◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2010/04/14 http://dndi.jp/

ひとの心をひらくユーモア術

 ・いろは丸沈没事件、その時竜馬は!
 ・怒りを笑いに!井上ひさし文学の神髄
 ・ウェブで流行る「謎の鳥の正体」
【連載&コラム】
 ・黒川清氏「休学のすすめ:休学して外国へ行こう」
 ・橋本正洋氏「知財をめぐるある裁判事例」
 ・比嘉照夫氏「農業の未来図:農は国の基」
 ・山城宗久氏「東京スカイツリー:7丁目の夕日」

DNDメディア局の出口です。世論を味方につける、というのは今も昔も変わらない選挙の要諦です。その風向き次第で不利な戦況をあっという間に優位に転換しうることもあるし、その逆もまた然り。が、それをどういう手段で導くか、そこが難問です。眉間にしわを寄せていきり立つ演説にはやや閉口するが、そこにスマートな笑いやユーモアがひとつでもあればつい警戒心を解いてしまうものです。いかに人の心を開くか。その開閉のノブになぞ解きの答えがある、と思います。


たとえば坂本竜馬、いろは丸沈没事件に遭遇し、その憤怒の渦中、どう行動したか。面白いのは、長崎は丸山の料亭花月へ上がって馴染みの芸妓十数人に、あるざれ唄を仕込み、それを流行らせました。今でいえば、ブログかツイッターでムードをあおるということかも知れません。この辺が竜馬の着想の凄いところというか、世論を動かすツボを熟知していた証左なのでしょうか。

  船を沈めたその償いは
  金を取らずに国を取る


竜馬が、三味線を抱えて即興で作詞作曲したこの唄を芸妓らが面白がってそれに和していたという。唄は、単純素朴です。船を沈めた償いに、賠償金を取らずに紀州55万5千石を取ってやる、という意味です。長崎では、町人だけでなく諸藩の士も、竜馬らに同情していましたから、彼らは座敷でそれを弾かせていたという。
 「国を取る、というのは気宇が大きい」
 というのが、酒客たちの気にいっている文句でした。300年威張り続けた徳川御三家の紀州藩を一介の浪人が「取ってやる」というのが痛快に感じていたのだろうと思います。世論は竜馬の海援隊に味方し、この紀州藩に非という判断を下していたのです。


いくら竜馬とて紀州藩を相手にざれ唄だけで交渉を有利に導くとは考えていません。もうひとつの戦略は、「万国公法」に訴えることでした。『竜馬がゆく』によると、竜馬率いる海援隊は破産寸前の窮地、そこでやっと、念願の蒸気船「いろは丸」を大洲藩から借用することができました。その初航海で、なんと不運なことに紀州藩の新造船「明光丸」に衝突されて大破し、積み荷もろとも瀬戸内海に沈んだ事件は、わが国の近代海運史上、初の海難事件とされています。


慶応3年(1867年)4月、関門海峡から瀬戸内海に入り讃岐の箱ノ岬沖を航行中でした。霧深い深夜。そこへいきなり巨船が現われた。いろは丸は左へ回転中であったため、右舷の腹を相手に曝す位置にあり、その右腹へその大きな明光丸の船首が突っ込んだ。明光丸の船首がいろは丸にのしかかり、蒸気機関室を破り煙突をすっ飛ばし、中央のマストを根元からたたき折った‐と、小説に書かれていました。明光丸は、百五十万馬力で、紀州徳川家のその財力を傾けた英国製の新造船でした。いろは丸の5倍の大きさでした。


その借り物の蒸気船と、それに数万両にのぼる銃器などをすべて失った竜馬は、その失意と怒りの中で取ったのが、武力を最後の手段としながらも、お得意の「万国公法」による海事裁判に訴えることでした。当時、「万国公法」といっても日本人は誰も知らない。


竜馬は、衝突の直後、いろは丸から明光丸に飛び乗って操舵室から航海日誌等を抑えるという俊敏な行動にでるのです。衝突当時、明光丸に甲板士官がいなかった。さらに二度にわたって右舷をついた、という事実がその後の交渉を竜馬に有利に働くことになります。が、命は狙われるは、紀州藩は逃げ腰になるわ、それからがひと波乱もふた波乱もある。


