◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2009/06/03 http://dndi.jp/

憧れと共感の『札幌学』

・NHKの『今夜も生で、さだまさし』
・岩中祥史氏の「都市の生態学事始」
・提携戦略の失敗が招いたGM挫折
・石黒憲彦氏の「薄明かりの日本経済」
・比嘉照夫氏の「コロンビアの国づくり」

DNDメディア局の出口です。時計は、深夜零時を少し回り、テレビ塔に備え 付けの屋外カメラが、寝静まった大通公園のうっそうと茂る樹木を映し出して いました。こんな時間だから車の往来も少なく、人影も見えません。雨が降っ ているらしく、雨がオレンジ色の街灯に照らされています。もう6月というの に札幌の街路の寒々しさが伝わってきました。


誰もが訪れてみたいと思う、憧れの札幌。大通公園ぞいの北側の建物は札幌 市庁舎、まだ仕事なのでしょうか、上階のフロアから蛍光灯の明りが洩れてい ました。その裏手の角に時計台、もう少し行くと赤レンガの旧道庁ですね。一 方、大通り公園のその先を西に突っ切れば、円山原始林の円山公園です。


札幌駅をはさんで北側に北海道大学のキャンパス群、ポプラ並木、すすき野、 ラーメン横丁、雪まつり、今月下旬にはYOSAKOIソーランの一大イベント…札 幌と聞いて、こんなイメージが浮かんでくるのではないでしょうか。が、その 実際は、よく知らないし、知られていない。北海道生まれの私でさえ、知らな いことばかりで、その番組は、その謎をひも解くきっかけとなりました。


歌手のさだまさしさんが、視聴者からの投稿のハガキを読みながら、その街 の一風変わった慣習や、街にまつわる面白いエピソードを紹介する『今夜も生 でさだまさし』。5月31日(日)のその日は、札幌からの中継で、途中、屋外 のカメラが街を映し出していたのです。深夜零時からほぼ1時間半、さださん の、軽妙なトークに引き込まれ、この街の不思議な話を聞くに及んで、すっか り目が覚めてしまいました。


NHKの札幌放送局。さださんの話し相手なのでしょうか、構成作家と音響担 当のお二人を従えて、さださんは、終始にこやかでした。札幌が好きでうれし いらしく、頭からハイテンションでした。


で、「北海道は広いですから、(私)九州人から見てみると、ずるいです よ」とひとくさり。隣の構成作家がけげんな顔で「何かあるんですか?」と突 っ込むと、「北海道はこれだけの広大な土地を独占ですよ。根室、稚内、そし て函館で生まれようが、ご出身は?と聞かれて、一様に"北海道〜"だものね。 まあ、私たちですと、あんな小さいところに、やれ長崎(さださんの故郷)と か、佐賀とか、熊本とかに分かれます。(そんな県単位は)もうやめよう、道 州制で一気に九州、そうすると、九州のどちらですか?となる。いやあ、北海 道恐るべし、です」と、さださんは言葉をつなげていました


そう言われてみれば、その通りかなあ。生まれたところの炭鉱の夕張でも、 水族館のある小樽(母方の本家)でも、そして北方領土返還の根室(中高の4 年間暮らす)でも、いずれでも、「北海道」で済んでしまう。九州の人からす れば、不思議な感じなのでしょうね。


さりとて、私が北海道に住んでいたのは、大学進学までのわずか18年間で、 実は、札幌には住んだことがない。それなので、北海道生まれと言っても札幌 については、ほとんど知らない。同じ道内といっても高校時代過ごした根室か ら札幌まで汽車で急いで片道8時間はかかったのではないか。果てしないほどL ong wayなので、気分は異国だったかもしれないし、その当時の感慨をいまだ に引きずっているようです。


さて、その番組の日にちょっと意味がありました。5月31日は、何の日でし ょうか。さださんは、ハガキを手にもう含み笑いなのです。この日は、札幌市 民の山、藻岩山の日なのだそうで、藻岩山の標高が531メートル、その数字に ちなんで5月31日になったらしい。


藻岩山、アイヌ語で「インカルシペ」と読み、いつもそこに立って遠くを眺 めるところーという意味です。ロープウエイで上れる展望台があって、パノラ マ風の夜景が一望できる観光のスポットなのです。と言っても私は行ったこと がないのです。ウェブで調べると、手前に原始林の円山が迫り、その遠くに石 狩湾が開けている、という。角度を変えると、札幌の市街地が異国情緒たっぷ りに、オレンジ色のナトリウム灯が煌めいて浮き上がっていました。


