塩 沢 文 朗

前内閣府大臣官房審議官
(科学技術政策担当)



イノベーションと安全と安心 その2



 前回の投稿で、成熟化しつつある社会においてイノベーションを推進していくにあたっては、新たな発見や発明を目指す科学技術活動のみならず、一定の手法にしたがって試験を繰り返し、地道にデータを積み重ねていくようなリスク評価に資する科学技術活動をもっと重視すべきことを述べた。そして、その投稿の最後で、こうした活動の対象として考えるべきものとしては、自然科学分野にとどまらない広義の科学技術活動が含まれるべきことを指摘した。今回は、この点を中心に私の考えを述べてみたい。

 まず、合理的なリスク管理対策を実施するためには、科学的なリスク評価をきちんと行うことが不可欠なことを再度指摘しておきたい。そうは言っても、さまざまな分野で現在実施されているリスク管理対策をよく見ると、それらは科学的に見て合理的な優先順位で対策がとられたという結果になっているとは言い難い。それは、リスク評価に必要な科学的手法やデータが十分に存在することがほとんどないといった現実的な制約もあるが、リスク管理対策が社会的な合意として成立するためには、以下のような要因が関係してくるからだ。

 その第一は、リスクの大きさは連続的に変化するものであるから、どんなに科学的にリスク評価データを集めてみても「安全」と「危険」の境界は明確に線を引くことはできず、リスク管理対策を講ずるためには、「灰色」のリスク領域のどこかに線を引くことをせざるを得ないという要因に起因する問題だ。しかし、それにもかかわらず、科学的リスク評価が不可欠である理由は、そうした科学的情報が存在しないとリスク管理対策の必要性に関する判断を誤ったり、私たちの生活を取り巻くさまざまなリスクを管理するために必要となる資源の配分の優先順位を誤ることになるからだ。

 このように、科学的判断が絶対の判断基準となりえない状況では、可能な限りの科学的なリスク評価情報に加えて、複数の社会的合意に関する選択肢間(=複数のリスク管理対策案)の相互比較をするために、それら社会的合意を実現するための経済的コスト等を始めとする、社会を構成する人々の判断に資する社会科学的な分析、評価が必要となる。

 また、個人の選択の積み重ねである社会的合意は、常に理性的なものになるとは限らない。対象とするリスクの認知のされ方によって、とるべきリスク管理対策に対する人々の選択は異なる。一般的に言って、リスクが人々にとって未知のもので、知覚することが困難であり、かつ、リスクが顕在化したときにその影響が長期間、広範囲にわたる可能性の大きいものほど、人々はそのリスクをより懸念し、より厳格な管理対策を感情的に指向するようになる。また、一旦、既にとられたリスク管理対策に不信感を持ったときも同様だ。「科学的に安全と説明されても、やっぱり気持ちが悪い」などというのがその典型的な反応だ。

 リスク管理対策に係る社会の選択は、このように科学的なリスク評価だけにとどまらない多様な情報をもとに行われる判断だ。こうしたことから、欧米諸国ではリスク管理対策に関連して費用便益分析のような政策科学研究やリスクコミュニケーションに関する研究が、相当以前から着実に行われている。こうした背景には、前回の原稿で紹介したように、1958年のデラニー条項導入以降のリスク水準の管理目標をめぐる20年以上にわたる激しい国民的論争を経験したという歴史もあるが、米国では政府、学界ともに、こうした政策科学研究の発展に取り組んできたという政策的努力の積み重ねがある。例えば、米国大統領府の行政予算管理局(Office of Management and Budget)は、全ての規制機関に対して、環境汚染規制に関連して量的なコストベネフィット分析を実施することを義務づけている。また、National Research Council (NRC)は20年以上前の1983年の時点でリスクコミュニケーションの在り方に関する研究、"Risk Assessment in the Federal Government: Managing the Process"と題する報告書をとりまとめ、連邦政府内でのリスク評価と意志決定の改善方策についての提言を行った。さらに、NRCはそれに留まることなく、民主主義社会でのリスク管理における重要な要素はリスクコミュニケーションであるとの認識に立って、学界をあげて1987年から2年間に渡る研究を行い1989年に"Improving Risk Communication"をとりまとめ発表している。

 翻ってわが国を見るとき、こうした分野の研究は、決して活発とは言えない。活発と言えないばかりか、わが国の学界は政策科学分野の研究を疎かにする傾向すらあったといえるだろう。 また、リスク管理問題には、上述のようにリスク認知が関係することから、人々のリスク認知形成に大きな影響を持つ関係分野の「専門家」の責任も大きい。にもかかわらず、何か問題が起きると「専門家」と称する人が出てきて、無責任な見解を言い散らし、仮にその言動によってリスク管理対策を誤った方向に向け、リスク管理対策に要する限られた資源の配分を誤ったとしても何ら責任をとらないといった不幸な例が未だに散見される。こうした「専門家」を敢えて見つけてくる一部のマスコミも問題だが、本来の専門家としてのコミュニティとその暗黙の規範が機能していれば、偽物の「専門家」はいずれ淘汰されていくことになる。こうした本来の専門家集団を創り上げていくためには、専門家間の健全な相互批判(ピア・レビュー)がきちんと機能することが必要であるが、わが国には極めて細分化された学問分野に約2,500にもなんなんとする数の学会が存在しており、そうした中の小さな学会で発行している論文集などを見ると、言葉の通じる仲間うちの議論になっているのではないかと感じるものがある。

 最近になって、わが国においてもリスク管理に関して、より合理的で、かつ、関係者の満足度の高い合意を実現していくための社会的枠組みや人材育成活動がようやく始まりつつある。日本学術会議は、政府に対して積極的な提言を行うことを活動の柱の一つと位置づけ、活発な提言活動を開始した。政府においても食品のリスク評価を科学的に、かつ、中立に行うことをその明確な責務とした食品安全委員会を始めとして、工業化学物質のリスク評価の実施を主要業務のひとつとする独立行政法人製品評価技術基盤機構などのリスク評価機関も設置し、科学的リスク評価の実績を積み重ねつつある。

 また、社会合意の形成のための手続きの整備も進んでいる。1993年に「行政運営における公正の確保と透明性の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的」として、行政処分、行政指導及び届出に関する手続きに関する事項を定めた「行政手続法」が制定されたのを始めとして、1999年には、社会的、経済的規制の制定、改廃の際にパブリック・コメントの聴取とその適切な反映を政府機関に義務付ける手続き(パブリック・コメント手続き)が閣議決定された。また、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」が1999年に、政策の事前評価、事後評価を行政機関に義務付ける「行政機関が行う政策の評価に関する法律」が2001年に制定された。

 先述したように、自分の判断と選択に基づいて、社会の中で行動をしようとする人々が確実に増えているという社会的潮流の下でイノベーションの実現を図ろうとするとき、近年、一定の進展が見られるとはいうものの、より合理的で、かつ、関係者の満足度の高い合意を実現していくために必要となる自然科学、社会科学の両面にわたる取組みの一層の強化を図る必要がある。

 イノベーション政策の推進に当って、従来、必ずしも重点を置いてこなかったこうした科学的活動に、政府として、学界として、もっと光を当てるべきというのが私の主張である。