◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2010/06/16 http://dndi.jp/

「やはぶさ」帰還で知る日本の底力

 ・宇宙誕生の謎を解く「イトカワの砂」
 ・研究者のヘッドハンティングを警戒
 ・「はやぶさは火の鳥になった」と思う。
 ・「挑戦には失敗も成功もない」の至言
〜連載〜
 ・石黒憲彦氏の「縮む中間層と今後の方向」
 ・橋本正洋氏の「国際商標協会総会の報告」

DNDメディア局の出口です。このところ筆の冴えが際立つ朝日夕刊の題字下の「素粒子」は、そのわずか13行のコラムの中に「ゴーーーーーーーール」という書き出しで、感動を与えた小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡の帰還と、サッカーW杯での歴史的な1勝を取り上げていました。ひとつを「技巧力ニッポン」、そしてもう一方を「忍耐力ニッポン」と並べ称したうえに、加えて文字数をきっちり整えるという離れ技は、お見事の一席。習うなら「素粒子」のこちらは「文章力ニッポン」でしょうか。


そこまで言うなら、どんな文章なのか、読んでみたくなるのが人情ですので、紹介しましょう。「素 粒 子」(6月15日)


ゴーーーーーーーール。日韓
W杯以来、8年間待ち焦がれた
一勝。国内の批判と敵の猛攻を
よく耐えた。忍耐力ニッポン。
 ゴーーーーーーーール。60億
キロ7年間のロングシュートが豪
州の砂漠へ。はやぶさのカプセ
ル無事回収へ。技巧力ニッポン。
  ■
 少子高齢化、財政赤字、経済
力低下、沖縄の基地負担。今の
日本が抱える難題は胸のすく一
発のゴールじゃ解決しないが、
この二つの快挙を自信に前へ。


今の日本が抱える難題を数え上げれば、この数行で書き切れるものではない。が、「この二つの快挙を自信に前へ」という結びの1行に、「最後まで諦めないで」という筆者のメッセージが託されているように感じられます。列島がひさびさに沸き立ち、しめりがちの梅雨空を吹き飛ばしてくれました。ここでは、「はやぶさ」の快挙をフォローしてみようと思います。


技(わざ)と術(すべ)。物事を実現するには、「技」と「術」が重要であること、そして現場の知恵やひらめきが加味されて始めて成就していくことを教えてくれました。「技と術」、これはわがニッポンのお家芸です。が、課題解決を適える「技術」は、熟達のプロフェッションにこそ存在しうることでしょうか。


知人で鹿児島大学の宇宙環境医学講座教授でJAXAに関係が深い馬嶋秀行さんにメールで問うと、このような返事が返ってきました。「このミッションは、イオンエンジンを使った惑星間飛行、光学補正を利用した自律誘導航法、地球スイングバイ、再突入カプセルを使って地球へ試料を持ち帰る‐で、どれも世界に誇る素晴らしい技術です」と述べ、ここで私がもっとも感心している技術は、「自律誘導航法」で、要するに、鉄腕アトムと考えてください。「はやぶさ」は自らが何をすべきか考えて行動できたということです、という。


地球スイングバイについては、以下のURLから、入ってください、と。 http://www.jaxa.jp/press/2004/05/20040526_sac_hayabusa_j.html そして、こんなURLも。http://ascii.jp/elem/000/000/528/528836/


それらには、「はやぶさ」のミッションを統括するプロジェクトマネージャーの川口淳一郎教授、2006年の「Science」論文の発表のとりまとめを行った理学方面の統括を担う藤原顕教授、藤原教授の後継のプロジェクトサイエンティストの吉川真准教授、イオンエンジンの開発責任者の國中均教授、スパーバイザーの安部正真准教授、サンブラーホーン開発の矢野創准教授、マルチバンド分光カメラチームの斉藤潤氏、そしてJAXA名誉教授の的川泰宣氏らの名前が紹介されていました。


読売が14日朝刊で「奇跡を生んだ粘りと技術」と伝えたように、満身創痍になりながらも、3つの危機を乗り越え、月より遠い天体に着陸して戻るという快挙を可能にしたのは、一人旅を続ける「同志」を励まし続けた研究者の粘りと日本の技術だった、という切り口は、いやはや感動的ですらある。通信が、途絶、化学エンジンは全滅、わずかな電気の力で高速噴射する頼りのイオンエンジンの故障と修復、という危機の遭遇とその克服の経緯は、長編の科学ドラマをみるような興奮を覚えます。


そこには、凡人の想像をはるかに超える極め技術と研究者らの底力、それになんとしても我が子同様のはやぶさを帰還させる、という執念に近いヒューマニズムが流れているように感じます。


