◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2011/09/08 http://dndi.jp/

さらに震源地をゆく―都江堰・天馬鎮、岷江上流、水磨鎮へ
 〜中国・四川大地震の研究視察(その2)〜

 ・震災復興は上海styleに学べ
〜上海と都江堰のパートナーシップ復興支援〜
 ・4LDKの農民の新しい高級住居拝見
 ・紫坪鋪ダム周辺の山地災害の現実を撮る
〜一押し情報〜
 ・金沢工業大学、第19回KIT人材開発セミナー
 9月12日(月)16:30−17:30 (ご招待者のみ)
 黒川清氏の講演「国際的競争時代の経営ビジョン」
 ホテルニューオータニ:本館1階鶴の間
〜コラム&連載〜
 ・黒川清氏『アジアの若者の繋がりを作る沖縄の'AYDPO'』
 ・氏家豊氏『大手企業と新興企業のシナジー形成 -1』
 ・宮本岩男氏『インド・ニューデリー到着』
■※インド・ニューデリー爆発事件で、宮本さんから無事のメールあり!

DNDメディア局の出口です。さらに震源地にゆく。あんまり取材が入らなかった現場へ。まず被災した農家が移り住んだ新築のご自宅を訪問した。そこから一路、今度は危険を顧みず四川盆地を流れる岷江上流の険しい山岳地に踏み込んだ。崩壊、地滑りの爪痕が生々しい。巨大なダムが目に飛びこんできた。山紫水明とはほど遠い奇岩の斜面を抜けると、そこは懐かしさに満ちた胸中故郷でした。物憂げな静謐の中で伝統文化を育んできたチベット・チャン族が暮らす水磨鎮だという。


 まず、四川省の成都市からチャーターしたバスで約1時間半、その約60キロ北西の都江堰市に向かった。そこで新設の震災陳列館に立ち寄り、上海市による"対口支援"によって都江堰市が驚異的な復興を実現していたことは、前回触れた。その続きです。


 上海市が、都江堰市の復興に投入した予算は80億元(1000億円)に上った。復興に向けて掲げたスローガンが、上海のスピード、上海のレベル、上海の高い品質というものでした。飛躍的なテンポの上海styleを被災地に持ち込んで一気にやり遂げた感じがした。


 移動のバスの中で、ほんと東日本の漁業や田んぼ、花卉栽培の現場に復興のスピード感がないのは、どういうわけだろうか。我が国でも住宅や通信、教育など特定分野に限って元気な行政が民間を巻き込んで、東日本の自治体を個別に支援するパートナーシップ支援を考えてみたらどうか、今からでも遅くはない、などと考えていた。早期の震災復興は、上海―都江堰のパートナーシップにみる中国の"対口支援"に学べ、でしょうか。


 さて、都江堰市から逆に成都市方向に少し戻る。バスで東に10キロ走ったら、これと言った風景のない農村地帯に入った。都江堰市に17か所ある鎮のひとつ、天馬鎮という。人里離れたこの村にも上海styleが投影されていた。


 上海styleで建てられた農民用の高級住宅=都江堰の天馬鎮で。


 4LDK規模の2階建て新築住宅、隣りあわせで2世帯が棟続きになっていた。これが幾棟も軒を連ねている。この集落に60戸、天馬鎮全体で2037戸が建設された、と説明があった。井戸端会議だろうか、木陰にお年寄りらが簡易なベンチに腰を掛けてこちらの様子を眺めている。興味深げに子供らが窓から顔を出す。オート三輪の男性が、威勢よく声をかけていく。珍客、あらわる。住民らにしてみればそんな感じなのだろう。


 道路をはさんで家と家の間に、赤、青の旗を吊るしたアーチがならんでいた。にぎやかさは日本の住宅展示場の雰囲気に負けていない。やや様子が違うのは、おびただしい量のトウモロコシが無造作に路上で干されていた。道路がうっすら黄色く見えた。赤いのは、トウガラシだった。あっ〜住民らが遠慮なくその上を踏んづけていく。


 農家の新しい家の前で、記念のショット。


 これも路上に並べられた赤唐辛子。


 都江堰市から同行の担当者によると、このエリアの農家は地震で家屋を失った世帯が少なくない。それまで住んでいた土地の補償と引き替えに新しい住宅が提供された、という。うっそうと木々が茂る入り口付近にチラッと農家の古い家が目に入った。レンガを積んだ崩れ落ちそうな家々が点在していたにちがいない。その家に比べれば、この新しい住宅は夢のようなものかもしれない。私事ですが、縁があって名証2部上場の省エネ・エコの(株)桧家ホールディングスの社外取締役を拝命している関係から、その震災対応に伴う中国の最新住宅事情を知るチャンスに恵まれたのは得難い経験となった。


