◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2008/05/08 http://dndi.jp/

津軽の夢、人、桜

  〜初めての弘前訪問便り〜

DNDメディア局の出口です。なにはさておいても見知らぬ街の手がかりは、 まず一歩踏みこむことから始めるのが習性となっているのですが、ここはなぜ だか歩き出す前から少しドキドキしてきます。ピュアな心情の県民性といえば、 青森県でしょう。言葉に憂いを溜める津軽人の故郷、歴史的建造物がひしめく その弘前市に足を運んでみました。


さて、これから思いもよらぬドラマが始まろうとしています。さくら祭りに 彩られた4月下旬の祝日、その早朝、街は静まり少し早目の春のまどろみの中 で、今宵のねぷた出陣に備えてなのか、そっと息をひそめているようです。


薄曇り、少し風が吹いて、肌寒い。空は広く開放的ですらある。が、商店街 は、地方のどこの中都市もそうであるように、やや活気が失せて茶色く錆びつ いたシャッターの洋品店や雑貨商、廃墟のボーリング場、敷地の広いビルに売 却予定の看板が垂れ下がって殺風景なのは否めません。が、ここは通りの隅々 まで清潔でこざっぱりしていました。


標識に中央通りとある。その道沿いを弘前駅前の安いシティーホテルから、 信号を4つ過ぎて広めの交差点に差し掛かると、ジャージ姿の中学生が列を作 って次々に自転車で追い越してゆく。斜め向かい左側に郵便局、その途端に飛 び込んできたのが、優美の津軽富士、岩木山でした。


薄日が、冠雪した山の稜線をくっきりと浮き上がらせている。なだらかに伸 びるすそ野の広がりが、見る者に安らぎを与えるのでしょう。孤高に生きる津 軽人の気質と何か共通するものがあるのかもしれません。岩木山の西側には白 神山地が控えています。


郵便局前の角に立つと、いたるところに「卍」のイニシャル、弘前市の市章 です。それを頭にシンボライズした木製の標柱に、筆字で大きく「瓦ケ町」 (かわらけちょう)の文字。「五十石町」や、「亀甲町」、「蔵主町」など町 名の標柱があるのは、弘前城下の町割の名残で、武士はその身分に応じて住居 地が定められていたのだ、という。それにしてもこの「卍」、渋い柿色に艶出 しされていました。


そこから東に向きを変えて横断歩道を渡った、郵便局の斜向かいに、柴田学 園本部の看板が立っていました。その裏庭に東北女子短期大学や専門学校があ ります。付近の路肩の花壇には、いくつもの小さな紫の花が咲いていました。 こんな朝早くから、ご婦人が花壇を手入れし、腰をかがめて草むしりしていま した。声をかけてみました。


その花、紫の花はなんと言うのでしょうか?
いやあ、ツルムラサキ?いやあ、違うべか〜。
きれいな花ですね。どうしてそこで手入れしているのですか?
昔、ここ(柴田学園本部)で教師をつとめていたのよぉ、その恩返しみたいな もんかなあ。お客さん、どこからきたの?
東京からです。昨日着いて、今日は初めての弘前の街の散歩です。
じゃあ、もう少し行って次の交差点を右に曲がれば、一戸時計、その向い側に 古いが由緒ある教会があるからそちらへいくといいよ。


言われる通りに先を急ぐ。方角はやや南に。そして再び交差点を右折してい くと、その時計台、一戸時計店はすぐみつかりました。平屋の屋根にあしらわ れた朱色の尖塔に風見鶏、左から見れば丸時計がふたつ、台座に緑青がふいて いました。1897年の建造で、数えて111年の歳月を刻んだことになる。その西 隣りが、和菓子の開運堂、この屋号を彫った木製の看板もずっしり歴史を感じ させていました。


そこの正面で写真を撮っていると、傍のスーパーから野菜を手にしたご婦人 があらわれて、どちらからこられましたの?と聞く。東京です、というと、東 京のどちらからか、と再び尋ねる。中央区の東日本橋と答えると、日本橋は東 京にいる娘がよく買い物に行くし、私も東京へ行ったら必ず行く、と言って、 人懐っこい笑顔を向けてくれました。気をつけて旅してくださいまし…。