紀州藩側は、竜馬らの海援隊が、「土佐藩そのものではない」ことを見抜いて単なる浪人結社の"あぶれ者"であるなら、見舞金の金一封でもくれてやれば、それでいいだろうと軽んじる。金一封の中味は、25、6両程度でした。


船一隻沈め、積み荷をことごとく失った竜馬に対する挨拶がそれでした。竜馬の求める賠償金額は一万両に上り、それも手付金ということでした。交渉は、現場近くの鞆港、宮崎アニメ「崖の上のポニョ」の舞台となった、いまの鞆の浦付近です。そこから長崎へ交渉の場を移します。長崎は、鎖国の中で唯一の貿易港でした。その土地柄から南蛮渡来の珍しい物事をとらえた童歌や、奔放な長崎ぶらぶら節などが宴会でよく歌い継がれる文化的素地があったのでしょう。


竜馬のざれ唄は、内容はシリアスなのだが座興としてもてはやされ、それで紀州の殿様を笑いのネタにしていたことは容易に想像がつきます。すぐ長崎で爆発的に流行し、やがてそれは大阪、京、それに江戸の花街へと喧伝されたに違いありません。


このいろは丸事件には、後日談があります。最終的に薩摩の五代才助(友厚)の調停で、紀州藩は事故の責任が明光丸にあったことを認め、竜馬は結果的に8万3526両198文もの巨額を賠償させることに成功します。


この金額は、いろは丸が積んでいた銃砲類の金額を加えた額なのですが、近年、鞆の浦沖でいろは丸の船体を引き上げ調査がなされたところ、積み荷とされていた銃砲類は発見されなかったそうです。おそらく、交渉を有利に運び、少しでも多くの賠償金をせしめるための竜馬の「はったり」だったのでしょう、とは、放送中のNHK教育テレビ「直伝和の極意」(木)の「古地図で巡る竜馬の旅」でナビゲータを務める、茨城大学准教授の磯田道央さんの推論です。


□怒りを笑いに変える井上文学

話が変わります。先日、亡くなった井上ひさし氏の追悼や評伝を拾うと、どの新聞も井上氏の表現にある笑いの感覚を強調していました。


読売13日付『編集手帳』は、「人間の愚かさが誰かに注意されて改まるならば、悲しみや怒りではなく、笑いによって注意を下されるべきではないだろうか」という井上氏の言葉を引用し、「人間というかなしく、おかしい存在が織りなす笑い、その笑いによる世直しが『ひょっこりひょうたん島』以来の、生涯を貫く創作哲学であったろう」という。う〜む、奥が深い指摘です。


朝日の13日付朝刊文化面は、「井上ひさしさんを悼む」と題した演劇評論家で、井上氏と個人的な付き合いが長い扇田昭彦氏の追悼文を掲載していました。そこには、井上氏は放送劇、小説、戯曲、エッセーなどで多方面で活動したが、氏はいつも笑い、あるいは喜劇という手法を使って日本の社会と歴史と人間に正面から向き合う書き手だった、と言い切り、「その笑いの底に不条理な現実に対する黒い怒りが潜んでいたように思われる」と、笑いと怒りを対比させて論じていました。笑いの底に潜む黒い怒り…う〜む。
 その後段になると扇田氏は、作家チェーホフの生涯を描いた井上氏の晩年の音楽劇「ロマンス」(集英社刊)に、主人公が語る印象的なセリフがある、として以下のセリフを紹介するのです。


人間は、あらかじめその内側に、苦しみをそなえて生まれ落ちる。だが、笑いは違う。笑いは、ひとが自分の手で自分の外側でつくり出していかなければならない。もともとないものをつくるのだから、たいへんなのだ、と。


朝日の「評伝」は、12日夕刊社会面に掲載されました。「奇想と笑い 多彩な山脈」という見出しの秀逸な文章でした。筆者は、論説委員、山口宏子とありました。
 左翼運動で検挙され、その拷問で父が逝った時が5歳、終戦の時が10歳、一時貧しさから養護施設で育った、という井上氏。山口さんは、その生い立ちをたどりながら「こうした体験が、社会や時代、人間の中に潜む病理や矛盾、悪を容赦なく見通す目を育てたのだろう」と述べ、「怒りを笑いに転じて、人々の胸に届ける過程が井上さんにとって熱い闘いだった」と、井上氏の創作姿勢に理解を寄せていました。


