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信州・塩田平のある工場視察記

 ・堀内電機製作所の特注品のこだわり
 ・卓上ロボットと印字レーザ装置
 ・島根・奥出雲のニッポー工場再訪
−連載−
 ・比嘉照夫氏「EMによる口蹄疫対策」
 ・山城宗久氏「チューリップの絆」

DNDメディア局の出口です。嫌なことが続いたら、がまんしないでお暇をも らいなさい。そして、少し足を伸ばして新緑が映える里山に足を運んで気分を 変えてみるのもいかも知れません。緑の木々が茂る里山が、なぜこんなに美し いのでしょう。ごまかしの猿芝居に気をもんではいけません。


さて、今週は、信州の上田へ。さきほど島根の奥出雲から戻りました。いず れも地方で生き抜く精密工場の現場を見てきました。いやあ、胸に強く残るの は、そこで働くエンジニアの愚直な姿でした。地場の40代のエンジニアらが、 その最前線で地方の活力を支える。なんにもしてやれないけれど、頑張れ!と 心から祈らざるをえませんでした。この大不況で正念場が続くのだけれど、し かし、諦めない、いや諦められない。この地より他に守る陣地がないのですか ら。


いくつものトンネルを抜けて長野の佐久平駅に入ったあたりから、少し空気 が明るくなりました。案の定、車窓に目をやると、昨夜から激しく続いた雨が、 はらっと、止んでいる。田んぼの水が景色を映し、遠くに切り立つ峰々は、い ま新緑の走りで青く雨に煙って見えました。しっとりと潤う信州、上田は塩田 平にやってきました。


新幹線上田駅の改札で24日昼前、取材訪問先の(株)堀内電機製作所上田工 場の工場長付、志摩光浩さんが出迎えてくれました。精悍な顔立ちで長身、働 き盛りの47歳です。「日が差してきてよかったですね、その間に急ぎましょ う」という。


運転は、志摩さんの部下で開発推進部長の宮原仁さん(40)、あいさつもそ こそこに県道177号を別所温泉方向に走りました。その道すがら、上田城とか、 北向観音とかに立ち寄ったのですが、その報告はメルマガの後半に。


きちんと整理された開発部のセンターに入り、さっそく会議室で名刺交換し たのち、堀内電機製作所(本社・大田区、社長・長谷川宣男氏)の概要や沿革 についてDVDで紹介を受けました。技術が世界を大きく変え、製品環境は実に めまぐるしく変貌を遂げている‐というナレーションが流れます。未来を拓く テクロジーを開発するという、そのチャレンジスピリットを感じさせます。


創業が昭和19年で設立が昭和28年というから、プレスによる部品製造を扱う いわば町工場からスタートし、テレビ放送開始という契機を捉えて業務を拡張 していきました。新たに通信機器、ラジオ部品、テレビ部品、テープレコー ダーなどの組み立てを開始していきます。


戦後復興の経済成長の変遷と軌を一にして大手メーカーの協力工場として成 長し、ノートパソコンの組み立てでは年間30万台を誇ったほどでした。そして、 扱う製品を増やしながら持前の技術力で堅実に発展してきた経緯が伺えます。 さらにコンピュータ周辺機器の製作、各種プリント基板の実装、通信機、無線 機部品の製作などを手掛けながら、1990年以降は、大手メーカーの下請工場か らの脱皮を目指し、オリジナルな自社の開発製品で経営基盤の確立を急いでい るようです。



 :中央が志摩さん、そして宮原さん(左)に田玉さん。

主に説明に立ったのは志摩さんで、そこに宮原さん、さらに"親分"のニック ネームがつけられた技術グループ課長の田玉茂さんが加わって対応してくれま した。新たな技術開発の現場には、これまで顧客からの要望で学んだ知恵や製 造現場で培ったノウハウが存分に生かされているようです。



いつまでも下請けに甘んじることなく、オンリーワン技術が生かされるニッ チな世界に敢えてうってでる、というトップの戦略の中に技術陣の覚悟がひし ひしと伝わってくるようでした。


堀内電機製作所は、関東を中心にして分散して工場を持っています。東京の 青梅市、神奈川県川崎市、長野県岡谷市、そして上田市という具合です。それ ぞれ工場で、異なった製品を製造しています。製品が異なれば製造手法も違う。 それらひとつひとつの製品が、確かなモノづくりの精神を反映しているという ことに気付かされます。


特徴的な自社開発の製品は、まず作業効率を一段と高める各種卓上型ロボッ トで、多品種少ロットのネジ締めやハンダ付、それに基板分割などはお手もの もので、その専用ソフトによるプログラムによって使いやすくした、という。 ハンダ付は、半導体レーザによる非接触ハンダ付で鉛フリーハンダを使って、 高品質を実現、高性能の画像処理によってワークの位置を的確に補正し、レー ザ変位センサなどによってはワークのばらつきや基板の反りにも対応を可能と した世界トップレベルのレーザテクノロジを誇る優れモノです。