その次は、これこそテレビ番組の「秘密のケンミンSHOW」のネタっぽいので すが、なんと「ロウソク出せの歌」が披露されました。8月7日の七夕ともなる と、ゆかた姿の子供らが、クギで穴を開けた空き缶の上に針金で取っ手をつけ て、それにロウソクを灯して隣近所を練り歩くのです。その歌詞が凄い。


 〜ロウソクだせ、だせよ。ださないとひっかくぞォ〜。
おまけにかっちゃくぞォ!〜


見知らぬ家だって勝手に玄関を開けて入り、その場で歌う、という別のハガ キを読んで、さださん、「あれまあ〜不用心なことだね」。しかし、隣近所だ から、子供は知らなくてもこられた家の主らは、どこの坊主が来たか、その辺 の事情には詳しいのです。知らない、あやしい子供がどこからともなくやって くる、ということはないはずです。


もうひとつのハガキ紹介された「ロウソク出せの歌」は、こんな具合でした。
〜竹に短冊、七夕祭り、大いに祝おう、ロウソク一本頂戴ね!〜


地域によって、その歌詞が微妙に違っていました。札幌生まれの家人に聞く と、どうも「ひっかくぞォ、かっちゃくぞォ〜」の類でした。女の子は、カン テラの代わりに、提灯をかざして歩いていた、と。提灯は?お店で買うのだそ うだ。ふ〜む。


わんぱく盛りの私の場合、空き缶でロウソクのカンテラを作った記憶は、確 かにあります。カン切りで、片側のふたをきれいに切り落とさなければ、ロウ ソクを沈ませた時に手に傷をつけてしまうので、こまめに缶のヘリを切りそろ えるようにするのです。もう片方の底部には、外側から小さめの釘を打ち抜い て、その先に内側からロウソクを立てる、という具合です。


が、みかんの空き缶のまわりに釘を打って穴を開けるのは、あんまり得意じ ゃなかった。表面が丸く滑りやすいので、無理に強く打ちつけると空き缶が潰 れて歪んでしまうのです。


その苦心談を家人に聞かせると、少し呆れた顔をして、「空き缶の中に木の 棒を何本か差し込んで、あらかじ釘を打っても歪まないようにするのが工夫な のじゃないの」ーと、さらっと言う。なるほどねぇ、これには、参りました。


が、ゆかた姿でロウソクをもらいに歩いた記憶が、どうしても思い出せない ので、「子供のころ、夕張ではどうだったか」、札幌市役所に勤務する、幼な じみの三浦龍一さんに電話で聞いたら、ひっかくぞォの歌を口にしながら、ロ ウソクをもらいに家々を回った、という。


今は?さあ、ロウソクがお菓子になったことは聞いているが、続いていると ころとそうじゃないところがあるのではないかーという。北海道は笹竹がない ので、その代りに柳の木に短冊をつけて七夕飾りを作るのが一般的でした、と 付け加えていました。


七夕は、当時、灯篭流しにロウソクを使う。ロウソクが高くで手に入らない ため、このようにして家々を回る風習が続いてきたのではないか、と構成作家 が説明し、さださんから「良く勉強しているね」とほめられていました。ロウ ソクの歌を紹介したもう一人の投稿者は、埼玉県川口市在住の方で、友人から その話を聞いた時、「それはハロウィーンだ」と思ったそうだ。


三浦さんによると、その札幌や北海道についてより詳しい事情をまとめた 『札幌学』が最近、出版されたのだけど、知っているかい?と聞く。札幌の歴 史や研究に関しては、『さっぽろ文庫』に収められた全100巻を超える膨大な 研究・学術・風土記が存在するが、その辺をコンパクトにまとめて最新のエピ ソードを加えて分かりやすく編集している、と教えてくれました。


ふ〜む。まず、その『さっぽろ文庫』。すでに絶版だが、その多くが実はネ ット上で検索し閲覧可能になっていました。その説明書きを読むと、『さっぽ ろ文庫』は、札幌の風土の中で生まれ育った芸術、文化、社会、自然を広く紹 介し、これまでの歴史を振り返り、さらには文化遺産として後世に残すことを 目的として刊行されました、という。札幌市では、これをインターネット上で 公開することにし、平成16年12月現在公開されているものは、全100巻中67巻 に及ぶ、という。