教えてもらった次の場所は、昇天教会。建物はレンガ造りの渋い茶のゴシッ ク様式でした。正確には、日本聖公会弘前昇天教会という。県の重宝に指定さ れています。大正9年の建設で、設計者はジェームズ・M・ガーディナー氏と記 述がありました。弘前の信者らは、朝夕、いったいどのような祈りを捧げてい るのでしょう。


街への空襲がそれて、幸いそれらの意匠をこらした建造物が戦火を免れたた めでしょうか、歴史的建造物が街に重厚さと落着きをもたらしているのですね。 ふ〜む、図らずも歴史漫歩という趣です。


写真を撮り終えて何気に振り返ると、そばに車が止まり、窓から先ほどの、 柴田学園前で草むしりしていたご婦人がこちらに顔を向けていました。


太宰治の下宿していた家が残っている、もうそこには行ってきましたか?と 聞く。そこへ車で案内してくれるという。車で数分のところにありました。 「太宰治まなびの家」という立て札が、そのいわれを伝えています。


切り妻屋根の木造2階建て、熟練の大工職人が丁寧に建てたのでしょう、き っちりした家でした。現存する大正時代の数少ない民家だそうです。太宰は、 藤田家とは縁戚にあたり、旧制弘前高校の在学当時に世話になったという。


庭を見て、屋敷の表や裏を写真に納めて戻ると、そのご婦人の姿が見当たら ない。車はキーをつけたままだ。しばらくすると、その向かいの弘前厚生学院 の正門から走って出てきて、見学の許可を得たという。


誘われるままに、散り際のソメイヨシノの巨木が覆う、その門をくぐると、 正面に枝垂れサクラの古木、庭はその右手に広がり、周辺に数本の枝垂れサク ラの古木が見事な花を咲かせていました。香り立つ桜の園でした。なんという 贅沢な庭なのでしょう。ドウダンツツジが夥しい数の白い小さな花を咲かせて います。ベルを逆さまにしたような花ですね。漢字をあてれば、「満天星躑 躅」、なるほど、ですね。そのすぐ脇のうっそうたる白い花はグミの木でした。


春は、淡い薄紅の枝垂れサクラに囲まれて、それらが新緑の松の木々の間で 楚々とした白一色の花を咲かせる。季節がめぐって秋になればドウダンツツジ の葉は紅く色を変え、グミが赤い実をつけて、冬を待つ。枝に雪を重ねる光景 も絵になるに違いない。


庭の奥には瀟洒な建物が目に留まりました。「旧弘前偕行社」と看板にある。 明治29年(1896)に弘前市富田に駐屯した陸軍第八師団の、主に将校らの社交場 施設として活用された、という。設計は、弘前を代表する棟梁、堀江佐吉、明 治40年(1907)にルネッサンス風の偕行社が完成し、簡素な玄関ポーチに翼棟を 広げたデザインは、当時の軍関係施設の特徴だ、という。


この匠職人、堀江は歴史建造物の多くにその名を残していました。旧第五十 九銀行本店(現青森銀行記念館)は佐吉氏の設計になるものです。日本キリス ト教団弘前教会は佐吉の子、斎藤伊三郎が施工し、旧弘前市立図書館が佐吉氏、 カトリック弘前教会は佐吉の実弟の横山常吉が施工した。大したものですね。 今なおそれらが現存しているというところに弘前の、文化的水準の高さを証明 しているのでしょう。まあ津軽藩の政庁が置かれた所以もその辺にあるのかも しれません。


あっ…。散歩に出てからすでに1時間半、携帯の時計は午前8時を回っている。 急いで帰らなくては、と焦る様子を見ていたご婦人が、ホテルまで送ってくれ るという。せめてお名前でも…。どうぞ、その気持は、旅の途中でお会いにな った困った方々にお返しください、という。ガツーンときましたね。う〜む、 人への誠意、その心の有り様を教えられた気分でした。


朝8時集合の約束。20分遅れでホテルのレストランに急ぐと、東京から同行 の野村證券の平尾敏さんが食事を終えて、席を立つところでした。朝食のメニ ューは、小さめのおにぎりと味噌汁、それに幾種類かの漬物という質素なもの でした。これがとても美味しいのは、朝の散歩の、ご婦人のおかげかもしれま せん。平尾さんは、僕の朝ごはんにつきあいながら、これから予定について、 弘前大学の地域共同センターのベテラン、産学連携コーディネータの野呂治さ んが街を案内してくれる、という。