 
 :展示会に出展する自社マシンと志摩さん 。


もうひとつの自社マシンは、なんにでも精度高く刻印してしまう印字レーザ 装置の設計と開発でした。住所や社名、それにロゴなども瞬時に印字し、それ をシールにするのは至極簡単、素人の私にはまるで魔法のようでした。応用範 囲は、電子・機械はもちろんのこと、自動車、医療、食品と分野広く、三次元 バーコードなどなんでもOKで、しかも簡単で便利、高機能でローコストという から、時代の進展や顧客ニーズにあわせた特注品の開発、製造に特化していく という。まあ、一度、ご相談ください、と志摩さん。この開発部隊を支えるの はいずれも40代の若手、そして地元の出身者が大半を占め、地域密着型で地域 への貢献度はきわめて高い。


堀内電機製作所の最新の自社開発マシンは、東京ビッグサイトで6月2日から 4日に開催の第40回国際電子回路産業展(JPCA2010)で出展されます。



 :上田城址から望むと、山ふところに抱かれた塩田平。


 :上田城址の東虎口櫓門。


 :上田城址は桜が葉を茂らせています。

さて、製品の紹介はそのくらいにして、上田の街は、やはりどこからみても 清々しい。その塩田平という盆地は、たとえればメロンを真ん中から切って中 をくりぬいたような形状をしている。周辺に山が迫り、中央がなだらかな平地 で、その淵を千曲川が流れています。




まず、少し前なら桜がさぞ際立ったはずの上田城址公園へ。城門付近は、枝 垂れ桜の緑の葉がわんさと茂って土塁やお堀を覆っていました。


城内の「真田井戸」を通って西虎口櫓門跡と呼ぶ高台に立ってみると、その 西北の先に、塩田平が広がっていました。その遠望がいい。しばし、その風景 に心を奪われてしまうほどです。


あれが独鈷山(とっこさん)で、その嶺に山脈がつらなり、西に男神、女神 の二山が屏風のようにそびえます。その中腹まで軒を連ねて登っているのが別 所温泉街です。左手の山の上の高台に須川湖があり氷結する冬場には子供のこ ろスケートで遊んだ、と志摩さんは解説してくれました。



 :北向観音の高台から市内を見る。


さて、西櫓の裏手から傾斜のきつい丸太階段を下りて、次に別所温泉の奥に 連なる北向観音に向かうという。夜来の雨で濁流の千曲川をわたり、市街地か ら県道177号線を走ると、道を挟んで左右に「堀内電機製作所」の工場が目に 留まりました。そして、別所温泉街へ。ここは2度目で、以前は一昨年夏、隣 の田沢温泉で公営のお湯に浸かり、その足でここを訪れたのです。そんな記憶 を辿りながら、門前の急な石段を上りました。名刹、北向観音です。


ずいぶん高いところにあるものです。逆にそこから上田市街を見下ろすこと ができます。


真っ正面のとんがった峰々が、烏帽子岳に湯の丸山で、さらに右手にかすか に浅間山が確認できる。市街の上田城から仰ぎみても北向観音の境内から見下 ろしても、その視界の中央に開けた塩田平の趣は悠々たるものです。旧上田藩 の穀倉を支えてきたというのも頷けます。


出湯と湧水が満々とそそぐ千曲川、温暖で実り豊かな盆地、国宝級の名刹が 多いそこは"信州の鎌倉"という形容がやはりふさわしい。この塩田平について、 「源頼朝も重要視したため鎌倉時代に多くの学僧が集まり、古代信濃の国の要 地であったと考えられる」と綴ったのは、DND連載『原点回帰の旅』の筆者で この地に本籍をもつ塩沢文朗さんです。



 :記念撮影、志摩さんと宮原さんと私。

その風景は、そこで暮らす人々にどんな影響を与えるものでしょうか。その 名著『風土』で和辻哲郎は、その動機に触れました。「風土の問題を自覚せし めたものは時間性、歴史性の問題である」と。そして、「風土と離れた歴史も なければ、歴史と離れた風土もないことをそれは説いている」と和辻の『風 土』を解説した谷川徹三は、歴史と風土の相関をこんな風に捉えていました。


高台から塩田平を眺めていると、その歴史と時間が交錯する異次元の空間が 浮き上がって見える。足元が揺らいで、ふと、奇妙な幻想にかられる〜。

◇             ◇            ◇


島根の奥出雲は、電子制御機器の(株)ニッポー(本社・埼玉県川口市、若 槻憲一社長)の島根工場の視察でした。一昨年夏に続いて2度目の訪問です。 詳しくは、メルマガ「幻想とロマンの奥出雲物語」で紹介していますので、こ ちらをご覧ください。


工場長で取締役の内田博隆さんは、落ち着いてさらに知的に見えました。に こやかな営業の永沼俊一さん、開発の村尾充夫さん、技術設計総括で埼玉から 単身赴任の安藤禎治さん、みなさん30代後半から40代そこそこです。なんとい っても同行してくれた社長、若槻さんが44歳ですから、この苦境の中、創意工 夫で黒字経営を維持しているのは、驚きです。この会社が、どうして黒字を続 けられるのか、いつか機会があればお話ししたいと思います。本日はこのくら いにします。お疲れ様でした。


※【連載】は比嘉照夫氏の緊急提言『食と健康と地球環境』の第27回「EMによ る口蹄疫対策」、そして山城宗久氏の『一隅を照らすの記』の第21回「チュー リップの絆」です。


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