北朝鮮、イラク問題について一私見

平成20年7月2日 北 澤  仁

 小生の父、北澤直吉は米国通の外交官、政治家で戦前は戦争前のアメリカ・ワシントンで米国人にも敬愛された斎藤博大使の下で険悪しつつある昭和10年〜14年まで日米友好のため頑張りましたが斎藤大使急死に伴い米国軍艦アストリア号でのその遺骨搬送の首席随員として帰国しました。その時に一時日米友好ムードが両国で盛り上がったそうでそれが維持できなかったのは大変残念と戦後言ってました。

 その後父は香港界隈で蒋介石との和平工作に一時従事しその後16年から北京総領事をつとめ18年にビルマ大使館参事官、最後は代理大使としてバーモー大統領の日本亡命を先導し、新潟石打のお寺に隠し、本人は素知らぬ顔で吉田茂外務大臣の秘書官をつとめ連合軍司令部の米国時代の友人なんかと和気あいあいやっていたそうです。

 ところが或る日突然英国関連からバーモー指名手配の関連でMPが秘書官官舎に乗り込んできて逮捕、巣鴨にぶち込まれたそうです。半年入っていたそうですがそのうちビルマ独立となりバーモーさんともども無罪放免されたそうです。この件では吉田さんも危機一髪のところでマックの意向で助かり危ういところでした。まさに日本の歴史が変わるところでした。この辺はあの白洲次郎が走り回ったおかげでしょう。

 戦後は筑波出身政治家として選挙は悪戦苦闘、7勝5敗の戦績ながら吉田側近として吉田さんを支え、その後池田・佐藤ラインを敷くため暗躍していたみたいです。石橋・岸内閣の官房副長官、自民党外交調査会長を歴任しました。中東関係は戦後日本外交の再建、資源外交のため政治家として特に力を入れ、独立直後のイラン国有化石油の輸入問題では出光興産の計助氏の一橋大学友としてメジャーとの国際裁判に協力し外務省時代の上司で国際法の権威の柳井氏(柳井元外務次官、駐米大使の御尊父)を引っ張り込んで歴史的勝訴としました。

 もちろん英国との外交問題にならないよう吉田総理の了解も取り、外務省は一切知らぬ民間問題で押し通したそうです。それがきっかけで日本イラン協会を設立し、外務省に中近東課を新設し、有能な人材をイラン大使に任命し門脇、山田氏等外務次官コースとなりました。この辺はバーモー事件ともども読売新聞発刊の「昭和史の天皇」に詳しく掲載されています。


 ところで最近のイラク問題についての見解ですがアメリカの戦後統治の失敗、欠如であることは歴然ですが、本来なら占領政策を戦争遂行部門の国防省ラムズフェルドに全面的に任せるべきだったと思います。ブッシュは開戦演説でフセインとその兄弟たちを除くのが目的で後は受け入れると確か演説したはずでした。短期間で勝利をものにした後ラムズフェルド直系のなんとか?将軍(以前クルド対策で実績のある)を暫定最高司令官に任命し、バース党であれ協力者は受け入れ治安確保、インテリジェンス優先で統治が出発しました。

 これに文句をつけたのがイラク亡命者を中心とする即時民主化勢力でした。このためアメリカの理想を実現すべく国務省派が盛り返し外交官がトップに任命され、バース党を根こそぎ追放し民主主義選挙即時実施を目標にいわゆる各勢力間の小田原評定が始まり治安回復の現場体制構築が無視されたことが失敗の原点と思います。

 日本の戦後統治の成功がブッシュにより喧伝されますが日本は天皇が残り、優秀な官僚組織、人材は基本的には残ったわけですからイラクとは大違いです。占領軍の方も米国の理想を追求する共産派まがいの民政局路線から共産主義敵視路線、日本をその防波堤に活用する、そのためには日本の優秀な官僚、軍隊経験者ですら活用するとの現実路線へのイラクとは逆の路線転換が行われました。

 私の最近の私見ではアメリカは日本を参考にするより、良し悪しは別にして五族協和の日本の満州国統治建国を参考にすべきではと考えています。少なくとも13年間、もちろん軍の力もありますが治安は大勢として安定し、経済も発展していたのではないですか。もちろん日本人の姑息な内政関与的手段は歴史的にも評価は得られませんでした。


 最近の北朝鮮問題についての見解ですが歴史的に見て日本はアメリカを非難できるような立場ではありません。1980年ごろは確か金丸・田辺ラインで北朝鮮べったりがありながらなぜ拉致問題を解決しなかったのか、1995年のクリントンの北朝鮮の核施設爆撃政策のときには韓国と日本(細川政権時)は必死になって反対し、やむなくアメリカは交渉による解決を選ばざるを得なかった。このときにすでに既成の1〜2発の核は黙認がありました。

 その後北朝鮮に騙されたことがわかりアメリカ・ブッシュが悪の枢軸の一国と大敵視していた時に日本はアメリカに事前相談せず拉致、核解決のための小泉訪朝を強行しました。ブッシュも仲の良い小泉だからしょうがないと怒り狂う国務省、国防省を抑え込みました。もちろん8人解放の小泉訪朝は結果的に大成功でした。拉致家族も長年放置された問題に国家賠償等要求することは正論と思いますが小泉政権はじめ以後の政権当事者に罵詈雑言を浴びせかけて核問題も無視して制裁制裁と云いまくるのはいかがなものか、昔のように攻める軍隊を持たない日本の実力をわきまえるべきです。

