◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2008/11/12 http://dndi.jp/

美しい峠の里・奈川に結ぶ夢(後編)

 〜キノコ汁に奈川そば、実りの秋を満喫〜
 〜メルマガは節目の300回を迎えました〜

DNDメディア局の出口です。雨の朝を迎えました。庭先にでると、辺りはすっかり葉を落とした木々の枝先に赤いモミジがからまって、紅をさしたような白樺が目に入りました。野鳥が群れて飛んで、木立の上ではにぎやかに熟れた実をついばんでいました。山は、実りの秋でした。



写真:紅の色を散らした白樺−ヒュッテ不思議童子の庭で


昨夜は10時過ぎに就寝、すぐ熟睡し、目が覚めたら午前1時でした。テレビはなし、PCは持ち込んでいないので下界の情報はシャットアウト。しかし、心配症なのですね。バッグにひそませた携帯のラジオは、電波は弱いが少しは聴こえる。それも束の間、ラジオの雑音が気になって止めたら、またとろとろ寝てしまった。窓の外は、枝先から葉が一枚、ハラっとひるがえって散る、そんな音すら聴こえてきそうなくらい、静まり返っていました。


お世話になったのは、「ヒュッテ不思議童子」(代表・松久美也さん)というメルヘンチックな名前の宿でした。山小屋といっては、重厚な建築で、高い天井に広いガラス窓、外観は洋風なのだが古民家風の梁に漆喰の壁、靴を脱いで上がったところが踊り場で、左の階段を上がれば客室、下りれば暖炉のある広いラウンジ、真っ直ぐ下れば温泉棟に続く裏庭にでる。このバリエーションが、どこからも視界が抜けて安心感与えているのですね。お風呂も広く開放感のある窓からの眺めは格別で、源泉から常時湯が湧いて、この朝は一番風呂という居心地の良さでした。



写真:ヒュッテ不思議童子の外観です。


「信州・松本市奈川の健光ツーリズム」は2日目。朝食前に血圧、脈拍の測定でチェックし、腰に万歩計を装着して、食後は車で集合場所の「ウッディ・もっく」へ移動。そこでまず、太極拳教室に参加しました。


胡弓のメロディーに合わせて、ゆったりとした動作で宇宙を感じ、呼吸を整える。鼻から腹の奥へと深く吸い込んで、そして逆に腹から胸、そして鼻へと息を吐く。それを繰り返すのだ、という。呼吸の要諦は、吸う時に舌を上あごにそえ、そして吐く時は、今度は下の歯に軽くあてる。ふ〜む、これに慣れてくると普段の呼吸も楽になってきそうでした。どうぞ、やってみてください。すぐに効果を感じますよ。そのかわり、煙草はご法度。講師は、清水徳子さんでした。


さて、この日のメーンイベントは、奈川の東、鉢盛山の裾野一帯に広がる、自然観察の森の散策とキノコ狩りです。ひと山越えて南下すれば、木祖村藪原に抜ける境峠があり、タカの渡りの白樺峠から見ると、梓川をはさんだ山の南斜面に広がる高原です。ここでどんな名人に会うことになるのでしょうか。


外は雨。参加者らはセーターに持参の雨合羽を重ねて、帽子、それにカサと準備万全です。ご案内役は、野麦峠自然学校の代表の古畑富清さん(70)でした。この村の自然を知悉する、植物博士のような存在です。


外周約5キロのコースは、牧場を中継地に、そこまでの往復で1時間20分、さらに沢伝いに進んで管理小屋を回れば1時間55分、そして観音橋を越えてわらび牧場まで足を伸ばせは2時間55分−の3つのコースがある。さて、この雨の中を強行するのだろうか、雨が窓を強く打っている。ぐっと気温も下がってきた。


が、いざ〜。青い雨合羽の古畑さんを先頭に、カサの列をつくって山に向かいました。谷を渡る木の橋は、濡れた枯葉で滑りやすい。曲がりくねった坂道はぬかるんでいる。やや広めの林道は傾斜があって、川底のように石がゴツゴツしていました。ふ〜む、このままどこまでいくのか、そんなことを心配しながら、カサを差さずについて行きました。