「穏やかで激しく、やさしくて鋭い大作家が逝った。足もとに広がる穴の大きさと深さははかりしれない。でも、見上げれば遺された山脈が見える。そこにはいつも井上さんがいる」。


山口さんの、その文章のおしまいに書き記した73文字6行そこそこの文章に、なぜか救われた気がしました。行数の制限は、なんともいたしかたありません。なんども書き直して文章を削った形跡が読み取れます。もっと、書きたいこと、綴っておかなければならないことが、たくさんあったのでしょうね。井上さんは、この文章をご覧になって天国で微笑んでいるかもしれません。


□ウェブで流行る「謎の鳥の正体」

さて、鳩山政権への怒りや不満は、どう笑いに転じればいいのでしょうか。もういまさら、普天間移設をめぐる鳩山さんの変節を糾弾しても始まらないし、鹿児島県の徳之島での反対運動が火を噴きそうな勢いなのになお、それを腹案として米国側に秘密裏に打診している、というのだからあきれます。


ワシントンで開催の世界47か国が参加した「核安全サミット」で鳩山さんは、オバマ大統領に相手にしてもらえませんでした。政権交代直後、東アジア構想を全面に押し出し、米国との関係をイコールパートナーと主張し、対米政策を強気で臨んだのが、多くの識者が指摘していた通り、見事に裏目に出てしまった感じですね。核サミットでのスポットライトは、隣席の李明博(イミョンバク)韓国大統領にあたっていました。韓国と日本、その明暗がくっきり分かれました。オバマさんは、次回2012年は、韓国で開催することを明らかにしました。核テロの脅威、原子力機関の機能強化、核の安全‐という課題は、国際的にリーダーシップを獲るべき鳩山さんの手から、スルスルとこぼれてしまった印象を持ちました。


5月決着の普天間飛行場の移設問題は、どうも雲行きがあやしくなってきました。移設候補地もさることながら、「政治面と軍事運用面で安定して持続できるものでなければならない」とする米国側の意向をどう反映させるのか。「県外移設」が虚妄となって、鳩山首相は、そこをどう切り抜けるのでしょうか。


今朝の読売によると、「5月末決着」がほぼ絶望的になったことを受けて、今度は「決着」の定義をめぐって軌道修正を図る動きがある、という。首相の政治責任追及をかわすために、ルールを変えよう、というわけです。「決着」とは、「こういう方向で詰めていきましょう」ということや、「日米で検討していくことで合意する」ということでもない。「決着」とは、結論・結果が出ること、物事のきまりがつくこと−とあります。まさか、「玉虫色の決着」だって「決着」といえなくもない、と言うのでしょう。


まあ、まあ、出口さん、そう額に青筋をたてないで冷静になってください。怒りを笑いに変えるのでしょう。もうあなたは新聞記者じゃないのですから‐と耳元でささやく不思議な人がいます。その人が、こんなメールを送ってくれたのはもう数か月前のことでした。


ご存じですか、ウェブで流行る「謎の鳥」、その進化の過程を紹介しましょうか。いやあ、鳩山首相の「ハト」をもじった小話で、あまりに諧謔的なのでメルマガで取り上げるのを控えていたら、朝日の名物編集委員、星浩さんがコラムで紹介するし、新党「たちあがれ日本」の名付け親の東京都知事、石原慎太郎さんまでテレビで触れるから、もうこれは解禁と判断して、DNDメルマガでも書きましょう。 まあ、最初、ざっとこんななぞなぞでした。

日本には謎の鳥がいる。
正体はよく分からない。
中国から見れば「カモ」に見える。
米国から見れば「チキン」に見える。
この鳥の正体は?