ネットをのぞくと、「札幌地名考」、「札幌の街並」、「札幌事始」、「札 幌風土記」、「藻岩・円山」、「屯田兵」、「女学校物語」、「札幌とキリス ト教」、「開拓使時代」、「農学校物語」、「札幌の人名辞典」などのタイト ルが目にとまりました。ふ〜む、「北海道恐るべし」でした。絶版の書籍をデ ジタル化してネットで無料で誰でもどこからでも読むことが可能になったわけ ですね。


さて、三浦さんご推奨の『札幌学』(新潮文庫)、さっそく書店で買い求め てじっくり読みました。さださんの番組で紹介されたご当地エピソードが満載 で、この本のパクリじゃないか、と思ってしまうほどでした。が、その冒頭、 私の実感とまったく同じで、驚いてしまいました。「恋の町札幌」の歌詞の一 節を引き合いに、「どこかちがうの、この町だけは」という疑問をストレート に投げかけているのです。いったい「どこか」、どう「違う」のか、と。恵ま れた自然、異国情緒漂う憧れの街、ストレスがない広大な土地、しがらみのな い大陸気質、自由な空気に満ちた「ころあいの都会」の核心を、丹念に取材し 緻密にデータや文献を調べ尽くして、余すところなく一気に書き下ろした、と いう印象を持ちました。


著者の岩中祥史さんといえば、全国の県民気質を網羅した『出身県でわかる 人の性格』(草思社)や、ご出身地で人一倍愛情を注ぐ質素倹約の名古屋人気 質と歴史・地理、それに名古屋弁を解説した『名古屋学』(新潮文庫)、「い ざなう博多」という表現が物語るように「転勤したい街NO.1-の博多」の、こ れもご自身の思い入れが反映されている『博多学』(同)などの著作があり、 いわば「都市学ブーム」の火付け役的存在です。最近では、朝日新聞紙上に 「街魅(み)シュラン」(毎週金曜日)を連載し、「味」ならぬ「街」の格付 け的な手法で、「都市の生態学」を捉えようという試みのようです。


先週は、「銚子市」で今週は「八王子」。連載は、取材範囲からして関東版 なのかもしれません。が、1000字に満たない短い文章で、その街の裏表、現在 過去、そしてとっておきの最新エピソードを織り交ぜる、という離れ業をこな されています。評価の対象は、「存在感」、「わくわく度」、「住みやすさ」、 そして「期待度」でそれぞれ満点は星5つ。面白いですね。


さて、本題の『札幌学』は、その巻末に「この街を知るには、しがらみから 離れ、合理的で自由奔放な札幌人の生態を知らなければならない。歴史、地理、 行事、慣行はもちろん、観光やグルメのツボも押さえた北の都市学」と書かれ ている通り、最新のデータや取材に基づいた「札幌の都市生態学」となってい るのです。


まず、テンポがよくて分かりやすいこと、それに値段が安い(540円)とこ ろがなによりです。「序」―の「なぜ札幌に惹かれるのか?」で、その大陸的 な気質がどういう風土、歴史的経緯で培われたかーを自問し、その答えとして 「屯田兵」を引き合いに、明治の始めに温暖な本州から移り住んで、最初はひ とつの兵村に同じ地域出身が集まったが、それが徐々にバラけてくると、出身 地のしがらみや風習を捨て、最低限の共通項を確保しながらことを進める。そ して冬場、この調整に手間取っていられない。屋外にでもいたら、風雪や凍結 で命を奪われかねない。そのため、過去をなげうって、新しい「札幌流」、 「北海道流」の処方を育んでいったのである、と分析していました。さて、そ こでどんな独自の流儀が、今日培われているのか、その個別具体的な例をあげ て丁寧な解説を加えているのです。


例えば、香典の領収書、大晦日のおせち料理、会費制の結婚式−という北海 道にしかない流儀や慣習。また、金メダル獲得者が全国一の理由とその度胸の 追ってきたる所以に筆をすすめ、周囲の人の思惑を気にしない"傍若無人"的な 思いきりが、その強さの要因にあるのではないか、と指摘していました。


圧巻は、第1章の「札幌人は、『なんでもあり』の人々?」の項の、いわば 札幌の開拓使や都市づくりの系譜というもので、そこに明治の文献や資料を数 多く読み込んだ努力の一端が垣間見られました。碁盤の目の整理された都市計 画の礎を築いた"札幌建設の父"島義勇(しま・よしたけ)の生い立ちから、そ の設計理念に至る、一連の記述は、とくに読み応えがありました。かつて北海 道に住んでいながら、街の南北を分ける基軸が大通公園で、東西を分けるそれ が創成川である、と、私はこの本を読んで初めて理解した次第なのです。


