◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2010/08/11 http://dndi.jp/

『「はやぶさ」支えた日産リストラ組』

 ・今週の「アエラ」から読む、「エンジニアの誇り」  ・「はやぶさ」と「隼」をつなぐ中島飛行機の糸川氏  ・中島飛行機のDNAを継ぐ「清田アルマイト」  ・足利の若者を描いた『Uターン軌跡』から27年 〜コラム&連載〜  ・黒川清氏のコラム「大学のバイオ知財を生かせ」  ・石黒憲彦氏「スマートコミュニティ」への戦略  ・橋本正洋氏「産業財産権の現状と課題」を読み解く  ・山城宗久氏「八月の想い」 〜一押し情報〜  ・第10回MIT-EFJビジネスプランコンテスト最終審査会

DNDメディア局の出口です。感動の余韻がいまだ覚めやらぬ小惑星探査機「はやぶさ」物語。関連の出版の売れ行きも好調らしくセミナー会場やプラネタリウムも大入りの盛況ぶりです。


無事に戻ったカプセルや耐熱カバーなどの一般公開はご存じの人気で、神奈川県の相模原市立博物館、筑波宇宙センターに続いてこの15日からは東京・丸の内オアゾで公開(午前8時―午後8時、19日まで)されます。この目で、あの"へその緒"を見ながら、未踏の宇宙小惑星の旅、それを支える技術と職人、それらの歴史的系譜に思いを馳せてみるのも一考です。お盆と夏休みが重なってここでも行列ができるのでしょうね。


「はやぶさ」本体機は、大気圏の再突入時に火花を散らして燃え尽きたが、その時の温度が1万度とも2万度ともいうのですから、いくら耐熱のカプセルとはいえ、その空前絶後の灼熱の中をどう突きぬけるか、そこが最後の試練だったわけですね。60億キロ、7年の長旅から戻って無事にカプセルを回収し、その中に小惑星「イトカワ」の砂が入っているかどうか、その分析よっては宇宙誕生の謎を解くという。奇跡的なドラマを演じたカプセルにまるわる開発や製造秘話、表面の温度を3000度程度まで保つ耐熱シートのメカニズムなどに自ずと興味が惹かれます。プラネタリュームで上映される「はやぶさ」物語は、漆黒の宇宙を航行しながら困難に挑む「はぶさの」姿にみんな目を赤くはらして応援するらしい。やっぱりこれは神業としか、言いようがない。


「はやぶさ」の開発の系譜を辿っていくと、偶然、同じ名前の戦闘機「隼」を量産した中島飛行機に行きつく。昭和12年当時、糸川という名前のエンジニアが、中島飛行機の研究課空力班に所属し「隼」の設計に携わっていた。「隼」は、戦闘機の中でもゼロ戦と並んで性能に優れた小型の名機とされ中島飛行場で5700機ほど生産されました。先の大戦で活躍したという記録があります。その糸川氏は、小惑星「イトカワ」の命名で一躍有名になった「宇宙開発の父」の糸川英夫博士でした。


この辺の経緯は、ネットのウイキペディアに詳しいので省略します。私には驚きの発見でしたが、すでに周知の事実でことさら騒ぎ立てる話じゃないかもしれません。小惑星探査機「はやぶさ」と戦闘機「隼」に糸川つながりがあるなら、「はやぶさ」の命名もそこからきているのか、と思えばどうもそうじゃないらしい。


宇宙航空研究開発機構ホームページから、プロジェクトマネージャーの川口淳一郎教授のコメントを引用します。


「はやぶさ」は,それ(アトム)に対抗して?上杉先生と私が旗を振って出した案です。MUSES-C 探査機の試料採取は、1秒ほどの間に着地と離陸を行って(Touch and Go) 実施されるものだったので、その獲物を捕獲する様子から、「はやぶさ」とあてた案でした。(略)もちろん,その昔,東京−西鹿児島を走った「特急はやぶさ」とか、鹿児島県の地名であり「隼人」にもちなんだ面もあります。漢字で書くと、「はやぶさ(隼)」という字は、下にサンプラホーンが伸びていて、上にハイゲインアンテナがあり、ちょっと上下の位置は違うものの太陽電池も横に張り出していて、漢字1字をみても大変探査機らしい名だと、私は感じています。


