DNDメディア局の出口です。魅惑の上海、それは魔の都という呼び名通り、煌びやかな光にあふれ、人の群れが切れ目なくごった返し、その喧噪の異様な熱気に、しばし気を失いかけていました。これをやはり爆走というのでしょうか。万博開幕直前、街の隅々まで活気づく上海からの報告です。
:外灘エリア。
上海を象徴する「外灘」(ワイタン)と「浦東」(プートン)の夜景。今年で3度目の上海訪問ですが、ここに立つのは初めてでした。いやあ、本当に夢のような舞台装置のようです。繁栄を誇った租界時代の重厚な建築群と、その対岸に林立する近未来の超高層ビル群を隔てる黄浦江に沿って、その左右に過去と未来が折り合うプロムナードを歩くと、まるで巨大な万灯絵に浮かぶ幻想の世界でした。
:ライトアップされた建築群。
居並ぶ洋風建築の美しさは、年代の古さを感じさせません。アールデコやゴシックの多彩な様式を施した銀行や商館の佇まいはライトアップされてより一層、際立って見えます。漆黒の空に浮かぶ満月でさえ、その存在は消え入りそうでした。黄浦江の東の対岸、つまり「浦東」が、数々の超高層ビルが高さを競う近未来都市でした。
:満月なのだが…
ご存じのように78年の改革開放の市場経済導入と、90年代からの政府の開発方針によって、このエリアに外資が入りたちまち金融やハイテク産業がひしめく国際金融都市へと変貌を遂げました。そちらから、周辺の建設の鎚音とともにその熱気が伝わってきました。
が、そのわずか160年余りの歴史をひも解くと、アヘン戦争や欧米の租界の拡大による侵略や苦難、内戦による混乱、そして日中戦争、戦後の文化大革命など数々の屈辱や挫折に縁取られてきました。それを越えて、いま豊かさを自らの手でつかみ取って自信を深めているのかもしれません。
「世界の工場」から「世界の市場」へと膨張し、「モノづくりは三流、仕組みづくりは一流」などとの認識が、「創新」(innovation)という戦略と一緒に共有されていることが繁栄の証かもしれません。
中国の民は、劇中劇、また作中作という、それぞれが劇の中で別の物語を演じながら、さらに全力疾走している、という印象です。かつて日本人も勤勉と努力の二枚看板で経済成長を果たしました。が、いやはや、その豊かさの反動か、いまなんとなく暮らす安逸ムードが覆います。その景色の違いが、くっきり見えてきました。
:対岸の「浦東」は近未来都市。写真を撮る家族連れで。
歩道はどこまでいってもほの暗く、すれ違う人や仲間の顔すら判然としません。そこにおびただしい数の家族連れや観光客がどっと押し寄せているのです。前に後ろに人の波が途切れません。虹色に変わる球体のテレビ塔を背景に誰もがデジカメを片手に写真を撮っていました。その中心は、ひと粒種の赤ん坊でした。その子供にファミリーの未来を託しているらしい。微笑ましく映る家族の風景ですが、その子らのプレッシャーも相当のものだろうなあ、と感じ入ってしまいました。
:「なぜか上海」
その滞在中、ずっと脳裏に浮かんでいたのは井上陽水の『なぜか上海』のメロディーでした。「海を超えたら、上海、どんな未来も楽しんでおくれ、海の向こうは上海〜」(作詞も井上陽水)。アジアンテイストのサウンドが、この街によく似合います。開幕まであと3日です。上海の風が、その高揚感を世界に伝えてくれることでしょう。
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:トラックの荷台から顔を出す兄弟?
