◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2010/1/13 http://dndi.jp/

竜馬がやってきた!

・足で稼ぐ竜馬は、ジャーナリズムの真髄
・白虎隊生き残りの山川健次郎氏の血涙
・江戸・柳橋の「万八楼」と「亀清楼」
・アエラ刊『幕末と戦国このとき義を貫いた』
・コラムは、新春から堂々8本の黒川清氏
・好評連載は、比嘉照夫氏、塩沢文朗氏、張輝氏


DNDメディア局の出口です。新春、松の内の夕暮れ。ビル7階のオフィス北側 のバルコニーに本年初の珍客を誘うと、雲が桃色に染まり数十隻の屋形船が眼 下の神田川で舳先をそろえ、ちょうど干潮時で静まり返っている。 その先の神田川と隅田川の合流点にかかる「柳橋」を、その昔、「川口出口の 橋」と呼び、その対岸一帯が江戸期から続く花柳界の柳橋界隈で、残り少ない 江戸情緒を今に伝えているのです。自慢じゃないが、川のある風景は素晴らし い。


このDND秘密基地をどれだけの人が訪れたでしょうか。こうなると、もう秘 密とはいえない。来ると、挨拶もそこそこにバルコニーへ招き入れて、相手構 わず周辺を遠望させながら、浅草はその向こうで夏に花火がドーンと、お台場 はこの川を下る、などと聞かれもしない講釈を始めるのが、もう癖になってしまった。


すると、「下町風情の素敵な眺めですね。川の流れに癒されます」と感想を 述べてくれます。それがうれしい。それだけでご満悦なのです。みんな同じ感 想というのも奇妙ですが、熟達の口上のように仕上がっているから、気づかれ ぬままその辺を誘導するので、そういう印象を語ってくれるのかも知れません。


この風景に最近、突如姿を現したのは、お隣の隅田区に建設中の「東京スカ イツリー」の威容です。高さ634mのうち、200mを越えたらしい。新たな説明が 必要となってきました。建物は、地震に強いとされる伝統的な木造の五重塔の 構造を応用し、中心軸に「心柱」と呼ばれる直径8mの鉄筋コンクリートの円筒 を作る。外側の鉄骨と緩衝装置でつないで揺れを分散させる仕組み、というの は新聞からの引用。そして、さらに。


その高さ「世界一」の看板は、「アジア一」に。台湾の「台北101」(508m)は 超えるが、残念ながらドバイに新年4日落成した超高層ビル「ブルジュ・ハリ ファ」の世界一となる828mには及ばない。11年12月に完成し、今年の春に開業 を始める、という。ポスターに、月と星とスカイツリーと。川面に赤い屋形船 の提灯が揺れ、見上げれば夜空にスカイツリーの電飾が煌めくに違いな い。ふ〜む、きっとまた一つエピソードが加わって、口上が長くなると、迷惑 がられる。


そうそう、珍客の話に戻しましょう。新年早々、肥後熊本から江戸に来て 長々とそんな説明を聞いているから、すっかり体が冷えてきました。オフィス に引きさがりながら発したこのお客の言葉は、いやあ、しかし、ひと味もふた 味も違っていました。


「この川の流れを見ていると、提灯の赤い灯が流燈に見えてくる。幕末の風雲 の中で散った志士らの霊がなぐさめられるものなら、いっそうのことこの川に 流燈を流したい」、と神妙な口ぶりで、そう吐露するのでした。現在は、熊本で ベンチャーを立ち上げたが、生まれは土佐の高知、酒と歌を好む。


そそくさと大きな紙袋を無造作に差し出して、土産です、という。紙包みを あけると、なんと坂本竜馬像でした。土佐桂浜に立つ竜馬像のミニチュアで、 趣味で集めた私の朱色のブリキ製の消防車群に混じって、ズシーンとくるほど の存在感がある。おまけに土佐の生の酒「酒槽一番汲み」、よく振って"冷や" でお飲み下さい、と、ご丁寧に説明書きが添えてある。わかっちょる、わかっ ちょるケ。


