◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2009/08/26 http://dndi.jp/

ひと夏のみんなの記憶から

  ・DNDメディア塾、日光合宿の巻
  ・知られざる日光古道の散策ツアー
  ・8・30総選挙直前の雑感あれこれ
  ・新連載「イノベーション戦略と知財」
  ・コラム・連載は、黒川清氏、服部健一氏
   塩沢文朗氏、比嘉照夫氏、谷明人氏と満載

DNDメディア局の出口です。ふところ深い日光連山の麓の木々の枝が、にわ かに激しく揺れ始めました。風一陣、夏の終わりを感じさせる涼しい風でし た。空も青む秋の山風が吹き下ろしてきたのです。見上げれば、澄み切った高 い空に鱗雲がはりついていました。筆先で白い絵の具を押し付けたような斑点 が広がり、風の色が青く透けて見えていました。ひと夏のみんなの記憶から。



写真:DNDメディア塾の合宿の舞台となった広大な敷地の日光東照宮晃陽苑


日光東照宮の創建(元和3年、1617年)から遡ること900年余り、遥か遠い奈 良時代から、すでに修験道と呼ばれていた日光の裏山に足を踏み入れると、天 を突くような老杉の巨木に沿って、やや勾配のある細い道が続く。辺りは、薄 暗く奇怪な石仏やお堂の史跡の数々、それに苔むした墓などが点在し、沢水や 滝の冷気が流れる静寂な古代の森の趣でした。



写真:日光古道スタートの開山堂裏手手前は加藤さんと鈴木さん


そこは日光最古の歴史を秘める、もうひとつの日光の史跡探勝路です。朱塗 りの神橋を起点に、日光連山の赤薙山を源流とする稲荷川ぞいに滝尾神社の参 道を抜け、そして終点の二荒山神社までの約3・2キロのコースです。が、私た ちは今回、日光東照宮の社務所の、すぐ裏手の林道わきに車を止めて、江戸時 代をワープし手つかずの自然が残る1200年前にタイムスリップしていたのです。 うっそうと茂る杉並木に囲まれて、まず目に飛び込んできたのが、重文で朱塗 りの開山堂、その名の通り、日光開山の祖、勝道上人の霊廟で、裏手に石の柵 で囲われた五輪の塔の墓がひっそりと佇んでいました。その脇に控える弟子た ちの3基の墓、それらの柵の一部がドミノ倒しのように崩れ、緑の衣を纏った ように一面、雑草のような緑の苔が覆っていました。その無残な朽ち果てかた が、かすかな奈良時代の息づきかも知れません。



写真:奇怪な石仏が並ぶ仏岩


その先に進むと、背筋がぞっとしてくるくらいひんやりした空間がありまし た。物陰から何者かがこちらに視線をむけているようで少し怖い。山側の切り 立った崖下が、洞窟みたいにえぐられており、その前に異様な表情の石仏が5 つ、6つ横一列に並んで、小ぶりだが仁王立ちで威嚇しているように映ったた めでしょう。そこが不動明王などを祀る仏岩だという。もう少し近づいて、よ く観察すればよいのに、みんなやや尻ごみして無言で遠巻きにしていました。



写真:樹齢1000年を越える杉の老木をぬって石畳の道が続く日光古道


石だたみの坂をそこからスタートし、左右の名所、旧跡、それに自然植物の 説明を聞きながら、豊富で凄烈なしぶきがあがる白糸の滝で涼をとり、その横 道の石段を登って、こんもり茂った丘の上に建つ滝尾神社を目指すことになり ます。石段は、相当の年代ものなのでしょう、黒光りした表面は、手彫りの太 い跡が鮮明に残っていました。その時代、どこから石を運び、どんな人が作業 に加わったのか、その辺の事情に思いを巡らせていました。



写真(左):涼を呼ぶ白糸の滝から正面の階段をのぼると滝尾神社
写真(右)ひんやり、空気がかわる白糸の滝の清流


滝のすぐそばから、勾配のきつい石段を息せき切って上ると、運だめしの鳥 居でした。鳥居の額束の真ん中に円形の穴があり、石を投げて3つ見事に通せ ば願いが叶うのだ、という。試してみようにも足元に小石がみあたらない。が、 鳥居をくぐってみると、後ろから投げられたおびただしい数の小石が転がって いるではありませんか。みんなが投げるから、石が一つ残らず鳥居の向こう側 へ飛んでいってしまったのです。逆に投げ返してみればいいのだが、石段を登 って一息ついている人に石がはねてしまいかねない。危険なことなのです。