<はやぶさの命名>
http://www.jspec.jaxa.jp/activity/hayabusa.html

 〜満身創痍の状態で帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。太陽系の謎を解き明かすかもしれないカプセルを開発したのは、衝撃的なリストラに直面した技術者たちだった〜。と、くれば、これはNHKのかつての国民的人気番組『プロジェクトX』のナレーションを思い出します。今週発売の『アエラ』の特集記事のリード、いわば記事の書き出しです。大きな見出しで、『「はやぶさ」支えた日産リストラ組』‐とありました。


いまなお、多くの人々に勇気と希望を与えている「はやぶさ物語」。が、その裏で「実は…」というアエラの取材の狙いはエンジニアの苦闘に突っ込んでいるのです。これまで明らかにされていない開発や製造現場からのアプローチです。どうやら取材のガードが堅いのか、あんまりインサイダー的な記事にはお目にかかれませんでした。が、そこを「アエラ」が突破したようです。


突然のリストラと会社の身売り、限られた予算の中で迅速な決断が迫られながら、カプセルの表面を高温から守るヒートシールドの開発という"未踏の実験"は、失敗の連続だったという現場の苦労話を紹介し、特命を受けた5人の開発メンバーの数奇な運命をなぞる。アエラを読んで一般公開の会場に足を運ぶと、より深い感動が得られることでしょう。お子さんらをお連れすれば、父親の復権のいいチャンスになるかも。


記事は、元日産の社員で現在IHIエアロスペースの技術者(53)をメインに取り上げていました。東京農工大学大学院で宇宙力学を専攻し、2000年までは日産の宇宙航空事業部に所属していた。「はやぶさ」のカプセルの開発は97年にスタートし、その間に、リストラや会社の身売りという試練があった、という。秒速12キロの猛スピードで大気圏に突入する時、カプセルは1万〜2万度の空気に包まれる。カプセルの中に入った貴重な試料を焼き散らさないための「帰還時の耐熱」をどうするか、が課題でカプセルの表面を最高3千度、カプセル内の温度を40度近くに保つ必要があった、とアエラは伝えていました。またモノづくりの現場は、家族経営の町工場が下支えしていた、という記述も好感が持てました。このカプセルの開発に至る所属企業の戦前戦後の推移は、これまた変転極まりない系譜を辿ります。


日産の大リストラは、あのカルロス・ゴーン氏が仏ルノーから執行役員として乗り込んできてから行われ、1999年の秋、3工場を閉鎖、2万1000人のリストラが断行された。日産の宇宙航空事業部は、IHIが事業部ごと買い取り、社員全員が新会社に移った。それが、IHIの小会社、IHIエアロスペースでした。群馬県富岡にあった拠点も、そのままIHIに引き継がれた。そして、日産の宇宙航空事業部は、「技術の日産」の象徴する部門として知られていた、と「アエラ」は着目し、戦前の陸軍の名戦闘機「隼」(はやぶさ)を開発した中島飛行機にそのルーツを持ち、戦後は、「富士産業」、「富士精密工業」、「プリンス自動車工業」を経て1966年の吸収合併により日産の宇宙航空事業部へと受け継がれていった、とある。


原点は、群馬県太田市にあった中島飛行機でした。海軍の将校の中島知久平氏が創業し、1917年から50年まで続いた。戦後になって飛行機の製造は停止されたが、その間、先輩から後輩へ伝授された飛行機の開発・設計・製造に関する技術は、その多くが地元周辺に残ったという。まあ、実はこの辺で、この戦闘機「隼」と小惑星探査機の「はやぶさ」に何か、関係があるのではないか、と私のアンテナが反応したわけです。


小惑星「はやぶさ」の帰還のニュースをある種の感慨を持ってみていた経営者がいました。先代が中島飛行機に関係していた、という「清田アルマイト」(足利市借宿)の2代目経営者、清田明さんでした。


「あのカプセルの表面が無傷で新品同様だったでしょう。高耐熱の製造技術は、地元の企業が手掛けたのですね。やはり宇宙科学といってもその技術を底辺で支えているのは小さな町工場なんだ、と大変勇気づけられましたね」という。