熊本大学インキュベーションでecoビジネスを広げるベンチャー起業家 「オーシャンエナジーテクニカ」社長の横山高明さんで、昨年末に宮崎での技 術交流セミナーで知り合ってわずか数カ月だが、その起業マインドに惚れてい る。独自の開発と合わせて、一部中国からの部材を集め加工・販売しているが、 突如、総代理店を名乗る競業会社が表れて、その対応に苦慮し、その相談に訪れたのです。ご案内は、そのビジ ネスをサポートする、日本―ロシアチュバシ共和国友好協会専務理事の柴田敏 雄さん、その事務局で理事を務める下野隆夫さんの御三方でした。


竜馬像を囲んで、幕末から維新にかけての開国と攘夷、幕府と朝廷などの時 代背景から、坂本竜馬論など幕末の志士らの生きざまを論じていると、数時間 があっという間でした。ちょうど、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」がスタートし たこともあってそれにひきずられて、再び司馬遼太郎氏著の『竜馬がゆく』 (文春文庫、全8巻)を読みすすめているところでしたから、『坂の上の雲』 から時代を少し戻って、幕末、戦国から維新への大転換期に散った志士らの生 きざまに反応し、そのはやる気持ちがどうにも抑えられず、この歳でさえ気分 は維新回天なのです。


竜馬の愛嬌のある人柄や数々の美談にだれもが憧れます。司馬氏の時代を見 抜く歴史家としての慧眼、精緻な筆力と構成、なにより生き生きと若者らの青 春を描くストーリーテラーとしての力量に感服します。人間を犬畜生以下に扱 う差別を忌避する、その怒りを抑えたヒューマニティーが文脈の随所にじんで いる。


『竜馬がゆく』を読んで、いくつか心に残ったところを書き留めたいと思い ます。余談といわず、以前からうす薄感じながら、少し違和感を憶えていたの ですが、例えば、明治以降、官僚主導の政治システムが行き詰まりそれを変革 しなければならない、と多くの政治家や評論家が言う。この100年以上の歴史 を振り返ると、幕末から維新にかけての血みどろの争いや、幕末の志士らの矜 持や理念を思うと、「そんなにたやすく世の中、割り切れんじゃろう」という 竜馬の冷やかなつぶやきが聞こえてきそうなのです。司馬氏が繰り返し、テーマにしているのは世に 問うところの、人間の器、度量というものではないでしょうか。


幕末に登場する志士たちのほとんどは、討幕後の政体を、鮮明な像としては もっていない。竜馬のみが鮮明であった、というし、この無位無官の青年が自 分の海好き志望を遂げるために国家まで改変してしまった、と司馬氏は言い切 る。そして、その革命が成就しえた以上、政府の参議などになるはずが ないのであって、竜馬が言う「自分は役人になるために幕府を倒したのではな い」という一言が、維新風雲史上の白眉といえるのであり、筆者(司馬氏)は 「このひと言をつねに念頭にいきつつこの長い小説を書きすすめた」(あとが き五)と語っているのです。


その意味するところは、はやり、「私心を去って自分をむなしくしておかな ければ人は集まらない。人が集まることによって知恵と力が持ち寄られてくる。 仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう」と、司馬氏が指摘す る通りです。まさに歴史家の卓見ですね。これをわたし達はどう心に刻んでい けばいいのだろうか。何億円ものよからぬ金を右に左に動かすことのみに心を 奪われる為政者がいるとすれば、その国の行く末はおのずとしれたことよ、一 時、世間をはぐらかしてみせても、時の流れは悪しきをも流すものですから、 歴史の断罪は避けて通れないのです。