最初のポイントは、整備された親水公園。その周辺に山椒など香の木が植樹されている。そこで古畑さん、道端の枯れ枝を手折って見せて、「匂いを嗅いでごらん」と差し出してくれたのが「くろもじ」の木でした。これは高級な爪楊枝の材料で、噛むと胃に刺激を与えて胃薬にもなる、という。


そばに大きなズミの木がうっそうと茂っている。ズミは小梨ともいう。もうたくさんの黄色い実をつけていました。種類によっては赤い実もつける。なんと可憐な実なのでしょう。そして、赤く熟れた実はサルトリイバラの実、濃い緑色の実は、鬼のしょい縄と呼んでいるという。よく見れば、枝に無数のトゲがある。草の中の小さな赤い実をみつけて、これは何ですか、と聞いた。すると、めぐすりの木だという。よく見つけたね、と感心されると、無邪気にも学校の先生に褒められた子供のようで、ちょっとうれしい。


ひときわ目立っていたのがツルウメモドキで、これは僕でも知っている。蔓状の茎が絡まるように伸びた先から、黄色い殻を破って橙色の丸い種が顔をのぞかせていました。その蔓で竹籠を編むし、生け花なんかでもよくみかける.。湿り気が、赤、緑、黄色の実に潤いを添えてました。


道端に今度は熊笹が群生していました。雨で青々している。野麦峠の野麦とは、この辺に自生している熊笹の実だというのは知りませんでした。麦のような実をつける。それが野麦といわれる所以で、その昔、食糧にした。不思議なことに、花が咲いて実をつけると、その年、熊笹は一斉に枯れてしまう−と、古畑さんは説明していました。


雨脚が激しくなってきました。松本市役所の堀洋一さんがワゴン車で伴走し、万が一のために備えていました。坂道を登っていくと、左側に小高い丘陵が見えてきました。そこは目印の牧場でした。そこまでのぬかるんだ足元が危うい。その中腹に木製の柵で囲われた大きな木がありました。


それは見上げるほどの大きい木でした。山梨だという。梨の木の原種らしい。茶褐色の実が、それもピンポン玉くらいの実が、たわわに実って枝をしのらせていました。熟れて落ちた梨は散乱し、足の踏み場がないくらいでした。



写真:牧場の中腹に大きな山梨の木、梨の実をつけていました。


柵に身を乗りだして、ひとつ失敬しようと、手を伸ばして枝を引っ張っていたら、ポコンと梨が僕の頭の上に落ちて、柵にはねて、偶然、左手のひらにすぽっと納まるじゃありませんか。ふ〜む、偶然とはいえ、これは梨の方からこっちにきたので、もいだわけじゃない。それを、ズボンでふいて、そっとひと口、かじってみたら、渋みと甘酸っぱさが混じった濃い味が、口いっぱいに広がってきました。野趣あふれる秋の味覚というところでしょうか。


山梨は、その実が固いので「石梨」、あるいは小粒なので「小梨」とも呼んでいる、と古畑さんが解説していたら、松本市内から参加のご婦人がそばで、庭にその種の梨の木があって、地元の梨なので「地梨」と名づけられている、と付け加えていました。「地梨」があるご実家には、関西方面の種苗屋が、かつて足を運んでその種を買っていった、そうだ。ただ、固いし形が芋のようにゆがんでいるものもあるので、収穫したら焼酎に漬け込む、という。


その木のそばに、ピンクの殻から赤い種をのぞかせたイヤリング大の華やかな実は、まゆみの木でした。これもきれいだわ〜。牧場の入口付近に戻ると、雨がいっそう激しい。この先の破天を心配して、僕が「皆さん雨が強くなってきましたので、どうぞ、遠慮なく迎のワゴン車で引き上げても結構ですよ。無理なさらずに、どうぞ」と声をかけました。しかし、誰一人車に乗る人はいませんでした。


そこからもうひと山、深く分け入っていく。急勾配の細い山道にモミの木、ブナの高い木々が天を突いている。この辺は、春は、山菜の宝庫だという。タラの芽の木がすくっと立ち並んでいました。崖下の斜面は、かやしめじ、あみたけなどキノコの群生もあるらしい。