写真:滝尾神社近くにある石の丸橋は無念橋。赤羽さんと若槻さん


さらに拝殿の裏手に、石の柵で囲まれた縁結びの笹がありました。誰の約束 事なのか、笹の葉を親指と小指だけで結べれば、好きな相手と結ばれる、と言 い伝えられているらしい。その先の天狗沢沿いの小さな池が、よい酒を生む酒 の泉、その対岸のそこも石柵で囲われた巨石があり、これは安産祈願の子種石 で、次に年齢の数の歩数で渡ると健康になるという石の丸橋が無念橋という。 随分といろんな石があるものですね。

ここまでの道すがら、弘法大師ゆかりの巨石が影向石(ようぼうせき)、触 るだけで字が上達する巨岩を手掛石と名付けられていました。その岩にトンボ の幼虫のヤゴの抜け殻が張り付いていました。



写真:無事、日光古道の散策を終えた一行


さて、弱々しい蝉の鳴き声にまじって野鳥のさえずりが周辺に響き渡ってい ました。学問の神様の祠や由緒あるご神木を眺めながら二社一寺(東照宮、二 荒山神社の二社と輪王寺)専用の水道や発電の施設を迂回して古道の長いタイ ムトンネルを抜けると、アスファルトの一般道に。そこで、ほっと一息、後は 下り坂だから楽かもしれない。高い空は、青く、さわやかでした。目の前を無 数の赤とんぼが舞い、ススキの穂が風に揺れて、すっかり秋の到来を感じさせ てくれました。


いにしえの孤独な行者の荒々しい修験の聖地は、なんだか、こうみていくと 案外、遊び心に満ち溢れていて、遠い昔の元祖アスレチックのようでした。ぜ ひ、ご自身の足で、目でご覧になってください。それほど観光客も多くないし、 ゆっくり散策して約2時間、のんびり楽しむことができますよ。山の木々の地 下を流れる清水がおいしく、ひと汗かいた後、ざんぶと顔を洗い、口をすすぐ とたまらない開放感にひたれます。


知られざる世界遺産・日光の古道を歩く!そんな自然と歴史探訪の2泊3日の ツアーを企画し、先週末にDNDメディア塾生の家族を中心に出かけてきました。 日光古道の散策は、そのひとコマでした。夏休みを兼ねて普段、せわしなくし ているのですから、静寂な時間を過ごすことも必要ですね。


この日の朝は、宿泊ホテルに隣接の広大な敷地での30分の散策コース、散策 マップには四季折々の草花の開花をお知らせし、旬の味覚として食膳にのぼる 山菜や苑内の小動物、それに野鳥が紹介されています。僕のお気に入りのコー スのひとつです。午後は、今市小百の「田舎そば」を堪能した後、涼風の中で の乗馬体験、深夜まで及んだメディア塾の講義、最終日は、日光杉並木街道の 散策と乗馬大会観戦など、当初予定したメニューをそつなく、それで楽しくこ なしました。圧巻は、初日夜のバーベキューでした。線香花火やサックス演奏、 阿波踊りや少林寺の演技などのパーフォーマンスもあって、夕刻からあっとい う間の6時間でした。



写真:晃陽苑の敷地に隣接の散歩道


まあ、参加者は飛び入りも含めて7家族で20名を超えました。若槻憲一さん (42)と、中2の結衣さん、小4の眞実ちゃんのお嬢さん、少林寺は道着に着替 えて結衣さんの熱演で、阿波踊りは眞実ちゃんと結衣さん姉妹で愛らしく見せ てくれました。美味しいパンを持参の野口尚武さん(44)夫婦と3歳になるな っちゃんは福島の実家から到着、赤羽広行さん(35)と那須塩原から駆けつけ たご両親の善道さん(67)と英子さん(66)のエピソードは後半に紹介してお ります。名酒とでんすけスイカを持参で初参加の桧家住宅常務の加藤進久(5 8)さんと喜代子さん(56)夫妻、赤羽さんの後輩の鈴木直之さん(27)、パ リから一時帰国中の名古屋忠利さん(60)と奥様のローランスさん、リラさん とサイ君、そば店の竹澤圭介さん(60)夫妻、それに我が家の家族5人全員集 合してのにぎわいでした。