さて、長州の桂小五郎、薩摩藩の西郷隆盛、そして土佐藩の坂本竜馬の三人 は、まあ、維新史の立役者と司馬氏は書く。それこそ桂、西郷らは藩を代表す るが、竜馬は、録もない門地もない、戻って継ぐ家もない。身分は上級武士の 士に対して下士、睨まれれば斬られる無礼討ちがまかり通り、どうあがいても 決して上級武士には取り立てられない悲運にある。薩長土と並び称されるよう に勤王倒幕主義とされるが、その内実は微妙で、藩の上士ら上層部が佐幕論者、 倒幕派は下士の軽格連中という構図、関ヶ原の論功で山内一豊が掛川からやっ てきたのだから、地侍の下士らは、その生い立ちからして条件が悪い。中でも 土佐藩の悲劇は尋常ではなかったようです。そこの下士から竜馬が誕生するのですから、そ の成長ぶりは、実に天を駆けるが如しなのですね。


そこで、あえて紹介したいところがいくつかあります。そのひとつが、この時代 の竜馬の役割です。新聞記者のようなものであった、という。この当時の高名 な勤王の志士というのは、吉田松陰も清河八郎も、西郷隆盛も桂小五郎も、そ して坂本竜馬も、しきりと諸国を歩き、土地の見どころのある人士と会い中央 地方の情勢を伝播し、全国の同志を一つの気分と昂奮に盛り上げていっている。 要するに、と司馬氏は一拍おいて「史上名を残した志士というのは、足で取材 し、足で伝播した旅行家ばかりということになる」(第2巻「萩へ」)、 と論じています。


そして尊王攘夷派の長州が京に挙兵して会津藩ら幕府側に敗れた蛤御門の変 に際して、この異変を知った勝海舟は、機敏に行動する。竜馬に命じて、兵庫 に停泊中の練習船観光丸の錨を上げさせて大阪へ急行した。「諸事、この眼で 見ねばわからぬ」というのが、勝と竜馬の行き方だったようです。


やはりその意味するところは、「現場を見たうえ、物事を考える。見もせぬ ことをつべこべ言っているのは、いかに理屈が面白くても空論に過ぎぬ、とい うのが、この二人の生き方であった」として、司馬氏は、「彼らは、優れたジ ャーナリストの一面をもっていたといっていい」(第5巻「流燈」)と断言し ています。足で書く、ジャーナリストのその原点は、今も昔も変わらない。


長州と会津の衝突は、京の治安維持組織、新撰組が長州、土佐藩を襲撃した 池田屋事件が最初で、それに蛤御門の変、三度目は長州軍が官軍となってのち の会津若松城攻めで、この若松城攻めの時も藩主松平容保が謹慎しているにも かかわらず、長州が「せん滅させたい」と主張して、攻撃して落城せしめ、白 虎隊の悲劇を引き起こした、とされる。池田屋ノ変から始まった長州人の会津 人への憎悪はすさまじいものであった、という。憎悪が重なると、もはや相手 を人間だと思えなくなるのであろう、と司馬氏は綴っている。


で、官軍と会津勢との激戦でのエピソードを紹介したい。土佐藩士、板垣退 助指揮の官軍が会津の一隊の拠る雷神山に猛攻を加えた。武器も人数も会津は 劣っている。雷神山の会津勢も、もはやこれまでと思ったのだろうか。


司馬氏は、その時の模様をこんな風に紹介しています。


関羽ひげの老将が、にわかに日の丸の軍扇をひらいて、全軍斬り込みを命じ た。まっさきに山を駆け下ったのは、この老将と、それに前後する一人の美少 年である。それが、後年の森要蔵と、竜馬にあいさつをした四歳の坊やであっ た。


親子は官軍の真直中に斬り込むと、まるで舞踊のように美しい剣技をみせた という。父が危うくなると、少年が駈けより、少年が危うくなると、父が救っ た。形影相寄り、相たすけつつ戦うすがたに、官軍の指揮官、板垣退助は、し ばらく射撃をやめさせたぐらいだったといわれる。


やがて子が斃れ、父がその上におりかさなって斃れたとき、戦鼓が鳴り、官 軍が怒涛のようにかばねを踏みにじって雷神山を占領した。


ふ〜む。読んでも、打っても、このところにくると、息がつけなくなりそう です。話は、まだ終わっていません。このはなしは…と司馬氏は、呼吸を整えて筆をすすめ、こうある人物を描いているのです。