さて、3度目の上海は、先週の22日夜、成田から上海浦東国際空港へ。空港では、今回のツアーを企画したJCTBF(日中テクノビジネスフォーラム)の張輝さんが出迎えに。正確な名称は、JCTBF主催「中国上海技術取引市場視察ツアー」でした。参加者は、東大発ベンチャー「セルクロス」社長の清松哲郎さん、金沢工業大学大学院准教授で弁理士の上條由紀子さん、(独)JSTイノベーションサテライト高知事務局長で中小企業診断士の佐藤暢さん、ツアーの事務局を担う「技術経営創研」取締役統括部長の藤田岳人さん、そしてDNDサイト運営責任者で取締役の出口清志君、私の後継者です。マイクロバスは一路、上海の中心部へ移動します。
やがて街の外環道に入る鉄のアーチ橋にさしかかった、その時でした。街路灯やビルのネオン、それにまぶしいほどの数々のイルミネーションが目に飛び込んできました。万博会場の中心軸に位置する盧浦大橋という。
その真上から見下ろすと、「UN」の大きなイニシャルは国連、その隣の赤い外壁がオーストラリア館、まもなくスマートな外観の「日本産業館」が見えてきました。円筒形の壁面にブルーの光の波が走る、そんな超高層ホテルのイルミネーションはひときわ異彩を放っていました。なんというホテルでしょうね。いやはや、上海は、きらめく光の魔術師と化していました。
:万博会場は光の海でした。
こんな広大な万博の敷地をどう移動するのか、と思ったら、徒歩か電気バス、船で移動するという。万博会場内とその周辺に投入され電気バスやハイブリッドタクシーなどエコカーは1017台、市内中心部を走る「万博タクシー」は約4000台で、白を基調にしたRV車が中心で、市内の万博専用レーンを走り、そのタクシーのすべてに日本語を含む10ケ国語で行き先案内に応じる専用の電話番号を用意している、と朝日(27日付朝刊)にありました。
街は、開幕までのカウントダウンが始まり、地下鉄や路上の掲示板に「精彩世博、文明先行」の標語が目につきました。
新聞は、これからも上海万博の一部始終を報道してくれます。5月2日の朝刊は、その1面に、「より良い都市、生活!」、「上海博開幕、中国の威信、世界へ誇示」などの文字が躍るに違いありません。
:朝は太極拳:南京東路で。
さて、ホテルは、街のど真ん中で繁華な南京東路に面した東亜飯店でした。建物は古いが、移動に便利な場所です。地図を見ると、西の方角が人民広場、東側が観光スポットの外灘エリアでした。翌朝、カメラを手に散歩に。西方向へ歩くと、いくつものお年寄りのグループがラジカセで音楽を流しながら、それぞれに太極拳を演じていました。揃いの衣装で、剣や笛、旗やスカーフなどを持ちかえて演じる本格的なグループもいれば、そうじゃないグループも。万博が近いから、マスゲームの練習か、と思ったくらいでした。
世紀広場の前には、もう10組近い集団が繰り出していました。両手で顔をなでまわし、首から上へ、額から首へと移動させるマッサージなんかもメニューに入っているのですね。そばでまねしていると、血色のいい小柄のおばあちゃんが、こちらを向いてにっこり。朝のご飯は、屋台での揚げパンに豆乳、というのが安くて手軽なようです。経済的でしかも健康的な一端をかいまみました。
翌朝も同じ場所で同じ顔ぶれがそろいます。きっと場所が決まっているのでしょう。伝統的な太極拳のほか、ポップス系のジャズダンスぽい踊りや、社交ダンスなんかもやっていました。社交ダンスは、女性同士がステップを踏んでいました。若い人の姿は少ない。周辺で夢中でカメラのシャッターを切る中年カメラ小僧は、みんな日本人でした。私もその一人でした。
深夜、南京路に散水車が走り、路上を磨く清掃車も繰り出します。そして、朝から夜遅くまで人の往来がありました。「より良い都市、より良い生活」。万博のテーマがこんなところにも及んでいるのでしょうか。路上のカフェで、お茶を飲んでいたら、なにやらけんか騒ぎが起きていました。お巡りさんが止めに入ってもとうてい言うことを聞きません。回りに人垣ができて、けんかを制止するお巡りさんに割って入る女性が、悲鳴のような金切り声をあげていました。エネルギーが沸騰しているのですね。
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さて、視察ツアー最初の訪問先は、上海市内から黄浦江に沿って北上しタクシーで約30分、上海理工大学のサイエンスパークに隣接する「上海大学技術機構」でした。翌23日、ここから充実した長い1日の始まりです。