ほんの数日でも一緒に過ごしてみると、どういう風に普段家族と向かい合っ ているか、その辺の暮らしぶりが見えてきます。奥様や子供を前に、照れたり、 戸惑ったり。言葉遣いも、少々ぎこちない。が、やがていつもの柔和なパパへ、 奥様へのいたわりや、高齢なご両親への気遣いなど、彼らの家族へのやさしい 態度やまなざしに心打たれました。若槻さんの太い腕に両手をからめて甘える 娘さんの愛らしい仕草、タオルの端と端を握って上る石段に歩幅を合わせる加 藤夫妻、別れ際、小さく手をふる娘のなっちゃんに目を細める野口夫妻、後輩 の鈴木君の動きから目をそらさない元上司の赤羽さん、三者三様、塾頭の倅は それぞれ微妙に距離を保つ出口ファミリー…。


それぞれが、どんな思い出を刻んだのか。その心の奥をそっとのぞいてみた い衝動にかられます。メディア塾の日光合宿をテーマに何人かの塾生が、その 記憶を綴っています。「文は時なり」、「匠に比喩を語れ」をテーマにしたメ ディア塾の学習は、どう反映されているか、塾頭の私としてはここが一番、気 になるところです。いくつか紹介してみましょう。


先ほど届いた赤羽広行さんの文章です。まず、赤羽さんは、その冒頭で、父 親をこう描写していました。


「オヤジのお腹は相も変わらずポッコリ出ているだろうか?小さくなっていな いだろうか?久しぶりに会う親父の健康を計るバロメータが、相撲取りを上か らプレスで押し潰したような体つきだ。言葉を交わすよりも先にその変わらぬ 体つきを見て安心した」


書き出しが、いわば全体の主眼になる、ということで、本文は後半、以下の ように続きます。



写真:仲睦まじい赤羽さんの両親=日光の竹澤そば店で


「そろそろ、我が父母がホテルに到着する時間だ。さてさて、皆さんが、両親 に気を遣って疲れてしまうのではないか、と、そういう自分も気を遣っている のかもしれない。ホテルのロビーで律儀に待っていた両親。目に入る容姿は、 いつもと変わらず健康そうだった。どことなくぎこちない挨拶を済まし、気恥 ずかしい自分がそこにいた。行きつけの竹澤そば屋での夕食は、楽しかった。 普段通りの立ち振る舞いをしながらも、人付き合いがあまり得意ではないオヤ ジの心配をする母の姿は、痛々しくも心地よかった。


 が、これほど口数が多いオヤジは、これまで見たことがなかった。8年間の 外商生活や幾度となく断られたお見合いの話など、今更ながらオヤジの新しい 一面を見ることができた。ほどよく酔ったオヤジは、ホテルに戻ると案の定、 母親に叱られていた。小さい頃から見ていた親がそこにはいた。毎日、実家の 衣料品店の店先に立ち、あれこれと言葉を交わしている懐かしい親の姿が、そ こにはあった。


『記憶を記録に』。メディア塾の言葉であるが、『記憶を記憶に』もまた、メ ディア塾の教えなのかもしれない。夕食後、メディア塾の講義が始まると、勝 手にオチを付けてしまったせいなのか、講師である出口先輩と若槻兄貴の真剣 なメディア塾討議を子守唄代わりに夢見心地の世界に入っていった。」


息子が親を語る。合宿を通じて両親の姿を久々に見た赤羽さんが、実はそこ に昔のままの父親を発見し、幼いころの記憶がよみがえってきたのでしょう。 「記憶を記憶に」という意味は、その辺にあるように思えました。父親の事を 文章にする、こんな素晴らしいことはありませんね。気さくで飾らない素敵な 両親の笑顔は、赤羽さんのはちきれんばかりのそれと二重写しになってくるよ うでした。帰り際、私たち夫婦に「ご迷惑をおかけしますが、どうぞ、ヒロユ キのことをよろしくお願いします」と深く頭を下げていました。栃木の人は、 とても律儀でした。