「当時の様子を遠望していた白虎隊の生き残りの山川健次郎男爵が、明治後に 語りつたえ、語るたびに涙で声がつまり、時には号泣したといわれる。この森 要蔵の曾孫にあたるのが昭和9年5月、いわゆる昭和天覧試合で優勝して不出世 の天才剣士といわれた野間恒練士(東京府選出・講談社創始者、野間清治氏の 子息、その後夭折)である。やはり剣にも血筋というものがあるらしい」(第 1巻、「安政諸流試合」)。


山川健次郎氏といえば、「学術の風」の黒川清さんをすぐ思う浮かべる方が いらっしゃれば、DNDメルマガ検定1級の称号を与えてもよいでしょう。以前、 2006年12月1日号のメルマガ「山川健次郎氏と黒川清氏の『Phronesis』の符 丁」で書きこんでおります。その一端を。


「山川健次郎氏は、近代日本の科学教育の最大の貢献者です。東大総長を都 合12年(最長)勤めた方です。私の最も尊敬する 方です。『山川健次郎伝』 (星亮一著)が3年前に出ました。それで、星さんともお会いしました。ちな みに、日本人で初めてアメリカの大学教授になったのが、「朝河貫一」で、こ れもYaleの教授です。この方についても私がWedgeで紹介していますが(カラム 2003/04/03)が、この方も凄い人です。みな、熱いですねPhronesisのかたまり です。」


黒川さんが最も尊敬する、山川健次郎氏、東大総長で、しかし、九州工業大 学の初代総長ともいう(中略)九州工業大学の初代学長まで登場してきて、ち ょうど、九州工業大学で僕らが講演の前日にその記念のシンポジウムが開催さ れていたんですね。さて、僕宛のメールにその記念シンポへのメッセージが紹 介されていました。迸るような熱いメッセージが随所に散りばめられています。


「山川記念シンポジウムの開催、おめでとうございます。山川とは山川健次郎 先生、九州工業大学の初代学長です。153年前、会津のお生まれで、14才で白 虎隊の生き残りとなるも、勉強熱心が認められ、幸運にも17才で国費留学生に なる機会を与えられ、正式にYale大学入学、苦労しながら、多くの人に育てら れ、助けられながら、正式に卒業した初めての日本人、という努力家です。2 2歳で帰国し、一生を教育にささげられました。


後に第6代の東京帝国大総長となりますが、ここではその理由は述べません が、1905年に4年で退任。その後、この大学が明治専門学校として発足したと きに九州にこられたのです。詳しくは、今日のお客様の星亮一さんのお話を聞 いてください。山川先生は、日本の科学教育の構築を通して多くの人材を育成、 大学の自治確立に大きく貢献されました。


日本の多くの方は北海道大学とクラーク先生のことをご存知です。この関係 がこの大学と山川先生の関係といえるでしょう。でも、山川先生のことがそれ ほど知られていないのが残念です。山川先生は、その後、九州帝国大学の初代 総長になられ、その後はまた東京帝国大学総長を8年勤められ、その間に2年間、 京都帝国大学総長も兼務され た、もっとも偉大な大学人です。先生は、次代 を背負う学生をとても大事にされ、また大学の自治を守ることに力を注がれま した。近代日本の科学教育は、実にこの山川先生の貢献なしにはなかったとい っても過言ではありません。このような偉大な先生のご功績をここで知り、偲 び、次の世代へ引き継いでいくことは、教育の大事な一面です。今日、ここに お集まりの皆さんは、このような偉大な先人によって導かれてきたことを、深 い感謝の念で思い起こし、若者を育てることに、山川先生の信念と情熱を少し 注入していただければ、どれだけ山川先生にも、また先生の関係者一同にと ってうれしいことか。


