界です。そして、やり方が「少し変」とも思います。何故、店の表看板を消すのか。これでは、銀座の街を知らない人は、きっと迷子になってしまいます。店の名前くらい、ちゃんとライトアップしたらいい。

 もっと変だと感じるのは、地下鉄の駅です。乗り換え表示や通路の案内灯の電気が消されています。地下鉄入り口の案内板の電気も消されていて、あれでは、普段、地下鉄を利用しない人は入り口を見つけるのに苦労します。同じ節電するなら地下通路の街灯をもっと消して、行き先案内表示の明かりを照明代わりに使うようにしたら良い。欧米諸国の地下鉄の駅では、通路などの照明は日本よりもずいぶんと暗い一方で、案内表示などは見やすくライトアップされ、歩きやすいものです。

 こういう実質的でないことが行われているのは、現在、日本の街で行われている節電は、まだ急場しのぎの対策にとどまっているという証拠です。これでは電力供給が回復したら、また、もとの姿に戻ってしまう。日本が今回の電力不足を契機にライフスタイルを変えるというなら、例えば、もっと合理的な照明のための配線に変えるなど、インフラから変えていかなければなりません。先に書いた街の照明だって、多少暗くても歩きやすく、できれば街の美観にもマッチするような照明に変えていってほしいものです。そうした動きが出てこない限り、節電都市にはなれません。

 美的かどうかはともかくとして、さすがに大手コンビニチェーンはやることが早く、店舗の外壁全体に取り付けられていた各チェーン特有の照明看板が消された代わりに、歩道の脇にコンビニの存在を示す小さな照明サインを設置し始めました。まあ、街づくりのような問題は震災復興対策の中長期的な課題だとは思いますが、たくましい日本人は、このコンビニのようにどんどん個々の知恵に従って動き出しています。こういったところは、ある意味、日本の良いところなのかもしれませんが、一方で、個の努力から生み出される無秩序が、それなりの秩序として落ち着くのを時間の経過に任せる都市づくりしか日本人はできないのではないかと残念にも思います。

 今、直ちにやらなくてはならないことが山積している一方で、リーダーシップの欠如や政治の動きの鈍さには情けない思いがしますが、その中で復興資金の財源、特に税の話だけが先行しているのには、正直言ってやや違和感があります。東日本大震災の被災者の方々のお見舞いと支援のために、自分たちができる数少ないことの一つは、被災地に義援金や寄付金など経済的な支援を差し上げることです。しかし、心の狭さをさらけ出すようですが、新たに「震災復興税」を設けるなどという話を聞くと、それならいずれ税金で納めるか、という気分になってしまいます。

 きちんと整理して考えれば、義援金や寄付金はお見舞いとして当座の支出に役立てていただく。国として取り組むべきインフラなど復興の原資は、もし、国の資金が足りないなら新たな税金で支弁するということでしょう。いずれ、その使途についての議論がきちんと行われて、新たな税が必要なら、税が設けられるということになると思いますが、義援金や寄付金の配分の考え方や復興資金の使途も示されていないうちから「震災復興税」などということを言うべきではないと思います。復興構想会議の議長までもが、就任早々、税の創設を口にされたのには、少しがっかりしてしまいました。

 今般の原発事故による放射能と放射線の影響が心配されています。この問題に関して、昭和30年代後半から40年代にかけて盛んに行われた米国、ソ連、中国などの核実験のときの影響の方が、今回の事故の影響よりも大きかったのではないか、との話をあるところで聞き、自分なりに調べてみることにしました。正直言って、この調査には結構手間取り、挙句の果てにいろいろ分からなかったことも多かったのですが、結論から先に言うと、原発サイトから一定距離はなれた地域、例えば東京などで今回検出されている環境放射能のレベルは、昭和40年前後の核実験によって引き起こされた汚染のレベルとあまり変わらないようです。

