塩 沢 文 朗

前内閣府大臣官房審議官
(科学技術政策担当)



米国で落ちた「目のウロコ」



 久しぶりのニューヨークとワシントンへの出張は、米国の科学技術活動の基盤の厚さを感じさせる思いがけない機会を与えてくれました。

 今回の出張の目的は、米国の技術者教育、中でも米国の工業標準化活動に携わる技術者が、どのように育成されているのかを調べることでした。米国では、材料の品質基準、標準試験法、製品の性能基準、標準フォーマット、プロトコルなどの工業標準は、ASTM(American Society for Testing and Materials)、IEEE(The Institute of Electrical and Electronics Engineers)、ASME(American Society of Mechanical Engineers)、ANSI(American National Standards Institute)などの民間の非営利団体が作成しています。工業標準を整備するという活動は、産業技術のインフラづくりのようなもので、重要な活動でありながら、世の中の脚光を浴びることの少ない、基本的にはとても地味な活動です。とかく米国というと最先端の科学技術活動に目が行きがちですが、実は、こうした産業技術の基盤的分野でも米国の取り組みは、その規模、内容ともに世界をリードしています。

 日本でも、工業標準(JIS: Japanese Industrial Standards)の原案の多くは(社)日本鉄鋼連盟、(社)日本電子情報技術産業協会、(社)日本化学工業協会などの工業会や、(社)日本機械学会、(社)自動車技術会などの工学関係の学会によって作成されています。日本では、米国に比して工業会の活動の大きさが目に付くものの、ともに民間の団体が工業標準作成の主たる役割を担っているという点で、日米あまり違いはないのではないかというのが、私が20年以上に渡って理解していたことでした。

 ところが、米国の工業標準作成で主たる役割を担っているこれらの機関の人たちと、今回、工業標準活動に携わる技術者の育成について話してみて、やや「目からウロコ」のように気がついたのは、どうもこの理解がとても底の浅いものだったようだということです。

 「ウロコ」が落ちるきっかけとなったのは、IEEE-USAのワシントン事務所(*i)を訪ね、Managing DirectorのMr. Chris Brantley、次期会長のDr. Russell Lefevre、そしてちょっとスレンダーな美人のスタッフMs. Erica Wissolikと話していたときのことです。実は、ChrisとEricaは弁護士。2人の弁護士が、世界でも有数の技術者集団のIEEEの要職を務め、ワシントンで何をやっているのかと聞くと連邦議会のウォッチとロビイングをやっているというのです。「ウォッチとロビイングとは何?」と聞いて返ってきたのは次のような答えでした。「連邦政府が勝手に変な技術基準をつくったり、議会がとてつもない内容の技術基準の作成を政府に対して要求したりしないように眼を光らせること。そして、技術基準が必要となる場合には、IEEEにその作成を委ねるよう働きかけること。」というのです。そして、彼の次の発言が、「目からウロコ」でした。「技術に関する基準は、技術者集団である自分たちが作成してこそ、最良のものをつくることができる。一部の技術者だけが参加するような政府の委員会にベストの基準が作れるわけがない・・・。」

 ここにあるのは、官と民の役割分担とか、利益集団のエゴとかニーズではありません。あるのは、技術者という専門家集団の職分と誇りです。実は、米国ではこのような考え方が徹底していて、技術者が政府、学界、企業等の所属を問わず参加し、オープンな場で技術基準等を作ることが一般的となっているため、連邦政府が、法規制の実施に必要となる技術基準を作成する場合、最初から、IEEE、ASTM、ASMEのような技術者集団に基準の作成を依頼するのがふつうなのだそうです。

 ここで、別の米国人がASTM、ASME、IEEEのような組織の重要な性格を表しているSocietyという集団の意味について解説してくれました。Societyは一般に「協会」と訳されていますが、Societyは、一定の目的を共有する個人の集まりのことです。ちょっとへんな言い方ですが、米国のSociety活動は、その名が示すとおりの活動なのです。したがって、米国人の「協会」活動に臨む際の「個」の動機とか誇りは、日本人のそれとはずいぶんと異なります。これらの協会の会員となっている技術者は、どんな職場に所属していようとも、専門分野の技術の発展に大きな関心と自負を持っている。だから、先の例で見たように、技術に関する基準や試験法などは、自分たちのような専門技術者集団が作成せずして、他の誰が作れようか、という強い自負と使命感で工業標準作りに取り組んでいるのです。