 それがやがてこんな風に書き換えられているようです。

日本の首相は、自分を平和の象徴のハトだと思っている。日本国民は選挙の公約が守られなかったからサギだと感じている。アメリカ人は弱虫という意味のチキンだと見ている。そして中国人は格好のカモだと考えている―と。

これが新年早々、ネットで流布されると一気に広がり、「ウェブから人へ」が加速し、2chやツイッターでもコピーされ、内容も面白く付け加えられています。

日本には謎の鳥がいる。
正体はよく分からない。
中国から見れば「カモ」に見える。
米国から見れば「チキン」に見える。
欧州から見れば「アホウドリ」に見える。
日本の有権者には「サギ」だと思われている。
オザワから見れば「オウム」のような存在。
でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。

 さらに。
「カッコウ」だけは一人前に付けようとするが
お「フクロウ」さんに、「タカ」っているらしい。
それでいて、約束をしたら「ウソ」に見え
身体検査をしたら「カラス」のように真っ黒。
疑惑には口を「ツグミ」。
釈明会見では「キュウカンチョウ」になる。
頭の中身は「シジュウカラ」。
実際は単なる鵜飼いの「ウ」。
メディアで「キジ」にもなる「トキ」の人だが
私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。

 

どうです。これって笑えますか?私にはシリアス過ぎて笑えません。


野党が、それこそ政治討論で鳩山政権のあやうさを糾弾したとしても、それは与野党対決の政治問題であるし、いつもついて回る構図です。が、ネットで時の総理を揶揄する、それが一時的に話題になるのではなく、燎原の火のごとく飛び火して日々、拡散していく様子を見ていると、これは時限爆弾のように恐ろしいほどのインパクトを持つのではないか、と思えてならない。
ツイッターなどウェブの活用を得意とする鳩山政権は、このあやしい「謎の鳥」のオチを探った方がよろしいのではないか。


落語でいうオチ、あるいはサゲともいいます。私なりに、なんとかそのオチをひねりだそうと、数日考え込んでみましたが、うまくいきません。そこで前出の不思議な人に相談したら、そんなの簡単ですよ、もう「謎の鳥」のオチは衆知じゃないですか!と胸を張る。で、たずねると、こんな言葉が返ってきました。
 気になるのは支持率が急落する鳩山内閣と民主党の動向でしょう、この夏の参院選を控えて、この先どうなるかって、それはオチもあればサゲもある〜。


◇              ◇               ◇


■「休学して1年間外国へ行こう」

【コラム】黒川清氏の『学術の風』は、いま一度立ち止まって考えてみましょう‐という黒川流のキャリア育成術です。そこで提言されているのが「休学のすすめ」です。国際交流基金理事長の小倉和夫氏との対談のタイトルが、そのまま使われています。「休学のすすめ:大学を1年間休学して外国へ行こう」というメッセージ性に富んでいます。大賛成です。小生も大学2年の時、3ケ月ですけれど、ソ連、北欧、ヨーロッパの旅にでました。1年間、留学していたら、世界を感じる度合いが一変することでしょう。なぜ、できないか、その理由を探るのではなく、どうすれば可能かを考えなさい、というのが黒川流です。


以下は、小倉理事長とのエキサイティングな対談から引用です。
「理由づけするのは大人の側でしょう。若い人を外に出さないからいけないのです。外を見れば、若者はいままでと違った新しい価値を知る、違う可能性を見る、感じとる、自分の親や上司の考え方に、若者が過保護だという大人たちに大人は違っていると食ってかかるような人間が増えてくるでしょう。グローバル化はどんどん進んでいます。アジアも急速に変わってきています。大いに若者を励まし、ある程度、無理やりにでも外国へ行かせなくてはだめです」。


「いま私が考えているのは、福沢諭吉の時代の『学問のすゝめ』ならぬ『休学のすゝめ』です。1年間、学校を休んで、どこか外国へ行こうということです。今年も内定取り消しにするような企業が出ていますが、大学3年で内定を出すような企業の論理に縛られるのはもうやめて、1年間外国へ出よう、人生は長いのだし、同じ会社がこれから20-30年ももつかはわかりません。休学して、留学して勉強してもいいし、広い世界に出かける、仕事を手伝う、友達を作る、困っている人たちと助け合う、やることはいくらでもあります。世界を放浪してもいい。世界を一周してくるのもいい。そうしないと、若い人は日本を外から見る、日本を感じとる機会があまりにも少ないのです」。