そして、みなさんが、自分一人ひとりの日常の生活、活動を通して、どれだ け若者に勇気と希望を与えることができるだろうか、深く思いをはせていただ ければ、本当にうれしいことです。私は、今日から所要で北京へ行きますので 参加できませんが、皆さんがすばらしいひと時を一緒に過ごされることを心か ら祈念しています。」


ずっと前に『竜馬がゆく』を読んでいるのに気に留めていない。実は、『坂 の上の雲』(第1巻、(七変人))にも、子規と真之とのやり取りの中でその 名前が登場します。


しかし、なんというのでしょう。それにしても、この場面で山川健次郎氏の 名前が登場するとは、思いもよりませんでした。歴史の幕間から突如、顔を出 し、生の声を聞いてしまったようは軽いめまいを覚えるじゃありませんか。


さて、NHKの大河ドラマでは、やや誇張過ぎますが、その理不尽な土佐藩の 内実を描いて見せました。ここを外したら、竜馬の無軌道な行動がよけいに 見えにくくなるからでしょうか。竜馬は、日本中はまだ戦国時代じゃ、この体 制のままじゃ国難に立ち向かえないと歯噛みし、土佐藩も日本もぼやぼやしち ゃられん、日本はつぶれてしまう、と危機意識を持つ。江戸に剣術の修行にい ったのが、嘉永6年の黒船来襲のころで、この瞬間から幕末の風雲時代にはい るが、あれもこれも何一つに偶然がない。


おしまいに、竜馬がゆく先々に、それこそ襲撃の舞台となる伏見の船宿寺田 屋は気丈な女将、お登勢さん、それにおりょうがいる。清水寺に近い産寧坂の 「明保野亭」は、お田鶴さんとの逢いびきの場でした、という具合に、お店の設定や魅力的な女性らの存在は、うらやましいほどでした。


そこで、竜馬は、脱藩後、北辰一刀流の千葉道場の同門で、腕が利く羽前国 の清河八郎と京の辻で会う。先斗町の「よしあ」という料亭に入り、そこは銘 酒「剣菱」で知られているのだそうだ。酒を飲みながら、清河の体から発する 気力に、竜馬も「すごい男だ」と感心する。が、彼は江戸から手配されている お尋ね者で、江戸の柳橋「万八楼」で同志と痛飲し、路上で刃傷沙汰を起こし ていたのでした。その顛末はわきにおいて、つまり「万八楼」は、さていったい柳橋のどの 辺にあるのか。


いままで気付かなかったのは不覚でした。が、その所在を確かめようと、安 政年間の江戸古地図を広げて、「万八楼」の文字を探しました。が、容易じゃ ない。すると、新人スタッフが、あの〜と、声を低めて、あのお向いの「亀清 楼」(かめせいろう)が、「万八楼」の前身らしい、という話をネットで見つ けた、という。あの亀清楼が、いやあ、それが本当なら、またバルコニーの口 上にもっともらしい新たなエピソードが加わるじゃないですか。


それによると、「柳橋」の橋のたもとにある老舗料亭は、かつて多数あった 「柳橋の料亭」の数少ない生き残りで、安政元年(1854年)創業の亀屋清兵衛 が人気料亭「万八楼」を買い取って改名した、とある。が、嘉永年間の「料理 茶屋番付」や、「鹿鳴館秘蔵写真帖」によると、「雪の柳橋 万八楼」の写真 が残っていたり、万八楼の廃業は明治初期という説もあり、「亀清楼」の前身 が「万八楼」という確証は、得られません。


そうそう、新春早々の賓客を前に、そろそろ柳橋のいきつけの小料理屋に行 かなければなりません。「龍馬伝」。飲むほどに、語るほどに熱が帯びて、最 終電車を逃してしまうほどでした。肝心の相談事は、どうなったのか、よく覚 えていないが、なにやら覚書の通り、その方向で話が動いている、と後日聞き 及んでホッと胸をなでおろした次第です。