 このように書くと、日本でも学会活動は学会員の所属とは関係なく、会員個人の活動が支えているという声が聞こえてきそうですが、工学修士として学会活動に少しは参加した自分の経験をもとにして考える限り、日本の専門技術者集団が米国ほどの自負と誇りと、そして、社会貢献をしているようには見えません。医学系の学会や法曹界は少し違うかもしれませんが・・・・。

 米国の専門技術者集団の誇りと自負は、もちろん専門家一人ひとりの意識と誇りによって支えられています。工学系の技術者は、Principal Engineer(PE)といった技術者としての資格を大事にしますし、専門家としての能力は、個人個人がCEU(Continuing Education Unit)のような継続教育プログラムで維持に努めるそうです。例えば、米国の国防総省に入省後も、エンジニアは、一定以上の能力を有し続けていることを証明するために、関連する専門分野の継続教育プログラムで、決められた年限の間に一定の数のコースを履修し、単位を取得することを求められるそうです。

 役人という職業の特殊性かもしれませんが、私は、(辞令によると)「技官」という「官職」を30年間にわたって務めながら、このような形での専門的能力の維持を求められたことも、専門性に着目した評価が行われたこともありません。ちょっと話は横道にそれますが、「技官」と「事務官」という官職の別は、明治政府の太政官令に起源を発していますが、今や、公務員試験を技術系の区分で合格したという、それ以上の意味でもそれ以下の意味でもない亡霊のような「官職」であるにもかかわらず、入省してから退官するまで「官職」はついて回ります。企業では、さすがにこうした慣習は残っていないと思いますが、わが国では、ようやく最近になって専門家としてのキャリアパスのあり方についての検討が真剣に行われるようになったというように、専門家の養成のための方策がようやく模索され始めたところではないかと思います。

 専門性の重さ、専門家個人と組織との関係の彼我の大きな差を感じます。
・・・と書きつつ、実は、このことは「彼我の大きな差を感じ」るなどということに留まらない、日米の科学技術活動のダイナミズムの本質的な差にもなっているのではないかなどとすら思うのです。米国の人口は、日本の2倍しかなく、大学への進学者の数ではその差はもっと小さいのにもかかわらず、米国の科学技術活動の基盤の厚さにはしばしば驚かされます。例えば、データベース、材料試験法、物性情報、博物館など地味でこつこつと積み上げる作業が必要な分野にも、わが国とは比べものにならないほどの豊かな科学的蓄積があり、数多くの立派な専門家がいます。また、100年に一回、注目されるかされないか分からないような分野にも、事が起きると、立派な専門家が出現してテレビなどで分かりやすい解説をして、私たちを感心させてくれます。先に「イノベーションと安全と安心」という原稿で触れた科学的リスク管理のような地道な取り組みの必要な分野で、米国の取り組みが、わが国よりも一歩も二歩も進んでいるのも、こうしたことが関係しているのではないかとも思うのです。

 思いがけなく、長い文章になってしまったので、この辺で止めようと思いますが、ワシントンでの思いがけないもう一つの出会いは、「ホロコースト博物館」です。出来たのは数年前というので、既に多くの方がご存じなのだと思いますが、ユダヤ人虐待の不幸な歴史を見事な展示で効果的かつ説得的に描いています。米国のユダヤ人社会の影響力の大きさと、執念すら感じる凄い博物館でした。(ちなみに、同博物館は、造幣局の手前、ワシントン・モニュメントのすぐ横のモールに面したところにあります。)


*i. IEEEのワシントン事務所は、Washington D.C. 1800L St. NWにあるが、このビルにはASTM、ASMEのワシントン事務所も入っており、Engineering Buildingとも呼ばれている