親への思いに加えて、子供への気持ちも少し、にじんでいました。それは、 二日目の午後、日光乗馬クラブで若槻さんのお嬢さんらが、クラブの管理人で 流鏑馬の射手である、高橋俊介さんから直々手ほどきを受けることができた、 ことに触れて、こう書いていました。


「2日目のメインイベントである乗馬。ここでの主役は、若槻家の長女の結衣 ちゃん、中学2年生でした。2時間近くにも及ぶ本格的なレッスンに、ダチョウ 倶楽部ばりの『聞いてないよ〜!』とは言わなかったまでも、心中穏やかでは なかったはず。こんな貴重な体験が適うなら、日光合宿を断った我が子供達に もさせてあげたかったと、ほんの少しの親心。」と。


同じ年頃の子供がいらっしゃるのでしょう。吹奏楽の部活で参加できなかっ たのですが、若槻さんのお嬢さんのレッスンを見ていながら、気持ちは我が子 へ向かうのでした。ぐっと胸にきますね。




写真(上)白馬の結衣さん、栗毛の眞実ちゃん。高橋さんから直々にレッスンを受ける
写真(中)乗馬の初体験ながらすでに素質が開花した結衣さん
写真(下)眞実ちゃんの馬に観光客の家族連れ


では、次に若槻さんの文章です。合宿を終えてすぐ、メールで届きました。 きっとこんな具合に紹介されるとは思いもよらないことでしょう。


「『やっ!』と気合いを入れて上半身を起こし、バスルームへ向かい、熱いシ ャワーを浴びて目を覚ましました。それは、2泊3日で行われた第2回デジタ ルニューデール研究所のメディア塾の合宿の最終日の朝の事でした。  昨晩は深夜1時過ぎまで頑張ったメディア塾の文章論の講義のせいか、身体 が鉛の様に重く、朝7時半を過ぎてもベットから起き上がることが出来ません でした。

ホテルの洋室。バスルームを出でて、娘達を揺り動かしてみる。眠い目をこ すりながら起き上ろうとするが、娘達はまるで電池が残り少なくなったおもち ゃみたいに反応が鈍い。それもそのはずだ。昨日の午後みっちり2時間、毛並 みの良いサラブレッドにまたがって乗馬のコツを特訓して貰っていたからだ。」



写真:乗馬のあと、温泉につかってさっぱりの若槻さん家族


若槻さんは、時折比喩を交えながら、朝の目覚めから書き出していました。 時間の流れを淡々と描写していく手法です。そして、日光杉並木の散策へとつ ながっていくのです。

「朝10時にロビーに集合し、最後のイベント杉並木散策のため、2台の車に分 乗して旧日光市と今市の境にある杉並木公園向かいました。日光市のHPで杉 並木の歴史を調べてみると、日光・例幣使・会津西の三街道の全長37kmの両側 にわたって約12,500本の杉がそびえるのが『日光杉並木街道』でした。


世界一長い並木道としてギネスブックにも載っているこの杉並木は、江戸の初 期に植栽されてから、もうすぐ390年が経とうとしています。現在日本で唯一、 特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けている貴重な文化遺産であり、日 光市が世界に誇る『郷土のシンボル』なのです。



写真:堂々たる風格の日光杉並木


HPで指摘するように貴重な文化遺産に違いなのですが、特に監視する人が いる訳でもなく、自由に見たり、触ったりする事も出来るのです。車も行き来 し、犬の散歩も、ジョギングの姿も見られます。


一歩杉並木に入ると、今では珍しい舗装されていない道が続き、右に左に カーブしながら、東照宮に向かってなだらかに登っていく。ふと並木の太い幹 の陰から突如、大名行列の一群が飛び出してきそうな錯覚に陥りました。杉の 木は大人が3〜4人でようやく抱えられる位の太さで、長い歴史を感じさせら れました。中には、杉の木の1m位隣に芽を出した広葉樹の木が、まるでダウ ンジャケットをまとったかの様な不思議な木を目にする事ができました。


冗談で出口先生が『さて、50年後何人ここに再び来られるでしょうか?』 と問いかけていました。考えると、娘たちは60歳位になり、私のひ孫もいる 頃だ。が、私は92歳になる。とてもじゃないけど無理だと思う。もうお墓だ 〜」と心の中で呟いていました。その50年後、きっとこの杉並木は、これだ け手厚く保護していれば、変わらないのではないか。で、娘らが、孫とひ孫と をつれ連れて再び訪れて記念撮影しているなんて思うと、少し不思議な気持ち になりました。」と。