 なんとなく住宅展示場のイメージが消えない。


 それまでの古い農家は、こんな感じだったのではないか。


 震災の復興にあたって、四川省や市、共産党青年団の幹部らが繰り返し強調したのが、「農民の要望を聞く。そこから調査を始める」という農民重視の考えでした。この住宅建設にあたっても農民の希望を聞き入れることを原則とした、という。



 打破、軍隊式などの文字が読み取れます。

パネルにその設計思想の基本が紹介されていた。そこに「打破」の文字、少し読める。何を打ち破るのかといえば、兵士の駐屯地にみる軍隊式とか、マッチ箱のような画一的とか、古い伝統も改める、と書いているようだ。知人でDND連載「中国のイノベーション」を執筆していただいている張輝氏に、無理を言って翻訳してもらったら、こうだ。


1、「軍営式」を打破し、融合や親和を重視し、農村建設の計画レベルを向上。

2、「ブロック意識」を打破し、共に享受、村落分布デザインのレベルを向上。

3、「古い伝統」を打破し、発展的なアプローチを堅持し、農民の収入を向上。

4、「マッチ箱」を打破し、多様性を推奨し、農民の住居デザインのレベルを向上。


 わかりやすいスローガンですね。生活の豊かさを整備し、快適な環境のアメニティーを醸し出す融通性や享受性、発展性、さらに多様性をも重視し現出させよう、と意図したのではないか、と思う。へえーと感心しました。棟続きの家では、それぞれ壁の色を変えて違いを浮き出させていた。


 さて、新しい家に移り住んだ農民の生活ぶりは、実際、どうなのだろうか。お宅拝見、さながら、なんということでしょう、のナレーションが聞こえてきそうだ。突撃、隣の晩ご飯よろしく大勢でお邪魔した。台所やトイレのぞきみて2階に上がり、寝室や子供部屋も見せてもらった。居間には、ふんわり居心地の良いソファーが置かれ、子供部屋にはアイドルらしきポスターが壁に貼られていた。電気、水道、ガスが完備し、ともかく清潔なのである。トイレも水洗で、1階は和式、2階は洋式ときめ細かい。1階にはお年寄りの部屋があるらしい。


 全自動の麻雀台とは驚いた。


 驚いたのは、1階の道路に面した吹き抜けのガレージで、ジャラジャラ麻雀をやっていた。三人麻雀だ。パイが大きい。それも3組も、主婦の組もいた。昼間から堂々と麻雀やってていいのかな?なんて余計なお世話ですよね。昼間から後ろから麻雀をみている日本人の方が、よほど奇妙かもしれない。まあ、その辺はどうなんだろう、と問うと、いま農閑期だそうだ。 しかしねぇ、みなさん、麻雀の機械は、緑色の台座の下からぐわーんと唸りを上げてパイが自動的に積みあがっていくんですよ。そう全自動の麻雀台でした。それが3台もある、と思ったら1階の角の部屋にもう2台鎮座していた。中国の近代麻雀、恐るべし。



 この開放感はなんなのだろうね。こちらが実際の暮らしぶりをみたいとリクエストしたから、それに答えてくれたのかもしれないが、政府の担当者にはよく対応してくれた、と感謝申し上げたい。


 都江堰の市政府の案内を聞く、白鳥先生ら一行。


 これまで見てきたように地震で8割が被災した都江堰市は、真新しく大規模な住宅街がいくつも誕生し、ほぼ完成に近い復興の足跡が確認できました。移り住んだ農民らは清潔で広い住居を無償で提供されたり、あるいは自前で建てたりとそれぞれ新しい環境での生活に少し戸惑いながらも、やっと震災以前の落ち着きを取り戻してきたようです。


 帰り際、自宅前の路上で男性が、トウモロコシを木製のトンボのようなものでかき混ぜていた。日が当たるようにトウモロコシの上を行ったりきたり、その都度、ザーザーと波のような音が響く。団長の白鳥令先生が、その男性に「農業をやるうえで、田畑の中にあった昔の家と、この新しい住宅での生活を比べてみたら、どうですか?」と通訳を介して聞いた。すると、「今のところは狭いので農業をやるには不便だが、全体的に生活環境が向上しているので、こちらの方がよい」と答えていました。