さて、宇宙を航行する「はやぶさ」に何が起こり、その難局にどう立ち向かったか。JAXAのホームページによると、1986年の計画構想から1995年のMUSES-Cプロジェクト概算要求、そして開発へ。が、MUSES-Cプロジェクトの前段階にあたる「小惑星サンプルリターン小研究会」は、1985年に鶴田浩一郎教授(元宇宙科学研究所所長、JAXA理事)の主催で始まった、という。これには長い長いストーリーと多くの科学者、研究者らの"ミッション"がぎっしり詰まっていることがわかります。


2000年の打ち上げ延期、小惑星の目標を1998SF36へ変更、これが「イトカワ」となります。地球と火星の間の軌道を回る、最も長いところが540メートルしかない小惑星で、米国のチームが98年に発見し、「はやぶさ」の打ち上げ後、イトカワと命名されました。日本初のロケットを開発し「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる故・糸川英夫博士にちなむ、と毎日新聞にありました。人間的にも優れて魅力的な人物で多くの尊崇を集めていたようです。


それから。2003年5月の打ち上げ、2005年9月の「イトカワ」急接近から降下、11月の着陸。こんな風に時間軸で追うと、いとも簡単なように見える。が、研究者らが詰める「はやぶさ」プロジェクトの本拠地である神奈川県相模原の宇宙科学研究本部管制室では、時に切羽詰まった緊張が走り、絶望の淵を彷徨う気が遠くなる日々でした。が、それでも望みを捨てない、諦めない姿勢を貫き、分刻み秒刻みの過酷しかも失敗が許されない一発勝負の神経戦が連続していたのですね。お疲れ様でしたね。


7年ぶりの帰還を控えて、「はやぶさ2」の後継機の予算17億円が、政権交代の見直しの影響で5000万円に、さらに事業仕訳で3000万円に減額されてしまいました。この情け無用の"宣告"が、地球に向かって帰還途中の「はやぶさ」に届いたのか、どうか。「自律誘導」の航行を続ける"アトム"は、自らの帰還で厳しい政治局面を拓くことを念じていたことでしょう。宇宙からは、きっと神様への願いが届きやすいのかもしれませんね。そうじゃなければ、こんな神がかりな奇跡が起こるハズがないもの。


読売によると、この仕分けの時期の09年11月、4基中3基目のイオンエンジンが故障した。三つ目の危機に帰還は絶望視された。そんな時、国中均・同機構教授(50)が提案した。「故障個所の違う2基をつなぎ合わせて、1基分にしてみよう」。研究者の用心深さで、2基をつなぐ予備回路を仕込んでいたのだ。しかし、試験はしていない。予期せぬ副作用の恐れもある賭けだったが、成功したという。


凄い話ですね。故障したエンジンをそれぞれ組み合わせて、故障していない箇所を探ってそれを1個のエンジンとして活用する、そんなミラクルなオペレーションをやっちゃうのですから。


國中さんは、「はやぶさ物語」の動画の中で、「技術開発ですから、思ったようにはいきません。いろんな困難に遭遇します。エンジン開発の過程でへこたれたり白旗を上げたくなったり、タイムリミットが迫ったり、と、とても間に合わない。そんな諦めなければならない瞬間が何度も襲いました。そこで諦めれば、オリジナルなシステムはできません。赤ん坊を育てるように、なだめすかしたり、エンカレッジしたりというのは、実験室でも、はやぶさに搭載してからもそうでした」と、困難にめげず辛抱強く取り組んできたことの意義を語っていました。


その夜、研究者の中には灯りが届かない屋台で、ぬぐっても拭っても落ちる熱いものを流しながら、ひとりで祝杯をあげていた、あの人も、それからあいつも…晴れやかな場面では控えめな拍手をするが、サッカーじゃないんだからバカ騒ぎはしない。振り返るには、気が遠くなるような時間が経過していました。自慢するのには、どこから始めたらいいのか、始めたら止まらないくらい珠玉のエピソードが溢れているのでしょう。新聞で、3つの危機を克服と書くが、それは最大のピンチであって10のうち、9.9までが危機だったのではないか、と推測します。
http://spaceinfo.jaxa.jp/hayabusa/movie/interview/kuninaka07.html