あれはなんだか、分かりますか?と古畑さん。クリの木の上にこんもり巣のように枝がからまっている。あれが、熊棚だという。あんなところまで熊がのぼるのでしょうか、と驚きの声が上がっていました。この先を行けば、わらび牧場へ通じるが、出発からもうとっくに2時間は過ぎている。そこでショートカットし、そろそろUターンすることにしました。


管理小屋、ここは避難小屋でもある。風一陣、その強い風が吹いた瞬間、ナラの巨木が揺れ、ザーザーザーっと枯れ葉が一斉に舞い散っていました。息をのむような凄い光景だ。忍者なら、木の葉隠れの術というところでしょうか。風が急にでてきて、辺りが暗くなると、再び大粒の雨でした。古畑さんは、これは通り雨、すぐに止むでしょう、というと、まもなく風がやんで雨が小ぶりになってきました。ひょっとしたら古畑さんは仙人かも‐。


帰り道の足元には、赤いモミジや黄色いナラの、それぞれ低い幼木があっちこっちに育っていました。モミジなら、小さいプロペラ状の種が、葉の付け根から落ちて風に運ばれて、くるくる回って遠くに飛んでいくのでしょうね。いまさらながら、手付かずの自然の、そのやさしさと逞しさを教え込まれた感じでした。



写真:帰り道、薄日が差して、キンエノコロ草も気持ちよさそう


どんどん山道を下って行くと、雨がやんで、雲間から薄日が差してきました。この辺かなあ、と古畑さんが一歩、小高い土手に上がると、その周辺にキノコが生えていました。ご婦人が手のひら大のキノコを軽々、コキッと根元から取り上げていました。僕は、ぽっぽっとけむりがでるフクロタケを面白がっていました。いやあ、これはキツネノチャフクロともいうのだが、こんな風に、木の切れ端で突っついて遊ぶのって、もう半世紀前以来のことでしょうか。子供のころは、ただ憎しみを込めて足で強く踏んだ。その痛々しい記憶が、瞬時に甦ってきました。


森の観察から無事に戻ると、「ウッディ・もっく」の支配人、亘亘さんが、囲炉裏のあるバーベーキュー小屋で、なにやら大きな鍋とにらめっこしていました。幻のそば、奈川の新そば粉にお湯を注ぎ入れ、割りばしを束ねた棒状の箸で力をいれてかき混ぜました。そばがきでした。それをすいとん風にまるめて、煮え立ったキノコ汁に入れて食べる、という。


醤油ベースの汁のとろみは、「ジナメコ」から出たエキスだという。「クリタケ」、「シモフリシメジ」など近くの山で採ったばかりのキノコがふんだんに入っていました。天然のシイタケは、長さが10センチもあって肉厚でした。こんにゃく、とうふ、ごぼう、にんじん、里いも、地鶏〜そして奈川の新そばの粉のすいとんを入れ、そこにどっさりと油揚げときざみネギを放る。このアツアツのキノコ汁は、冷えた体を芯から温めてくれました。みなさん、美味しい〜を連発していました。


ご婦人が、お出汁は何んですか?と聞く。やはり主婦は違う。亘さんはコンブを使います。そこにキノコのエキスが出ますので、カツオ節を使わないのは匂いが残るから、という。ふ〜む。なるほど、と感心しながら御代りしていると、「出口さん、4杯目、盛りは少しだけれど…」とお隣のご婦人が笑っていました。美味しい食事はなごむものですね。


食後は、ワゴン車で最近メディアで話題の「清水牧場」でおいしい牛乳をいただいて、その足で宿泊先に戻って休憩、僕は、着替えを持って離れの温泉へ直行でした。いやあ、貸し切りのひとり風呂は、満足いくものでした。窓から見える紅葉の景色は雨で煙ってその色合いだけ映していました。夕食は、分かれてそれぞれ宿の料理を堪能しました。