それなので、冒頭に紹介したテレビ塔が、大通公園の起点となっており、そ のわきを南北に創成川が流れていることを考えれば、迷ったらテレビ塔に戻れ ばいい、ということに気付きました。


まあ、「だだっ広いが、わかりやすい街」(68p)、ここを読めば、まず、 道に迷うことはなくなるばかりではなく、もう貴方はこれで立派な「札幌通」 です。


さださんが番組で取り上げたエピソードは、この本にしっかり、さらに詳細 に記述されていました。「山といえば藻岩山」(第4章「札幌は街中がリゾー ト」の258p)、「七夕はハロウィーンとのハイブリッド?」(第3章「札幌は いつもオンシーズン」の184p)、また札幌の女性像、その自立のスタイルは、 興味深いものがありました。それはなぜでしょうか?と疑問に思いながら、そ の見出しをみてください。「女性の喫煙率が日本一」(51p)、「結婚も離婚 も、切り出すのはいつも女性!?」(56p)、「すすきのの女性と札チョン 族」(282p)、そして第5章「札幌人は、新しいものが大好き」の最後の項が 「前例のないことを始めるのも女性」(358p)でした。 この『札幌学』は、 これまた『博多学』と一緒で、そのもうひとつの側面を特徴づけると『札幌・ 女性学』、『博多・女性論』に仕上がっているのです。


『札幌学』は、その他、「いつでもどこでもジンギスカン」、いやあ、私は、 「だるま」かなあ。「レベルの高い回転寿司」なら行列のできる札幌駅ステラ プレイスの「花まる」でしょう、社長は高校の同級生。そして、ラーメン今昔、 スープカレー、スィーツ王国ときて、「コーヒーが似合う街」とくれば「宮越 屋」かなあーなど、一部私見を交えて紹介しましたが、食に関する情報も満載 で、これでもかぁ〜とばかりにあらゆる角度から、「ころあいの都会・札幌」 の真髄に迫り、その生態を体系的に浮かび上がらせることに成功している、と いえそうです。


不思議な魅力を秘めた、この札幌、ふ〜む。この街はやはり、どこかが違う。 岩中さんは、その「序」で、「あこがれと共感」と記述しています。そして、 「あとがき」には、「悪女の深情け」という表現で、札幌への思いを吐露され ていました。全編、その批判的な文脈はとくに見つかりませんでした。あると すれば、談合の横行や税金の無駄遣いなど「官主導」の安易な状況を指摘した 「イベントのことごとくが『官』主導」(340p)の一節だったでしょうか。


札幌は、もうライラックの花が匂い立つころでしょうか。梅雨がなく、一年 で最もさわやかで気持ちのいいシーズンを迎えています。空高い大地で、ひん やりした風を感じると、体の凝りが取れて、心底リラックスしてくるのです。


この『札幌学』をどう紹介しようか、迷っていたのには理由があって、札幌 の事を書くなら、ともかく札幌に行かなきゃ、そして札幌の街を歩いた印象を その書き出しにする、そういう流儀でしょう、という妄想にとらわれて、札幌 行きのチャンスをうかがっていたのです。


どんな風が吹いているのかなあ、空に浮かぶ雲はどっちへ向かうのでしょう、 と、その匂いや風情を少しでも伝えられればいいのにーという心境でした。


しかし、札幌行きのその目論見が適いません。それが心残りでした。NHKの 中継はその代用で、幼なじみの三浦さんへの電話もその流れでした。電話する と、用件も聞かず、「どこ?」と、とっさに聞いてきました。憧れと共感−私 にとっての札幌は、どうも三浦さんのその周辺に核心があるのかもしれません。


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◆「アライアンスの破談が招いたGM挫折」

米自動車ゼネラル・モーターズ(GE)の破綻をめぐって、その世界的影響と、 今後の米政府管理下における法的整理、再生の成り行きに関心が集まっていま す。すでに織り込み済みとはいえ、その衝撃ははかり知れません。今月下旬、 トヨタの社長に就く、豊田章男副社長は「2、3年後にはトヨタだってGMになる 恐れはある」と危機感を募らせる(3日付、日経朝刊1面「GE国有と世界」の 中)とありました。教訓は、ひとりの社長が本社から動きの激しい世界全体を 見渡すのは無理」という認識が正しいということと、そのためにグローバル戦 略の見直しに動く、という指摘は、どうか。今さら、という印象をぬぐえませ ん。