「JAXA小惑星探査機『はやぶさ』物語」のミッションカレンダーには、時系列に、その都度の出来事が日記風に綴られています。圧巻は、2005年7月以降、姿勢制御の1基が故障し、イトカワまで28000キロ付近でイオンエンジンが停止、イトカワへ接近を飛行モードへ変更…などイトカワ接近につれて、想像しない事態が次から次に襲う、そんな迫真の場面をのぞいてみてください。タフな研究者らの必死の姿が目に浮かんできます。こういう研究者の存在が我が国のかけがえのない宝だと思います。
http://spaceinfo.jaxa.jp/hayabusa/calendar/index.html


はやぶさは、13日夜、豪州上空で小惑星「イトカワ」で試採した可能性のあるカプセルを分離し、その最後の力をふりしぼるように大気圏に再突入しました。その瞬間、強い光の帯を幾筋も引きながら落下し、その光の先頭をカプセルに譲るように燃えて尽きました。いやあ、その映像をテレビでみながら、はやぶさは火の鳥になったのかもしれないと、思った。流線型の光の束が青白く中天を駆け抜けていきました。


政府の配慮で、「はやぶさ2」の後継機の予算が復活しそうです。まずは、よかった。しかし、考えてみれば、無事に帰還したから急きょ、予算措置が行われる。が、逆に「はやぶさ」が宇宙のチリとなっていたら、そうはならないというのでは、いくらなんでも短絡すぎませんか。目標を定めてそれを実行するプロセスにこそ、その最大の価値がある。野依良治さんが言い放った「歴史の法廷に立つ覚悟ができているのか問いたい」という発言が、いまズシンと重く響きます。


さて、そのカプセルに「イトカワ」の砂が入っているか、どうか。それが、宇宙誕生の神秘の謎を解く鍵を握るというのだが、興味がそそられます。でも、もう成果は十分得ているではありませんか。フィクションだって描ききれないオペレーションを実際にやってみせた。通信の断絶、燃料切れ、交信不能の行方不明、不死鳥のごとく絶望からの復活を何度となく果たしたではありませんか。未踏の分野に挑戦する魂が、しっかりと若い研究者に継承されてもいるし、人材群が育った。彼らが、希望をもって研究に打ち込んでいけるような環境整備を急ぐべきですね。損か、徳か、高いか安いか、など言っていると、みんな呆れて海外に逃げてしまいますぞ。これこそ、ノーベル賞とは言わないが、国民栄誉賞ものです。よくわかんない研究に30億円規模の巨額を配るなら、世界をリードする惑星探査に投入すべきでしょう。きっと各国から共同研究のオファーや民間シンクタンクからのアプローチがあるはずです。映画もドラマもアニメもマンガの素材にもなっていくでしょうね。そのビジネスの可能性もはかり知れないのではないか。


小惑星探査機「はやぶさ」物語にこんなメッセージを見つけました。

「挑戦には失敗も成功もない。すべてうまくいけば挑戦ではない。まったく計画通りにいけば、冒険ではない」。


【イオンエンジンとは】(読売新聞から) 「キセノンという物質にプラスの電気を帯びさせ、これを電気の力で加速し、高速噴射するイオンエンジン。化学エンジンが高圧ガスを噴射するのに比べ、地上で1円玉を持ち上げる程度の力しかない。それでも、空気抵抗がない宇宙空間で長時間稼働すれば、加速する力を得られる。イオンエンジンの利点は、何と言っても効率の良さ。化学エンジンは、噴射に必要なエネルギー源を燃料という形ですべて地上から持って行かねばならない。イオンエンジンは太陽電池パネルで電力が得られるため、キセノンの積載重量は化学エンジンの燃料の10分の1で同じ推進力を出せる。イオンエンジンは過去にも探査機に使われたことがあるが、トラブル続きで、はやぶさには日本の独自技術が採用された。
 キセノンに電気を帯びさせる際、電子レンジでおなじみのマイクロ波を使う。耐久性がぐんと向上し、7年間でのべ4万時間稼働した。
NECは、世界初の事業化に向けて米企業と提携し、来年度から3年間で20億円の受注を見込む。イオンエンジンは小型衛星の長期運用に使う「電気推進エンジン」市場で新顔となるが、「はやぶさで圧倒的な実績を示せたことで、世界最大の米国市場で占有率6割以上を狙える」と、NEC宇宙事業開発戦略室の堀内康男さん(45)。同社は今後、はやぶさに搭載したものより推進力を20%増すなど、品質をさらに高める方針だ。」