食事の席でご一緒したのは、横浜と金沢からご婦人二人、それに太極拳の先生の清水さんでした。オーナーの松久美也さんやスタッフは、料理番でした。


お二人は愛知県内の高校の同級生で、今回、旅慣れた横浜のご婦人が誘ったという。ユーモラスな学生時代の思い出を聞かせてくれました。そして、その留守を預かるご主人の"自慢"に話が及び、さらにお二人とも、お嬢様が2人いて、これも偶然なのですが、今度の12月13日にそれぞれ華燭の典を挙げられる、という。そのしきたりや決めごとについて、時間の過ぎるのを忘れて聞き入ってしまいました。親と子の結婚式までの関わりは一様ではなく、当然ですが、その当事者の考えを第一に尊重する、というところに凄く関心しました、ね。楽しい語らいに時間を忘れました。


その夜もスターウォッチングは、雨で中止。血圧に脈拍を取って、万歩計を開くと1万3千歩をさしていました。今日も健康的な一日でした。


最終の3日目の朝は、晴れ渡っていました。ラウンジの大きな窓から、なだらかな穂高連峰が、その端正な稜線をくっきり浮かび上がらせていました。青く輝く山並みは神秘的でした。外に出てカメラを向けていると、徐々に明るくなって、その姿を刻々と変えていきました。きっと、太陽の傾きや影の具合で撮影時期や時間、それに場所などが特定できるのでしょうか。日がのぼって少しずつ、近場の木々の紅葉も彩りを添えて行きました。



写真:晴れた朝、窓から見えた穂高岳は青く輝いていました。


さ〜て、プログラムは残り少なくなってきました。集合場所の「ウッディ・もっく」の玄関先の植え込みには、燃えるようなドウダンツツジ、それにナナカマドの赤い実が、朝露に濡れてやわらなか日を浴びていました。



写真:ナナカマドの赤い実は、朝露に濡れていました。


太極拳は、外で新鮮な空気を吸って行いました。やっぱり全身に生気がみなぎってくる。そして、いよいよ、お待ちかね。幻の、奈川のそば打ち体験です。体験はいいから早く、打ち立て、茹でたて、冷水での揉みたてーのそれを食べた〜い。


「ウッディ・もっく」から、県道26号を北上し上高地方向に向かう、その途中の閑静な里、大原にある施設につきました。ここは、通称・大原クラインガルテン倶楽部ハウスという。通称だから、正式にはなんですか、と市の担当の柏澤由紀一さんに調べてもらうと、県営中山間地域総合整備事業(活性化施設)というらしい。なんだかお役所っぽいけれど、税金を投入するにはそれなりの勘定項目が必要なのでしょう。


まあ、その呼び名とはまるで裏腹に、この辺は欧州風で、なぜか屋根のとんがった別荘風の瀟洒な建物が立ち並んでいました。「クラインガルテン」(※注1)と呼ぶ、宿泊施設付き農園という。どこも満杯でなかなか空きがないくらいのにぎわいだ、という。そうでしょうなあ、この佇まいをみれば心が動く。その玄関前から振り返って、斜面の向かい側に目をやれば、シャープな乗鞍岳、それに穂高連峰がその雄姿を見せていました。その谷間を雲霧がゆるやかに流れていました。



写真:大原クラインガルテンの農園。正面左の山は乗鞍岳。


さ〜あ、そば打ち体験です。エプロンにバンダナ姿に衣替えし、「次は僕のバンダナ!」の洒落でなごやかにスタート。ご指導いただくのは、松本市のそば打ちの有段者だという。そばをどう打つか、って、粉と水を練って、土いじりの菊練りの要領で押しつぶし、爪先を丸める猫の手で、棒で四角くのしていくのを江戸打ち、それに対して富山や岐阜などで流行る丸くのしていくのを田舎打ちというらしい。ここは、江戸打ちで、そばを打ったら早く食べないと、乾燥する。それを「そばが風邪をひく」というのだそうだ。