通用門で、そこの責任者で事務局長の陸建国さんが出迎えてくれました。熊腰のがっちりした体格で声も大きく笑うと豪快です。正面に大学の旗が45本、掲げられていました。技術を提供する技術機関でした。上海にある上海交通大学、華東理工大など17大学に加え、精華大学、武漢大学、ハルピン工業大学、香港理工大学など著名な上海以外の28大学が参加し、企業とのマッチングや技術評価を行っていました。技術移転の仲介をする専門機関が3つあり、技術移転の他、ベンチャー支援なども行っているのです。
:上海大学技術機構へ。
会議室へ移動するキャンパスの途中、突き当り正面の壁に、「自主創新」、「成果転化」、「創新国家」のスローガンが大書されていました。中国の大学が、イノベーションを牽引する、という覚悟を見せつけられた思いでした。
さて、団長の張さんのあいさつの後、それぞれ自己紹介をし、さっそくその陸さんから、機構の主な役割や目的についてスピーチがありました。当初、30分の予定がほほ1時間、その発言の中味は技術移転に伴う課題を披瀝されていました。
陸さんは、この組織は、上海市教育員会、上海市科学技術委員会、楊浦区人民政府が連携したプラットフォームで、そこに各大学が参画し、大学発ベンチャーの推進や、大学が開発した技術や成果の管理を行っている、という。
:右から二番目が陸氏。その隣が張氏。
技術をどう事業化していくか、が大事で、その事業拡大、普及、シェア獲得を実現するにはどのような方法が効果的か、さらに雇用と収益モデルの実現など、日本の産学官連携の実践手法を学びたい、日中間の政治的差異はあっても技術移転にはなんら妨げにはならない、と陸さんは明確でした。そして、「本日、問題解決のヒントがたくさんあると思う」と期待を示しました。
聴いていると、陸さんの懸念は、この技術を多くの人に知らせる、そのために展示会に出展し、ネットでPRしているが、ほかに宣伝の方法はあるだろうか。企業側からこういう技術がほしいと求められる時、競業他社にその意図を探られはしないか、その秘密保持をどう担保するか。技術、技術といってもその技術は確かか、どうか。客観的な評価はどうするか、そんなことを悩みながらやっているが、技術移転の成功率は、「まだまだ低く、供給側と需要側、その技術に対する信頼と技術力を共有させることが、この機構の役割でもあります」と話していました。
またネットでのプラットフォームの活用も重要だが、やはりface to faceのリアルな面談や交流は欠かせない。さらに仲介機関の質の問題、人材の育成、ビジネス化をさらに加速しないとならないと、陸さんのスピーチは続きます。上海が大阪市と友好都市の提携をしている関係で使節団を送り、交流しながら人材を育てているが、「さらに行動を開始し、市場を大きくするための目標を設定していきたい」旨を強調していました。
:視察側。張さんを挟んで上條さんと私。
視察団側からは、私がトップバッターで「創新!日本を牽引する、大学発ベンチャー」と題して40分余りスピーチしました。DND研究所の清志君が、大学発ベンチャー企業調査の手法に触れました。続く、紅一点の上條さんは、陸さんが産学官連携や技術移転等にご関心があることを察しして、それまで準備してきた内容をそっくり変えて、対応していました。さすが現場を踏んでいらっしゃるので、いざという時の対応は手際がいい。が、これも予定の20分を軽々オーバーし、時間はおせおせで、遅い昼食に向かいました。
通訳は、金華さん、機構側の上海市教育委員会の張氏、お二人とも筑波大学に留学経験がある、ということで、流暢な日本語を話していました。
:全員で記念撮影。
午後の予定といっても1時間遅れ、上海の北方にある機構からこんどは逆に南下して急いだ先が、中国初の国家常設技術取引市場である「上海技術取引所」でした。1993年に、中国科学技術省と上海市政府が連携して設立しました。中国の国家レベルでいう技術移転の先例となる取引所といえます。ちなみに中国国家レベルの技術移転モデル機構は130余りを数え、国家レベルの技術取引所は今のところ5つ、上海はその中でも最初の部類に入る、という。