◇知財をめぐる裁判の話
【連載】特許庁審査業務部長、橋本正洋氏の『イノベーション戦略と知財』の第17回「知財を巡る裁判の話」は、難しい裁判の話をやさしく書く、そういう思いが感じられる内容です。内容は、行政不服を巡る裁判のお話として、昨年に最高裁で国の勝訴が確定したある行政事件の裁判の例を紹介しています。事件の概要は、意匠権の登録出願について、出願人が優先権主張(後述)を行ったものの、これを出願と同時に行わず、後の手続補正書で追加した手続に対して特許庁長官がした却下処分について、その取消し訴訟を行ったものです。
 地裁、知財高裁と裁判が行われ、最高裁判所にて平成21年10月1日に国の勝訴が確定しました。意匠登録出願は、パルミジャニ フルリール エス.アー. というスイスの高級時計の会社から行われたものです。その事件の概要と、工業所有権保護に関するパリ条約の優先権など、その詳細が書かれています。
 争点は「同時に」と「同日に」という一字違いにありました。そこで、橋本さんは、「しかしその間の壁はとても高くそびえています。特許法(意匠法)においては、文言上厳格に使い分けていて、それが『いつ』されたかという点において全く意味が異なってくるのです。本件は、2時間とすこしの違いではありますが、その違いで優先権が認めらなかったため、この企業の意匠登録出願そのものが拒絶された」とその背景を解説しています。

おおいに参考になりますので、知財関係者必読です。

なお、第16回は「中央線の車中にて」のエッセー風の4月の点描です。入学式、入社式、特許庁は入庁式という。特許庁でも73名の新規職員を迎えて、厳かに入庁式が行われました。細野哲弘長官からの訓辞は、特許制度125周年を迎えたことを踏まえ、この制度の父である高橋是清初代特許庁長官の偉功に触れつつ、行政官、特に経済産業省職員としての気概を説いたものでした。また橋本さんのご子息が2度目の大学生活をおくるため、元気に京都へ向かったことに触れています。がんばって仕送りするからと、旅立つ子の安否と成長を祈る、親の心情をにおわせています。


◇「農業の未来図:農は国の基」
【連載】は、名桜大学教授で国際EM技術研究所所長の比嘉照夫氏の『緊急提言、甦れ!食と健康と地球環境』の第24回「食と健康、環境を守る農業の未来像」(4)です。その主張の一貫しているところは、農地の利用率をどう高めていくか、という問題への切り込みです。わが国の耕作放棄地はすでに40万haに及び、全農地の8%以上、10%に近づいているという。お台場周辺の臨海副都心エリアの1000倍もの農地が耕作放棄地となっているというのですから、個々の問題をさておいて食料の自給率をうんぬんすることはできないのは当然の主張です。その具体的な措置として、3年以上耕作を放棄したらその土地の所有権は維持しながらも利用権を失効する制度を作り、固定資産税は利用者が払う。所有者が再び農地を活用したい場合は、3〜5年で戻るような流動的な措置が必要ではないか、と指摘しています。


また、EM技術の導入による農業改革を実行すれば、食料の自給率が100%、一次産品の輸出総額は10兆円以上になる、と試算し、緊急にEM技術を根本にした農業の改革を訴えているのです。飼料の供給と畜産廃棄物の高度利用などすでに実践的な取組が各地で行われている通りと語り、畜産振興から、木材の機能性向上、森林生態の維持、良質な有機飼料の確保、それらがやがて地域全体をグリーンに輝かせる「いやしろ地」に変えることが可能だと論じています。どうぞ、その実践的価値の高いEM技術の有用性をご認識いただけると思います。


【連載】は、東京大学産学連携本部副本部長、山城宗久氏の『一隅を照らすの記』第18回「7丁目の夕日」。いやあ、タイトルもよし、その着眼も素晴らしい。
「ALWEYS 三丁目の夕日」にあやかって、山城さんのオフィスから建設途中のスカイツリーが徐々に高くなっていく様が見えるのだそうです。私のオフィスからもはっきり確認できます。  やや感傷的に、きっと映画の影響もあるのでしょう。「50年前の日本国民と同じように、変わらぬ大自然に感謝しつつ、各のできることを真面目に行っていくことを続けていけば良いのだと、夕日の中に立つスカイツリーを見つめては思う日々です」と結んでいます。


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