竹 永 睦 生

京都工芸繊維大学
理事・副学長
<略歴>



これからの産学官連携はどうあるべきか


−第5回産学官連携推進会議(6月10〜11日、京都国際会館)について−


 はじめにお断りをします。わたくしは1970年松下電器産業に入社し、主として本社R&D部門で、光メモリー材料、DVD、プラズマテレビなどの開発に従事しました。2002年より2005年まで、同じく本社R&Dデバイス・環境技術部門を担当し、技術開発マネージメントを経験しました。この間、松下全社のデバイス・環境分野の産学連携テーマ責任者も兼任し統括して参りました。昨年10月同社を定年退職し、引き続き同部門のR&Dアドバイザーとして非常勤で本年3月まで勤務致しました。この4月より現職にあります。 したがって、私が知り得ていますのは、いまだ99%は産での知見です。結果として、これから申し述べさせていただくことが、産に軸足を置いたもの、産寄りの論理、就中狭い範囲の偏った情報に基づく恐れを感じます。その点をあらかじめお含みいただきたいと存じます。

【産に居たとき、官学をどう見ていたか】
 企業で産学連携テーマ責任者を兼務していたとき、上手にやると日本の官学は、なんと便利なところか、と強く思った。およそ30のテーマを統括していた。この中で、60%近くのテーマで非常に質の高い結果が得られた。それまでは、欧米の大学と連携することが多かったが、距離と言葉の障壁を乗り越えて期待通りの成果に結びつけることはなかなか難しかった。国内の官学と本格的に連携始めたのは、この3年ほどの期間である。それまでは寄付金などのお付き合い程度と割り切っていた。本格的に始めてみて、その能力の高さを改めて認識した。官学側の意識の変化も大きかった。意識改革では産学トップに危機感を醸成するなど官の果たした役割は大きかった。わが国産業の将来展望や方向付けなど、官の役割はますます重要性を増すと思われる。

 また、後述するような連携時の具体的課題も明らかになった
上のテーマは、3種に大別される。まず、一つ目は、官学がすでに保有している、あるいは進行中のプラットフォーム技術を駆使して課題を解決するテーマ。二つ目が、官学の科学力すなわち問題解決能力を駆使して問題を解くテーマ。最後が、新規な動作原理に基づくデバイスの開発など新たな商品、技術および科学領域を創出するテーマである。

 一つ目のテーマ群は、産官学が結集して同じ目的、目標をもって進めることが多いので、単独でやるよりも開発速度が断然速まり、開発費も少なくてすむ。ただし、成果も共有するので基盤的大プロジェクトに適する。先述の米国ナノテクセンターや実装技術センターはこの部類に入るだろう。国内の半導体関連のビッグプロジェクトや本年5月23日の総合科学技術会議で決定された世界水準の研究拠点づくりなどの政策は国家戦略として重要でますます強化すべきである。

 二つ目は、テーマ設定のプロセスそのものが複雑である。各企業は、それぞれ固有の技術課題を持つ。その課題を解決できる人材がいない、技術知識がない、といったケースはしばしば発生する。ただし、企業は関連事業をやっているから関連情報を持つ技術者がたくさん居るし、営業部門を動かして技術シーズのマーケティングも日常的にやっている。官学は、この情報網をもっと活用すればよい。