 原子力白書の昭和43年版の第10章「環境放射能対策」にこんな記述があります。「(昭和)41年12月、中共の第5回核爆発実験に際しては、石川県輪島において1日の放射性降下物が5,600ミリキューリー/平方キロメートルという我が国では最高の観測値を記録したことにもかんがみ、放射能対策本部は、42年6月、放射性降下物に対する緊急時対策および放射能調査体制の強化についての方針を決定した。」

 この数値は、昭和41年原子力白書の本文参考資料の昭和41年12月30日に「第5回中共核爆発実験にともなう調査結果」として確かに記録されています。同記録の関係部分を抜粋してみましょう。

 昭和41年12月30日に輪島の雨水から5,600mci/km2/日の放射能(全β放射線量)が検出されています。その2日後には、米子で3,700 mci/km2/日という値も検出されていますね。

 今回の福島原発の事故では、新宿で3月21日の9:00から翌日の9:00までの間に1平方メートル当たり32,300ベクレル(32,300Bq/m2)のヨウ素131と同5,300ベクレル(5,300Bq/m2)のセシウム137が検出されました。


出典:東京都健康安全研究センター

 これをギガベクレル/平方km(GBq/km2)という単位で両者の数字を比較すると、今回の新宿では3月21日と22日の二日間、約36GBq/km2/日、一方、昭和41年の年末と翌年の年始には輪島、米子でそれぞれ207GBq/km2/日、137 GBq/km2/日が検出されていたということになりそうです 。

 ということで、東京での放射能レベルを問題にする限り、この程度のことは昔もあったということになると思います。若い方はご存じないかもしれませんが、私たちが小さい頃は「放射能は雨と一緒に落ちてくるから、雨に濡れると頭が禿げる」と言われていたことがありました。今になって振り返ってみると「頭が禿げる」のかどうかは別としても、昭和30年代後半から40年代の前半の放射能のレベルは、かなり高かったのですね。

 最近、マスコミでは、よくシーベルト(Sv)という単位の数字が使われています。例えば、新聞には、毎日、各地の放射線量がマイクロシーベルト(μSv)という単位で掲載されています。Svは、放射性物質から受ける人体の影響を表す単位です。そこで私の当初の目論見としては、中国で核実験が行われた際の影響をこの単位で比べるとどうなるか、それを分析してみようと思ったのですが、結局、あきらめました。原子力白書に記録として残されている「全β放射能降下量」とこの「シーベルト」をときちんと比較することが難しいのです。(ご参考までに、そうした分析が困難であった理由を、敢えて注2に記しておきます 。これを見ていただくと、私たちが普段耳にしているシーベルトで表された数字は、如何にその前提条件が明確に示されていないものであるか、したがって、私たちがシーベルトで表された放射線影響の意味を十分に理解できていないかがよく分かります。)

 とにかく、分かったことだけを書いておくと、平均して毎時3.5μSv/hr(マイクロシーベルト/時)以上のレベルの放射線量が連続して一ヶ月続くような事態にならない限り、人の健康に懸念を与えるほどの放射線量とはならないということのようです。したがって昭和40年の時も、今回も、東京では放射線量は人の健康に懸念を与えるほどのレベルとはなっていないことは確かだと思います。

 それにしても、今回、少し放射能のことを勉強してみて、その分かりにくさを痛感しました。これでは一般の方にとって、放射能はいつまでも遠く分かりにくい存在で、放射線影響についての正確な理解が進まず、あの物議をかもした「直ちに危険なレベルではない」といった程度のリスクコミュニケーションにとどまってしまう恐れがあります。何とか改善していく必要があります。今後のリスクコミュニケーションの重要な課題だと思います。


出典:東京都健康安全研究センター

 最近、問題になってきているのは、日本から輸出された製品が海外で、放射能汚染されたものでないことを証明することを求められるといった風評被害です。工業製品についてもこうしたことを求められるというのですから、ちょっと度が過ぎていますね。ただ、日本人もかつて1986年に起きたチェルノブイリ事故の際、外国製品に対して同様のことをやったと、この間、ある人から聞きました。日本は、当時、エジプトからの野菜の輸入を禁止したというのです。なぜ、エジプトからの野菜を禁輸?それは、こんな事情だそうです。チェルノブイリ事故の後、ヨーロッパ諸国がソ連からの野菜輸入を禁止したため、その野菜は中東諸国に流入すると考えられたのです。だから外国ばかりを責められない。しかし因果応報というには、今回の風評被害は産業界にとって重い負担となっています。