清田さんの先代、故・清田儀一氏は、戦前、太平洋戦争末期に近衛兵を退役し中島飛行機に勤務した。ジュラルミンなどアルミ合金製の機体製造には、アルマイト処理(陽極酸化処理)の技術が不可欠で、儀一氏はその処理技術者の一人者となっていました。戦後は、理研アルマイト桐生工場へ移籍、機体接続に用いるリベットなど航空機部品全般のアルマイト処理技術を取得し、昭和31年に「清田アルマイト」を創業、今年で55年目。これまで曲折はあったが、持前の熱心さと誠実な経営姿勢が信用を得て、高級車向けなどの高耐食のアルマイト皮膜技術で高い業績を維持しています。


清田さんは、知人がIHIエアロスペースで耐熱に関する品質管理に携わっていたことを思い出し、すぐに連絡を取って成功をお祝いするメールを送ったという。メールは届かなかったらしく返事はなかった、という。60で定年を迎えると、その後、高度な技術を持ったエンジニアは、どこへいくのか、離職したエンジニアが海外に流出してしまう恐れはないのだろうか、と彼らの"頭脳流出"を心配する。


その一方で、こんな悩みもある。清田さんは大学を卒業後、商社マンになり香港駐在を最後に28歳の時に帰郷し、家業を継いだ。長男としての責任で果たした。それから30数年、現在はだ3代目候補も健在で、これまでオンリーワンの技術を磨いてきたお陰で安定した経営を維持している。が、科学や産業政策を現場からサポートする中小の製造業は、世界のマーケットがグローバル化し、中国やインドなどの新興国が大きな市場を形成し始めると、その進む方向をどっちにとるか、グローバルな市場にシフトすべきか、あくまで国内で極めた技術を武器に売り上げを確保するか、いま胸突き八丁という。


余談ですが、あれから27年、私が日光から足利に転任し、そこで始めた連載企画が「Uターンの軌跡―いま若者たちは…」でした。足利は、織物業を始め中小・零細企業がひしめくモノづくりの街、その大半は同族会社で、高学歴社会の伸長で若者は都会へと向かう。が、そこで迷い、悩み、やがて故郷に帰ってくる、その人生ドラマを捉える、という趣旨でした。その企画に清田さんも登場願いました。


初回は、3代目を継いだ老舗料亭『蓮岱館』の深沢幸弘さん、取材当時28歳で日立建機の海外業務部からの転身でした。父親の会社に再就職した「トチセン」の秋草俊二さん、当時29歳、いまは堂々の社長です。家業の倒産から新分野に活路を見出した創業間もない頃の襟川陽一さん、当時34歳、独学でゲームソフトを作り出した天才肌で、信長の野望シリーズで知られるゲームソフトメーカー「コーエー」創業者で最高顧問、その人です。その表に陰に妻の恵子さんの存在なしでは、このドラマは語れませんね。繊維業「横山」の横山幸広さん当時34歳、石川播磨重工から戻った「阿部精機」の阿部修二さん当時34、事務機器の鈴石恵一さん当時39歳、足利青年会議所の副理事長でした。兄貴的存在でした。


この企画に10人が登場しました。ご指南役は、足利商工会議所の専務理事で知人の中島粂雄さんでした。彼のご自宅は、足利北方の山会いの一角にある、旅情あふれる旅荘「巌華園」です。白壁と黒門のシックなその佇まいに庭園が美しい。いまはご子息の太郎さんが経営を引き継いでいます。中島さんにも連載に出ていただきました。これまでの記者生活に関係したモノで栃木県足利市の題材はこれが初めてかもしれません。3年間、駐在しました。


ちょっと前に30数年勤めた専務理事を辞し、いま悠々自適の日々です。後任者は、やはり「Uターンの軌跡」に登場した高橋政美さんでした。元貿易商社マンだった高橋さん、当時34歳でした。面白いのは、海外赴任の辞令を断って帰郷したのでした。原稿を読み返すと、実父の政道さんが、「苦労して育てた息子が遠くへ行ってしまうと、出世はいいが私が死んだら家内がひとりになる。倅には申し訳ないが、帰ってもらった。倅の出世を摘んだのはこの私です」と申し訳なさそうに話していたのです。見出しには、「出世より父のそばに…」とありました。


その高橋さんが足利商工会議所の専務理事に就任した時、中島さんは「あの企画でねぇ、出世を捨てた、と言っていたのにね。人生って曲折があって味わい深いものです」と話していたのを思い出します。いまはみなさん、すっかり貫録も出て街の名士で、古都、足利を支えていらっしゃる。これまでどんな人生だったのか、いつか、機会があったら「Uターンの軌跡、あれから30年」をやりたいものですね。どうですか、中島さん、いやいや高橋さん!