 官学に人材多しといえども、産の固有課題に解決法が官学に在る、というほど甘くはない。その専門能力を活かしてずばりの解決法を双方の努力で見いだして行くことになるわけであるが、どうやれば、スイートスポットを喰うような適材に巡り会えるのか。これが難しかった。共同開発をスタートさせる準備を周到に進めながら、網の目を次第に細かくして、絞り込んでいく。“この人”と目星をつけてNDA下で課題とターゲット、アプローチ法などを徹底的に議論してもらった。官学側は、もともとある特定分野の専門家で、さまざまな技術に挑戦して来てたくさんの引き出しを持っている。ただ、その引き出しの中にずばりのアイディアがひそんでいるほど、これまた甘くはない。解決策に至るヒント集だ。技術者同士の議論でこのヒントが出ると、ほぼ同時に複数の人の頭に解決策が浮かぶ、ということが良くある。このときのアイディアは、双方が、“これならいける”、“やってみたい”、という共鳴現象を生む。これでテーマ設定はうまくいった、ということになる。あとは、双方の責任者が定期的に報告を聞き、PDCAを回して、非常に質の高い結果が得られた。それでも最終結果までには、いくつもの難関が待ち受けているわけで、暗雲がたれこめる局面もあった。しかし、最初に双方の高い志と技術解に共鳴したチームの結束は、これらの難関を打ち砕くパワーがあった。こつは、この共鳴と数値で示したターゲット、そして責任者による定期的チェックであった。

 三つ目はもっと難しかった。前に述べたように、材料、デバイス系の変革期にあるのではないかとの予感は、誰にもある。したがって、いろんな企業が新規な商品分野、事業を得ようと必死に取り組んでいる。官学にとっては、もともと新たな技術分野、科学領域を創出することが使命だから、これも努力は怠りない。しかし、新規な分野ほど情報が少ない。他人に言いたくもない。時間的にはかなり先に商品化することが多いからマーケティングも結構難しい。要するにこっちや!といえる人がいない。そんな中で試行錯誤しながらも上述した二つ目の分類のテーマ群と同じやり方を試みた。大概は失敗だった。共鳴現象が起き、いけるのでは、というところまでは行くのだが、ヒント集の引き出しが少なすぎる。前に60%ほどのテーマで非常に質の高い結果が得られたと述べたが、残りの40%のほとんどが、この三つ目の分類のものである。大きな課題を残した。

【まとめ】
 これまで述べたように、産学官の連携は、規模、進め方、結果ともに従来とまったく異なり、従来以上に、といった表現でなく、必須のことと受け止めている。それほど大きな成果に恵まれた。
 一方、わずかに垣間見た学では、連携の必要性に対する意識、理解はまだまだ不十分である。産業界でも、表面的にはその有効性を声高に叫ぶけれども、本音はそれほどではないだろう。実際、産学官連携で著しい成果をあげている企業は、米国に比べ国内ではまだ少数ではないだろうか。
 といった状況で、学の立場からこれからの産学官連携はどうあるべきか、考えてみたい。
 先述した三つの分類でやり方が異なる。

 一つ目の分類は基盤共通技術開発。わが国にはわが国のアイデンティティーがあるし、米国がやっていることを小規模でやっても勝ち目はない。やるなら世界で勝つことを前提にやるべきだから、十分産業政策的フォローを入れながら、テーマの選別と集中を徹底的に行うべきだろう。わが国の得意分野、勝たねばならぬ分野を特定して、世界の人材を集めて、徹底的にやり抜く。そこまでやるか!というところでもう一段馬力をかける。これくらいでも競争相手とはなかなか競り勝てないのが現実で、さらに集中して投資するくらいの覚悟が、国として要る。また、国家的ビッグプロジェクトを誰にやらせるか、が大きな問題だろう。日本人は、良くも悪くも自分が所属する組織中心にものごとを考える傾向があり、産官学が結集してことを構えるとき、組織事情を優先しがちになる。時期も早く、着想も良いのに、いつの間にか海外のプロジェクトに負けてしまった苦い経験はたくさんある。この点、欧米の人たちは、人的ネットワークで仕事をしているから、仕事中心に進める。企業にとっては少し困ったことも発生するけれども、まず全体で勝つことが先だから、あの人がやるのなら、と結集して、わが国のプロジェクトを負かしてしまう。欧米は、タフネゴシエータがいるし、プロジェクトマネージメントも十分訓練されている。交渉、マネージメントに長けた人材をいかに確保するか。人の気質によるところも大きいので一朝一夕に解決できないけれども、参加企業への特許ロイヤリティーを格段に安くする、プロジェクト成果評価を企業側にフィードバックし個人評価に反映するなど、インセンティブを工夫し、何より勝てる人材を集め、勝ち抜くプロジェクト運営にしてもらいたい。勝つまで官側の責任者を替えない、というのも良いかも知れない。