写真:さて、50年後に再びこの杉の木の前でお会いしましょう〜


乗馬も、この並木の散策も、いい写真が撮れました。勿論、被写体も素敵な のですが、美しい自然が被写体の背景となり、なんともいえない緑のグラデー ションが写真に映えるのです。メルマガのバックナンバーでは、いくつか写真 も掲載する予定です。どうぞ、そちらもご覧になってください。


ご紹介が遅れましたが、このツアーの案内役は、ホテル日光東照宮晃陽苑で 車両を担当する技手職の、山下正和さん(62)でした。地元で自然保護の活動 に携わりながら植物観察に造詣が深く、日光の植物の生き字引なのです。今回 もスタート地点の仏岩の岩肌の野草を指さして、「これはイワタバコです。日 光の渓谷で見られます」と説明し、多年草で6月下旬ごろに、茄子のような薄 いピンクの花を咲かせます、と説明されていました。



写真:杉が育つ指標の十文字シダを説明する案内役の山下さん


道端で目ざとくみつけたのが、二人静(フタリシズカ)でした。二本の花穂 の先に小さな白い花を咲かせる。また、唇形の花が黄花秋桐(キバナアキギ リ)でサルビアの仲間という。我が家の庭にある、紫の花を咲かせているのも サルビアでした。杉の木の下草に混じっていたのが十文字シダ、杉の木がうま く育つかどうかの指標とされているのだ、そうです。う〜む、野草にもそれぞ れ名前があるのですね。よく見れば、種類によって葉っぱの形がさまざまで、 同じものがありませんでした。


お聞きすれば、山下さんは、サクラ博士と呼ばれ生涯で40数種の新種のサク ラを発見した功績のある故・久保田秀夫さんの直弟子で、その遺志を継いで、 いつも数百人規模で外来種の駆除作業に精を出す「日光の自然を守る会」の事 務局長も務めていらっしゃる。熊本出身で労を惜しまない誠実な人柄が、ます ます存在感を増している気がします。知恵と行動の現場力のある、こういう人 が大事なのです。ガイド役からマイクロバスの運転まで、本当にお世話になり ました。とても感謝しております。


メディア塾の学習になぜ、この散策コースを選んだのか。いまから27年前の ことでした。1982年(昭和57年)の5月下旬、全国植樹祭の開催で栃木県に訪 れた昭和天皇、皇后両陛下は、その植樹祭の前々日に日光へ行幸されていたの です。昭和天皇は、ご研究の植物観察のため、東照宮社務所北神苑へ向かわれ、 杉の並木を縫って、私たちが今回起点とした仏岩あたりまで探訪されていまし た。ご説明役に、サクラ博士で知られ、当時、東大植物園日光分園の園長で県 の自然保護委員だった久保田さんがあたられ、久保田さんの愛弟子の山下さん も同行されていたのでした。私も記者の一人としてその時、取材にあたってお りました。その昔ながらの自然が唯一残る、その昭和天皇ゆかりの森を歩いて みたい、という気持ちがあったからでした。



写真:


5月下旬といえば、日光に遅い春が訪れたばかり。珍しい高山植物の花が咲 き始めたころでした。昭和天皇が散策される道端には、まだ花の数が少なくそ のままでは目立たないため、久保田さんと山下さんらは、ヤマブキソウやカメ バヒキオコシといった花を5−6種類、20本ほど周辺に移しかえて、陛下に花を 見ていただこうと準備していたのでした。その時の隠されたエピソードです。

陛下は、杉の巨木の下を屈みこむようにして熱心に観察をされ、その都度、 細かにご説明を求められていた、という。が、その場で、花の植え替えをたち まち見破れ、「花をそのようにしてはいけません」と注意されたのでした。久 保田さんから直々、その様子をお聞きになって、山下さんは、大変感激したこ とを昨日のように語っていました。