【コラム】黒川清氏の『学術の風』は、「大学のバイオ知財を生かす、生かせるか」。これは、産業革新機構が6日の記者会見で明らかにした「日の丸ファンド」について黒川先生がコミットされたもので、この会見に同席されていたのですね。黒川先生のメッセージは、研究者らにやさしく響いてきます。
 〜研究者や、技術者はえてして自分の成果や発明の成果を、その延長上で直線的に感じ取って、大きな期待を膨らませるものです。それで当然ですし、それでいいのです。しかし、他人から見ると、ほかの「ネタ」をあわせたりして考えるので、この合体でもっといい「ネタ」になる可能性も見えてくるものです。「岡目八目」でもありますし、それは歴史上も良くあることです。何しろ、発明、発見を何かの「かたち」で市場に届ける、市場を開拓するのは企業です。研究者、技術者にできることではありません、ビジネスで成功する研究者・技術者も居るでしょうが、これは例外です―と。
 しかし、黒川先生は相変わらず八面六臂の活躍ですね。14日は、ソウルでご講演ですね。都合がつけば、私も参加したかったのですが、事情が許しませんでした。日韓併合100年の節目にあたります。その意味をよく考えなければ次の100年に進めませんね。
 黒川先生とご一緒した時のメルマガは、韓国近代医学の発展に寄与し38年間、医学教育に専心した佐藤剛蔵氏を偲んだものでした。先生のコラムからかけ離れてしまいました。

韓国近代医学史に刻む佐藤剛蔵氏の足跡を訪ねて(前篇)
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm07101002.html
韓国近代医学史に刻む佐藤剛蔵氏を訪ねて(後編)
 〜初のソウルは、100年の記憶の旅〜
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm071017.html


※朝日の記事から:
 産業革新機構は6日、製薬大手とともに国内初の「知的財産ファンド」を9月にも設立すると正式発表した。大学や公的研究機関に眠る生命科学分野の医療関連特許を買い取り、事業化を促す。「日の丸ファンド」結成で、日本の大学特許に触手を伸ばす外資に対抗し、米国に比べて遅れている産業界への技術移転で巻き返す。
 「日本は技術で勝ち、事業で負けると言われる。特許を収益につなげる知財戦略が欠かせない」。東京都内で記者会見した産業革新機構の能見公一社長は、知財ファンド設立の意義をこう強調した。
 ファンドには、機構が当初6億円を出資。武田薬品工業が出資を決めたほか、他の製薬大手3社も数千万円ずつの出資を検討している。再生医療で期待されるヒトのES・幹細胞▽がん▽アルツハイマー▽病気の診断根拠となる指標(バイオマーカー)の4分野の特許を買い、製薬会社などに広く利用してもらうため、会社に求める特許技術の利用料金は安く抑える。
 機構がまず医療関連で知財ファンドを設立するのは、基礎研究の段階で将来の使い道を判断しやすいからだ。1千件を超える特許で成り立つデジタル製品と異なり、実用化に向けてファンドが買い集める特許の数も少なくて済む。ファンドが今後3年間で買う特許は数百件程度だという。


【連載】経済産業省商務情報政策局長の石黒憲彦氏の『志本主義のススメ』第147回は「スマートコミュニティ」。政府の成長戦略の中のビッグプロジェクトのひとつである「スマートコミュニティ」を題材に、その要諦がスマートグリッドで、まず米国ですでに1000万台を超えたといわれるスマートメーターに言及します。スマートメーターは、自動検針・通信機能を持ち、これを使う家庭や電力会社の利便性を説明し、電力の需要側のコントロールが可能となります。「電力消費の見える化」と変動料金で省エネが進む、という。いま最もホットなスマートメーターの普及とマネージメントと、それをつなぐネットワークの動向が詳細に語られています。
 これに加えて、スマートハウス、スマートビル、スマートファクトリーの流れや概略を説きます。各メーカーの動向や戦略を捉えながら、グーグルの「Google Power Meter」、マイクロソフトの「Hohm」という可視化・管理ソフトの無償提供という新しい流れを紹介し、個人の電力データをそのようなルールで電力各社以外の第三者に提供できるか、検討に入っていることを明らかにしています。その他には、「電気自動車とITS」、「スマートコミュニティとは何か」を説明しています。また官民共同の「スマートコミュニティアライアンス」がこの4月、NEDOを事務局に発足し、参加企業が設立当初の287社から400社を超えて活発化していることを示しています。国内に限らず、インドや世界中で実証実験を行いシステムの輸出も視野に入れながら、成長戦略の要に仕立てていく姿勢を見せていました。