 二つ目の分類は、応用技術開発。そうは言っても日常的には二つ目に分類されるテーマが多いし、短中期的にはむしろこれらが稼ぎ頭である。前に述べたように、どうやって適材に巡り会えるか、これに尽きる。とくに中小規模の企業では、手間暇かけていられない、という事情もある。人的ネットワークでなく、企業間ネットワークで仕事をするから、なかなか巡り会わない。官は、その対策をいろいろ講じているが、まだ十分な実効があがっていないのではないか。確かに大企業にいたときでも大変な苦労をしたので、即効的な妙案はないのかも知れない。まずは、膝詰めで徹底した議論ができるパートナーを見つけることを取り組んでみようと思う。中小企業の場合、ファウンダーやオーナーが将来に対して手を打ちたいと言う気持ちが強い。そのような方、あるいは代行できる方と基本的な方向を定める。つぎに大学内に概略を示し、提案を公募する。企業側に提案内容を開示して、絞り込む。最後に膝詰めの議論を徹底してターゲットを定める。というやり方を積み重ねて地道に実績を出して行きたい。

 このとき、とくに中小企業に対して知財獲得支援策を強化する必要がありそうだ。大企業に比べると、大学も中小企業も知財関連のノウハウや知財マンの数など相当強化する必要がある。せっかく生まれた発明が生かされないことも起きている。大企業出身のベテラン知財マンを派遣する制度を大幅に拡充すべきではないだろうか。

 また、人的ネットワークをどのようにつくるか。米西海岸では、直前にメールなどで連絡して大学、企業の技術者が昼食をともにしながら技術議論を頻繁にやっている。日本では、あまり見られない光景だろう。昼食をともにすることで解決するわけではないが、ヒューマンネットワークを各技術者がどうやって築けるか。それを大学、企業、そして官がどのようにサポートできるか。恒常的な仕組みと、とにかくざっくばらんに集まれる機会を地域、地域で数多く設けることではないだろうか。

 とくに、京都は歴史的にも数多くの起業があり、名だたる世界企業に発展した例がたくさんあることで有名だ。他にも同じような地域がある。そのような例では、その精神が地域振興から生まれ、自己の夢実現から生まれている。ほぼ共通に言えるのは、ヒューマンネットワークがあること、大学を上手に使っていることである。このようなヒューマンネットワークを地域、地域でつくって行くことが、まどろっこしいが肝心なことではないだろうか。地域振興と夢実現でベストプラクティス事業を目指したい。

 最後に、三つ目の未踏技術創成。わが国も数多くの未踏分野創成に成功し、学会、産業界に多大な貢献を行ってきた。しかし、ノーベル賞の数で議論は行うべきではないだろうが、公平に見て、まだ欧米に肩を並べるところまではいっていない。なぜか。
材料を中心にした巨大な技術革新の予兆から、産官学がいっそう協力して新たな技術プラットフォーム創出に努力すべき時期である。過去には、欧米から技術を導入し、実用化技術で成功した。今日では、アジア諸国のコスト力と、欧米の未踏技術創出力および知財網に挟撃される状況になってきた。わが国で伸ばすべき産業分野での基本技術創出と世界の先頭に立って解決すべき技術分野に資源を徹底的に集中して、世界に勝って行きたい。

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●履歴書

竹永 睦生(たけなが むつお)
工学博士

1970年3月 熊本大学大学院工学研究学科修士課程工業化学専攻修了
970年4月 松下電器産業株式会社 入社
991年8月 同社光デバイス研究所所長
1999年4月 ディスプレイデバイス開発センター所長
2002年4月 デバイス・環境技術部門担当 技監
2005年10月 同社退職
2006年4月 国立大学法人京都工芸繊維大学 理事・副学長