◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2008/06/04 http://dndi.jp/

三浦龍一と僕、そして上田達也…

DNDメディア局の出口です。それにしても、まあ、よく降る。雨が多いせいでしょうか、庭先のアジサイが勢いよく伸びていくつもの花をつけ始めました。八重の白い花が先端で弾ける、額アジサイの「隅田の花火」、雨空に咲く「花火」は、見ているだけで気持が安らぎます。


梅の実が熟すころの雨だから梅雨(つゆ)、黴が生えるので黴雨(ばいう)とも昔、言ったそうだ。スーパーで和歌山産の色づいた小梅を選んで、さっそく梅干しを漬け込んでみました。今年で4年目、小梅は初めてです。


それから一週間余り経って、ひとかかえほどある専用の甕(かめ)からフワッと、ほのかな梅の香りが漂ってきます。たぷたぷとした白梅酢が上がってきたのでしょう。そのまま、じっと梅雨の明けるのを待つことになります。考えてみれば、こんな日常に満足するというのは年をとったということか、ここ数年のことです。


そんな折り、懐かしい友からメールが入りました。札幌市役所に勤務する三浦龍一からで、上京するのでそれでは久しぶりに3人で飯でも食べよう、という誘いでした。仲間のもうひとりは、建材メーカーで部長の上田達也、数年前、マイホームを新しく購入し千葉の船橋に移り住んで居るはずだ。


僕たちは、いま破綻から再建への懸命の努力が続く北海道夕張市沼の沢という、その炭鉱の街の外れにある、当時の向陽中学校の同級生です。卒業して40年にもなるのに、いつでも変わらない友情を保っていられるのは、きっとバスケットボール部(籠球部)の仲間だったからかもしれません。


夕張の地はバスケットが盛んでした。一年に入学すると多くの生徒が競って籠球部に入部してきました。その数、なんと50人近い生徒がいたのではないだろうか。なにをやるにも人数が多いから順番がなかなか回ってこない。が、ランニングや腕立て伏せ、ウサギ跳びにカラス跳び、そしてヒザを曲げて歩く、アヒル…なんだか動物の運動会みたいなネーミングですが、これが毎日、足腰に重く拷問のようにキツイ。そして、この持久力鍛錬に耐え残るのは、ほんの数えるほどでした。みんな体のどこかに古傷を抱えている、僕らは最後までやり通した誉の同期でした。


その夜は、少し早めの梅雨入りの日でした。風がやんで、細い雨が降っていました。


浅草橋にある隠れ家、とんかつ「百万石」。その茶室風の4畳ほどの座敷に部屋をとっていました。窓から、雨が中庭の飛び石を黒く濡らしているのが見える。予約の席は3つ、上座に龍一、それに面して僕。近況を聞きながら、長身の上田じゃ、この狭い茶室の入口をくぐるのは容易じゃないだろう、なあ、と笑った。が、その笑いは長く続きません。それは杞憂で、腰をかがめればどんな大男でも入れる。上田がこの入口をくぐれない事情は、また別のことでした。


その悲報は、あまりに突然でした。三浦がこの夜に誘うため、彼の携帯に電話すると、電話口に出たのは上田のお嬢さんでした。ほんの数日前に父は他界し、葬儀が済んだとこです、という話だった。享年57歳、大腸がんでした。


上田の訃報と三浦からの誘いのメール、どうも履歴をみると相前後している。う〜む、何か、虫の知らせというのか、きっと上田が旅立つ前に知らせてくれたのか、いずれにしてもいささか奇遇な感じがしてきます。三浦から3人で飲もうというのも思えば珍しいことだ。携帯の電話帳を順番にスクロールすると、上田の番号は残っていた。もう使われていないだろうが、なぜか消去するのにためらいがある。しばらくそのままにしておくことにします。


店の座敷で、3人から2人に変更になった、という事情を聞き及んだ「百万石」の女将が同郷のよしみからか、ビールのジョッキーをひとつ差し入れてくれました。せめて、ご一緒に飲んであげてください、その方の分だといって、さっと隣に席を設けてくれる。なんだか、そうすればふと、その座布団に温もりが戻ってくるような錯覚になるじゃないですかね、心優しい女将の心配りに少し言葉が詰まった。


上田とは何度か二人で飲む機会があった。が、彼はいつも静かに飲んで、もっぱら聞き役に回っていた。三浦が上京すると、上田に連絡を入れ3人で飲もこともあった。やはり人数が増えても口数は変わらない。その場の身の処し方は、はるかに彼は大人でした。しかし…これまでどうやってきたのか、今の楽しみは何か、子供はどうだ、これからどうする、などと彼の話をもっとちゃんと聞いてあげていればよかった、と今になってそう思う。


その夜は上田の話ばかりでした。こんなに長く話題の中心になってたぶん素面ではいられなかったのではないか、ジョッキーが泡の方から少しずつ減っていく、いつも静かだからこの日も3人で飲んでいる気になってしまう。


せっかくなら冷酒の方が彼の好みだったのかもしれない。今夜は、お別れだから好きな銘柄を選んで遠慮なく心行くまで飲んでくれればいい。三浦によると、どうも3年ほど前から体調を崩し、下血があって検査を受け大腸がんと診断されていた。そして、以来3度の手術を経ても仕事を続けていたが、この春に再入院、5月に入って容態が急変し、21日に不帰の人となったという。


みんなどうして黙って、あっという間に逝っちゃうのだろうか。じゃなあ、ってせめてひと言でもその声を聞かせてくれていれば、いつでも思い出すことができるのに…悲しいのは、死という現実よりそういう別れ際の淡白さが胸に痛む。


三浦ともう一軒、向ったバーのカウンターで同級生らに電話した。みんな驚いて、上田君の死を悼んだ。仲間に、今も夕張・沼の沢で、親の代からの建設業を引き継ぐ、青木建設の青木巌がいる。やはり近くでメロン農家を広く営む、山田久人もいる。上田と一番の仲よしは、夕張北高、そして北見工業大学と同じ学校に進んだ、太田正章君がいる。努力型の太田に対して、上田は秀才肌だった。今年こそ、夕張で同窓会を開こう。幹事は、三浦、永谷雅子さんとその場で決まった。


深夜、浅草橋駅での別れ際、いつもは冷静な三浦が目を赤く腫らして、なんども「したら」を繰り返して、手を挙げていた。「したらね」。今度、夕張に行く時は、小梅を持参しよう。



大人の隠れ家、下町風情を残す とんかつ「百万石」。


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