野呂さんは、産学連携コーディネータに就任されて今年で6年目、弘前大学 のことや地元の企業の事は、なんでも野呂さんにお聞きすればそれで用が済む、 そんな僕らにとっては大変に有り難い大学ナビゲータ的存在の一人です。もう、 かれこれ5年以上の顔見知りです。青森といえば、野呂さんですから。


話は一日遡ります。前日午後2時、岩手県の盛岡から高速バスで弘前に入り ました。出迎えにきてくれたのが弘前大学発ベンチャーの「クラーロ」(本社、 弘前市、社長、高松輝賢氏)の高松さんでした。その案内で、最初に訪問した 先が弘前機械開発(青森県南津軽群田舎館、社長、都谷森清氏)の工場兼オフ ィスでした。


休日にも関わらず、都谷森さんは、快く対応してくれました。長さをミクロ ンの単位で測る微細の三次元測定がモノづくりの原点といい、技術者がエンジ ニアと称された70年代あたりからおかしくなった、というのが持論で、根っか らの職人気質、面倒見の良い親分肌ながら実に熱心な研究者でした。ユニーク な開発秘話がいっぱい溢れていました。頼もしい。こういう人と友達になりた い、と素直に思いました。


都谷森さんの会社は「クラーロ」の機械装置を製造していますので、製造受 注というより技術ベースでもより強く連携する、グループ系列会社の様相でし た。


そのクラーロ、いま世界雄飛の跳躍台に立ったところなのです。この3月の ハーバード大学への画像診断装置納入を契機にアメリカにサポートの拠点を開 設し、語学堪能の才女、ナチュラルな笑顔の石井亜紀さんが米国へ飛ぶ予定と いう。そして5月中旬のスペインでの医療学会への出展と合わせて欧州へ、さ らにロシアへの足掛かりもつけていきたい、と意欲的です。


その製品の特徴は、患者の病理の標本を撮影し診断する画像処理のデジタル 装置で、数多くのデータを短時間で処理することを可能とした画期的なもので、 しかも遠隔によるデータの送受信が可能、連続的で、しかも高速というソフト の開発は、高松さんのオリジナルでした。病理の専門医師が不足している現状 では、この装置があれば遠隔での病理診断がスムーズで大きな成果の実現され る、という評価が定着してきたようです。


いま青森の弘前周辺で、こんな風な企業連携によるモノづくり旋風が巻き起 こっていることに気づきました。青森発オンリーワン、受注から研究開発型へ の挑戦、そしてベンチャーを次々設立しながらお互いに連携し、一体化しつつ、 地域のエンジンとなって世界を圧倒する、そんな職人の皮膚感覚をベースにし た新しい技術の開発に全力を挙げているのです。


都谷森さんは八戸工業大学を卒業後、上京し大手メーカーに就職するのです が、父親の病気を機にUターンし、同じ八戸工業大学の後輩でベンチャーの分 野では先輩格の、プリズム加工では我が国屈指の技術力を誇る「テクニカル」 (弘前市、社長、山内一秀氏)のアドバイスで会社を設立する。


そのテクニカルは経済産業省の「元気なモノ作り中小企業300社」に選定さ れています。それには「プリズム加工業界において、職人の勘と経験を初めて 数値化理論に置き換えることで製造のノウハウを確立した」と書かれていまし た。


ピラミダル〜ピラミッドのような三角錐の形状をいうのですが、山内さん流 の捉え方は「三角のモノを測定する場合、たいてい水平に置いて測定する。が、 ヨコに寝かして測定し直すと歪みがでる。この歪みを補正する、確かな測定に よって本当の数字を出すのが、テクニカルの技術です」と都谷森さんは説明し ていました。微細なミクロン単位の測定に関われば、わずかな振動や温度によ って狂いが生まれる。その測定技術とならんで測定環境も重要なのだ、という。 ふ〜む、これでいいのか、どうか少々不安は残ります。まあ、山内さんの本当 の凄いところは、夢の実現のために仲間を大切にし、技術を競って「技術の 森」を地元、弘前で実現しつつあるということだと感じました。