ニュースを拾うと、一連の記事で秀逸だったのが、朝日新聞2日付朝刊1面の ルポルタージュ「アメリカの夢」の凋落−でした。筆者は、編集委員の外岡秀 俊氏でした。20世紀は「車の世紀」であり、「米国の世紀」だった、という文 明史的アプローチが確かなら、その象徴のGMが創業101年で自主再建断念にま で追い込まれた状況を「アメリカの夢」の凋落と捉え、そしてGMの破綻は、ア メリカ人にとって何を意味するのか、それを知ろうと、米テキサスに向かっ たーという流れも説得力がありました。シカゴとサンタモニカの東西を結ぶ大 陸横断国道、そのルート66は繁栄と自由の象徴で、「怒りの葡萄」の一節から 「母なる道」だったと振り返り、そしてそこが経済的豊かさを求めるアメリカ 人の心の道で、GMのシンボルと説いているのです。が、その道が、1985年に完 成した州間を結ぶ新たな高速道路に変わり、同時に、GMの大型車から性能の良 い日本車が年を追って増え続けたーと指摘していました。


外岡氏は、続けて27日付のニューヨーク・タイムズ紙のこんな記事を紹介し ていました。「よき日々に従業員は高福祉のGMを『ジェネラス(気前のい い)・モーターズ』と呼んだ。それが今後は『ガバメント(国営の)・モー ターズ』の略称になるかもしれない」と。そして、「社会保障を削って身軽に なっても、新GMが再生できるかどうかは別問題です。長期低迷で離れたアメリ カ人消費者の心がGM社に戻るかどうか、それが存続のカギです」というペンシ ルベニア大学で年金問題を教えるオリビア・ミチェル教授の指摘を伝えていま した。


本日の朝日新聞の11面の経済面に注目です。GMのフレデリック・ヘンダーソ ン最高経営責任者(CEO)が1日、ニューヨーク連邦破産裁判所に提出した宣誓 供述書の内容が明らかにされていました。他社との提携や買収、増資、非中核 事業の売却など、経営再建のための手段がすべて失敗し、挙句の果てに政府に 頼るしかなかった、というのです。経営が悪化した05年ごろからの取り組みが、 具体的に記述されていました。そのすべてが後手に回ってしまったのですね。


05年から08年へと年を追うごとに経済危機が深刻になっていきます。その景 気が下降するベクトルと、その年々の対応策が、どういう風に関係づけられる のか。05年にまず着手したのが、コスト削減と他社との提携でした。日産・ル ノーとは条件が折り合わず断念、07年の次に売却方針を打ち出していたクライ スラーで、これも破談してしまいます。こういう一連の戦略をもう一度、時計 を巻き戻してみて、その対策が的確だったか、どうかを検証してみるのも無駄 ではないと思いました。05年当時なら、まだ他に有効な手立てがあったのでは ないか。まあ、いずれも結果論ですから、何とでもいえる話の類であることは いうまでもありません。


◆連載は、経済産業省の石黒憲彦氏の『志本主義のススメ』第135回は、少し 明るく(ご本人の弁)「薄明かりが見えた日本経済」。もうそのものズバリで すが、見出しをご覧ください。「底打ち感が出てV字回復する生産動向」、 「効果を上げる経済政策」、「輸出にも一部に明るさ」−ときて、今年の秋か ら年末にかけてが正念場で、失業率の対応や個人消費、設備投資の動向、加え て新興国にも目配りし、当面、政策担当者の石黒さんとしては楽観視は禁物で、 ぎりぎりの神経戦を余儀なくされそうですね。データや数字に着目ください。 とても参考になります。
◆連載は、名桜大学教授でEM技術の開発者、比嘉照夫氏の『甦れ!食と健康と 環境』の第9回「EMで国づくりを目指すコロンビア」です。コロンビアといえ ば、コーヒーと麻薬。現大統領の熱意で麻薬の問題が改善し、自立に向けた国 づくりが急がれている現状にあります。その力となっているのがM&Dというカ トリック系の福祉財団で、ひとりの神父の活動からスタートし、Mは1分間、D は「良いこと」の意味で、いわば一日一膳のような実践的な他人への祈りを促 しているのだそうです。その財団代表は2代目で、その中の理事にカーネーシ ョンやキクの切り花経営者がいて、その有機栽培にEM技術を導入し、世界NO.1 の有機の花栽培生産者となっているという事例報告で、コロンビアがオランダ に次いで有数の花栽培の国に成長しているそうです。比嘉氏が、実際に現地に 飛んで、EM技術の導入をアドバイスされているのですが、学生らに対する熱い メッセージは、感動的です。どうぞ、本文をお読みください。

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