 「狭いけど全体的に快適だ」と語る、農家の住民。


 温家宝さんが、懸命に訴えてきた復興の目標は、達成されているのだろうか。その言葉を借りれば、「被災者の全員が住宅に住み、各家庭の誰かが就職できて、生活が保障されている。さらに電気や水道など生活インフラが整い、経済が発展し、生活環境も改善している」という状況なのだが、確かに震災前より後の方が農民の生活が向上していること確認することができた。この中国という国家、その人民の涙と汗、その努力には心底、感心させられた。こういう国の制度がいいかどうかは別にして巨大地震に対する国家の気構えや被災者を救うという為政者のリーダーシップは、中国の方がはるかに優れていることを書き添えておかねばならない。


 しかし、近代化という豊かさの光と影とでもいおうか、震災を契機に農民の生活が一変した。広々とした田畑の中でいままでのような貧しい暮らしがいいのか、新しい住宅で都会に働き口を探して兼業とするのがいいのか、その答えは私にはわからない。はっきりしているのは、中国が、一歩新しい現実に踏み出したということである。それは政治不安を取り除く格差是正、貧困の解消のために農業を切り捨てる施策かも知れない。それを私がとやかく論評することではないなあ、と複雑な思いを抱きながら、再び、バスに乗り込んだ。


 車中では、麻雀にふけっている彼らの事が話題になった。あのトウモロコシのことも。あれは越冬の保存食なのか、家畜のエサなのか、そんなことをぼんやり考えていた。さて、昼食をはさんで、次は…。


 都江堰市といえば、紀元前3世紀頃手がけた岷江の上流の水利灌漑の施設が知られています。暴れ川の異名をとる岷江の流れを弱めるため、人工の中州を構え川の水を左右に分散し氾濫を緩和した。ひとつは灌漑用水としていくつかの用水路に振り分けられている。ここは道教の名山と言われる青城山と並んで世界遺産に登録されています。が、われわれ一行はここを迂回し、その岷江の上流を目指して震源地付近を向かうことにした。


 M8の直下型で世界最大級といわれる四川大地震。被災者数4624万人って想像できますか、死亡・行方不明者が8万7000人、同じ数の被災者を瓦礫から救ったというが…未曽有の艱難辛苦を超え、短い期間での復旧、復興を成し遂げたというのは奇跡的な出来事かもしれない。


 山岳地帯では、広範な山地の修復というのはそもそも可能なのだろうか。山地災害が壊滅的な影響をもたらした。あれから3年余り経っているとはいえ、釜石の三陸海岸の現場で私が見た痛々しい爪痕がまだあるのではないか。2008年5月12日午後2時28分、その日の夕方、北京から飛んできた温家宝さんが顔をゆがめた現場は、どんな状況になっているのだろうか。山岳地帯では、広範な山地の修復というのはそもそも可能なのだろうか。


 大きな崩落の痕が生々しい山岳地帯を進む。


 それにしてもね、バスの運転手が凄まじいスピード狂だ。どんなに曲がりくねった悪路でも狭隘な坂道でもアクセルを緩めようとしない。見事なハンドルさばきといえばそういえなくもないが、それも事故が起こらなかったからいえる話し。急な上りのカーブで、ダンプが対抗車線から砂塵を巻き上げて飛び込むように接近すると、きわどいタイミングでハンドルを切る。あっと、すれすれだ。フー、スリル満点だからと、喜んではいられない。このスリルが連続するのよ。眼下には切り立った断崖が迫る。車内のおしゃべりが途切れる。これっ、ひとたびガードレールを超えたらひとたまりもないなあ、と誰となく呟いた。これじゃあ、滅多に取材が入らないのも無理はない。


 どのくらい上ってきただろうか、もう1時間以上は走ってきた。窓の外が、変貌していた。峰々が連なる山が、広範にわたって地肌をさらけ出していた。あれが地滑りの後だろうか、斜面が高さ数百mに及んで崩落を繰り返した後が生々しい。山は傷だらけとなってそのまま手が加えられていないようだ。まあ、これじゃ、修復のしようがない。土砂崩れで道路や家屋が埋まり、崩落でせき止湖が多数発生し危険が増した。ひとたび氾濫すると、甚大な被害をもたらす。さきの台風12号で奇しくもその一端を知ることになりました。



 コンクリートの塊がみえる紫坪鋪ダム。


 岷江の上流、その渓谷といってもスケールが違いすぎる。とてつもなく大きい。山の山頂部から川岸にかけて大規模の表層崩壊が起きているのが目に付く。あれも、これも、どんな揺れが、この岩山を変わり果てた姿にしたのだろうか。眼下に巨大なダムが見えてきた。コンクリートの塊が川をせき止めている。紫坪鋪ダムだ。貯水量10億立方m、高さ158m、国際協力銀行から322億円の融資で建設されたロックフィルダム、と資料にある。地震で下流の開口部に亀裂が入り、コンクリートがずれて段差も起きた。修復は終えていた。