自分ひとりで大きくなるのではない。山内さんを中心にそのビジネス連携の 輪が広がっていることに着目したい。年商7億を超える、躍進の「テクニカ ル」には都谷森さんも取締役で参画し、今度は、「テクニカル」と「弘前機械 開発」が連携して、3年前に「クロビットジャパン」(南津軽群田舎館村、社 長、新保誠氏)を設立していました。


「クロビット」−耳慣れない言葉です。これは、ガラスの屈折率を利用した 光学系の焦点距離を延長させる、新しいタイプの光学素子だという。この技法 によって、複数面を同一焦点で画像を取ることを実現し、加工や検査装置の新 たな光学デバイスとして活用の幅が広がっているという。


都谷森さんの机にプリズムの試作品が並んでいました。玩具のミニバイクを 中央に置いて上からのぞくと、真ん中にはミニバイクの上から見た、そのまん まの姿が見えますが、右のガラスにはバイクの右側面、左のガラスには左の側 面が写しだされていました。瞬時に、上、それと左右を一か所で可視化すると いうまるでマジックのような技法を見せつけられました。


イメージがいろいろ湧いてきませんか?そのひとつが欲しい、って言うと、 律儀ですね、いまこのメルマガを打っている、午後14時半に新保さんから、見 本が送られてきました。感謝です。


山内さんは、1社では越えられない課題、1社では到達できない目標、それ らを青森の地方から複数の企業の連携で、新たな道を開くーという。この姿勢 も素晴らしい。


地元の企業マガジン「産業あおもり」の取材によれば、『もっとも親会社の テクニカルは光学用特殊プリズムの開発・試作で屈指の技術力があり、光学素 子「クロビット」もテクニカルの山内一秀社長の考案によるもの。装置の弘前 機械開発との3社体制で素子生産から装置化までワンストップで対応できる』 と解説していました。


ざっと取材を終えて、なんだか気持が豊になってきました。その夜は、評判 の「豊盃」の生酒で乾杯しました。「豊盃」は、その弘前市にある小さな蔵で、 5代目の若い三浦兄弟が杜氏として仕込んだ地元の代表銘柄らしい。銘柄の通 り、ふくよかで柔らかく、スーっとした口あたりがなんとも言えない。その居 酒屋には、平尾さん、野呂さん、そしてクラーロの高松さん、遅れてクラーロ の取締役で病理がご専門の弘前大学教授、佐藤達資さん、そして僕の5人が集 結しました。高松さんは車なのでウーロン茶で、佐藤さんは酒が苦手だという ので、もっぱらコップの冷酒を4杯、5杯と順調にペースを保ったのは、平尾さ んと僕でした。平尾さんは、酒席ながらベンチャーのビジネス成功の秘訣を披 瀝していました。仕事熱心です、相変わらず…。


こんな夜は、なぜだか、飲んでも、飲んでも酔わないものです。何に興奮し ていたのか、う〜む、この店に立ち寄る前に通った、弘前城周辺のお濠のサク ラを照らす赤いぼんぼりが目に焼きついてしまったのか、そのぼんぼりには 「テクニカル」、「弘前機械開発」、「クロビットジャパン」、そして「ク ラーロ」などのスポンサー企業の社名が刷り込まれていました。あるいは、弘 前の地元を大切にしている、という彼らの熱い思いに心を打たれたせいなのか、 どうか―。


そこでぼそぼそと口ごもる佐藤さんが、なんだかサクラ祭りが本番の弘前城 周辺に「ねぷた」がお囃子と一緒に繰り出しているのを、この店に来る途中に 見たという。あの勇壮なねぷたが、すぐそばを練り歩く…。


この仰天情報に黙って聞き流す僕じゃありません。是非、なにがなんでも見 てみたい。行きましょう、ねえ、すぐ行けば間に合うのではないか、と、「え ぇーそうですかねぇ」って、あまり乗り気じゃない高松さんをけし掛けて、高 松さん運転で、お濠の周辺をぐるり、が、その気配がない。


ねぷたはどこに消えたのか、酔ってもいない佐藤先生が、「見た!」という のだから嘘偽りはあるまい。ふ〜む。何か釈然としない。そして翌朝。その散 歩の様子は、冒頭の通りです。が、「ねぷた出陣」を見ることができていたら、 きっと、このメルマガの書き出しは、その描写から入ったと思います。なんだ か、未練がましい、ね。佐藤先生は、本当に見たのでしょうか、何かの幻影だ ったのではないか、今度はそっちが気になってしまいました。