 4月23、24日の週末に、地震で延期したお彼岸の墓参りに信州に行ってきました。信州は、ちょうど桜が満開の季節。それで、帰りがけに高遠町(今は伊那市の一部になったらしい)に足を伸ばしてみました。日本の桜百選にも名を連ねているという高遠城址公園の桜は、城跡いっぱいに1,500本以上の桜が咲き誇り、期待にたがわず素晴らしいものでした。ここの桜は、タカトウコヒガンザクラという種類で、小ぶりだが桃色の濃い花です。青空に映えます。桜の花の間からは、中央アルプスの雪山も臨むことができました。そして、時おり桜の林の中を吹き抜ける風は、花びらを雪のように散らしています。ここでも自然は、時間の流れとともに着実にその歩みを進めていました。


:【写真】(高遠城址公園の桜と木曽駒ケ岳)

 今回は以上です。雑感の極みとなりました。お許し下さい。


1) ここで、皆さんは私がいかにも自信なさげに書いているのにお気づきと思います。それは、以下のようなことがよく分からないからです。
今回の新宿のデータは、放射性物質はヨウ素131とセシウム137の二つを対象に放射能が計測されているのに対し、昭和41年の輪島のデータは、「全β放射能降下量」で、β線を出す放射性物質の全放射能を計測しています。
ヨウ素131とセシウム137は、β線だけでなくγ線も出すはずなので、新宿のデータがβ線だけでなくγ線を放出する放射能を含んだ値であった場合には、両者の数字は、今回、行ったような単位の換算だけで比較できないものなのかもしれません。
また、今回のような燃料棒の一部が溶融したような事故の場合には、核分裂物質の一部、ヨウ素131とセシウム137だけを問題にすればよいようなので、東京都のデータがそのまま使えると思いますが、昭和41年のデータは核爆発で撒き散らされた全ての核分裂生成物を対象にしているので、計測対象とされた核種にはもっと広範な放射性物質が含まれていると考えられます。すなわち、データ比較の実体面ではほとんど問題はないものの、両者の比較においては測定対象として取り上げている核種のベースが異なる可能性があります。ちなみに、ウランを原料とする核分裂反応からは、ヨウ素131、セシウム137のほかにストロンチウム90、キセノン133、クリプトン85、ストロンチウム89、バリウム140、ルテニウム106、亜鉛95などが放出されます。
2) シーベルト(Sv)は放射性物質から受ける人体の影響を表す単位として、放射線医療の分野で利用されているものですが、同じ放射能の大きさの放射性物質から受ける人体の影響は、放射性物質から出る放射線の種類(α線、β線、γ線、X線、中性子線)によって異なるので、放射能の強さを表すベクレル(Bq)とシーベルト(Sv)の関係は、放射性物質の種類によって異なります。また、同じ1Bqのヨウ素131の被曝から受ける人体影響も、ヨウ素131を経口摂取したのか、吸入摂取したのかによって異なるため、摂取経路によって計算されるSvの値が異なります。したがって、公表されているSvの値の裏には、計算の前提となっている放射性物質の種類、被曝の経路などがあるはずなのですが、これが公表データには明示されていません。また、放射性物質ごとに半減期が異なるので、放射性物質の放出後の日数などによって、計算の前提とする放射性物質の種類とその割合などは変えなければならないとも思われますが(特にヨウ素131は半減期8日です)、今回の記録も、過去の記録もこの辺が捨象されていてよく分かりません。なお、先に引用した昭和40年代の原子力白書では、体内にとりこまれやすく半減期の長いストロンチウム90が放射線影響の懸念の中心になっています。











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