◇          ◇            ◇


■【連載】経済産業省商務情報政策局長の石黒憲彦さんの『志本主義のススメ』は第142回「縮む中間層と今後の方向」です。石黒さんの久しぶりの投稿ですが、編集サイドの私から、新幹線などインフラ輸出を後押しするなど政府の「新成長戦略」の原案がチラホラ新聞に登場するので、ぜひ、その概要の解説をお願いできないか、と懇願していました。次回からは、担当する分野の具体論について、掘り下げてくださる予定です。どうぞ、ご期待ください。
 さて、本題は、大変興味深い、経済産業省調査統計部の平成22年1−3月期の「産業活動分析」で、「その中で賃金水準の下落と消費低迷について面白い分析をしている」という。まず、民間給与所得者の平均給与は11年間でマイナス8.1%、総額14兆円減少している点に触れて、このような賃金水準の低下は、低所得階層の増加と中間所得階層の縮小、若年層及び高齢者層の低所得化などという形で、特定の階層の所得が顕著に低下している、という。
 年収200万円以下の階層は10年間で1.3倍に増え、400万円以下が横ばい、500万円以下が5%程度減、600万円以下と700万円以下、1500万円以下が10%〜20%減る一方、1500万年超は5%超増という傾向で、「つまり中間層が顕著に減少している」実態に着目しているのです。
 さて、そこで、こうした変化がもたらすものは何か、と自問し、供給サイドから事業展開を考える際に需要側にこれだけ大きな変化があると、狙うべきターゲット層やビジネスモデルを変えざるを得ないことになります、と市場に与える影響を浮かび上がらせています。
 なるほど、と唸ったのは、「被服及び履き物などは伝統的に800万円〜1250万円までの階層が主たる購買者であり、ここの階層が減ったことが百貨店や総合量販店を直撃」という分析は、分かりやすい。
 この結果、中間層向けセダンが売れない。通信系が拡大する要因は?保健医療サービス、医薬品が増えているわけは…などを説明し、こういうトレンドを先取りすればよいのだが、「マクロ的に所得が縮んでいると、消費が日本経済を牽引するはずもなく、むしろ萎縮する消費がさらに国民の所得を落とす悪循環に入っている」と頭を悩まし、製造業の就業者数は2020年までにさらに300万人減って800万人を切るという試算から、「国内製造業就業者は益々減って、国内において雇用吸収力という面ではサービス業に依存することになり、その労働生産性は製造業と比較して一般的に20%以上低く、これは低賃金を意味します」と分析する。
 この統計から読み解くキーワードは、中間層の減少を看過してはいけない、という点で、「経済成長も中間層のボリュームゾーンあってのことであり、ごく限られた富裕層の購買力だけでは日本経済の成長は支えられません」と喝破し、いくつか具体的な処方を提示しています。が、「言うは易く行うは難し」で、「新たな視点で風穴を開ける必要があります」と述べておられます。


◇【連載】特許庁審査業務部長の橋本正洋氏の『イノベーション戦略と知財』の23回「ボストンにて、その1」。
「久しぶりのボストンは、陽光が輝き、一年で一番いい季節のようでした。日本から来た身にも少々暑すぎる日差しで、滞在先のボストン・コモンズ近くのホテルの窓からは、プールサイドでくつろぐ老夫婦の姿が遠目に見えています」。その書き出しを読んで、東海岸の風が身近に感じられました。緑の芝生に青い空、スナップ写真がご覧になれます。
 5月にボストンで開催の「国際商標協会年次総会」(INTA)に参加された時の報告です。あわせて、この総会に日米欧の商標担当幹部が集まり、本年の第9回の商標三極局長級会合の準備会も同時に開き、ホストが日本の番で橋本さんがその議長をやることになっているのだそうです。メンバーは、大物ぞろいでUSPTOのべレスフォード商標コミッショナー(Ms. Lynne Beresford, Commissioner for Trademarks)と欧州OHIMのデボア長官(Mr. de Boer, President of OHIM、)です。お二人とも商標三極には第一回から出席している、この世界の有力者です。
 さて、その総会について、橋本さんが感じた事は、「中・韓の関係者の多さです。特に中国の商標出願は83万件(2009年)と、日本(11万件)、米国(35万件)を抜いてどんどん増えている」と指摘し、「各国企業が中国市場で勝利を得るためには、商標によりブランドを守ることはとても重要だということが背景にあります。このため、中国の知財事務所はますます活況を呈しているようです」と、ここでもメガ・チャイナの勢いがあるのですね。
 三極商標会合では、今年は日本の提案により初めて韓国がオブザーバー参加する予定で、「知財制度は、商標のみならず国際整合性が極めて重要です。我々も米欧と協力していくのみならず、こうした新興国と情報を共有し、商標ユーザーの利便性を高めていく必要性を強く感じているのです」と説明しています。
 この項は、次回も続きます。


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