この訪問は、昨年夏の初回訪問以来調整を続けて年末に合意に至った、JCTBF(日中テクノビジネスフォーラム、張輝首席代表)と上海技術取引所(夏東平常務副総裁)との間での正式な調印を行うことも含まれていました。ちゃんと双方、友好的に調印を果たしました。調印には、視察団一行もサインしました。スピーチは、夏副総裁がマイクを持ちました。国内外の技術提供側と需要側で約30000件の技術取引データベースを蓄積しており、毎月80本の最新の技術をウェブ上で流し、技術情報、価格等を表示している、という。
:夏市とLu氏。
夏氏によると、2009年の技術の成約率は10年連続で北京の1位に次いで2位にあり、全国の売上額3200億元のうち上海が約490億元に及び、GDPに占める割合が一般的に0.6程度にも関わらず、技術移転に関しては3.3%と高い数字をたたきだしている、という。数字が次から次と示されました。
マッチングの訪問件数や需要の推移、ポイントは成功案件がいくらあったか、という点。全国レベルで1592件、そのうち上海が518件を占めていた、という。この成果の内訳は、研究開発が21%、技術移転が6.4%、残りはコンサルティング、サービス、資金提供などとなっていました。研究開発のプラットフォームや上海イノベーションステーションの応用は、欧州のモデルを参考にしている、と説明し、「中小企業向けに使える技術を開発するということにつきます」と、やはり技術は使って初めて意味がある、という考えが浸透しているようでした。
事例として、欧米のOEMを受け持つ企業を訪問し、独自の技術を特許化し、昨年、シンセン取引所に株式上場した。日本の企業ではマコモダケ生産に関する技術の問題を解決した。大容量のディスクを開発するベンチャーが資金難に陥り、ベンチャーキャピタルを介して1000万元を調達した。新薬研究開発は創薬ベンチャーと投資する機関、技術を求める企業との商談会を開催して、資金が確保しやすいように場を設定している…夏氏は、その具体例を次々と話してくれました。そして、やはり技術移転のポイントは、その技術の評価であり、その技術が適える市場を見抜くことにある、と喝破していました。
続いて、上海交通大学の国家技術移転センターから高級エンジニアの陳恭努さんが、上海交通大学の概要、学部の重点科目、そして、具体的な技術の開発の現状について報告しました。燃料電池開発の現状やテラヘルツの応用、太陽光発電、通信技術、バイオメディカルなどの分野の成果や、企業との連携の実情、例えば、宝山鉄工集団とは、自動車の材料開発、人材育成も進め、また、2007年11月にはフォード・GMとの戦略的提携を結び、車体の軽量化や部品の開発など、これら一連の取り組みが政府主導のモデルに位置付けられている、という。まあ、こんなところでしょうか。
せっかく上海交通大学のエンジニアがいらっしゃるのでお聞きすると、東京農工大学の前技術経営研究科長の古川勇二教授、現在の亀山秀雄教授をご存じでした。ちょっとうれしいですね。
さて、視察団側から東大発ベンチャーの「セルクロス」社長の清松さん、その技術が夏副総裁の心を射止めたらしく、「素晴らしい発想であり、優れた技術です。中国の企業にすぐご紹介したい」と絶賛でした。清松さん、涼しい顔でした。JSTイノベーションサテライト高知事務局長の佐藤さんは、JSTの取り組み事例に加えて、ご当地の四国の美しさを写真で紹介していました。
:視察団一行。右端が藤田さん。
:協定書に調印し握手する夏氏と張さん。
懇親は楽しい夕べとなりました。英語が堪能な副総裁のLuLiruiさん、なぜ、アルファベットかというと、その文字が分かりやすいからです。Luさんはこの秋に北九州へこられるそうです。上級経理担当のSunny Daiさん、若い女性は、Cathyさんでした。そばに夏氏、記者魂を発揮して、様々に質問をしました。どの質問にも丁寧にこたえてくださいました。午前中の陸事務局長もそうでしたが、みなさん、真摯で、誠実で、そして配慮の行き届いたもてなしをしてくださいました。視察団一同、心から感謝していました。
中でも一番御礼を申し上げねばならないのは、団長の張さんでしょう。不平を口にせず、いつもおおらかで控え目で、そしてさりげない気配りをみせてくれていました。食事だって参加者の希望をかなえてくれました。張さんは、テーブルの料理にほとんど箸手をつけません。みんなが満足したころ合いを見て、少し、それも小鳥のえさほどしか口にしませんでしたね。ありがとう、張さん!