 日本のマスコミも社説、コラム等で拉致家族、世論に迎合しアメリカの大統領をあからさまに非難し、米国不信をあおっておりますが、私から見れば昔の戦争前の世論におもねり開戦を煽った朝日新聞はじめ無定見なマスコミの再現を見るようです。それほどまで言うなら「北朝鮮に核を黙認するなら日本も核兵器の研究ぐらいするぞ」と1紙でも主張すれば北朝鮮融和策なぞ一気に吹っ飛んでしまうのにと思うこのごろです。その覚悟もないのに無責任なマスコミ論調にはあきれます。少なくともアメリカの核持ち込みぐらいは認めるべきです(実態は何も変わらない)。新聞の論調は狭隘なナショナリズムに結び付く日本の核保有論を挑発していると自覚すべきです。

 現在の6カ国協議はみんな騙し合いの協議みたいのものです。北朝鮮との各国の利害はみんな異なり、一致できるのは核問題のみです。アメリカも昔の戦争前、対ナチのヨーロッパを主戦場に、対軍国日本には直前まで油とスクラップを与えながらあやし(だまし)、国内の戦争経済の準備を十分しながらだまし討ちにあった、「リメンバー、パールハーバー」と一大逆襲を仕掛ける、そんな国です。

 昔から父はアメリカは世論の国、アメリカを動かそうとしたら政府だけではダメ、日本の総理も一時期までワシントン訪問後ニューヨークのプレスクラブで演説していましたが最近はそれもしていませんね、父はそれでも不十分で1週間ぐらいかけ中西部のシカゴ、南部のヒューストン、西部のロスORサンフランシスコぐらいは行き日本の主張を訴えてくるべきだと言ってました。さすが中国はうまい、江沢民の顔見せ訪問の時まさに1週間かけ米国各地を訪問した記事を見、やられたと感じた次第です。

 ともかく日本は今後の北朝鮮外交は拉致問題と経済援助を確実にリンクさせ、不十分でも核問題に完全な歯止めをかけ拉致解決への日米共同捜査体制(アメリカは死亡米兵捜査でノウハウあり)、ロードマップまで確定し国交正常化か実質的国交回復までアメリカと完全共同歩調で突っ走るぐらいの覚悟が必要では。

 歴史的にもまた長期で見れば日本は朝鮮半島に何らかの政治経済上の足場は必至です、今現在ほど5カ国に日本が朝鮮半島に介入、関与することが歓迎だと言われている時期はありません、そもそも日本は北朝鮮問題では当事国ではないと中国、北朝鮮に云われ、昔は頭越しにけしからんと韓国に文句をつけられる始末でした。北朝鮮問題が落ち着いた時に遅れて出て行っても日本は関係ない国だと言われるのが落ちです。もうアウトボクシングの時期は過ぎました、相手は暴君だろうとクリンチで場合によってはアメリカと共同でインテリジェンスで倒すんだとの気概で臨むべきと確信します。

 まーこの辺は福田さんはじめ外交当局者も覚悟をきめ臨んでるように最近は見受けられます、当面は国民世論は気にせず、基本方針を曲げず驀進するのみです。ここまで来て国際的な流れに乗らず躊躇すれば日本外交の全般的孤立を招き、最悪の事態です。日本の制裁の手段はまだまだ大きいのが残っています、それは巨大経済援助(これは日本経済にも見返りあり)、最後は日本国の核保有の気概です。

 父の話では日中国交回復では佐藤内閣末期ですが日米共同歩調で行こうと合意があったそうです。泥沼のヴェトナム戦争終結のため米国キッシンジャー特使の日本頭越し中国訪問等あり日本側に不信を残しましたが日中国交回復では台湾国民政府は犠牲にせず実質的に二つの中国を中国に認めさせる方策を共同で検討していたそうです。共産中国もソ連対策から米国との国交回復を焦眉の急と考えていましたので米国サイドでは日米同じ条件で可能だと見ていたそうです。

 ところが佐藤後継の最有力福田赳夫を逆転すべく急遽立候補した田中角栄は日中国交回復を打倒福田の最重要政策に掲げ猛烈な金権選挙で勝利するや単独での国交正常化交渉を強行しました。日本は足元を見られ一つの中国を押しつけられ台湾政府との断交を強要されました。米国は後からの国交回復交渉で日本の例を喧伝されましたが二つの中国政府が一つの中国と言っているという線で押し切り、台湾政府とは別途法律による政府関係を堂々と維持することを認めさせたそうです。これらの悪しき失敗例をよく参考とすべきです。

 ところで日本は正面の北朝鮮問題だけに汲々とするだけでなく、米国はブッシュ政権最後の6か月に何をやらんとしているか、その米国らしい世界戦略、それを次期大統領選挙にどう繋げんとしているかについて現実的な賢明な洞察をすべきです。

 ぼんやり最近見えてきたのは中東情勢、特にイスラエル関係紛争の融和政策(シリア、レバノン、ガザのハマス)の成功、東アジアでの北朝鮮への融和政策、それに比べ中東の反西欧連合の主を自称するイランへの安保常任理事国プラス独の6ヶ国の結束のもとでの核兵器廃棄への制裁強化(意外とロシア、中国は追随)、さらにはイスラエルの空爆訓練等の情報を見ますとイランへの空爆のみの軍事制裁の環境造りが出来上がってきた感じです。むしろホルムズ海峡辺りではイラン側を挑発しその反撃を待ち構えている構図です。

 イラン軍事制裁は民主党支持者にも最終手段として支持が高い政策ですし危機に強いマケイン共和党候補への追い風ともなる。イラン原理派からアフガンのタリバン、レバノンのヒズボラ、ガザのハマス、イラクシーア派の反米サドル派、パキスタンのトライバルエリアに資金が流れ、諸悪の根源と睨まれています。日本は事の良し悪しは別として今回の米国の北朝鮮融和政策の裏にあるこの現実を理解すべきです。