さて、午前9時、時間通りに野呂さんはにこやかにホテルに迎えに来てくれ ました。これからさくら祭りの弘前城周辺一帯を散策するという。駐車場は市 役所付近の有料駐車場でしたが、この風格の市庁舎の設計は、まさか前川國男 氏の手によるものとは思いもよりませんでした。


東京・上野公園には、東京文化会館、東京都美術館、国立西洋美術館など 数々の作品がその端正な容姿を現在に残しています。ご存知の通り、東京帝国 大学を卒業し、シベリア鉄道でフランスに入り、憧れの建築家、近代建築の父 とうたわれたル・コルビュジェに師事したことは有名です。1986年81歳までそ のコルビュジェの流れをくみ、一切の無駄な造形をそぎ落とした明快な設計を 心掛けていたようです。


さて、弘前城内に入ります。無料です。50ヘクタールの園内に52種類、2600 本のサクラの競演、津軽藩主が京都・嵐山から持ち込んだ樹齢290年のカスミ ザクラはなお健在、樹齢120年で日本最古のソメイヨシノもあれば、日本一太 いのもある。枝垂れサクラは、風に揺れて花を吹き上げるようでした。本丸一 帯の八重桜は枝を傾げるほどの大きな花を咲かせていました。ひらひら舞うサ クラ吹雪、お濠を埋め尽くす花筏の群れ…。お濠のかかる下乗橋から天守閣を 望む撮影スポットや、どこまでも続くお濠沿いのサクラのトンネルは大勢の客 でにぎわっていました。


園内のケヤキ並木の向こうに、そして緩やかな丘陵にそって、市民会館や博 物館などの建築群がその周辺の自然に溶け込んでいました。あれも、これも前 川さんの設計と、野呂さんが解説してくれました。前川さんの建築を大切にす る会も発足していました。いやあ、弘前の人の建築へのこだわりは環境への慈 しみの現れなのかもしれません、とても感心させられました。


左に野呂さん、右に平尾さん、3人で散策を続けていると、背後から女性の 声がする。振り返ると「まん中の、あなた〜」といって指を差す。「美食家の、 美食家ですね。芸術家風の、あなた、どうですか。見ていきません」としきり に手招きして誘うのは、今度は同じ年頃の易者さんでした。まあ、よく声がか かること〜。美食を、単なる食いしん坊というなら、アタリ!


夢のような園内散策でした。歩いて2時間たっぷりはあったでしょう。ここ は日本一のサクラの名所に違いない。GW中200万人を超えるというのも頷けま す。近くの木々の陰からは、津軽三味線が、そして津軽甚句が強く激しく響い てきました。


〜なんぼ見事だば お城の桜 花に酔うたのだな 酒コに酔うたのだな ホーイホーイ〜。


機上での爆睡。3時間を超える弘前探訪は、ひとときのやすらぎをもたらし てくれました。母方の故郷は、ニシン御殿のある小樽・祝津、その昔魚場を仕 切った伝説の女傑が、津軽出身だったとの聞き覚えがあります。


【お知らせ】


※長いメルマガでした。定期配信の一日遅れで、先週はお休みなので昨日は心 配して電話をかけてくださった方もいらっしゃいました。ジャカルタからは黒 川清さんから電話をいただきました。連載「中国のイノベーション」の張輝さ んは、本日、胡錦濤中国国家主席の歓迎レセプションにご出席ですね。張さん の晴れ舞台だと思います。


※悲しいお知らせは、大学発バイオベンチャー協会の会長で自ら起業したLTT バイオファーマ会長の、水島裕(みずしま・ゆたか)先生が7日急性心不全の ため逝去されました。74歳でした。後日、お別れの会を開くという。聖マリア ンナ医科大学教授を経て、旧新進党から95年に参院選比例代表で初当選、1期 務めました。


大学発バイオベンチャー協会の設立、政府関係機関との連絡調整ほか、後輩の 指導、ベンチャーの育成にご尽力されてきました。最近は、昨年子会社化した 医療コンサルタントの「アスクレピオス」をめぐる丸紅を舞台とした巨額詐欺 事件の様相を呈している問題に苦慮されていたようです。心より水島先生のご 冥福をお祈りいたします。


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