■歴史好きにアエラの一冊『幕末と戦国 このとき義を貫いた』
 ところで「龍馬伝」と言えば、朝日新聞のAERA編集部がMookで『幕末と戦国  このとき義を貫いた』という別冊を新年早々発売していたので、このメルマ ガを書く参考にしました。昨今の歴史ブームで類書は数多いが、内容はさすが に充実しています。特に「戦国編」の力の入れようは半端ではありませんでし た。


石田三成、真田幸村、直江兼続、伊達政宗など人気の有名武将はもちろんで すが、雑賀(さいか)・和歌山の謎の鉄砲隊隊長鈴木孫一、秀吉に「100万の 兵を与えて自由に指揮させてみたい」と言わしめた大谷吉継続、「島津の退き 口」で知られる有名な島津義弘、四国統一を目論んだ長宗我部元親、戦国のジ ャンヌ・ダルクというべき忍城の甲斐姫など、渋い武将たちも含めて、まず22 人の戦国武将の大特集が目を見張ります。


それぞれにゆかりの武将3人を掲載して人間関係も丁寧に描く。読み応えは 十分。また、死因、死んだときの状況、墓の所在地などが一目でわかる武将10 0人の「命日カレンダー」も思わず眼がいってしまう。どこで調べたのでしょ うか。


新史料を読み解く「直江状の秘密」など、アカデミックな記事も満載です。 2009年の流行語大賞で「歴女代表」になった人気モデルの杏や、「風林火山」 で上杉謙信を演じたミュージシャンGACKTの記事は、女性読者獲得の狙いが 見え見えだが、インタビュー内容はなかなかで、2人ともかなりの歴史フリー クであることがわかる。


そして、本筋の幕末編では、福山雅治による「龍馬伝」のインタビューはま あ当然にしても、それ以外にその暗殺の真相に新聞記者の目で迫った大型記事 や、「龍馬VS新選組」、「土方歳三真実の旅」など力作記事が目立つ。付録も 充実していて、龍馬とともに殺された中岡慎太郎の視点から描いたタイムスリ ップマンガや、戦国武将たち30人の家紋シールはおまけ。オールカラーで160 ページ。値段は1200円の価値はある。アエラも最近、なかなか商売上手になっ てきた感じがします。どうぞ、歴史好きにお勧めに一冊です。DNDメルマガと ご一緒に読んでください。


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【コラム】は、黒川清氏の「学術の風」。2010年の黒川先生は、風雲急を告げ る、とでもいうのでしょうか。12日は、「アラブ首長国、原子力発電は韓国の 勝ちーその4」と、一連の国際コンペでなぜ、技術力にまさる日本のJVが韓国 にあっさりやられてしまったか、その内実を詳細に報告しているのです。ここ までくると、ジャーナリストの調査報道です。グローバルにどう生き道を探る か、というならば、確かにきちっと検証しておかなくてならないファクターだ と思います。電話一本で、他の国のトップと意思が通じる、政治家はいるか、 どうか。11日は、「石倉洋子さんのグローバル・アジェンダ・セミナー」、8 日が「ものづくり」と相手を知った「ものがたり」の違いなど、新年からニ ュースな題材を発信し続けておられます。
 元旦号は、こんなメッセージです。「50年ぶりの政権交代とはいえ、課題が あまりにも多い日本、そして激変する世界。今年は政府、政治、財界産業界、 ジャーナリズム、大学、科学者、NPOなどなど、時代を見通し、行動する、も っと多くの人たちが出てきて欲しいものです。一人ひとりの立場をちょっとは なれて、自分を見つめてみる事も大事です−」と。