帰りは、日光東照宮の社務所に立ち寄りました。すると、車止の玄関先で偶 然、外出される宮司の稲葉久雄さん、秘書で気配りの金子多美江さん、それに 前日からお世話になっているホテル晃陽苑の支配人、石坂英明さんらと鉢合わ せしました。稲葉宮司が我々一行に「どうぞ、ごゆっくりお茶でも召し上がっ てください」と社務所に招き入れてくれました。そこは、世界的建築家、故・ 丹下健三氏の設計になる、浜離宮風の和の趣を重視した見事な建築で、杉の木 をふんだんに使った天井や内装は圧巻です。ここは一見の価値があり、一押し の見学場所です。


出迎えてくれた、もう一人の秘書の塚原芳典さんは、一昨年春に奉職され、 国学院大学では陸上部に所属し、箱根駅伝では4区、6区を走った経験がある逸 材です。腰が低い好青年で、いつも清々しい。


気持ちの良い人との出会いがなによりの財産でうれしいものです。記憶を記 録に!それら非日常での貴重な体験は、きっと文章を綴る時に、大いに役立つ ものとあらためて確信した次第です。 



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【8・30総選挙直前の雑感】


民主300議席越えの圧勝、自民解党的敗北―こんな選挙予想がうわさされて います。投票率が大幅に上昇し70%近くなれば、その多くを民主が独占する可 能性が高い、とされています。期日前投票や当日の出口調査などで、30日午後 8時の開票と同時に、テレビ各社は一斉に「300議席台の圧勝、民主党政権樹立 が決定的に」のテロップが流れることでしょう。選挙は、時に私たちの理解を 超えるような驚きの結果をもたらすことすらあります。果たして、事前予想の 通りの結果を招くか、あるいはそれ以上の、それ以下のサプライズがあるのか、 どうか−ですね。


新聞各紙は、すでに翌31日付朝刊の1面の横見出し、縦の見出しの文字選び に入っていることでしょう。いくつかのパターンを想定し、例えば、ここのニ ュースの重要度は、民主党の政権奪取であり、300議席越えや鳩山総理誕生は その次になります。自民が100議席を割ることになれば、これも極めて重大な 局面となり、見出しは「自民、歴史的敗北、解党の危機」などとなる可能性が 高い、と考えます。


これほどのニュースだから、1面の見出しは、各紙揃って一致するケースが 多いのです。決して談合しているわけじゃありません。共同通信や時事通信な どの通信社が記事の配信の際に、その最も重要な見出しについても流すことに よる、アナウンス効果があるかもしれませんが、各紙の見出しをひねりだす、 いわば見出しを専門にしている整理部のベテランの腕の見せ所なのです。活字 の大きさで見出しの文字数が決まります。1面の横見出しは、せいぜい8から10 文字程度という計算です。


この間の東京都議選のケースは、投開票の翌日の7月13日付の読売新聞では、 「民主 都議会第1党」で8文字、右縦に「首相 週内解散を決意」、左に「自 公過半数割れ」という具合でした。


今度の選挙結果も横見出しで、「民主」の2文字はまず先に必要です。次に 「政権樹立」か、「政権奪取」か、「政権交代」かいずれにしても「政権」の 2文字も入りそうです。すると、常識的に見て「民主党政権樹立へ」となるか もしれないのです。


ともかく有権者の多くは、この閉塞状況を打破してほしいと、理屈抜きで 「チェンジ」を期待しているわけですから、勝因、敗因の分析より、今後、わ が国の政治はどう変わっていくのか、新政権の課題や問題をえぐり出していく ことに焦点が移っていくことでしょう。


民主がやっても、自公がやっても世界経済の荒波を見据えながら、経済財政 のかじ取りや、膨れ上がる社会保障費の対応や成長戦略の進め方、それにアジ アをめぐる安全保障など外交問題など、この問題解決は一筋縄ではいきません。 北朝鮮問題も韓国が動き、米国がなにやら路線を変更しているような雰囲気さ え感じられます。10月の後継問題の流れに、何か動きがあるのかもしれません。 わが国もいつまで角を突き合わせている場合じゃなく、与野党一致してこの難 局に当たってほしいものです。実態の伴わない、それに根拠の薄いムード先行 の官僚組織解体の論評や指摘、虚偽のデマゴギーでは何にも変わりません。