 ダム湖を横断する廟子坪橋、落下したスパンの修復箇所がみてとれる。


 さらにその先のダム湖を横断する廟子坪橋の山側のスパンが落下し、その修復の痕がくっきり目でも確認できた。橋の対岸に見える大きな表層崩壊の右側のえぐられた跡のようなくぼみは、従来からの採石場だという。 この周辺一帯の山々は、そのほとんどが痛々しいほど山肌をあらわにし、さらにその向こうの峰々にも崩壊が及んでいた。


 この四川大地震の特徴を聞いていた。救援のむずかしさ、災害の範囲の広さ、被災人口の多いこと、確かに。こうして現地にきてみると、震災当時は、この険しい山道は一部、寸断された。被災範囲が30万〜40万キロuに及ぶ、ほぼ日本の総面積に匹敵する規模になります。電気が止まり、水も出ない。被災状況を知る術がないのである。村がそっくり消えたところもある。


 この地震は、加えて4つの大きな地震が微妙に場所を変えて複合的に起きていた。最初がM7.5、次がM8.0 、そしてM7.5、M7.7だ。その回数も震度6から6.9が8回襲いった。5〜5.9が32回、4〜4.9が200回以上繰り返し、わずか数ケ月で2000回もの地震を観測していた。山の地表が上下にずれる、当局は「破裂」と表現した山の地表が上下にずれる、断層の亀裂が最大幅241キロも走っていたことが四川省の地震研究院の調べで判明した。地滑り、土砂崩れ、岩盤崩壊、山崩れ、それにせき止湖…川に崩落した土砂が堆積してできた湖だ。北川県の曲水鎮の北川渓谷にできた唐家山のせき止湖は、水位の上昇が80mになり、※1下流域の綿陽市など50万から100万人の住民の影響が心配されたが、中国政府、人民解放軍によるダムの開削が功を奏し、大惨事を直前に防いだという。これが決壊していたら、下流の住民に多大な被害をもたらしたことは間違いない。地震による山地災害の恐怖は、二次災害と言われるゆえんです。


 山間に民家が見えてきたこの辺からチャン族の水磨鎮に入る。


 この惨状を写真にとりながら、さらに30分ほど走ると、川幅が狭くなり左右の山の斜面に住宅が見えてきた。周辺の風景に色味が増した、と感じたら、そこは物憂げな静謐の中で伝統文化を育んできたチベット・チャン族が暮らす水磨鎮だという。


 以前、ここに足を運んだかもしれない。そんな懐かしい気分にさせる胸中故郷という言葉が浮かんできた。女性は美人だし、どこの国もそうだが子供がめちゃかわいい。ところが、この街はもともとあったわけではないのである。このチャン族の街のそぞろ歩きと写真スケッチなど、そのルポは次回に。



 落ち着いたたたずまいのチャン族の街、レトロ調だ。歓迎に紅白の絹のスカーフがプレゼントされた。みんなで記念撮影


 ※このメルマガは配信の後、写真を組み込んでサイトのバックナンバーにアップしますので写真とあわせてご覧いただけるとより楽しむことができます。


 ※1『四川大地震と山地災害』(理工図書刊、山田正雄氏ら共著)を参照。


□一押し情報 ■金沢工業大学第19回KIT人材開発セミナー
日時: 2011年9月12日(月)16:30−17:30 
場所: ホテルニューオータニ 本館1階鶴の間
黒川清氏講演「国際的競争時代の経営ビジョン 〜 イノベーションと人財育成」
*この講演はご招待者のみ、となっております。


□短信
■インド・ニューデリーで爆発事件、先般、NEDOのニューデリー事務所長として赴任し、DNDサイトで連載を始めた宮本岩男さんから、無事のメールが入りました。
「私はちょうど出張中で現場の雰囲気はわからないのですが、事務所に聞いたところ、私のオフィスから約2kmのところで爆発があったみたいです。なお、事務所の人たちは皆無事ですし、どんな感じか聞いてみたところ、今のところ街を見ている限り平穏で、落ち着きを取り戻しているようです。ご心配ありがとうございます」。




記憶を記録に!DNDメディア塾
http://dndi.jp/media/index.html
このコラムへのご意見や、感想は以下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。
DND(デジタル ニューディール事務局)メルマガ担当 dndmail@dndi.jp