そば講釈は、このくらいにして後はウェブに写真を掲載しますのでご覧ください。で、僕が打ったそばは、どんな味だったか。そば粉は淡い緑色をしていました。そば粉8割につなぎ2割のニッパチそばで、香り立つようでコシがありました。もっと食べたい〜が、みんなでテーブルごとに分かれて、ひとつのザルを囲むので、ご婦人方は遠慮がちでしたので、僕も少し遠慮し、どうぞ、どうぞ、ってみんなで、互いに気持ち良く譲りあっていました。美味しいさが笑顔を誘っていました。


「松本市奈川健光ツーリズム」(※注2) の締めは、医学・健康講座。信州大学の医学部教授の大橋俊夫さん、前の医学部長さんで、以前に松本市内の勉強会でご一緒したことがある。それに講師の河合桂子さん。循環器の視点から「元気の源」と題しての、講義がありました。参加者から血圧の数値についての質問や、あるいは個別にご相談される方もいらっしゃいました。いやいや、これで全プログラムが終了しました。




写真:そば打ち体験のあと、風味豊かな奈川のそばをいただきました。


奈川からは、あわただしくワゴン車で来た道を松本駅に急ぎました。大原の里で関西からのご夫婦と、松本電鉄上高地線の新島々駅で金沢のご婦人と、そして松本駅では、皆さんとお別れしました。最後には、市役所の柏澤由紀一さん、堀洋一さん。明るく手を振って別れました。


しかし、その車の中でずっと心を占拠していたのは、峠の里で暮らす奈川の方々の事でした。木登り師の中村照男さん、イワナ養殖の牛丸繁夫さん、野麦峠自然学校の五十嵐千夏夫さん、ロッジ木の実の平沢恒昭さん、仙人の古畑富清さん、料理番の亘亘さん、そして、ヒュッテ不思議童子の松久美也さん、あえていえば、その道一筋の、その確かな存在感と蓄積された生きた知恵に触れて、心を揺さぶられました。そして、なんともいえぬ、こまやかな気遣いを思い出すと、なんだか胸が熱くなってきます。


「美しい峠の里・奈川に結ぶ夢」は、そんなしめやかな僕の心模様だったかもしれません。ただひとつ、心残りなのは、その帰り際、お土産の御礼も告げず奈川を去ってしまったことでしょうか。その意を伝え、お別れを述べて、その表情をしっかりと心に刻んでおくべきでした。(以上)


※注1:クラインガルテンとはドイツ語で小さな庭の意味で、全国にグラインガルテンが普及し農業体験が楽しめるこの手の施設があるが、滞在型の施設を提供したのは、信州・松本が初めてだった、という。いつも信州は外からの人に寛容です。ここは全部で35区画あり、いずれも年間契約で、使用料は広さに応じて年25万円から38万円、最大5年まで更新が可能で、応募者の多くは、大阪、名古屋、東京からのリタイア―組、という。


※注2「松本市奈川健光ツーリズム」。この企画ツアーに協力している施設は、「ヒュッテ不思議童子」に加えて、郷土料理をイタリアンで仕立てる「カントリーロッジ木の実(このみ)」、無農薬の高原野菜や旬の素材を生かす「ペンションG・コンチェルト」、自家栽培の野菜にキノコの鍋が自慢の旅館「仙洛」(せんらく)、山菜料理に手打ち蕎麦にこだわる「旅の宿・大石屋」、それに、渓流が近くを流れる民芸調の旅館で、そば、イワナが自慢の「鳥屋沢」(とさや)の6軒で、参加者はそれぞれの希望する宿を選ぶことになります。  費用は、今回2泊3日の全日程の食事と講習、講義、体験料、それに松本駅から奈川エリア管内の移動費を含めて、2万2000円から2万8千円の範囲となっており、とてもリーズナブルな企画でした。ご関心のある方は、松本市商工観光部商工課、電話0263−34−8303の柏澤氏、堀氏まで。


□今回でメルマガは300回です。2002年10月から毎週1回、6年とちょっとの歩みです。これからも、大学発ベンチャー関連の情報とあわせて、時と人の営みに焦点を合わせて"時代の風"を伝えていきます。これからもどうぞよろしくお願いします。ご意見、ご感想をお待ちしています。 DNDメディア局編集長、出口俊一



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