いま必要なのは、つまり先端技術を駆使したグローバル企業の育成に、産学 連携は不可欠であるし、とくにバイオやナノテク、ロボットといった大学発ベ ンチャーのさらなる創出計画が必要じゃないか、と思いますね。あんまり話題 にならないから静かにしているのですが、この7年の推移で2000社近いベンチ ャーが誕生しています。ようやく先進国並みの起業数が確保され始めてきたの です。上場企業も24社を数え、これらによる雇用、売上、技術開発投資、知財 の世界戦略、人材の育成、事業成否のノウハウの蓄積、ネットワークの構築、 そしてこれらがイノベーションの推進につながって、わが国の将来を開いてい くのです。ベンチャーといったら、いまや財務省が金を出さないとか、なんと かの理由でベンチャー回りがないがしろにされている現状がありますが、それ ってほんとうなのでしょうか、ね。ちょっと嘘っぽい感じがしてきますが、そ の真偽のほどわかりません。産業革新機構の誕生は朗報でした。その先行きは 不透明です。うまくいかないことを前提に考えないと、うまくいかないから責 任を取らせる、なんて発想だと、うまくいくものもうまくいかなくなる懸念が あるのではないでしょうか。所詮、リスクを取りにいくわけですから〜。ちょ っと話が横道にそれてしまいました。


 

総選挙の続き。社会面的な雑感でいえば、石川1区や愛知9区の自民党の首相 経験者や北海道5区、11区、12区、栃木1区、群馬1区、茨城2区、東京1区、福 岡2区、7区、長崎2区など閣僚経験者や党幹部の動向です。それに加えて、鉄 壁の公明で危機感が強い東京12区や兵庫8区の当落は、世間の注視の的となっ ているわけですから、この辺に大きな激震が走ったら、新聞紙面がいくらあっ ても足りないくらいです。閣僚経験者の落選は、いつもなら社会面でも大きな 扱いになるのですが、今回は、それよりも30代の新人で女性候補の当選が、ニ ュース価値として浮上してくる可能性がありますね。社会面で何を取り上げる か、ここは各紙ばらけてくるでしょう。社会面を左右にわけて右に当選、左に 落選という明暗を分ける方法もあるかもしれません。あと4日の攻防ですね。


  

※2週のメルマガお休みで、連載のご紹介が行き届きませんでした。一挙掲載 となることをお許しください。



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【コラム】黒川清氏の『学術の風』は、『天才・異才が飛び出すソニーの不思 議な研究所』。これは所真理雄、由利伸子両氏の書籍のタイトルで、その"夢 のラボ"の秘密に言及しているのを、紹介されています。
【連載】特許庁の審査業務部長に昇進された橋本正洋さんが、新たに『イノ ベーション戦略と知財』という興味深いタイトルで、本日から連載を開始され ました。文章もこなれて、多くの関係者の固有名詞が登場します。詳細はサイ トに譲りますが、どうぞ、ごひいきにご愛読ください。またご感想もお寄せく ださることを期待しております。
【連載】塩沢文朗さんの流儀『原点回帰の旅』55回「世界は分けてもわからな い‐動的平衡にある自然と人間の静的な理解‐」は、福岡伸一氏の近著を読み 解く、塩沢さん流の科学的視座に立った解説です。勉強になります。
【連載】比嘉照夫氏の緊急提言『甦れ!食と健康と地球環境』の第12回「EMで 石油汚染対策を実用化したニカラグア」です。EMで鉱物油の分解を実証する、 という画期的な内容です。
【連載】服部健一さんの『日米特許最前線』は第48回「タイガーは偉大な敗者 か」。今年最後のメジャーのPGAゴルフ選手権の観戦ルポです。細やかな解説 に英語の原文を交えながらの見事なルポに仕上がっています。文章作法のお手 本のような内容です。DNDのメディア塾の教材のひとつに使用いたしました。
【連載】大学連携推進課の谷明人さんの『列島巡礼 西に東に』の第10回「熱 い浪速の産学連携」です。その冒頭〜現代落語に、「大阪弁はイタリア語」と いうのがあった、・・・ような気がする。大阪人は、せっかちで、ちょっと車 が渋滞すると、後ろの車の運転手が、前の車に「どいたりーな!」。すると、 前の車の運転手が、後ろの車に向って、「待ったりーな!」。肩こりのことを、 イタリア語で「モンダリーナ!」。
 いやあ、上方落語の真髄を見せてくれています。内容はきわめてまじめで、 大阪大学の" Industry on Campus"です。以上
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