付け加えると、巨大な本屋「上海書城」は7階の各フロアーに本が並べられていました。凄いスケールです。そして、安い。書聖、王義之に関する書物を抱えるほど買い込んできました。そういえば、その玄関先で、一見、魯迅風の中年の男性がにこやかに話し掛けてきました。その方のご尊父が、長い間、日本人の通訳をやっていた、と。一緒に写真に収まりました。
:上海書城の前で。
:お茶城で。
食事もおいしかったし、上條さんのご推薦のお茶城では、楽しい会話が弾みました。「秋茶葉原」なんて、ね。なにより、清松さんが同じ歳とは驚いた。髪は黒くふさふさのストレートで、私より10歳以上は若い。僕が、老けているのかなあ〜。
ほんと、有意義な上海訪問でした。大学技術市場とDNDとの連携もこれから始まる予感がしてきました。どうぞ、ご期待下さい。張さん、また行きましょう。ご関心がある方は、次回、ご一緒しませんか。
:街は花満開。
:万博のシンボル。
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◇EM技術の立脚点
【連載】比嘉照夫氏の緊急提言『甦れ!食と健康と地球環境』の第25回「EM技術の立脚点」。まず、EM運動の目的を自己責任を問う健全な生き方と、それと、社会貢献を軸に幸福度の高い社会づくり、と定義し、そのEM技術の本質に言及されています。この項、これまで以上に重要な核心に触れています。
EMの本質的な効果は?蘇生的現象とは?この辺を理解しないと、「EMの中心的役割を果たしている嫌気性の光合成細菌を、粘土に十分になじませた状態にし、1200℃でセラミックス化しても、その情報は保持される。したがって、そのセラミックスから光合成細菌を再び取り出すことが可能である」という論理が分からないと説く。
そして、非科学的論理で追試もせずに、オカルト、マジカル、エセ科学のレッテルを貼るしか能がないのだが、昨今、「海外では、かなりの数の研究者が追試実験を行ない、1200℃で焼成されたEMセラミックスから光合成細菌を復活させている」、その結果「思想が変わった」とか、「DrHigaの言うことはすべて信じる」という学者も増えつつある、という。
また、電磁波や静電気は、電気や機械の動力を活用した結果のゴミとして理解することが可能であり、波動汚染として様々な問題を引き起こしている、という現状を憂い、「このような波動は過敏症の人に限らず、免疫力の低下に著しく作用することも明らかとなり、新しいタイプの汚染となり始めている」と警告するのです。いま再び、比嘉先生のEM技術を真摯に学び、EM技術の立脚点に立ち帰るべきという主張は、混迷のこの時代にいっそう説得力をもって迫ります。
つまり、「EMの主役である光合成細菌のような、超能力的な力を有する多様な極限微生物を活用し、汚染物質にエネルギーを賦与し、正常化し、再資源化したり、汚染エネルギーを有用なエネルギーに転換したりする技術の確立が急務」である、ということでしょうか。
◇「バッシングは一流への道か」
【連載】米国特許弁護士、服部健一氏の『日米特許最前線』の第54回「バッシングは一流への道か」。その意は、アメリカにおけるタイガー、そしてトヨタのバッシングについての服部さんの考えを率直に述べています。
タイガーのケースを捉えて、プロゴルファーは、ポーカーフェースで表情を変えないのだが、タイガーは心の感情をむき出しにするタイプのプレーヤーであることを指摘し、「この性格は恐らく黒人のゴルフプレヤーという生い立ちがかなり影響していると考えられる」と分析を加えています。