【連載】特許庁審査業務部長の橋本正洋氏『イノベーション戦略と知財』第26回は、「特許行政の報告から」。タイトルの正式な表記は、「産業財産権の現状と課題〜特許行政年次報告書2010年版から」というもので、毎年夏に特許庁が公表している"特許白書"のようなもので、ウェブでも全文入手可能です。こちらをご覧ください。
 本文のみで325p、資料を加えると600p余の報告書になります。橋本さんは、その要点をいくつかにわけて解説しています。
 1、出願の動向、2、審査に関する取組、3、特許審査の国際協力、4、大学における知財活動−など詳細なデータを引用しながらそれぞれの特徴を具体的に言及しています。


【連載】東京大学産学連携本部副本部長の山城宗久氏『一隅を照らすの記』は第26回「八月の想い」。これはある意味、山城さんの「八月のラプソティ」かもしれない。どうぞ、じっくり味わって山城さんの胸中を探ってみてください。わかるなあ〜。
 〜例年、今頃、具体的には八月六日から八月十五日にかけて、私は日本にいることを強く意識します。六日の朝、広島の平和記念式典があり、八日頃に立秋と高校野球の開幕が来て、九日に長崎の平和記念式典があり、十日過ぎ頃からお盆の帰省のニュースが始まり、十五日の終戦記念日を迎えるという十日間です。前回のコラムで書きましたように、小五の時、父に連れられて広島の平和記念資料館を訪れたのが、将来、日本の平和裡の発展に関わる公的な仕事に就きたいと思うようになったきっかけでした。その時のことを思い返し、初心に還る十日間でもあります〜。と。
 黙とう〜とマイクを流れる声、静寂を打ち破るサイレンの音、鐘の音、甲子園の試合終了のサイレン。青空、蝉の声、炎暑、かき氷、ところてんの汁…私にとっても8月は、生涯、記憶から消えることのない月となりそうです。


【一押し情報】日本MITエンタープライズ・フォーラム第10回ビジネスプランコンテスト&クリニック最終審査発表のお知らせ
 日本MITエンタープライズ・フォーラム(理事長・鈴木啓明氏)は、8月26日(木)午後14時45分から、東京・六本木アカデミーヒルズ40(六本木ヒルズ森タワー40階)で、10回記念の審査発表会を開く。ゲストにジョン・V・ルース駐日米国大使、北尾吉孝氏(SBIホールディングスCEO)ら豪華な顔ぶれです。
 最終審査の対象となるベンチャーのプレゼンには、高精度手書き文字認識エンジンと応用アプリケーションの開発および商品化を手がける−JTS・東京農工大学、株式会社アイシンクス、画期的な電子ブックストア「Book Stream」のSAKURA Internet USA, Inc.など9社がエントリー。
 ルース大使らゲストスピーチのあと、第1回から9回までの過去のファイナリストを紹介し、審査結果発表、表彰と進行します。

■審査員(順不同)
・各務茂夫氏:東京大学教授、産学連携本部事業化推進部長
・永田伸之氏:トーマツ、知的財産グループパートナー
・大野大氏:新日本監査法人、シニアマネージャー
・八尋俊英氏:経済産業省新需要開拓・雇用創出参事官兼新規産業室長
・松村博史氏:(財)ベンチャーエンタープライズセンター理事長
・呉雅俊氏:特定非営利活動法人ベンチャー支援機構TSUNAMI副理事長
(株)TSUNAMIネットワークパートナーズ代表取締役社長、(社)日本ベンチャーキャピタル協会会長
・川原洋氏:サイバー大学IT総合学部教授

■参加申込(参加費無料、要事前登録)以下より事前登録ください。
http://mit-ef.jp/event/form/
※初めての方もご登録いただけます。

■登録締め切り
2010年8月25日(水)20:00
※当日参加も承りますが、受付にてお待ちいただく場合があります。
■MIT-EFJ正会員登録
詳細 http://mit-ef.jp/membership-2/about/
登録 http://mit-ef.jp/membership-2/form/
※審査投票は正会員に限ります。

■お問合せ
BPCC事務局 03-3499-3875
bpc@mit-ef.jp

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