【連載】は、塩沢文朗氏の『原点回帰の旅』は第60回「2010年代は再チャレン ジを可能とする時代に!」。ちょうど、60回の節目となります。随分と長い旅 をされているように感じられます。書き出しは、新年を迎える塩沢家の流儀、 伝統を重んじるお正月の風景でした。大晦日に小宴会とは、北海道と似てます ね。
 本題は、懸念される大学発ベンチャー支援についてーでした。最も大事なこ とは、として、「失敗に懲りずに起業をしようという研究者や起業家が次々と 出てくるようにすること」と指摘し、別の言葉で言えば、「再チャレンジ」が 容易に出来る環境となったかどうか、という。続いて、第2の点は、「大学の 持っている技術シーズの涵養から社会への適用に至るまでのイノベーションの パスを円滑化すること」という。詳しくは、本文を参考にしてください。
 また、産学連携事業の成果の評価が、文部科学省、経済産業省において、多 くの実例をもとに整理されています。が、大学発ベンチャー支援に特化した評 価は、評価対象として取り上げている具体例が、数量的にも、分析の質的深み の面でもやや少ない感じがします―という印象は、同感です。よくも悪くも大 学発ベンチャーが、話題にならなくなることが個人的には、一番、さみしい事 態です。時代の新しい風は、ベンチャーから巻き起こってくるわけですから、 ね。竜馬だって、考えれば、道半ばだが起業家の走りだったことは間違いあり ません。

【連載】張輝氏の『中国のイノベーション』は、第31回「『虎』を含む四字熟 語、そして、新年挨拶」です。冒頭、「虎」を含む日本語の熟語を列挙しなが ら、続いて中国のそれと比較しています。中国の事典ではざっと200はある。 地勢の堅固な要害の地を表す四字熟語「竜盤虎踞」は成語「虎踞龍盤」から強 いものに、さらに勢いをつけることを表す四字熟語「為虎添翼」は成語「猛虎 添翼」からきたものである。じっくり眺めながら、思わず右手で文字をなぞり たくなってきました。目で見た感じが憶えられないとストレスがたまる性格な ので、新しい漢字は、繰り返し書いてその構造を頭に入れ、目をつむって再び 試しに書いてみる、というのは嫌いじゃない。
 こんなのはどうですか。成語「龍騰虎躍」は龍と虎が沸き躍るという意味で 世間が勢い良く動き回っていることを表し、成語「生龍活虎」は元気一杯でイ キイキしていることを表している、という。まさに現在の中国、爆裂の上海を 象徴している言葉ですね。張さんは、現在、故郷の上海で、まもなく日本へ帰 ってきます。
 張さんが中国に向けた新年の挨拶は、こんな風だったという。
「消極悲観走向死路、冤天尤人没有出路、尽心負責堅固生路、務実創新開拓新 路」。訳は、本文をお読みください。

【連載】は、比嘉照夫教授の『甦れ!食と健康と地球環境』の第19回「EMと漁 業振興」です。このところ、国内の河川の浄化の実践例が数々紹介されてきま した。日本橋川もその一例です。メディアもここ数年、環境意識の高まりと同 時にその効果を取り上げるニュースが多くなってきました。大変、いいことだ と思います。さて、今回は、「漁業振興」ときました。
 が、冒頭、近年の環境問題への取り組みについて、研究者の立場からこう指 摘しています。

「温暖化にかかわる要因をすべて洗い出し、その収支で判断することである。 例えば、農作物を投入エネルギーと固定された炭素量から収支を図り、CO2取 引の対象とすることも可能であり、水田や湖沼や畜産から発生するメタンガス の抑制実績や農業や工業から発生する窒素酸化物等々、CO2の料に関わらず、 温暖化に影響を与えるものをすべてチェックする必要がある」と。
つまり、太陽エネルギーのCO2を資源として捉える視点は、斬新です。

 で、本題。EMによる河川や海の浄化の実績について紹介してきたが、最終的 な決着点は漁業の振興である、とし、「先ずは真珠で有名な三重県の英虞(ア ゴ)湾の浄化の成果である」という。
 県の要請で始まったプロジェクトは、知事の交代などやいくつかの曲折を紹 介しながら、その動向を冷静に分析し自前でウオッチし続けているのですね。 この辺で、いつまでの権威ぶっていないで速やかに事実に向き合う時期にきて いるのではないか。行政担当者らに、声を大にして叫びたくなる心境です。
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