その理由として、「小さい時は黒人という理由のみで、カントリー・クラブでのプレーを拒否されたり、白人少年達に木に縛り付けられ、叩かれた経験があるからだ」と言い切り、「誇り高いタイガーが白人達に勝たなければならない、ニクラウスの記録を破らなければならないという闘争心を持つことは、人種の問題が少ない我々日本人には想像もつかないほど強いのであろう」というのです。この辺の分析は、奥が深い。
また、今回のマスターズで優勝したミケルソンとの対比で、翌日のジャーナリズムが「家庭人のミケルソンが非家庭人のタイガーを破った」、とまるでミケルソンを聖人君子のように褒めちぎっていることに疑問を呈するのです。
一方のトヨタはどうか。「残念ながら日本企業には反バッシングを買って出る第三者はいない。唯一の例外は、中立で権威の高いコンシューマ・リポートだったのかもしれない」とし、コンシューマー・リポートがプリウスはベスト環境車と発表し、アメリカ市民はトヨタ車を信頼していると私は思った、という。「とにかく、この国ではナンバー1はすぐバッシングの対象になり、それに反論して生き抜かなければならないのがアメリカ的生き方なのである」と結ぶ。
大国の仲間入りした中国、そして日本はいかにすればよいか?「一人前の国、或いは一流国になるためには最低、自分の主義主張を十分有し、通す国でなければならない」と、ご自身の持論を展開しているのです。
◇総合する、の意味を考える
【連載】塩沢文朗氏の『原点回帰の旅』第64回は「『謎の鳥の正体』と総合力」です。前に私が紹介した「謎の鳥の正体」に触れて、一国の総理大臣が、これまでにこれほど国民に揶揄され、笑い飛ばされたことはあったでしょうか?と疑問を投げかけています。笑っている場合じゃないと。
そして、その原因は「総合力」にある、と鋭く迫るのです。「総合力」がないというのは、裏を返せば、「政策がバラバラ」で、「子供手当てにせよ、高速道路無料化にせよ、90年比25%削減にせよ、普天間基地の移設問題にせよ、それらの政策を実施することにより、日本の将来はどのようになるのか。どのような日本を創りたいのか。その道のりはどのようなものか。こういったことが見えない―のではないか、と指摘してきしています。
総合力の乏しさは、鳩山政権の専売特許じゃなく日本人の共通した弱点と捉えて、「総合する」という言葉の危うさから説き起こし、「総合する、いや、正確に言えば、異なるものを束ねることによって新たな価値を生み出すことが本来的に苦手なのではないか」と論を進めています。なるほど、うなずきながら関心をもって、つい吸い込まれるように読んでしまいます。
◇論文の作法は、「ビールの発酵」
【連載】山城宗久氏の『一隅を照らすの記』の第19回「余暇考」です。余暇に係わる経済的側面の経済政策を講じていく、というミッションを抱えた組織の一員として、その一兵卒として休暇を取らず毎日朝4時まで仕事していたころの述懐というか、ユーモアというか…。それは切ない話ですね。
そして、東大及び京大で読まれたリバイバル人気の外山滋比古先生の『思考の整理学』のその一節。ビールの発酵になぞらえつつ、論文を書く作法について、「素材に自らのアイデアを加え、寝かせて、テーマが発酵してくるのを待つ。"発酵が始まったとなれば、それを見すごすことは、まずないから安心してよい。自然に、頭の中で動き出す。おりにふれて思い出される。それを考えていると胸がわくわくしてきて、心楽しくなる。そうすればすでにアルコールの発酵作用があらわれているのである」と。
山城さんは、自分の余暇、もといライフの時間を、この種を寝かせて発酵を待つ行為のためになるだけ使いたいと思う、と。私も同感です。いままさに発酵状態のものがふたつ、小生はじっと待っているのですが…。
※なお、次週の5月5日(水)のメルマガはGWのためお休みします。